29.殺意
雪が音もなく降り続けていた。
どれだけ寒くても毎日採掘場に連れて行かれ、設けられた時間になるまで見張られる。
心配した精霊たちが手伝おうとしたけれど、私は彼らの申し出のすべてを断っていた。
「今日も収穫なしか」
「はい……」
魔石が採れなくなったのは私の問題ではないと示すために彼らの命令に従い行動はするが、決して彼らの望みを叶える気はない。
私は戸惑っているのだとわかるように眉尻を下げ、伯爵の前に立ち尽くした。反抗的になりすぎず、かといって役に立つと思われてもダメだ。
以前は虐げられたくなくて、心のどこかで認められたくて役に立とうと頑張っていたけれど、役立たずのレッテルを張られたいと思う日がくるとは思わなかった。
「生まれた時ほどではないにしろ、一度なくした魔力が戻っていることがわかったんだ。お前は聖力が、聖魔法が使えるはずなんだ。使えなければならない」
「…………」
取り憑かれたように『聖力』のことを口にする伯爵に、私は何のことかわからないと困ったように首を傾げた。
伯爵の後ろにはネイサンが控えており、執事として主の後ろに控えているだけのその表情からは何を考えているのか窺い知ることはできない。
ただ、術士であると知っているからか、そこにいるだけで怪しげな執事を前に油断はできないと気を引き締めた。
「ネイサン。どうなっている?」
「聖力が使えないのは、まだ魔力が全部戻っていないからではないでしょうか。私の見立てでは半分ほど魔力は戻っているので、全部戻ればもしくは」
「なら、戻るようにしろ! これは家門存続に関わることだ。公爵の企てが成功しても失敗しても金はいる。なんとしてでも鉱山の復活をさせなければお終いだ」
「尽力いたします」
怒鳴り散らす伯爵に対しネイサンは淡々と返す。
その返答に伯爵は眉を跳ね上げはぁっと息をつくと、しっしっと私に向かって伯爵は猫を追い払うように手を動かした。
「ちっ。親不孝者め。お前は戻れ」
「はい」
鉱山で働かせるため、直接暴力を振われることは今のところない。
だけど、怒りっぽい伯爵がいつ私に手を出してくるかはわからないので、私は頭を下げると素早く自分にあてがわれた本館の部屋へと向かった。
その際に私を監視する騎士がひとり無言でついてくるだけで、伯爵家には人気がない。
鉱山の相次ぐ閉鎖に伴い、この半年で伯爵家に残っている使用人は数えるほどになっていた。
あれからわかったことがある。
伯爵は私の母が精霊と深い繋がりがある家系だと信じており、私に聖力を使えることを期待していた。
魔石も精霊に力を借りれば見つけられると思っているようで、毎日伯爵家所有の鉱山へと連れて行かれる。
可能性だと考えてはいるようだが、それはもうほぼそうあるべきだと妄執に変わり、それ以外のことは許されない気迫が異常だった。
それを目の当たりにするたびに、私に聖魔法を使えることがバレてはならないと強く思う。
部屋に戻ると、この部屋以外勝手に行けないように足枷をつけられる。
見張りがいなくなると、体力と気力を使い疲れてベッドに倒れるように寝転んだ。
「王都はどうなっているのだろう……」
公爵の反乱や各地で暴れている魔物がどうなったのかまったく情報は入ってこなかった。
ディートハンス様たちを信じてはいるが、魔物の襲撃を最後に拉致されたのであんな魔物を相手に戦っていると思うと心配なのは変わらない。
「検査の時間です」
しばらくしてから、執事長が姿を現した。
先ほどの魔力の件なのだろう。私は身体を起こしネイサンを出迎えた。
ここに来てからほぼ毎日この時間にネイサンがやってくる。
毎日、成果がないまま帰るたびに伯爵に罵られ、それが終わり運悪く鉢合わせるとそれ見たことかとベンジャミンと伯爵夫人に責め立てられ、その後にネイサンとの対面が待っていた。
どれも苦痛の時間だったけれどただ耐えればいいだけなのに対して、一番気が抜けないのがネイサンだった。
連れてこられてすぐに魔力が半分戻ってきていることを言い当てたのはネイサンで、精霊たちもとても警戒していたので、やはりネイサンこそが私に忘却の魔法をかけた本人だと確信した。
いつも淡々と質問を繰り返しながら魔力を見て、最後に頭に手を当てて「忘れろ」と念じていく。
忘れるべき対象がどの範囲なのかがわからなくて、それらが作用しているのか自覚はないが変わらず精霊は見えている。
忘れることに対しての不安はあるが、聖魔法を使わせないように動くネイサンと使わせたい伯爵の思惑が違うことがはっきりした。
聖魔法のことはできることなら明かすことなく済ませたくてネイサンの思惑に乗るようにしてきたが、伯爵の苛立ちもありいつまでもこの状況は続かない。
こんな扱いを受けていても伯爵が気にかけるというだけでベンジャミンは相変わらず私が気にくわないようだし、夫人は憎んでいることを隠さない。
