◇記憶と真実 sideアーノルド&フェリクス
「私はどうすればいいですか?」
その声はわずかに震えていたが、面を上げた表情は決意に満ち凜としたものだった。
「驚いたな」
揺らぐことのないミザリアの双眸をまっすぐに見据えながら、アーノルドは感心した。
正直な感想が口から漏れる。
ミザリアは彼女が黒狼寮に来てからは、ブレイクリー伯爵の動向も含め監視対象であり庇護すべき者であった。
家政婦業をこなし、思いのほかここでの寮生活に順応しても。
ディートハンス総長の魔力に適応するという驚くべきことを成し遂げ、さらに距離を縮め今までにない穏やかさをもたらすという奇跡のような存在となっても。
聖力で呪いを解放という偉業をなしても。
それらに感謝することはあっても、あくまでか弱い女性、しかも虐げられてきたため気遣いが多く必要な者。
アーノルドたちにとってミザリアは守るべき対象者だった。
先ほども伯爵が探していると聞いて、ミザリアは尋常ではない反応を示していた。
その反応にミザリア自身も戸惑っているように見えた。植え付けられたトラウマは本人が意識しているより深刻なのだとわかるそれだった。
むしろ、一度逃れたという安堵感があるからこそ、さらに怖いものになったのかもしれない。
話さなければよかったかと一瞬後悔したけれど、たった数刻の間にいい表情をするようになったミザリアに驚かされる。
それこそ、今回のことでミザリアの処遇をどのようにするか幾度となく話し合いをしてきた。
その中でいくつか候補があったが、最善だと思われるものはミザリアの身が何より心労的に危険すぎるとディートハンスが強く反対したため、その選択肢は除外した。
「ミザリアに無理をしてほしくない」
ディートハンスの感情をそぎ落としたような声が落ちる。
ミザリアの発言に一瞬眉を跳ね上げ、国を守るべき立場としてやるべきこと、ミザリアを大事に思う気持ちで揺らいだように見えたが、先ほどの揺れは錯覚だったのではと思わせるほど双眸から感情が排されていた。
「もちろん。出しゃばって迷惑をかけるつもりはありません。ただ、私が役に立てることがあるのならやるという意思を伝えたかったまでで」
そこでミザリアは言葉を切った。
迷惑をかけたくない。役に立ちたい。それらはミザリアの言動から非常に気にしているものだということはわかる。
先ほどのトラウマのように、そうやって生きてきたミザリアに植え付けられたもの。
前ほど顕著ではなくなったけれど、身についた習慣みたいに自然とそう考えてしまう彼女の境遇を思わずにはいられない。
ひゅうと吹いた北風が梢を揺らす音が聞こえる。
暑くなる季節に来た彼女は気づけば半年。季節は変わり、本格的な冬が始まろうとしている。
騎士団にとってこれから厳しい時期になる。アーノルドは団長として渦巻く感情を切り捨てるように、ゆっくりと瞼を伏せた。
フェリクスはこの場に適当な言葉が出なかった。
ミザリアから言い出してくれたことに安堵する気持ちもあったが悔しい気持ちのほうが多く、それでいて騎士として、この国を、ディートハンス総長を守る者として最善を選ぼうとしてしまう。
「何もする必要はない」
「ですが、伯爵が私を探している以上このままというわけにはいきませんよね?」
「――……私はミザリアに傷ついてほしくない」
すかさずディートハンスが首を振ったが、ミザリアの正論に長い沈黙の後、口を開く。
ミザリアは小さく笑みを浮かべ困ったように眉尻を下げた。
この場の誰もが複雑な心情を抱え、二人のやり取りを見守る。
ディートハンスはじっとミザリアの様子を眺めていたが、諦めたように息をつくと一度閉じた口を再度開いた。
「だが、ミザリアの言う通りこのままというわけにもいかない。被害もだが、相手がどう出るかわからない。ミザリアが協力してくれるのなら、こちらの準備を整えて仕掛けるほうが安全だ。私たちはミザリアを全力で守るつもりでいるが全く危険がないわけではない。それでも?」
