◆伯爵家の没落 泥濘
「助けてください。ひぃぃ、ギャアァァァァー、ぁぁぁ……」
ばりばり、ぼりぼりと人間を頭から食う魔物に、チェスター・ブレイクリーはその場で吐瀉物を吐いた。
「うえぇぇ、おぇ」
ミザリアを探す過程で似た特徴の者が集まり処分に困っていたところで、公爵に持ちかけられ引き渡した者たちが無残にも原型を留めずに転がっている。
おびただしい血の海と化した牢屋の中には、あちこちに人とそうでないモノの骨が散らばっていた。
「君が持ってきた餌だ。最近、食欲が旺盛でね。助かったよ」
チェスターが吐いたのも汚いモノを見るというよりは軟弱なヤツめと咎めるように眉をひそめただけで、ランドマーク公爵の声はいたって冷静だった。
「おえっ」
もう何も出ないのに、また吐き気が込み上げてチェスターは壁に手をついた。
――怪物だ。
ここにいる公爵こそ怪物である。
悲鳴と魔物が骨を砕き肉に食らいつく音が耳につき、圧倒的な捕食する側の存在を前に萎縮する身体。
あの檻の中に入れられたら一瞬で捕食されるだろう。それを想像するだけで身体の震えが止まらない。
だけど、同じ人間だからこそその狂気が魔物よりも恐ろしく感じた。
知れば知るほど何を考えているのかわからず、禁忌とされる魔物の実験をしてまで王の座を手に入れようと、自分がそうあるべきだという異常な自信もすべてが異質に映る。
この匂いと公爵の歪み狂いきった執着が全身にまとわりつき、自分の未来への不安から吐き気が治まらない。
チェスターはぜいぜいと息を荒くさせながら、いつまでも失態を見せている場合ではないとなんとか立ち上がった。
「さっきの餌も、役立たずだと捨てた娘をやっきになって探す上で得たやつらしいな。娘を連れ戻して何を考えている?」
「それは、……追い出してみたもののどうしているのか気になったもので」
人を人とは思わない。それなりに悪事を働いてきたチェスターでさえ躊躇う一線を躊躇なく越えていく相手に手の内を見せることの恐怖。
しどろもどろになりながら答えると、嘘をつくと檻に入れるぞと公爵はカチャカチャと檻の鍵を目の前に掲げた。
「ブレイクリー伯爵。よく考えて発言するんだ。その娘に何がある?」
「ひっ、わかりました。も、もしかしたらですが、娘が魔石を見つける能力があるかもしれないと」
「ほお」
なんの汗なのかわからない汗が、尋常でないほど額から落ちる。
それを拭う余裕もないまま、チェスターは必死で言い募った。
「伯爵家を出て行ってから採掘量が落ちたので、その因果関係を確かめるために娘を探しています。もし娘が関係していれば採掘量も戻るかもしれませんし、また今まで通りの量を下ろすこともできるかと」
「確証もないのにこれだけの餌を?」
だが、それも視線一つで一蹴する。
狡猾で鋭い双眸がぎらりとチェスターを捉えた。
「…………」
「真偽は関係なく伯爵がどう思っているかだけを話せ。判断はこちらがする」
すべての裁量は公爵次第。恐ろしい言葉だった。
だが、チェスターには抵抗するすべがない。ちらりと檻の中を見て、また吐き気が込み上げそうになり必死で呑み込む。
「はっ。娘の母親には見受けられなかったですが特殊な能力を持つ一族だと聞きました。なので、一度魔力がないと捨てましたが、その能力を受け継いでいるのならもしかしたら役に立てるかもしれないと」
「実際見てもいないのにどうやって知った? その能力とは何だ?」
もし娘が本物なら誰にも知られず自分だけのために力を使わせようと思っていたが、死と隣り合わせの今はそれどころではない。
まずこの状況から生き残らなければと、家族の誰にも言わなかったチェスターの真実を告げる。
「代々精霊と仲良くできる一族だとか」
「つまり聖魔法が使える可能性が?」
目を見開き、公爵はにたぁっと企むような笑みを浮かべた。
完全に興味を示した。それだけ聖魔法が使えるということは可能性に満ちている。
