◇記憶と真実 sideディートハンス
母親の名を口にしたきり思考に耽るミザリアを、ディートハンスは横からじっと見ていた。
――もどかしい。
苦しめられている姿や悩む姿を見るのが、自分のこと以上にこんなにも苦しいものだとは思わなかった。
何も悩まされることなく、危険に晒されることのない場所に閉じ込めておければどれだけいいだろうとふと考えてしまうほど、ミザリアに危険が迫っているとわかっているのにそのすべてを取り除けないことが歯痒い。
唇を噛みしめたミザリアは目を伏せ短く息を吸うと、意を決したようにユージーンを見た。
「もしそうならどうやったら解けるのでしょうか?」
「まず一番はかけた術者が解除すること。それができなければ影響下から逃れて効力を弱める。その上で専門の者に解除してもらう、もしくは本人が『記憶に問題がある』とはっきりと自覚し、どの部分に問題があるのかみつけること。今のミザリアの状態は三番目になる」
ユージーンが指を立てながら、三本目の指を掴んだ。
その指をじっと見つめ、ミザリアは「自覚……」と噛みしめるようにぽつりと復唱した。
あれだけ震えていたのに、ミザリアにとってよくない情報を知っても比較的落ち着いて見えた。
だからこそディートハンスは不安を覚える。
「ここからは推測なのだけど、仮に何者かがミザリアの記憶を消すように魔法をかけていたとしよう」
「はい」
「ミザリアの周囲にはずっと精霊がいたし、精霊の存在や聖魔法のことを情報として得る可能性もあり定期的にそいつはミザリアに接触し術をかけていたはずだ。実に十年以上、気持ち悪いくらいの執念だね」
ユージーンは金茶の瞳を眇め、本気で嫌そうに溜め息をつき続けた。
「今はそいつの思惑は置いておいて。ミザリアが伯爵家から出て半年。術をかけるのに定めた期間が過ぎて暗示が解け始めたと考えるのが妥当だろう」
「綻びが出始めていたから、あの日、魔法が使えるようになったということでしょうか?」
「効力が弱まり精霊も力が貸せる状態になっていたところに、ミザリアが力を欲したため精霊も応えたのだろう」
「今回のことはタイミングもあったんですね。それと忘却の魔法ですが、かけるには直接対面する必要があるのでしょうか?」
繋げた手に力がこもっていることも気づかないほど、ミザリアは集中し小さな頭をフル回転させている。
精霊のこともだが、先ほど口にした母親のことにも関わるのでこの件に関しては積極的だ。
「対象者を前にするのが一番だ。媒介すればするほど精度は落ちるし、何よりミザリアの記憶がきちんと操作できているかを確認するためにもそうしていただろう。心当たりは?」
ミザリアは瞑目し、一瞬悲しそうな顔をした。
ここに来るまでのつらい記憶を思い出しまた傷ついたのかと思うと、初めて出会った時にどうして連れ帰れなかったのかと後悔の念が押し寄せる。
あの時の自分の状態ではそれが無理だったことはわかっているが、どうしてもそう思わずにはいられない。
「使用人や採掘場の人たちは会ってはいましたが、多くの会話は禁じられていましたし相手も嫌がって話しかけてこなかったので思いつくのは三人しかいません。グレタ伯爵夫人、兄のベンジャミン、そして執事長のネイサンです」
「十年前からだとすれば兄は除外。これらの術を七歳そこらでできるとは思えない。伯爵夫人か執事長と二人きりで定期的に同じようなことをすることはなかった?」
その二人のどちらかが、もしくは両方か、ミザリアの記憶を長年操作し十一年前には魔物の森に置き去りにし、伯爵家を出る時には毒で害そうとまでした。
具体的に名前が挙がることで殺意が増し、ディートハンスのこめかみにびしっと青筋が浮く。
「その条件なら、執事長のネイサンです。伯爵夫人は母に似ているらしい私の顔が好きではないので長時間二人きりになることを厭っていました。執事長は父の使いとして三か月に一度部屋で会っていました。魔力が戻らないか検査だといってあれこれ質問や手をとって調べられることも……」
「なるほど。伯爵の使いとしての名分もあり単独犯だったとしても誰も疑うことはない。術者は執事長と見て間違いない」
ミザリアが伯爵家から去ることになり、記憶を操作するため三か月に一度の忘却の術をかけることができなくなったため、水に毒を混入させ消そうとしたことにも繋がる。
ユージーンは精霊の契約者だ。特殊部隊所属なのも精霊と関係しており、このことはディートハンスを含め上層部しか知られていない。
上位精霊と契約しているため、第四騎士団の副団長を務めるくらいの実力だ。団長は面倒だからとやっていないだけでそれくらいの実力はある。
なので、精霊、聖魔法に関してはユージーンの意見は他の誰よりも尊重される。
そのためミザリアが聖魔法を使え、精霊の庇護を受けているとわかった時点で、混入されていた毒の効果が中途半端だったのは精霊が関係している可能性もあると話していた。