「はい。いつまでも隠れたままでは解決しませんし、その間ずっと気にかかると思います。何より自分が原因で傷ついている人がいることは見過ごせません」
溢れるものを堪えるかのように小刻みに震える長い睫毛に、何度も小さく息を吸う姿に、胸が痛む。何としてでも守ると強い衝動に駆られた。
彼女は、ディートハンスにとって、この寮にとってなくてはならない人となった。
「ミザリアのせいではない。そこは間違えてはいけない。悪いのはブレイクリー伯爵たちだ」
そう告げるとディートハンスはフェリクスたちを見たので、全員が力強く頷いた。
「ミザリアは何も悪くない。といっても逆の立場なら気になるのもわかる」
「相手がミザリアを探している以上、ミザリアが姿を現さないことには今とさほど状況はかわらないままだろう」
「ああ。ミザリアが怖いなら無理強いはしたくないが、実際のところ相手は窮地に陥っている状態でがミザリアを探している。何をしでかすかわからない」
「犠牲者も増えていき、彼らの現状も気になるところだ」
総長ばかりに嫌な役目を押しつけてはいけないと、フェリクスたちも声をかけた。
守ると言いながら、危険な目に遭わせようとしている事実の不甲斐なさを感じながら、それでもなすべきことは見失ってはいけない。
力が及ばない範囲に部下を送り込む、もしくは後一歩で助けられたものが助けられなかった時のように、フェリクスは腹にたまる嫌な感じに眉を寄せた。
できることならこのまま荒波に晒すことなくここで守っていたかったが、現状はそれを許さない。
それならば、違う方法で守る必要がある。そのための話し合い。
「相手は呪いや魔物と手段を選ばなくなってきている。先手を打つ必要があるのは確かだ」
アーノルドが断言すると、ミザリアはこくりと頷いた。
何より、ミザリア自身にある問題、特にミザリアに毒入りの水を渡した者の存在を忘れてはならない。
それは伯爵と別の思惑を持った人物が伯爵のそばにいるということだ。その人物の存在は無視できるものではない。
今、相手が明確な意図をもって接触を図ってくるのならば、逆に罠を張りやすく好機である。
――それは頭ではわかっている。わかっているのに……。
やるせない思いでミザリアを見ていると、フェリクスの視線に気づいたミザリアが小さく笑う。
そこで面倒くさがってこういう場では自らは前にでないユージーンが発言した。
「冬も近い。事は一刻を争うためさっそく問題の共有、整理を進めよう。俺としては、ミザリアに聖力があることは無視できない。記憶のことといい、伯爵、ないし伯爵に近しい者がミザリアのその能力に気づいている可能性もあると考えて動くべきだと思う」
ミザリアが精霊関係の記憶がなかったことについて、過去、ディートハンスとミザリアが魔物の森で出会っていたことをディートハンスから聞いている。
そこで何があったのか、ミザリアはその時の記憶がないことも。
十中八九、魔物の森に置き去りにした人物こそがミザリアの記憶に関わっている。
「私の記憶の喪失は人為的だと考えられているのですね」
ミザリアは目を見張り、それからうーんと唸った。
「現に精霊のことを忘れていた。聖魔法は誰もが使えるものではないとしても、全く耳にしない目にしないことはあり得ない。意図的に操作されたと考えられる」
「もしそうだとして、なぜ私の記憶を……」
ミザリアの疑問は当然だ。
なぜ、そいつはミザリアの記憶を操作する必要があったのか。精霊が、聖力が関係しているのか。はたまた違う理由か。
「生まれた時に膨大だった魔力も含め、その力をよしとしない者の手か。その者から離れたから記憶が戻ったという可能性もある。呪いと一緒でそういったものは術者の力もそうだが、条件がある。条件が厳しければ厳しいほど効力を発揮し、逆にそれらが守られなければ効力は薄まる。ミザリアの場合、定期的に忘却の魔法がかけられていた可能性が高い」
「忘却……、だったら母の……」
そこでミザリアは思い馳せるように遠くを見つめた。




