6.騎士団総長
数日かけて王都にある騎士団寮に到着した。
私が住んでいるグリテニア王国は大陸で五本の指に入る大きな国だ。国をぐるりと囲む山脈から溢れ出る魔物を討伐してきた一族が王家の成り立ちとされている。
王家を中心とした人々が狼を連れ一丸となって魔物と戦ってきたため仲間意識も強く、周囲の侵攻を試みる敵国も鍛えられた隊で蹴散らし領地を削ることなく今の形になったとされていた。
王国騎士団の紋章が狼なのはそれゆえである。
現王は健在で次期国王となる王太子殿下も非常に優秀な方だと言われている。
弟殿下は病弱で伏せっておられて表舞台からは遠ざかっているが兄弟仲は悪くないらしい。成人された姫君もおられるが、なんでも想いを寄せる相手がいるとかでまだご結婚されていない。
外交が盛んになった今では、騎士団のように魔法と力に優れた者が魔物からも周囲の国の脅威からも守ってくれている。
そんな国の要となる騎士たちの王都にある騎士団寮は五つの寮に分けられている。
門をくぐると訓練場などがある大きな敷地が見え、その奥に伯爵家の屋敷よりも大きく立派な四つの建物があり、さらにその奥にフェリクス様が住んでいる建物があった。
他の建物より小さいけれど造りがしっかりしたその黒い外構の寮に、フェリクス様と総長、他に八人が住んでいると説明を受ける。道中一緒だったアーロン様とザッカリー様は入って二つ目の寮に住んでいるらしい。
騎士服が黒をベースとしていることそして狼の紋章から、総長も住まうこの寮は黒狼寮と呼ばれ、この寮だけは住み込みで働いている人はおらず合格すれば騎士以外では私だけになるらしい。
「ようこそ。騎士団寮へ」
必要最低限の装飾の建物は、広々として無駄を省いたような内装ではあるものの赤と金の文様のカーペットなど貴族の屋敷と変わらない。
何人収容ができるのか想像もつかない大きなホールを前に、私の緊張はマックスになった。
現在は皆出払っていると、フェリクス様は私の荷物を持ちまず私の部屋となる場所へと案内してくれた。それから配置とともに主な業務を教えてくれる。
洗濯物は回収し専門の担当者に渡すだけでよく、食料も必要なものを言いつけたら届けてくれるらしい。
私の仕事は基本そういったものの回収や目につくところの掃除、そして食事の準備をするだけらしい。
食事も他の寮と同じく煮込み料理やサラダなど出来上がったものや料理人によって下ごしらえをしたものが定期的に届き、それらをそれぞれの隊員の勤務や好みに合わせて出す。
一から作るものばかりではないことはとても助かるが、勤務は不規則であるし、隊によって動きも違うし個人の好みもあるのでそこを合わせるのが大変そうである。
あとは状況を見てできる仕事をしていく。つまり、騎士様が居心地がよいと思ってもらえる動きをするのが私の仕事だ。
実際、洗濯ものを洗ったり買い出しをしたりとなると、時間があってもひとりで回せるか不安に思っていたのでこれはありがたい。
食事や洗濯など気を遣わなければならない大部分の形ができているのは、騎士のペースを崩す心配もなさそうであるし助かる。
「最初から気負おうとせずに、わからないことがあればその都度聞いてくれたら。俺たちも完璧な仕事を求めているわけではないから」
「わかりました」
少しでも寮で安らげればいい、そういうことなのだろう。
任務で疲れているにもかかわらず、私に気を配ってくれるフェリクス様。総長の件をクリアすれば、彼のためにも居心地のよい環境を作れるようにしたいと思った。
伯爵家は生きるために能動的であったけれど、今は自発的に頑張りたい気持ちでいっぱいだ。
説明を受けながら質問をしたり仕事の流れを確認していると日が沈みだし、ぱっと明かりが自動的に灯るとそこで入り口あたりが騒がしくなった。
それと同時にがらりと寮の空気が変わるのがわかる。姿が見えないのに建物全体の空気が濃くなったのを感じた。
思わずフェリクス様を見ると、彼はゆっくりと頷いた。
「第一騎士団の彼らが帰ってきた。総長もいるようだ。彼らにはミザリアがいることの連絡を先に入れてあるから心配しないで」