いつ、誰が、暴発するのかわからない状態。
種類はバラバラだけどそれがどう自分に向かってくるのかわからずずっと警戒していたけれど、ネイサンが動くようだ。
執事としての顔を決して崩さなかったネイサンだが、部屋に入った瞬間、正気と狂気の狭間を揺れ動くような不安定な瞳で私を見た。
「もう、うんざりなんですよ。くそったれ」
ネイサンは取り繕うことなく暴言を吐くと、私の前髪を掴み上げた。
ぐいっと乱暴に掴まれ顔を覗き込まれる。
「本当は聖魔法が使えるのだろう? もしくは使えないまでも精霊は見えているはずだ」
「…………」
「ふん。黙っていればバレないと思っているようだがそれは浅はかだ。数日観察していたが魔法を使った形跡はなく、私の魔法が効かない。それはつまり精霊が力を貸しているということだ」
たまっていた鬱憤を吐き出すように言い募られ、無理に顔を上げさせられたまま私は目を見開いた。
忘却の魔法の効果を感じられなかったが、精霊が知らない間に力を貸してくれており本当に効いていなかったらしい。
確かに、精霊には魔石を見つけることは断ったがこの件に関しては何も触れていない。
「はっ。わかっていなかったとは。本当に精霊の気まぐれには反吐が出る」
私の頭をぐいっと乱暴に押し離すと、ネイサンは魔道具を起動させた。
ウィンと音がなり部屋全体の空気がのしかかってくる。防音魔法か侵入防止か、外と遮断させるための魔道具だろう。
「さてもう遊んでいる時間はない。ランドマーク公爵の反乱が失敗に終わるのも時間の問題だろうからな」
「どうしてそう思うのですか?」
そうなればどれほどいいか。
少しでも情報を得ようと質問する。
「情報を与えられていなかったから知らないのか。現状を教えてやる気はないが、そもそも少し考えればわかることだ」
多少なりとも戦況を知っていての発言ということだ。
騎士たちが頑張っていると知りほっとしながらも、ネイサンの言動が気になる。
「なら、魔石探しをしていても仕方がないのでは?」
伯爵は公爵が敗れ目論みが外れても魔石さえあれば再起できると信じているようだが、王国側には公爵家と結びついていることはすでにバレている。
魔物のこともわかっていて魔石を供給していたとして、いずれ反逆罪として捕まるだろう。
どうしてこの家の人たちは誰もそれを想像し理解しないのか。必ず上手くいくと信じ、自分が得をすることしか頭にない。
――おかしい。
今まで閉じ込められていて気づかなかったこと、知らなかったことが多くあったけれど、一度外に出てみて改めてここの歪さが際立つ。
「信じている間は幸せでいられるだろう?」
はん、と暗い愉悦を浮かべネイサンが続けた。
「欲深い者はどこまでも欲深で自分勝手だ。欲しいもののためには平気で人を蹴落とし、敵わなければ媚びへつらうが敬うことはしない。他者がどう思おうが最終的に自分さえよければそれでいい。どこまでも傲慢だな」
まさにここの家族は誰もが欲深く自分勝手だ。
それを長年仕えてきたはずのネイサンの口から出るとは思わなかったけれど。
「……考えればわかるとは?」
「魔物を制御なんてものを完璧に成し遂げることはできない。何よりの敗因は総長を呪い殺せなかったことだ。初めは策略で押していたとしても、次第に戦力の差が出てくる。どいつもこいつも浅慮で考えなしだと思わないか?」
ネイサンの質問に私は瞬きをするに留める。そもそも答えも同調も求めていないだろう。
「――呪いもあなたが?」
それよりも、ここでネイサンの口から呪いのことが出てくるとは思わなかった。
公爵の反乱が失敗に終わることに何の感慨もないようであるし、もしかしたらと思っていたが伯爵にも忠誠などないのだろう。
「そういうものがあると教えると熱心に実験したようだ。他人の命をその辺の石ころのように考える公爵はだからこそできた実験だ」
ネイサンは示唆しただけでそれを利用すると決めたのは公爵だということだが、ネイサンの思惑がまったく見えない。
「何が目的ですか?」
多くの命が失われる可能性を知っていて情報提供したならば、ネイサンの手もまた罪に濡れている。
それだけのことを仕出かし、精霊の記憶、母の記憶を奪った理由は何なのか。
「……成し遂げなければならないことはある。そのうちの一つはお前が死んでくれたら終わる」
「……うっぐぅ」
そう簡単に話してくれるわけではないようだ。
ネイサンは私の首を片手で絞めると、ポケットから小瓶を取り出し私の目の前でそれを振った。
その中には赤紫の液体が入っており振るたびに揺れる。
「苦しいか? だが私は忌々しい精霊のせいでこんなにも長く時間を費やし何年も苦しめられた。本来お前は十一年前に死ぬべきだったんだ。毒も効かなかったようで運だけはいい」
「毒?」
それと、……十一年前?
