◇解放 sideディートハンス
ディートハンスはその知らせを受け、奥歯を噛みしめた。
己の魔力で苦しめられていた時みたいに、いやそれ以上に荒れ狂う感情に支配され、今この瞬間息をすることさえつらい。
あまりの怒りと己への失望で頭が真っ白になったが、思考に耽ることも許されず次から次へと襲ってくる魔物に剣を振った。
全員を下がらせ炎を放つと同時に、奥へと逃げないように囲い込むように切りつけていく。
轟々と燃える魔物と血飛沫を上げて命尽きる魔物の咆哮が耳をつんざくほどけたたましいが、ディートハンスにはただ耳障りな音がするだけだった。
一時も早く。それだけで剣を振り魔法を放つ。
常に冷静沈着で感情を見せないディートハンスがさらに氷のように無表情で事を当たる気迫につられ、騎士団全体の討伐の速度が増す。
通常なら一日がかりのところを半日で成し遂げると、ディートハンスと第一騎士団は道中にも湧き出る魔物を倒しながら急いで王都に帰還した。
空には翼を持つ魔物が十数体。
こちらの防御と攻撃のため下りられずにおり、最初の頃より魔物が制御できていない場面が見受けられ、空を飛ぶ魔物は帰還したディートハンスたちによってあっという間に倒された。
王国騎士団の実力は折り紙付き。
特に第一、第二は優秀な者が集まる先鋭部隊だ。そんな彼らが帰ってきてそうやすやすと王都を荒らされることを許すはずもない。
そもそも奇襲を許してしまったが、王国一の騎士団を所有している王が王都をそうやすやすと侵攻させるわけがなかった。
最初の被害以降、すぐさま対処し多少の建物損壊はあるものの大きな被害は出していない。
そういうわけでディートハンスが戻ってきた王都は最強であり、その彼が帰還したからには王都侵攻など夢のまた夢。
しかも各地で起こった反乱は鎮められ、公爵は意気揚々と宣戦布告をしたはいいがじりじりと後退し雲隠れした。
そして今、ディートハンスは王の御前に跪いていた。
「このたびの活躍は目を見張るものがあった。おかげで王都に大きな被害もなく、各地での反乱も収束に向かっている。ご苦労であったな」
「はい。こちらが不利な冬に仕掛けてくると予想していましたから」
想像を超える魔物の動きに手こずったが、公爵の動きから予想していたことだ。
あちらが準備している期間、こちらだって準備はしてきた。
呪いや魔石を埋め込まれた魔物のことなど不測の事態はあったが、公爵の動きを把握し、仲間を割り出し、いつでも対処できるよう動いてきたのだから最小限の被害で済んだ。
魔物の実験が行われていた場所はシミオン率いる第五騎士団によって制圧しているころだ。
証拠を掴み逃がすことなく大々的に公爵を罰するために機会をじりじり待ち、被害を最小限にするべく動いてきたが多くの命が奪われてしまったことには変わりない。
そして、国の混乱に乗じ手薄を狙われミザリアを奪われた。
ディートハンスは再燃しそうになる苛立ちと焦燥を抑え込み、やるべきことをしてしまおうと王を見上げた。
ディートハンスとよく似たアンバーの瞳がすぅっと細まる。
「さて、急ぎ面会を要した理由を聞こう」
「此度の首謀者であるランドマーク公爵と魔物を凶暴化し調教するための魔石を供給していたブレイクリー伯爵を迅速に捕らえたい所存です。つきましては、姓を公に名乗ることを許していただきたい」
「それは――。一度名乗ると逃れられないぞ」
それでいいのかと、静かな眼差しがディートハンスを問う。
「はい」
ディートハンスもまた静かに頷き見返した。
静謐な夜明けのひとときのように、ずっと暗闇と溶け込み静かに波打っていた海がようやく太陽の光を受けることを許し恐ろしいほど輝く。
王はその瞳を前にそっと視線を閉じ、ぐっと見開いた。
「そうか。確固とした地位をそれぞれ得た今なら心配することもあるまい。好きなようにするがいい」
「ありがとうございます」
本当はずっとこのままでもいいかと思っていた。
名乗ることで、得るものよりも邪魔になることのほうが多いと思っていたから。
ディートハンスは手を一度開き、ぐっと握りしめた。
苦しくて周囲が悲しむとわかっていて、魔物にやられて死んでしまえたらと思うことは何度かあった。
自分のせいで傷つくのが嫌で見ていられなくて、逃げてしまいたくて。
いつまで続くかわからない苦しみから逃れたくて。