「はい」
再び緊張してきた。
認めてもらえるだろうか。フェリクス様の期待に応えられるだろうか。何度も気負わないようにと彼に声をかけられたけれど、やはり身体に力が入る。
ふぅっと深く深呼吸をし、力を抜くことを試みる。緊張で表情が硬くなっているのが自分でもわかる。
気配のほうに視線を向け緊張と戦っていると、そう時間もかからず騎士服を着た四人の男性が現れた。
黒い騎士服に襟元などは白色の第一騎士団の騎士が三人、そして彼らとはデザインも変わった騎士服に左肩に金の紐で結ばれた白のペリース、さらに全十五騎士団の色の入った装飾の騎士服を着た男性がひとり。
第一騎士団の三人を従えるように、男らしくそれでいて不思議な魅力を持った長身の美形が立っていた。
圧巻だった。
ほうっ、と知らずに感嘆の息が漏れる。
――次元が違うってこういうことなのね。
道中の話だけ聞いて膨らんでいた総長に抱いた感想と想像、フェリクス様が慕っている空気から感じていたイメージとともに急速に一つにまとまる。
とにかく、会えばわかるというのがわかった。この美貌とともに放つ空気感は独特すぎる。
兄であるベンジャミンも美形と言われモテていたようだけど、伯爵領を出てからフェリクス様と出会い、兄を圧倒的に上回る体格からして素晴らしいそれぞれタイプの違った美形を次々と目にしてあっさりと上塗りされた美形基準がまた跳ね上がる。
その集大成とも言える美貌と存在感。
艶やかな黒髪に野性味の強い切れ長のアンバーアイ。ウルフアイとも呼ばれ中心の黒の周りに黄色が強い双眸は見る者を畏敬の念を抱かせる。
多くの者は彼を見て、教会のステンドグラスに描かれているこの国で神格化したフェンリルのような孤高さと美しさにどうしても焦がれてしまうのだろう。
その双眸がゆっくりと私を映すと、わずかに細められた。
それから何事もなかったかのように視線を外し、フェリクス様に話しかける。
「彼女が?」
よく通る低音。その声も力強く、鼓膜が打ち震える。
視覚で、聴覚で、こんなにも惹きつける人がいるなんて信じられない。
見惚れるというよりはどちらかというと驚く気持ちのほうが強く、私は騎士団総長を見るのをやめられなかった。
実際に魔力は魔道騎士団である第二騎士団長をしのぎ、国随一で魔法に関して、そして剣の技も最強と言われている。
公式の催しなどは滅多に出ず、口伝で美貌と武勇伝がこの広い国の全域に行きわたるほど有名な人。
ディートハンス騎士団総長。出自は不明だが、高貴な出だということは噂されていた。
実際、フェリクス様の会話からもそうなのだろうと推測できる。
「はい。彼女はミザリアです。まずはお試しということになりました」
フェリクス様が私を連れてきた経緯と私に話した内容を説明し終えると、再びディートハンス総長の視線が私を捉えた。
何を考えているのかわからない冷たい双眸が、目にかかる長めの前髪の間からじっと私を見る。
欠点の見当たらない美しい顔に、総長という立場もある人が醸し出す雰囲気に気圧され、後退りそうになるのをぐっと耐えた。
ただ私を見ているだけ。それだけなのに全てを見透かされているような心許ない気分になるけれど、総長の面会をクリアしないとここで働くことはできない。
私は引きそうになる顎をわずかに上げて、総長の視線を真っ向から受け止めた。
「……気分は?」
「……? 大丈夫です」
自分の違和感を探るけれど、場の空気に呑まれている以外の異変は感じない。
首を傾げながら答えると、総長は視線を合わせたままゆっくりと一歩前に出たので私との距離が少し縮まる。
「「「「…………」」」」
それを周囲が固唾を飲んで見守る気配が伝わってくる。
こくり、と喉を鳴らしている人もいるようだ。
自分よりも緊張しているのではと思えるそれに、煽られるようにさらに緊張し喉の渇きを覚えた。
私は足が縫い付けられたようにその場に固まったままディートハンス総長を見た。
――び、美形の無表情、怖すぎるっ!
