31.同じ場所に
ずっと光に包まれた温かい場所にいた。精霊たちが自由に飛び回り、私の様子を見てはにこっと笑みを浮かべていく。
花々で咲き乱れ、優しい時間だけがそこには流れていた。優しい風が吹き澄んだ空気に息を大きく吸い込む。
夢のような世界から徐々に覚醒する。
うつらうつらとしていたが、次に目を覚ましたときに爽やかで穏やかな安心感のある匂いと温もりに包まれていていた。
ゆっくりと瞼を上げ、予想通りの人を目にして自然と口角が上がる。
「ディートハンス様」
「ミザリア! 気がついたか」
同じように横になって私を見ていたらしいディートハンス様が上半身を起こす。
それから、ああっと今にも泣きそうな顔をして私の顔を覗き、前髪を払われ頬を優しく撫でられた。
その大きな手に無意識に頬をすり寄せる。さらに密着した手にほぉっと息をついた。
ディートハンス様の顔を見てさらに大きな安堵に包まれ、起きてひとりではなかったこと、とても心配してくれていたとわかる表情に泣きたくなった。
――ディートハンス様が目の前にいるっ!
今回の騒動を思うと一歩間違えれば互いに命を落としていた可能性は多いにあった。絶対なんていうものはなくて、その中でこうして生きて同じ場所にいる奇跡のような今に感謝する。
また会えた。温もりを感じることができるほど近くにいること、互いの視界に入っている事実に心が震える。
「……っ」
「このまま目を覚まさないのではないかと気が気でなかった。気分は?」
私が押しつけた頬を撫でうっすらと涙の幕を張った目尻をすくうと、ディートハンス様はつぶさに私を観察した。
「大丈夫です。ここは?」
「寮の私の部屋だ。目を覚まさないだけで身体は問題ないということだったのでここに戻ってきた」
それから私が気を失ってから十日ほど経っていること、ずっと眠り続けていたことを教えてもらう。
精霊の加護が働いているため寝たきりでも大丈夫とのユージーン様の見立てだったが、昼間はハンス医師が状態を確認し、夜はずっとディートハンス様が看てくれていたようだ。
ぽかぽかと温かかったのは、昼夜問わず私を心配してくれていたディートハンス様含め周囲の人たちがいてくれたからなのだろう。
それと、見ていた夢からも精霊たちがずっと守ってくれていたようだ。
――多分、奪われた記憶も全部思い出せた。
内側から溢れる魔力と守られるような聖力を感じ、夢の中で見た存在に目を細める。
ネイサンに毒の小瓶を出されてから少しでもと時間を長引かせたのは、記憶や魔力を取り戻すことも目的であったけれど、毒の効果をせめて弱めることができないかと考えたからだ。
己の力か、もしくはずっと心配してくれている精霊たちに力を借りるか、とにかく少しでも時間を稼ぐ必要があった。
最後まで諦めたくなくて、あの場で自分の持てる限りの最善を尽くしてきた。
十日も眠ることになったのは予想外であったけれど、こうして生きていられること、そして目の前の人を悲しませなくてすんだことが何より嬉しかった。
「心配をおかけしました。助けていただきありがとうございます」
迷惑をかけたと謝ることはしない。ただただ、向けられる気持ちと行動に感謝していることを視線で訴えた。
本当は頭を下げたかったけれど横になったままであるので、精一杯気持ちを込める。
「…………守ってやれなくてすまなかった」
静かに交わる視線。
沈黙したのち、ディートハンス様の絞り出すような悲痛な声に胸が苦しくなる。
絶対、気に病んでいると思っていた。だけど、己の役目を全うした上で駆けつけて来てくれた。
約束通り、誓い通り、あの状況から救ってくれた。ディートハンス様たちが国を守ってくれたから帰る場所があって、今こうしていられる。
謝られる覚えはない。私も自ら進んで浚われたわけではないので謝らない。
