33.大切に思うからこそ
国を混乱に陥れたランドマーク元公爵の刑が執行され、伯爵を含めたこのたびの騒動を起こした全ての者が裁かれてから数日。
復興や解明も進みようやく収束の兆しが見え始めた。
時とともに事実を知った衝撃から心の反応が薄れているように感じるが、大事な人たちを理不尽に失った悲しみは忘れることはない。
風化していくことは決して裏切りではなく、環境が変われば心も変わらないままは苦しくて、自分のことを考えてくれている、大事にしたい人や時間が増えるたびにそれらは思い出として処理される。
行き場のない憤りと悲しみしか残らなかったこのたびのこともようやく一つの区切りがつき、春の訪れを待つとともにこれからさらにこの国は強くなるだろうと皆が希望に満ちている時にそれは起こった。
黒狼寮のホールに、騎士の声が大きく響く。
「魔物に襲われ負傷者が多くでました。すでに他の治癒士には連絡しております。ニコラス様も力をお貸しください」
「わかりました」
ランドマーク元公爵の反乱とその時に暴れた魔物は殲滅したが、魔物の生態系が乱れたことで序列が変わり変異種まで現れ、今まで出なかった地域にも出没するようになった。
その調査と殲滅にディートハンス様たち攻撃に特化した騎士団はすでに出払っており、第六騎士団治癒部隊であるニコラス様が外へと向かうのを私は呼び止める。
「私もお手伝いします」
「……各地に今は治癒士が派遣され、王都に治癒士が少ない状況です。かなりしんどいですよ?」
「邪魔になるようなら帰ります。ですが、私の能力でできることがあるのならばお手伝いを」
「わかりました。ついてきてください」
了承を得て、門から一番近い騎士団寮へと赴く。
命の危険が伴う重傷者はその場で治療、それから王城の治癒士や医師によって現在治療を受けているが治療を必要とする者は多く、残りの人たちは騎士団寮に運ばれていた。
ホールに並べられた騎士たちの多さに絶句したが、ニコラス様が治療に取りかかったその横に寝かされた人物の容体を見るべくしゃがみ込んだ。
左足が抉られた騎士は名前までは知らないけれど、何度か挨拶をしたことのある人だ。
「大丈夫ですよ。今、治療します」
痛みで顔をしかめている騎士の手を掴み声をかけると、彼は目をうっすらと開けた。
「――君は、……ありがとう」
治療するのは私だと知っても嫌な顔をせず、ふっと身体の力を抜いた騎士に私は再度力になりたいと強く思う。
「必ず助けます」
今後、騎士生活に支障が出ないようにと祈ると、周囲に精霊たちが集まり目映いほどの光を放つ。
伯爵家から助け出された後、十日ほど意識を取り戻せなかった夢の中で精霊王と再契約し、全ての魔力が戻ってきたため今の私は万全だ。
ネイサンによる記憶の操作と魔力消失で精霊との繋がりが薄くなるなか、今までかろうじて糸一本ほどの細いもので繋がれていた。
金目のものだったら絶対取られているはずの不思議な石は、なんと精霊石だった。
それは契約者と繋ぐもので、私には透明度が高く日によって色が変わる不思議な宝石に見えていたが、他人には地面に落ちているようなただの石にしか見えず奪われることなく済んだようだ。
ネイサンが魔物の森で明確な殺意をもって私を置き去りにしたことによって、企みに気づいた精霊王がディートハンス様との出会いを機に意図的に器を守るために最低限の魔力だけを残し膜を張った。
そのことによって、下界に干渉することができなくなった精霊王と再度契約することで力を取り戻すことができた。
十日も眠りについていたのは私の回復のためでもあったけれど、精霊王がせっかくなのだからとなかなか帰してくれなかったせいでもあった。
石を大事にしていたからそれくらいで許してもらえたけれど、もし粗末に扱っていたらもっと拗ねていたことだろう。
精霊も万能ではなく、独自の理や性質があるため人には気まぐれに映る。
それでもしっかりとした繋がりを感じ、初めて万全な状態で聖魔法を使うことに不安はなかった。
結果、私は暇を持て余していた精霊王を呼び出してしまい、ホールにいる全員を一気に治療することに成功した。
その時は歓声に包まれ、やけに褒め称えられ、こそばゆさを感じながらも怪我が治せたこと、騎士たちが笑顔になったことが嬉しかった。
