21.きっと熱のせい
とくとくとくと規則正しい心音を聞きながら、ディートハンス様が続ける。
「私はこのように人と触れ合うことは初めてだ」
事情からその可能性は高いとは思っていたけれど、面と向かって言われどのような反応をすればいいのか。
結局、話は聞いていると頷くとそっと私の頬を撫でるように触れてきた。その手つきはとても優しくて、私を見つめる眼差しがずっと甘い。
その眼差しに耐えきれず視線をうろうろさせると、ディートハンス様は慈しむような笑みを浮かべた。
「こんなに温くて愛おしいものなのだな」
耳に残る低い低音が、伝わる体温が心をくすぐる。
――あっ、これ耐えられる気がしない。
私は眩しくてくすぐったくて思わず目をつぶった。
どうしてこんなにストレートなのか。
ディートハンス様は初めての温もりに感動しているだけ、それだけだと自分に言い聞かせないと、まるで自分を愛しているかのような言葉と眼差しに勘違いしてしまいそうだ。
ふぅぅっと息をつき、火照る熱を逃しながら私もと口を開いた。
「私も母以外では初めてです」
どちらも魔力に問題があった者同士。
魔力というだけで内容や境遇は違うけれど、私自身もディートハンス様の温もりは落ち着くものを感じていたので、きっとそういった共感が気分を互いに高めているのだろう。
そう思わないと、この状況は心臓に悪すぎてコミュ力の低い私にはどうしていいのかわからない。
ますます離してくれと言いにくい状況におずおずとディートハンス様を窺うと、「そうか」と嬉しそうに微笑まれてしまった。
今朝のディートハンス様はよく笑う。
向けられる笑顔は嬉しいのに、慣れなくて激する心臓の音が密着した身体から伝わってしまわないかと心配になってしまう。
「私の初めてはミザリアだ」
「初めて……」
「ああ。初めてだ」
なぜかにっこり笑顔で嬉しそうに告げるディートハンス様。
言い方~! とは思うけれど、まずその内容が気になった。以前、ご家族は問題ないと聞いており家族仲も悪い印象を受けなかった。
ストレートな表現に困っているのに対しては気にしないのに、聡いディートハンス様は私が感じる疑問は見通すようで説明してくれる。
「私は生まれてすぐ魔力過多症を患い、最初のころは高位の魔法を使える者しか近づくことはできなかった。治療薬も効かず幼い頃は家族を含め周囲を傷つけ迷惑ばかりかけていた」
「それはディートハンス様のせいではありません」
生まれ持ったもの。魔力過多は本人が選んだものではない。
今でこそ治療薬ができ生存率は上がったが昔は生存率五パーセントと言われるほど、幼き子の器で膨大な魔力は毒となる。
責めないでほしいと否定すると、ディートハンス様は寂しげに遠くを見つめ、私を抱きしめている腕にきゅっと力を入れた。
――うっ、ますます離れられない。
当然のように抱きしめられ、疑問にも思っていない姿にこっそりと息をつく。密着する場所が、力が変わるたびに心臓が高鳴る。
だけど、さすがにこんな深刻な状況で離してくださいなんて言えない。
ましてや昨夜はくっついていると苦しさが和らぐと伝えられており、現在の話の内容的に言い出しにくい。
私自身も母以外にこんなに近くで人肌を感じたことはなく、体温にドキドキするけれど落ち着く気持ちもわかるので、どうすれば正解なのかもわからずただ腕に閉じ込められたまま話を聞いた。
「ああ。周囲はそう言いながらずっと私を励ましてくれた。抱きしめられなくとも両親たちの愛情は伝わってきた。少しずつ距離を縮め触れることや時期など手探りで歩み寄ってくれた」
「いいご家族なのですね」
「そうだな。彼らがいたから私はこうしていられる」
吐息のようにそう告げると、すっと窓の外を眺めるディートハンス様。
その先には何が見えているのだろうか。
「それでも魔力過多でコントロールできず、周期的にやってくる魔力暴走の波に息ができないほど苦しくて、いっそのこと死んでしまいたいと思うことは何度もあった。その度に家族やフェリクスたちに止められ怪我を負わせてきたし、随分と悲しませた」
悔恨を滲ませるように目を伏せたが、ゆっくりと開かれた双眸には芯を失わない強さが滲む。