謝ればきっともっとディートハンス様は自責の念に駆られてしまうと思うから。
「いえ。約束通り全力で守っていただきました。ディートハンス様との約束があったから、信じて最後まで頑張れたんです。だから、謝らないでください。来てくれて本当に嬉しかったです」
母が亡くなって、ずっとひとりだった伯爵領での生活。いつか出て行くのだという目標はあったけれど、とにかく逃れたかっただけだった。
だけど、今回は明確な希望があった。帰りたい場所があった。私のことを待ってくれている人がいることを知っていた。絶対、屈しないと強い気持ちがあった。
フェリクス様に拾われ、騎士団寮で過ごし、ディートハンス様との関わりが増えるたびに芽生えたものは、共に過ごした思い出とともにかけがえのないものになって手放したくなくなった。
あの地で、ディートハンス様、フェリクス様たちの姿を見て、どれだけ安心したか。自分だけではなく、彼らも私を必要としてくれているとわかる表情にどれだけ救われたか。
渦巻くたくさんの感情とともにディートハンス様を見ていると、それが伝わったのかディートハンス様が大きく息を吐き出した。
じっと見つめる双眸の光は強いまま、頬に添えられていた指が離れもどかしげにかき抱かれる。
「ずっと心配だった。ミザリアに何かあったらと思うと苦しくて、もう二度と離れたくない」
「私も、ずっとディートハンス様に会いたかったです」
「そうか……。本当につらいところはないか?」
「精霊のおかげで今までにないくらい体調はいいです」
安心させるようににこっと微笑むと、ディートハンス様の瞳の奥が熱く揺らめく。
怪しげな空気に絶えきれず寝たままではなく座って話したいと告げ身体を起こすと、ディートハンス様は私の背中にクッションを敷き詰めた。
真面目な顔で角度を調整する姿に笑みがこぼれる。
体勢がつらくないか心配していたが私が大丈夫だと再度告げると、今度は私の足をまたぐようにぐいっと身体を寄せ顔を近づけてくる。
「よく顔を見せてくれ」
「あっ」
こめかみに唇が触れ、耳元でささやかれる。
それからじっとひたすら見つめられた。
「ミザリア」
「あの……」
両頬を掴まれて愛おしげに目を細められる。
醸し出す雰囲気が尋常じゃないくらい甘く熱くなり、私はこくりと息を呑んだ。
逃げようと後退さろうとするけれど、クッションという配慮に柔らかに拒まれ息がかかる近い距離でその眼差しを受け止めることになる。
「どうして逃げる?」
「えっ、と」
ふにゅ、と柔らかい唇が私の額に押し当てられた。その優しい感触に、あと少しでも感情が揺らいだら溢れてしまいそうだったものが揺れ、こぼれ落ちる。
とろけそうに甘く笑う姿に私は観念した。
「ディートハンス様、その近いのですが」
「問題でも?」
それでもこの熱を孕む空気は落ち着かず少しでも余裕が欲しくて告げてはみるけれど、自分の声はすっかり甘えたようにか細い。
好きだと言われて男性として意識するようになって、離れてもずっとディートハンス様のことが頭にあった。
「問題というか……」
「もう二度と怖い思いはさせない。私はミザリアなしではいられないんだ。どうか私の手をとって、私に守らせてくれ」
切実な声とともに告げられ、きゅうっと胸が締まる。
額に触れる唇は子どもをあやすような労りのあるものであったが、私を見つめる双眸に浮かぶ熱はそれとはまったく別物で。
様々な感情のもとディートハンス様の理性でぎりぎりで踏みとどまっているとわかるそれに、つぅっと涙が出る。
こんなにも思われて、大切にされて、そして……。
「返事をする前に聞きたいことが……。十一年前、王都の魔物の森で助けてくれたのはディートハンス様ですよね?」
「……ああ。確かに出会って魔物の森から出したが助けられたのは私のほうだ」
