25.お誘い
「ミザリア、一緒に寝てくれないか?」
話し合いを終え自分にあてがわれた部屋の扉に手をかけたところで、ここまで送ってくれたディートハンス様に背後から声をかけられ振り返る。
空耳かと疑ってしまう内容に思わず凝視していると、視線を一度下げたディートハンス様が真剣な顔で言い直した。
「今夜、一緒に寝てほしい」
まっすぐに私を見る眼差しは冗談ではないことを物語っている。
そもそもディートハンス様はそういったことを言うタイプではなく、二度とも同じ内容だったので聞き違いではないようだ。
さらに混乱した私は、部屋のほうとディートハンス様を何度も交互に見た。
挙動不審となった私に、ディートハンス様は一歩距離を詰めるとふわりと微笑む。
「誓って手は出さない。ただ、二人きりでもう少し話がしたい」
話だけなら別に一緒に寝なくてもといいのではと考えていると、ディートハンス様はくしゃくしゃと私の頭を撫でた。
「どうしても一緒にいたいんだ」
よしよしと慰めるように頭を撫でられながらじっと見つめられ、もたらされるそれらはとても心地よい。
だけど展開についていけなくて、私はディートハンス様をただ見返した。
行動の一貫性がないとういか、前振りがないからなぜ急に一緒に寝たいとなったのかも、頭を撫でられているのかもわからない。
「私は……」
どう答えればいいのかと口ごもっていると、ディートハンス様が軽く首を傾げた。
その顔は至って真面目で、純粋に私の言葉を聞こうと待っているだけに見える。
現状や発言に対して全く疑問に思っていないような態度に、ディートハンス様の中では感情と思考が繋がった行動なのだと理解する。
ならばと、まずはすぐに解決できそうな行動について私は尋ねた。
「その、どうして頭を撫でているのでしょうか?」
「触れていたいから。ミザリアの頭は小さくて手に馴染むし、髪の柔らかさも癖になるくらい気持ちいい。あと……」
「あと?」
意味ありげに区切られて思わず続きを促すと、ディートハンス様は目を細めた。
「よく頑張っているなって思うから撫でたくなる」
どの言葉も、私の中にすとんと降ってくるようだった。
まるで厳しい寒さに長い間震えていたところに、春の訪れを示す花が蕾をつけるかのように暖かな光という希望が降り注ぐかのように。
視線とともにくすぐったい。
騎士団総長としてのディートハンス様は別なのだろうけれど、ディートハンス様個人としては回りくどいことをせずどこまでもまっすぐな人だ。
言葉も、行動も。その眼差しも。
「ありがとうございます。褒められているようで嬉しいです」
「そうか。これからも遠慮なく撫でていいということだな」
ディートハンス様は私の返答に嬉しそうに微笑むと、さらにくしゃくしゃと手を動かした。
あのディートハンス様がと思うと、親しみを感じさせる躊躇いのない接触は感慨深く、じんと胸が熱くなる。
「……はい。少し恥ずかしくはありますが」
「ありがとう」
「いえ」
自分に向けられるディートハンス様の態度や言葉は常に心に響く。
先程まで不安と意気込みで重く波打っていた感情が、今はふわふわと軽く優しい気持ちになって揺れる。
ディートハンス様のまっすぐさに感化されてか、今の正直な気持ちを伝えたくなった。
「ディートハンス様に触れられると、落ち着く気がします」
「私も落ち着くと同時に明るい気分になる。一緒だな」
ディートハンス様はさらに笑みを深くした。
その嬉しそうな表情を見ていると、私も自然と頬が緩む。
ディートハンス様の前ではあれこれ考えずに、自然体でいられるような気がした。
虚勢も余計な思考も、無駄とは言わないけれど風化してしまうほどの影響力があり、力強くて、春の日差しのように温かく包み込む大らかさに委ねてしまいたくなる。
「ディートハンス様は、その、照れてしまうようなことも隠さずおっしゃるのですね」