疑問をそのまま口にすると、柳眉を逆立てて憎々しげに睨みつけてきた。
「渡した水に入れただろう? ふん。その様子では飲んでいないようだ。本当に運だけはいい」
運とはどういうことと目を伏せ、フェリクス様が水を取り上げる際に険しい顔をしていたことを思い出す。
見た目だけのことではなく、毒が入っていると気づいたからのようだ。
ぞっとした。五歳の時に死ぬべきだったと言われ、長い間それほどの殺意を向けられていたことに。
喉を必死に震わせ、声を絞り出す。
「どうして?」
なぜ死を望まれているのか。
わからないことだらけでこんな時なのに疑問が口に出る。こんな時だからなのか。
「どうしてだと? 死ぬ間際でもそんなことが気にかかるとは愚かだ。いいだろう。死に土産に教えてやる。母親と本当の父親のもとへと行く前に」
私も父親としての気持ちはわかるからなと、ぐっ、と首にかけられた手に力を込められる。
苦しさと思いがけない言葉に目を見開くと、ネイサンはそこで一瞬哀れむように私を見た。
「本当の父親は、お前の母親、レティシャの当時婚約者でもあった恋人だ」
「本当の父、親?」
考えたこともなかった。
そして、一瞬みせた哀れむような視線にどくんと嫌な予感に心臓が軋む。
「ああ、レティシャは精霊の加護がある一族の娘であり、精霊の加護と美しい彼女を欲しがった伯爵が無理矢理奪ったんだ。抵抗していたが家族を盾に取られ脅され、婚約者を殺され犯されても気丈にも伯爵に屈しなかったが、身ごもっているとわかれば静かになった。どちらの子かわかったのは精霊の力だろうな。まあ、伯爵に彼女を紹介したのは私だが」
あまりにも酷い話に悔しくて涙がにじむ。淡々と話されるから、余計に怒りが込み上げた。
恋人との子を身ごもり私を守るために伯爵家で大人しくすることを選んだ母の無念、そして無残にも殺された父を思うと、親の敵である伯爵が憎くて仕方がない。
今までは伯爵のことを、血が繋がっているから、母が選んだ人だからと、家を出て関わるつもりはなくてもどこかで家族であるからという気持ちがあった。
どれだけ虐げられても、家族の憧れを捨てきれなかった。
だがそれも、伯爵と血が繋がっていなかったこと、むしろ敵であると知り霧散した。
そして、伯爵の性質を知っていてそんなことをしたネイサンにふざけるなと叫びたかった。
首を掴まれてなければ、自由を奪われてなければ、今すぐ掴みかかっていただろう。
先程から人の人生をなんだと思っているのか。どんな理由があるにせよ、そのように弄ばれていい命なんてない。
侮蔑を込めて睨むと、ネイサンはくくっと昏い笑みを浮かべた。
「唆した私が憎いか? だが、私はお前以外に手は出していない。父親を殺したのは伯爵、母親を殺しのは夫人。毒を盛るというのは夫人の手口を真似ただけだ。水に入れたのを見られていたようだが、喜んでいたから私が手を出さなければ夫人がお前を殺そうとしていただろう」
追い込むように残酷な事実を突きつけられる。
この家に何も期待していなかった。だけど、それ以上の真実に心が悲鳴を上げていた。
息がしにくい苦しさも含め怒りの息を吐き出すと、少し力を緩めまた力を込められた。
「……くぅ」
「公爵が王になるという己の欲望のために大量に人の命を奪っているのも、公爵による選択だ。もともとクズだとは知っていたが、ここまでのことを想像もしなかったし望んではいなかった。あいつらはクズすぎて手に負えない。私は、……私の娘を殺したブレイクリーとランドマークが猛省と後悔に塗れ死んでいくことを望んだだけだ。だがあいつらは後悔も猛省もせず、あまりにも愚かで人間のクズすぎて自分の欲望のために多くを巻き込み事が大きくなりすぎた」
ネイサンの魂の叫びが響く。