過去に関わりがあったなど気づかせるような素振りはなかった。
だけど、そういうのを気取らせないことは無表情が常であるディートハンス様からしたら簡単なことだろう。
最近、笑顔を見せてもらったり今も感情豊かな双眸を前にしていて忘れがちになってしまうが、本来感情を抑制することに長けた人だ。
「ディートハンス様は、私のこと気づいていたんですね」
「魔力暴走時は顔をあまり認識できず魔力で判断することも多かったから、それまでもしかしたらと思うこともあったが確信したのはミザリアが呪いを解いて魔力を取り戻してからだ」
「あの時に……」
さらっと語られた魔力過多の弊害に胸が痛む。あの時の掻きむしった苦しそうな痕は今でも鮮明に思い出される。
どれだけ当時しんどかったことだろう。
それと同時に、記憶が曖昧であることを打ち明けたから、ディートハンス様自身も話すタイミングを見ていたのかもしれない。
記憶を思い出してから、なぜそのことを言ってくれなかったのか、それとも気づいていないのか気にかかっていた。
私自身が忘れていたとはいえ、彼は私のヒーローだった。
そんな相手に忘れられ、思い出すほどのことでもないものとして処理されていたらやっぱり寂しいし悲しい。
「確信してから命の恩人であるミザリアのことをさらに大事に思うようにはなった。だけど、恩人だからミザリアが好きなのではない。ここに来てからのミザリアに惹かれ、あの時のまままっすぐな優しさを持っていることを知り、さらに愛おしくなって守りたくなって触れたくなった」
「……」
自分で聞いておいてなんだが、相変わらずのストレートさに顔を熱くする。
そして、昔のことを記憶していて大事に思ってくれていてなお、今の私を知り好きになってくれたと教えられ、最後のつっかえが取れる。
「言っただろう。私にはミザリアしかいない。今も昔も。命の恩人であるとともに、ミザリアといるととても幸せな気分になるんだ。だから、私もミザリアを幸せにしたい」
「離れていた間、ここのことが恋しくて、何よりディートハンス様に会いたかったです」
あの状況をどうやって打開しようかと様々なことを考え、そして必ずディートハンス様を思い出していた。
寮に戻ったらどう返事しようとか、何を話そうとか、自分がどうしたいか、どう思っているか、ずっと考えていた。
その時間はくすぐったくてちょっと切なくて、そして心がほわっとした。
まっすぐに伝えてくれる想いに、私も偽りなく答えたい。
「フェリクス様たちにも感謝と好意を抱いていますが、そばにいてそわそわしたり、ドキドキしたりするのはディートハンス様だけです。これが恋かと言われればまだよくわかりませんが、ずっと一緒にいたいと思うのが答えなのかなと思います。私もディートハンス様が好きです」
偏った環境にいたことで自分の気持ちや感情に名前をつけるほどの自信はないけれど、ディートハンス様の気持ちに応えたい、もう二度と離れることなくずっと一緒にいたいと思うのはそういうことなのだ。
そう告げると、愛おしげに顔を寄せ鼻を擦り付けられる。
唇が触れそうになる手前で、ディートハンス様はぐっと眉間にしわを寄せそこで止まった。
「騒動が落ち着いたら話したいことがあると言っていたと思うが、今、聞いてくれるか?」
以前、その後に返事が欲しいと言っていた。
雰囲気的にキスされても私は拒まなかった。それがわかっていても、有耶無耶にせずきっちりと筋を通してからにしようというディートハンス様のまっすぐさに笑みが漏れる。
どんなことを聞いても、私はもうディートハンス様と離れたくない。
口に出して、相手に聞いてもらって好きなんだとさらに自覚した。
「はい。教えてください」
むしろ、それらを一緒に背負っていけることに喜びを感じて、私はこつりとディートハンス様と額を触れ合わせた。