「照れるようなことではない。それに私はあまり感情が表に出ないらしいから、必要だと思う時は言葉にするようにはしているな。特にミザリアには誤解してほしくない。嫌か?」
確かに人よりは表情は動かないけれど、最近はよく笑う姿を見るし今もわずかに下がった眉が不安そうに見える。
それは私が慣れたからか、ディートハンス様が私に心を許してくれているからか。
どちらにしてもその事実に胸が弾む。
「いえ。嫌ではありません。むしろ、そわそわするような恥ずかさを感じることもありますがディートハンス様の言葉は嬉しいものばかりです」
一度言葉にすると、自分の気持ちが見えてくる。
我慢していたものが浮き上がり、もう二度と押し隠せなくなってしまった。
――私は、ディートハンス様と過ごせるのが嬉しいんだ。
今まではそれを認めてしまうのは怖くて。
こんな感情を抱くのは恐れ多くて。
だけど今は差し出される温もりを拒む理由もなく、ディートハンス様ならきっと大丈夫だと思う気持ちが強くなる。
どんなことでも心が弾む。
そう感じるほど、ここでの生活は穏やかで日々新鮮で楽しくもあった。
お世話係になってからディートハンス様のことをより知る機会が増え、さらに近くなった距離。
彼からも歩み寄ってくれているとわかるのが嬉しくて、だからこそディートハンス様の言動を拒みたくないと思うのかもしれない。
そのため今回の言動も戸惑いからの疑問であって、それはつまり理由さえ知れれば一緒に寝ることも頭を撫でられることも嫌ではないということ。
優しく大きな手も、まっすぐに見据える双眸も、不器用ともいえる素直な性格や、不慣れだと思える応酬の少ない直球な言動も、戸惑いはしてもどれもこれも好ましくて安心する。
ディートハンス様の笑顔につられるように笑うと、ディートハンス様が再び尋ねてきた。
「それで一緒に寝てくれる?」
「えっと、話があるためですね。そんなに時間がかかることでしょうか?」
「それもある」
「それも、ですか?」
意味深な言葉にドキドキする。
ディートハンス様から飛び出す言葉は、どれだけ心構えをしても心臓に悪い。
「ミザリアがそばにいてくれたあの日、今までになくとてもぐっすり眠れたんだ」
「それは呪いを解いたからでは?」
「いや。それだけではない」
「そうですか」
力強く断言され、ディートハンス様の勢いに呑まれて私は苦笑する。
本人がそう思っているのなら、私が否定したところで変わらない。お前のせいで眠れなかったと言われるよりはと、それ以上は何も言わず続く言葉を待った。
「それでだ。人肌は落ち込んだり悩みがあるときにはいい効果があると思う」
「撫でられて落ち着くようなそういったことですか?」
先ほど自分でも感じたばかりなので、言わんとしていることはわかる。
「そうだ。ミザリアにとって今日の出来事はそう簡単に処理できるものではないだろう? 疑問があれば一緒に考えるし、不安があればひとりよりは温もりを感じられるほうがきっといい。だからくっつきながら話すのがいいと思う。何より、私がミザリアをひとりにしたくないんだ」
「……ありがとうございます」
ディートハンス様のストレートな物言いに少し慣れたとしても、予想以上の直球の言葉の数々に開いた口が塞がらなかった。
かろうじて、私のことを思ってくれての提案だということを理解し礼を口にした。
――ディートハンス様って、ゼロか百なのね。
一本気があり頼もしいのだけど、一緒に寝るのはくっついてだとは思わなかった。
心臓が持つかなと心配したところで、ちっともディートハンス様の提案が嫌だとも不安だとも思っていない自分に苦笑する。
徹底的に距離を開けていたかと思えば、良かれと思えば普通は躊躇するところも行動してしまえる。
異性ということは認識していても、純粋な心配や思いのほうが強く前に出るのだろう。そういうところはディートハンス様らしく、本人も宣言していたので手を出される心配はしていない。