認知できずに力を使うことができないミザリアと精霊の関係が弱まっていたため、精霊も力を十分に発揮できなかった結果だろうと。
つまり、相手は本気で殺すつもりで毒を盛っていた可能性があるということだ。
毒を混入されていたことに関してはミザリアの精神衛生上、現段階では話さないと事前に決めている。
「あと、記憶のこととは別にひとつ質問してもいいかな?」
「はい」
今回の件で確かめたいことがふたつあり、ユージーンはミザリアが出て行ってから顕著に伯爵家が傾き始めたのが気になると言っていた。
ディートハンスはミザリアのどんな反応も見逃さないと、再び彼女を注視した。
「屋敷を出る時に、強い思いや願いを何か言葉にしなかった?」
「言葉にするですか?」
精霊は気まぐれだ。精霊の動きは人間の認識とずれていることも多々あり、だからこそ精霊と接触する際は細心の注意が必要。
気に入られ方や精霊のレベルで叶えられる希望は変わり、たとえそれが叶えてもらいたいと願っていなかったとしても、言霊として認識されれば精霊は動くことがある。
だけど、ミザリア自身は記憶が操作され精霊に守られていた認識はなかった。
だからこそ、彼女が何を思い、それと伯爵家の因果関係を把握しておくことは今後のためにもなる。
「そう。はっきり精霊は見えていなくても光は見えていたなら、精霊たちは君を見守っていたはずだ。精霊は契約者、または気に入った者を助けたり意思を尊重する。相手が満足すればするほど精霊にとっても幸せだと感じられるからね」
だから、十一年前もディートハンスを心配したミザリアの願いを聞き入れ、精霊が力を貸しディートハンスの魔力暴走を抑えることができた。ミザリアが願ってくれたからだ。
無理矢理思い出させること、こうだったと伝えるのはよくないと言われているため、直接あの時のことの感謝は伝えられていないが、呪いのことといい、何度感謝してもしきれない。
「あの日は確か、――門をくぐる時にすべてを断ち切るつもりで『もうここには二度と戻らない』的なことは言葉にしたと思います」
うーんとしばらく首を捻っていたが、あっと声を上げすっきりした表情でミザリアが告げる。
ユージーンの目がゆっくりと見開かれ、それから望む答えをもらった子どものようににこにこと笑った。
「それだよ!」
「えっと、その言葉が何に関係するのでしょうか?」
ユージーンは興奮してぶつぶつ言っているので、思わず縋るようにミザリアがディートハンスを見てくる。
質問の意図を話していなかったこともあり、ユージーンの普段とはあまりに違うテンションに驚いたのもあるだろう。
「伯爵家で現在起こっている魔石が採れなくなったことについて。ユージーンはそれも精霊が関係しているのではないかと推測していた」
「まさか」
ミザリアは大きな瞳をさらに大きく見開くと、ユージーンが興奮を抑えきれず声を上げた。
「そう。そのまさかだよ! 願いとして聞き入れられた可能性はある。さっきも言ったけれど精霊は言霊に敏感だ。魔力がなくなり精霊の存在も思い出せないミザリアに深く干渉できなくなったとしても、少しでもためになるようにできる範囲で守っていたはずなんだ。ミザリアが採掘に関わっていたから、たくさん採れるようにとか。そう考えれば、ここ何年かの採掘量の多さといなくなってから採れなくなったのも納得だ。精霊の加護がなくなったためだろう」
「規模が大きすぎて信じられませんが、ずっと守ってくれていたのはわかります。魔石を苦労せずに採れたのも、そっか、精霊が私のために……」
そこでミザリアは見えないモノを見るように、視線を彷徨わせ目を細めた。
そこに精霊がいるのだろう。
「これでわかったな。伯爵がどこまで認識しているのかわからないが、ミザリアの精霊との親和性や聖力は喉から手が出るほど欲しいものだ。知られていないのなら知られてはいけないし、もしそれを狙ってなら尚更ミザリアを奪われるわけにはいかない」
ミザリアの精霊との親和性と能力は群を抜いている。それに気づけば、とことん利用し吸い上げようとするだろう。
ブレイクリー伯爵の背後にはランドマーク公爵がいる。魔物に魔石が使われていることを考えると危険すぎた。
――やはりこのまま閉じ込めていられれば……。
そう思わずにはいられないが、そうすればミザリアの笑顔がなくなってしまう。
せっかく閉じ込められた場所から出てこれたのだ。できることなら外の世界で楽しいことや好きなものを増やしていってほしい。
そしてできることなら、彼女の横に自分が立っていたい。
「ブレイクリー伯爵は二度とミザリアに手出しをできないよう罪を償わせ、ランドマークの陰謀も阻止する。前回の遠征は何らかの実験だった可能性があり、さらに多くの魔物を操ってくるかもしれない。各々準備を怠らないように」
ディートハンスは決意を胸に宣言した。