器は出来ているけれど力の使い方が慣れていなかったため、その場でへたり込んでしまって心配をかけたこと以外は概ね良好だった。
その晩、私はお風呂上がりにドキドキしながらディートハンス様の部屋に訪れていた。
ディートハンス様の仕事が通常通りに終わる時は必ず部屋に誘われるようになり、何度来てもノックする時は緊張する。
「リア」
コン、と躊躇いがちな音にすぐに気づいたディートハンス様がドアを開け、中へ誘われる。
それから当然のように手を差し出しベッドのほうへと誘おうとするディートハンス様に愛称で呼ばれ、私は立ち尽くした。
まだ、私たちはそこまでいっていない。ただ、キスして抱きしめ合って眠るだけ。それでも意識してしまう場所だ。
「ディートハンス様……」
「ディースと」
「……ディース様」
「うん。そう呼ぶように」
美貌に笑みを刻み、ディートハンス様は私の手を取ると軽々と私を抱き上げる。
「わっ」
予備動作もなく流れるようなその動きに声を上げて慌てて抱きつくと、ディートハンス様はくすりと笑う。
私の額に頬、そして鼻を触れ合わせるまま止まるとじっと私を見つめた。
「リア。今日は活躍したと聞いた。騎士たちを救ってくれてありがとう。倒れたと聞いたが体調はどうだ?」
「力を使うことに不慣れだったせいでへたり込んでしまいましたが、他は問題ありません」
「……そうか。くれぐれも無理はしないでくれ」
腕に腰掛けるような形なのに非常に安定感があったので、しがみつく手を緩めて一度顔を離し改めてディートハンス様の顔を覗き込む。
先ほど笑っていたかと思えば、今は心なしかいつもより声が低い。
「ディース様?」
どうしたのかと視線とともに問えば、ディートハンス様が力強く熱のこもった視線で私をじっと見つめ、大きく息を吐き出すとぎゅうっと私を抱きしめた。
隙間を埋めるようにかき抱かれ、私はそっと肩に手を置く。
「…………」
「何かあるなら口に出して言ってください」
呼びかけると口を噤んでしまったので、私はもぞもぞと動いた。そうすると、優しいディートハンス様は力を抜いて私のしたいようにさせてくれる。
こういうところも好きだなと、私はディートハンス様の肩を掴み真正面から見据えた。
「リア……」
「ディース様」
ひとりでため込み処理する人でもあるので、少しでも兆しがあるのならそれを逃したくない。
優しくてその強さで受け止めてしまうからこそ、好きが増すとともに、もっと甘えてほしい、頼ってほしいという気持ちが強くなる。
そっと両頬に手を添えて、不安そうに視線を揺らすディートハンス様をじっと見つめた。
抱え込まず、私に対する気持ちの問題ならば話し合わなければわからないことも多い。迷うのは、迷わせるのは、私だから。
なら、その迷いも私は受け止めたい。
「………………ダメだな。リアのしたことはとても誇らしいし、騎士たちを治してくれたことは本当に感謝している。だけど、もしリアに何かあればと思うと、また倒れて意識が今度こそ戻らなくなったらと思うと怖い。助かったのに、少しでも危ないことはしてほしくないと思ってしまう」
長い沈黙の後、吐息のような声を落とされディートハンス様の心情を知る。
私の境遇や、出会い方、拉致されたことも含めて、ディートハンス様にとって私は守るべき存在としてすり込まれてしまっていた。
自分たちの関係性や立場の差、持っている力の違いでそれらは仕方がない反面、私はいつまでも守ってもらって甘えるばかりの関係なのを寂しく感じていた。
「ディース様……」
「リアの行動を制限したいわけではないんだ」
「わかっています」
大事に思われて嬉しくないわけではない。
だけど、大事にされればされるほど、そして好きだと思うほど、強くて優しい人の支えになりたい気持ちが増していく。
離れていると不安だという気持ちが、いずれ私がいるから留守を任せられると思ってもらえるようになりたい。
甘えてばかりではなく、そういう意味でも逆に甘えてもらえるような存在に私はなりたい。
互いに補っていける関係になりたかった。
ディートハンス様の不安はすぐに解消されるものではないこともわかっている。
私も、ディートハンス様は寮から出て行くたびに怪我をして帰ってくるかもしれないと常に不安はある。