これで生き延びることはできそうだが、今後独り占めはできなくなってしまった。
それを残念に思いながらも公爵の逆鱗に触れないように答えることが精一杯で、いつもふんぞり返り己の利益のためだけに行動するチェスターであるが、公爵を前では余計な策を練る余裕もなかった。
「生まれた時は大きな魔力を持っていたのですが、五歳の魔力検査で魔力は感知されませんでした。魔力がなければ精霊との交流もできません。念のため成人までは検査してきましたが、一向に魔力が戻ることもなく」
一向に止まらない汗を拭い、公爵の機嫌を損ねないように経緯を話す。
「だから捨てたのか。だが、魔力がなくとも使い道はあったかもしれなかったということだな」
「はい。まずはそれを確かめようと思い……。もし原因が娘なら今回のことも解決するだろうと」
そして、出て行ってから半年も経ったがようやく居場所がわかった。
後はどう娘と接触するかだが、場所が場所なので現在計画を立てているところだ。一刻も早く連れ帰り検証したいのに、よりにもよって騎士団の本拠地にいるとは忌々しい。
「それで必死だったのだな。その話は誰に聞いた?」
「誰? 誰、だったかな」
その質問に頭がキーンと音を立て、思考が一瞬真っ白になる。
咄嗟に頭を押さえ眉間をもみ少しでも思い出そうとするが、当時、誰かと話していた場面は思い浮かぶのだがその誰かは黒く塗りつぶされていて誰かもわからない。
「とぼけるつもりか?」
「違います! 確かに誰かに聞いたのです。それで、興味を抱いたのでどんなものかと会いに行きかなりの美人だったのでそのまま手込めにしました」
もう女しか見えなくなるほど美しかった。気が強いところも、簡単に靡かないところも、それらも好ましく思うほど惹かれた。
だが、女には婚約者がいた。
だから、嫌がる女の家族を盾に脅し、当時、付き合っていた男を殺し、無理矢理何度も何度も抱いた。
最初は泣き叫び、罵詈雑言を浴びせるだけだった女は身ごもったとわかると大人しくなった。そうして生まれたのがミザリアだ。
公爵はふんと鼻を鳴らすと、這いつくばって血を舐めている魔物を見た。
「まあいい。娘を連れ戻す理由はわかった。手を貸してやろう」
「本当ですか?」
「ああ。騎士団寮に働いているのだろう?」
自分も最近わかったことなのに、公爵はもう情報が掴んでいるらしい。もしくは、自分の行動で目星をつけられたか。
どちらにしろ、どうやって娘を確保するか頭を悩ませていたのでありがたい。
「はい。さすが公爵様ですね。情報が早い」
「当然だ。伯爵の動向に気にかけていたらすぐにでもわかることだ。つまり、娘を匿っている騎士団側にも卿の行動は筒抜けということだ」
どっかで野垂れ死んでいるか細々と暮らしているものと思っていたので、大々的に探したのが仇となった。
チェスターが顔を青くしていると、公爵がすぅっと目を眇めた。
「だから、手をかしてやろうと言っている。それで魔石がまた増えるのならこちらも悪い話ではないからな」
「はい。ありがとうございます!」
これで首一枚の皮が繋がった。
独り占めできないことは痛手だが、うまくいけばまた公爵と密な関係が築ける。公爵のもくろみが成功したときに、そばにいることで恩恵を受けることを考えれば悪くない。
チェスターは内心にんまりした。
悩み事も解決の兆しが見え、公爵が味方についた今、魔物の存在も気にならなくなる。
「王国騎士たちの実力は知っているだろう? 特に騎士団総長であるディートハンスと団長クラスは我が公爵家の騎士たちが束でかかっても勝てる相手ではない。そんな中、簡単に取り返す方法がある。そのためには……」
続いて告げられた公爵の言葉に目を見張り、恐ろしいなとここに来た時と同じことを思ったが、これから向かえる大きな波に自分も乗ることができる喜びにチェスターは打ち震えた。