死人に口なしだと思っているのか、苦労を語りたいのか、己が動いたことでたくさんの命が散っていたことの責任は自分ではないと主張したいのか、一度話し出すとネイサンは全てを語りたくなったようだ。
ただ、反乱と反逆への加担という事実と国をも巻き込む事態の大きさに不安なのかもしれない。
目的の一つの私の命を奪うことと、伯爵を唆し、公爵に話を持ちかけたことで何を望んでいたのかは知らない。
だけど、私からすればネイサンも伯爵たちと変わりない。
自分の欲望のためなら、他者を蹴落としているのはネイサンも一緒だ。
思惑があり暗躍していたようだが御しきれているわけではなく、それゆえ苛立ち、目的の一つである私だけでもと思っているのか。
ふぅぅっと息を吐き出し、苛立ち吐き捨てたくなる気持ちを鎮めながら今なら理由を聞けるかもしれないと問いかける。
「なぜ、私を?」
これだけのことをし、家族を奪い、命を狙う理由を聞かずにはいられない。
ネイサンが荒んだ視線を向けた。
「私の娘は伯爵と公爵に殺された。弄ばれ最後は精神を病み死んでいった。対して、お前の母親は酷いことにあっても無事だった。それは精霊と契約できる一族だったからだ。お前も心当たりがあるだろう?」
「娘さんのことは残念ですが、どうして母を巻き込んだのですか? それに母は夫人に殺されたと。だったら加護はないのでは?」
あまりにも理不尽な理由だった。ネイサンが伯爵を唆さなければ、今も両親は生きていて、私は彼らのもとで幸せに暮らせていたはずだ。
なのに、母は巻き込まれ、最終的には夫人に殺された。そして、今も私の命を奪おうとしている。
「精霊との契約をお前に移したからだ。だから、母親は死に今もなおお前は覚えていなくても精霊に守られている」
もしかして、記憶を奪ったのは精霊との契約の件だろうか。精霊に固執しているようなのできっとそうだ。
ようやく糸口を掴めた。
完全な記憶を取り戻すには術者に解いてもらうか、何が欠けているかと自覚することだと教えてもらった。
殺されるとわかる状況での会話はずっと怖かったけれど、途中怒りのほうが勝ったため話を引き出せた。
――最後まで絶対諦めない。
つらい環境のなか守ってくれた母のためにも、そして絶対助けに来てくれるディートハンス様に会うためにも。
賭けだった。なぜこのようなことが行われたのか理由を知りたかったのもあるが、記憶を取り戻すことは魔力を取り戻すことにもなる可能性もあったため、少しでも情報を引き出したかった。
あともう少し。
あともう少しだと、自分を奮い立たせる。
「なぜ、私を殺そうと?」
私だけはネイサンの意思で直接手を出している。
それほどまでに憎み、確実に邪魔だとネイサン自身が思っている理由は何だ?
「精霊と契約できる一族の最後の末裔だからだ。元を辿れば私とお前は同じ祖先を持つ。だが、ある時から精霊はお前の血筋しか選ばなくなった。同じ血統なのに」
「そんな理由で?」
「はっ! そんな理由だと!? 私に精霊の力があれば娘は助けられたはずだ。お前の血筋が独占しなければ、精霊が気まぐれでなければ私の娘は死ななかった」
薄い血の繋がりがあるために余計に固執した。
なくなればいいと思っているのか、新たに契約をと思っているのかまでは知らないが、そんな気持ちで精霊が力を貸すことはない。
「それは精霊は関係ないじゃない」
ネイサンの娘のことは悲惨であったし残念に思うけれど、それとこれとは別の話だ。
完全に八つ当たりであり、根拠のないもので憎悪を向けられて命を狙われ、実際に両親を含め罪のない多くの人が命を落としていった。
「うるさい! 知りたいというから話してやったんだ。さあ、死んでくれ」
言いようのない怒りに支配され睨みつけるが、再びネイサンに前髪を掴まれぐいっと上を向かされると同時に小瓶の中身を無理矢理口の中に入れられた。