それを見て悲しむ周囲に耐えきれなくて。
その生まれに報いることの出来ない自分が情けなくて。
だけど、守る力を手に入れた。
今はこの手に守りたいものがたくさんある。
何より、今すぐにでも取り戻したいものがあった。
十一年前、苦しみとやるせなさしかなかったディートハンスを救い、愛おしい存在となったミザリアをこの手に。
そのためには最大限使えるものは使う。
「禁忌を破り己の私欲のためだけに王国に被害をもたらした者を許してはならない。直ちに捕まえここに引きずり出せ」
「はっ。必ず」
ディートハンスは頭を下げると、ペリースを翻しその場を後にした。
「行くぞ」
城を出ると待っていたアーノルドとフェリクスに告げ、ディートハンスはランドマーク公爵が隠れているとされる山岳へと部隊を率いて向かった。
魔物を制御しこの世の覇者のように振る舞っていた公爵であったが、王都での奇襲以降徐々に統制できずに自滅し魔物は公爵の軍も襲うようになった。
もともと魔物は人や家畜を捕食する。魔物が集まれば食料の奪い合いは激化する。
王国軍が守りを強化すれば餌にありつけず、その分魔物は腹を空かせる。
その上、自分の思うように動けず傷つけられるとあってはどのように制御していたのかまではわからないが、本能が勝り今の状況を引き起こしていたとしても不思議ではない。
集めた魔物の統制が出来なくなれば脅威でしかなく、後始末することもなく逃走した公爵への民衆の不満はさらに大きくなった。
力を見せつけることに失敗し、悪感情だけ植え付け敗走したランドマーク公爵に未来はない。
ただ、追い詰められた者がどうでるかわからない危険と、腐っていても筆頭公爵という地位がある。
それなりの地位の者が幕を引く必要があった。
魔物を倒しながら王都を離れ三日ほどして、ようやく雪混じりの泥に残された足跡が岩肌の多い奥へと向かっているのを発見する。
痕跡を辿り、ディートハンスたちは洞窟の前に陣取る大きな巨体の魔物の前に立った。
「ぐおぉぉぉぉー」
雄叫びとともに腕を振り、近くにあった木がなぎ倒される。
「これは」
「ああ。これまでの中で一番強く、公爵を守るように立っているということは制御にも自信があるのだろう」
「魔石の大きさや純度が関係していそうですね」
フェリクスが魔物の頭部に埋められている手のひらほどの魔石を見て、眉を寄せた。
野生の熊の二倍ほどある巨体に鋭い爪と牙。涎を垂らしながらこちらを威嚇し、その目は飢えた獣そのものだ。
魔物が腹を空かせ今にも襲いかかろうと後ろ足を引いたところで、ディートハンスは自ら一歩前に出て鞘から剣を抜き払った。
「私が行く」
魔物ごときにこれ以上時間を奪われるつもりはない。
どれだけ巨体であろうが、真っ向からの勝負にディートハンスが負けるはずがなかった。しかも相手は飢えて理性を失っている。
食べることしか考えていない獣は強いがそれだけだった。それを上回る力で対抗すればいいだけ。
ディートハンスは剣に魔力を込め、襲いかかる魔物の首を一刀した。
それほど大きな剣ではないのに、まるで魚をさばくように巨体が綺麗な切り口を残し寸断される。
ごろりと落ちた首は血をまき散らしながら洞窟の中へと転がり、その胴体はどさりと崩れ落ちた。
「ひぃ」
洞窟の奥から声が聞こえる。
生命力からか頭が取れても動こうとする巨体の心臓を突き刺し燃やすと、ディートハンスは洞窟の前に立ち両手の下に剣を立てた。
「マイルズ・ランドマーク。もう逃げることは許さない。貴殿は反逆の罪で身分を剥奪の上、公で裁かれることになる。速やかに投降するように」
ディートハンスの低くも通る声が響く。
しばらく待つと、ぞろぞろと兵士を引き連れた公爵が姿を現した。
頼みの魔物も倒され、冬の寒さで引きこもるにも限界だったのだろう。
それでもプライドだけ高い公爵はディートハンスを睨み付けると、ステッキで地面を叩き威嚇した。
カ、コン、と妙な音とともに、岩肌が削れる。
「騎士団総長といえども、公爵である私にそのような蛮行は許されまい。王の血筋が流れているのだぞ。姓もない下賤な者の話など聞かぬ」
案の上、この状況でも身分にこだわる。
ランドマーク公爵にとってその身に流れる血のみが己の証。そうやってその年まで過ごしてきた公爵にはどれだけ罪を説いてもわからないのだろう。