不測の事態が起きて帰ってこなかったらと思うと怖い。
だけど、それらは過ごす時間とともに話し合いの中で少しずつすり合わせていくしかないのだろう。
それとともに自分でもできることを増やしていきたくて、今日の出来事はきっかけでもあった。
「身体を張って守ってくださっている皆様のお役に立てるのは非常に嬉しいですし、聖力が使えてよかったと思います。今日はまだ能力の使い方がわからずご心配をおかけしましたが、これからはもっと上手くやれます。精霊王様がとても乗り気なので、騎士様たちの邪魔をしないように指示も仰ぎますし無理もしません」
「リア……」
私の言葉をじっと聞いていたディートハンス様の表情に笑みはなく、怖いほど真剣な眼差しだった。
ディートハンス様の不安は、ディートハンス様の気質もあるけれど私がもたらしたものだ。
だったら、私は常に寄り添いながら大丈夫だと伝え続けるしかない。
「ディートハンス様は以前、『得意な者がやればいい』と言ってくださいましたよね?」
「……ああ」
「これは私が誇れる得意なことです。もちろん王国には素晴らしい治癒士の方がおられるので私がでしゃばるつもりはありません。ですが、その時に治療を必要としている人がいて、目の前に苦しんでいる人がいるのならば私はこの力を使いたいです」
ディートハンス様は静かに私の言葉を聞いていたが、一つ息をつくと柔らかな声を出した。
「リアには敵わないな」
「ディートハンス様は身体を張ってこの国を守ってくださっています。恋人である私が気にならないわけがありません。力になれることがあるのなら、ディートハンス様が守りたいものを守りやすくする手助けがしたいんです」
ディートハンス様とともに過ごすということはそういうことなのだ。
何より、ディートハンス様が危険な場所に赴く際、危険なことは仕方がなくてもその後のケアができるかできないかで私の心情が違う。
もう両親の時のように、何もせず、何も知らないまま失いたくない。
できることがあるのなら、最善を尽くしていくべきだ。
それもきっとディートハンス様は理解している。
だけど、頭と心はまた違う。ずっと守る立場で今も多くの命がその肩に委ねられている。だからこそ余計に切り替えも難しいのだろう。
ディートハンス様は私の肩に顔を埋めると大きく息を吐いた。
それから、顔を上げる際に首元を辿るようにキスを落としていき、長めに頬に唇を寄せ慈しむような眼差しで私を見た。
「愛しているからこそきっと不安は消えないだろうが、無理をしないというリアを信じたい」
「ありがとうございます」
「もっともっと、リアの存在を感じたい」
互いに大事に思うからこそ心配はする。その思いが苦しく感じることもあるけれど、それ以上に一緒にいたい。一緒にいられる時間が尊い。
十一年の時を経て再開し、惹かれ合って共にいられる喜びを感じ合いたい。
「私も、です」
切に願うような声に、私の心は震えた。
互いの環境のせいか、温もりを感じられることが奇跡のようで、視線を合わせ相手の鼓動を感じるだけで歓喜に震える。温もりに愛しさを募らせる。
そっとベッドに下ろされ、互いに見つめ合った。
「リア。愛している」
顔を寄せられ、脳髄に響く甘く誘う声とともに引いていた顎を上げて目をつぶる。
吐息が触れると薄く唇が開き、ディートハンス様の口づけを受け入れた。
触れ合わせるだけのキスから、抵抗を見せない私にさらに大胆になったディートハンス様はそろりと舌を隙間から差し入れた。
内側の熱を交換するように舌先同士が触れ合い、そのまま絡み合うのがわかる。
呼吸が上手く出来なくてたどたどしく息継ぎをすると、その息さえもぱくりと食べられ喘ぐ。
少し酸欠気味になりながら、どこまでも私の様子に合わせる優しい舌の動きに応えたくて私もそろりと動かした。
「んんっ」
触れる範囲が広がり、初めて味わう感触も混ざり合う唾液も、ディートハンス様からもたらされるものというだけで甘美になる。
互いの息遣いに相手の存在をさらに感じて、苦しさと幸せで目尻に涙がたまった。
「リア、好き」
「……ん、私も好きです」
ただ、愛おしくてたまらない。
さらに深まりながらもどこまでも優しいキスに私は身を委ねた。