端整な顔を見つめながら、ディートハンス様がこんなことを言い出した先ほどの話を思い出す。
伯爵が自分を探しすでに被害が出ていることや長年記憶が操作されていたことは、頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。
虐げられた日々だけでなく、追い出しておいて今更関わってこようとする勝手さにうんざりするし、母との大事な思い出が薄らぼやけているのもそのせいかもと思うと腹も立つ。
どれだけ踏み躙れば気が済むのだと。私が、私と母がいったい何をしたのかと言ってやりたいほどムカついて。
悔しさや腹立ちはずっとあったけれど、これほどの怒りを覚えることは初めてのことだった。
だけど、伯爵家での生活を思うとどうしても身体が震えそうになるほど怖い。
さっきまではひとりになりたいようななりたくないような気持ちだったけれど、ディートハンス様に一緒にと誘われるとひとりになりたくない気持ちが膨らむ。
「それに私が万全になるまでそばにいてくれると言っていたはずだ。今日は心配すぎて眠れそうにない。これは万全な状態ではない。そう思わないか?」
「…………」
あまりに堂々と告げられ、私は絶句した。
そういう意味で言ったのではないけれど、確かに万全になるまでお世話をさせてほしいとお願いしたのは私のほうだ。
だけど、それがこのような形で取り上げられるなんて……。
「……確かに万全とは言わないです。けど」
「言葉には責任を持たないと。私は万全ではない。だからミザリアが必要だ」
堂々と宣言するディートハンス様をぽかんと口を開けて見つめた。
――あまりにあまりすぎる!
どうしてこうもストレートなのか。
恥ずかしがるのがまた恥ずかしくなるほど、ディートハンス様はいたって真面目に話しかけてきてくるのでさらに意識してしまう。
またそのこじつけのような言い分も嫌ではないと思うから、それも私のためだというのがわかっているから拒みたくなくて態度が中途半端になりもじもじしてしまう。
睨むことなんてできないので、完全に納得はしていないですよと示すように頬を膨らませるだけで精一杯になった。
「ずるいです」
「ずるくはない。毎日とは言わない。ただ、ミザリアがいてくれるのといてくれないのでは全く違うのは本当だ。しばらく騎士団も冬に備えることもあり、先ほどの件も含め忙しくなる。一緒にいられる時は少しでもそばにいたい。ダメか?」
ディートハンス様は畳みかけておきながら、最後は困ったように眉根を下げて窺うように声をひそめた。
しかも、今夜の話だったのに、なぜか先の話も追加されている。
――やっぱりずるい。
自信なさそうにされると、姿形や性格は格好いいのにかわいく見えてしまう。
自分のために提案してくれているのに、ただ戸惑っているだけなのに不安がらせるのは本意ではない。
「ダメではないです。一緒に寝ましょう」
せっかく誘ってくれたのだから、それが一緒に寝ることでも一緒にいれる時間を大切にしたい。
今後、どうなるかわからない。
先ほどは具体的な話し合いを行い、こちらが警戒していることがわかれば伯爵たちはどう仕掛けてくるか読みにくくなるので、私は普段通りに過ごすことになった。
日々の大半が騎士団寮にいるので、相手が動くならば月に何度か街に出る時の可能性が高く、出かける際は必ず見えない範囲に護衛をつけてくれることになっている。
全力で守ってくれると信じているけれど、ディートハンス様が呪いにかかったように何事も不足の事態は起こる。
狙われているのは私なので、守ってもらえることは嬉しいけれど負担をかけすぎるは嫌だし、万が一何かあった場合に責任を取ってほしいとも思っていない。
危険なこともそうだけど、今の生活が壊れてしまうかもしれないことが何より怖かった。
だからこそ、その日が来るまで少しでも心ゆくまま過ごしてもいいのではないかと私はディートハンス様の手をとった。