ディートハンスの背後に控えるアーノルドたちが殺気だちながら剣を構えた。それだけで公爵側の兵士は後退る。
勝負は見えていた。公爵本人以外は。
「そうか」
ディートハンスのその言葉を合図に、アーノルドたちが一斉に前に出た。
それに反応し抵抗する兵士もいたがすぐさま彼らは制圧され、なすすべもなく公爵はディートハンスの前に引きずり出される。
「くそ。私こそが王に相応しい。偽りの王が支配するこの国の在り方はおかしい!」
二年半前、前触れもなく突如公爵の地位に立ったマイルズは妄信的で闇ギルドと繋がりを持ち暗躍していた。
違法に稼いだ金で力をつけたようだが、功を急いだのかそもそもが無謀であったのか失策した。
金の切れ目が縁の切れ目。魔物や人材を提供していた者たちは一部捕まえたが残りは素早く隠れてしまった。
つまり、同盟軍も制圧された今、マイルズを援護する者はいないということだ。
ディートハンスはマイルズを拘束しているフェリクスを見た。彼は頷くと公爵の拘束を緩める。
それを好機と見たマイルズは、ステッキを振りその先端からぐっと伸びた刃をディートハンスめがけて突き出した。
それが魔道具であること、突き立てた音から固い物質であることはわかっていた。
ディートハンスは剣を抜くまでもなく、それを指先だけ受け止め魔力を込めて折る。
このまま拘束し王都に連行してもよかったが、自分勝手な野望のせいで犠牲になった者たちを思うとその心をへし折ってしまいたかった。
そして、罪人ではあるがまだ刑が確定していないマイルズは公爵である。待遇やなんやらと騎士団員を困らせるのは目に見えている。
「私の名は、ディートハンス・ラ・フォルジュ。これでも話を聞けないと?」
「そんな!? 病弱だというのは嘘だったのか」
ランドマーク公爵の瞳孔が反応し怒りに染まった。
「嘘ではない。伏せていたのは本当だからな。それとこの髪は先祖返りだ。言っている意味がわかるか?」
「そんな……」
「儚くも脆い夢だったな」
どちらが強者か。
こういう相手には徹底的に見せつける必要がある。力で、相手が誇りに思う身分で。
切り札の魔物も、兵力も、身分もなくなったマイルズをディートハンスは静かに見下ろした。
「王の代理としてこの場で公爵の地位を剥奪する。抵抗するなら自らの罪を告白するためのその口以外は動けなくするまでだ。連れて行け」
騎士たちに拘束されがっくりと項垂れたまま連れて行かれた公爵は、正式な裁判ののち死刑は免れないだろう。
その後ろ姿を見送り、ディートハンスは息をついた。
やっとだ。やっと迎えに行ける。
鞘に剣を戻し、残った騎士たちに告げた。その中にはアーノルドとフェリクスももちろんいる。
「これよりミザリアを奪還しに行く」
伯爵領にはすでに見張りをやっているが、書状もないまま城内までは捜索できない。
ミザリアが無事であるというのは確認済みであるが、一刻も早くこの目で無事を確かめたかった。
公爵のように表立って動いたわけではなく、家族間の問題に騎士団が私情で介入したと思われる可能性もあり、それをやると他の貴族の反発を食らう。
それに、無茶をして逃げられても、ミザリアに危害を加えられても困る。
状況からも数日は大丈夫だろうと頭では理解しているが、逸る気持ちは抑えきれない。
少しでも早く助け出し、大丈夫だと抱きしめて安心させたい。何より、ディートハンス自身がミザリアのそばにいたい。
「ああ。この時を待っていた。やることはやった。あとは暴れるだけだ」
「ブレイクリー一家にはミザリアにしたことを後悔させて、たっぷりと痛い目にあってもらわないと」
無事、この度の反乱を片付けることができた解放感とともに、ようやっと伯爵に復讐する時がきたと二人は頷いた。
口調は軽いが、今まで黙々と任務についていたのは彼らも一緒で怒りを隠しきれない様子で続ける。
「ユージーンにも余地を残しておけよ。ものすごく怒っていたからな」
「あの人間嫌いも結局ミザリアを気に入っちゃったんだよね。本当すごいな」
「さあ、我らのお姫様を迎えに行こう。きっと頑張っている」
「そうだな。行きましょう。ディース様」
「ああ」
先ほど倒した魔物の頭から手のひらほどの魔石と通常の魔石を回収すると、ディートハンスたちはミザリアを奪還すべく急いだ。