もう少し表情を動かしてもいいんじゃないかってくらい、涼やかさを通り越して冷たい表情。
身長も高く鍛えられた身体を前に圧を感じるし、何より無言。この無言の時間をどうしたらいいのかと何度か瞬きを繰り返したところで、総長の形のいい唇が動いた。
「何か変わったことは?」
「……? ありません」
先ほどとあまり距離は変わらないのに似たような質問を繰り返され首を傾げると、ほっとディートハンス総長は息をついた。わずかに寄せられていた眉間のしわも解かれる。
眉間のしわ以外全くといっていいほど表情は変わらないけれど、そのわずかが動くだけでも同じ人間だったんだとほっとするというか、総長なりに気を配ってくれているのがわかって私は安堵した。
ディートハンス総長は再びわずかに眉間にしわを寄せ、さらに私に近づいてきた。
互いに見つめ合う。
強い狼の群れの長に見定められているような気分になってくる。威圧感はあるけれど不思議と怖いとは思わなかった。
敵か味方か、排除する者か守る者か。
「これはこれは」
今度はブルネットの髪に茶の双眸でどっしりと落ち着いた雰囲気の騎士が声を上げた。
外から遮断された生活を送っていた私でも彼が誰だか知っている。
活躍するたびに新聞に載ることがある第一騎士団長、アーノルド・バルゲリー。
総長の情報は規制がかかっているのか活躍内容以外は載らないが、第一騎士団長は表立って動くため度々新聞に取り上げられている。
彼は数々の功績を上げ伯爵という爵位持ち。実家は侯爵家でそこの三男だったはずだ。年齢は三十代半ばだと記憶している。
その団長も従える人物。統制された強い狼の群れのボスと対峙しているようだ。
総長に認めてもらえなければここでやっていけない。そして、この総長を前にして虚勢を張っても仕方がない。
どうやっても駄目なときは駄目。理不尽な暴力にさらされてきた私にとって、明確な線引きがありそれを最初に示されるのはありがたい。
緊張のピークは通り越し、なんだか逆に安心もして私はふぅっと力を抜いた。
『徹底的』に女性と距離をあけると聞いていたので必要以上に近寄らないようにしようと思っていたのに、まさかその総長から距離を詰められるとは思わなかった。
といっても、五メートルはあいている。だけど、私からではなく総長からというのは悪い話ではないと思う。
――不快だったら近づかないよね?
フェリクス様から事前に総長のスタンスを聞いていたおかげで、緊張はするけれど落ち着いていられる。
私はふぅっと息をつき、むにゅむにゅと口の運動をする。
伯爵家ではとんと笑う機会がなかったけれど、母には関係を良くしたい相手には笑顔を見せなさいと言われていた。あとは『女の武器になるのよ』とも言っていた。
私はここで働くかもしれないので、私が笑ったところで武器になるとは思えないが敵意はないよと見せるのに笑顔はきっと大事。
口元が解れたのを確認し、私はにこにこと笑顔を浮かべ総長を見た。
すると、ぴく、と総長が身体をわずかに揺らし、私をさらにじぃぃっと見つめてきた。無言と無表情の圧がすごい。
――これはもしかして失敗?
ぎこちなくて逆に不快を与えてしまったのかもしれない。
「何か問題が生じればフェリクスに言うように」
どうしようと笑顔がひきつりそうになっていると、ディートハンス総長は目を眇めそれだけ言うとくるりと方向転換しその場を後にした。