さまざまな苦しさや悔しさを乗り越えた者の強み。ただ、魔力が多くて武術が優れているというだけではない、人としての真の強さがそこにはあった。
たくさんの人を意図せず傷つけ、暴走する魔力に振り回され、死にたいと思っても大事な人たちのために生きることを選んだ。
だから、ディートハンス様は強くて優しいのだ。心配をかけてきたから、感情も表に出さなくなったのではないだろうか。
伯爵家でなるべく傷つかないように人の機微を見て動いてきたから、そういうのは少しわかる気がした。
「ある程度の力の操作ができるようになると、何度も魔物の森に出向いて魔法で発散するようになって少しはマシになったが魔力が暴走する時の苦しさは変わらなかった」
「そんな時期が……」
幼い頃から魔物の森で戦ってきた。魔力にやられるか魔物にやられるか、常に危険と隣り合わせ。
その時のディートハンス少年を思うと言葉が出ない。
ディートハンス様は苦笑しながら、私を励ますようにとんとんと背中を叩いた。
「ミザリアが心を痛める必要はない。さっきも話したように私には支えてくれる人たちがいた。そして、今も彼らに支えられている」
「はい」
そう。ディートハンス様は膨大な魔力に負けなかった。強くて優しくて人を思いやれる人だから、周囲も諦めなかったのだろう。
「いつ克服できるのか、いつまでこんなに苦しいままなのか、周囲をいつまで悲しませなければならないのかと、もういっそ魔物にやられてしまえばと思っていた時期に私はある人に助けられた。暴走していた魔力がこのように抑えられ日常が過ごせているのは、周囲とその人のおかげだ」
ちょっと困ったように口元に笑みをかたどった後、複雑に織り交ぜた感情を宿した瞳で、じ、と見つめられる。
簡単に言葉にできない、思いや出来事があったのだろう。
「恩人なのですね」
その視線を受け止め、私は笑みを浮かべた。
その人がいなければ、ディートハンス様の苦しみはさらに長く、もしかしたらもっと人との距離を必要としていたかもしれないのだ。
そしてこうして触れ合うこともできなかった。騎士団の方たちとの距離感も違っていたかもしれない。
「ああ。事情があってお礼も言えないまま離れてしまったがずっと感謝している。情報が乏しく探しても見つからなかったが、会えれば必ず礼を告げて彼女が望むことは何でもしたい。そう思っていた」
その恩人、彼女とどのようなことがあってそんな複雑そうな表情を見せているのかはわからないけれど、心底良かったと思う。
「きっと彼女はディートハンス様が元気でいてくれたらそれでいいと言うと思いますよ」
助けたことをずっと感謝され、このように国の英雄にまでなった最強で優しいヒーロー。
その姿はきっと彼女には伝わっているだろう。
今まで名乗りでないのなら、それだけで十分だと思っていそうだ。少なくとも私は助けた人がこんな素晴らしい人だと知ったらそれだけで嬉しいと思う。
「ああ。そうだといいな」
そう告げると、かき抱くようにさらに密着させた。
互いの熱が、鼓動が混ざり合う。
私はそっと胸に自ら顔を寄せた。
とくん、とくんと動く心臓の音が尊く感じる。
ディートハンス様にとって、人と触れ合うことは生まれた瞬間から気遣うことだったから。このように生きていると感じることが新鮮なのかもしれない。
ああ、だから初めてと強調したのかもしれない。本当に嬉しかったのだろう。
「諦めず頑張ってきてくださってありがとうございます」
「私はミザリアと出会えたことに感謝している。傷つけることが怖くてできなかった私に勇気を出して触れてくれと言ってくれたこと、そしてこのように温もりを教えてくれたこと。私はミザリアがそばにいるだけでもっと強くなれる気がする。ミザリアがいてくれるだけでいい。だから役に立つとか立たないとか気にするな。私にとってミザリアがそばにいるだけで幸せなのだから」
頭を優しく撫でられ、ぐっと私を上へと引き上げた。
視線と視線が交じり合うと、ふわりとディートハンス様が微笑んだ。
ディートハンス様の表情がゆるゆるだ。
――これもきっと熱のせい。
私にディートハンス様の熱がうつったのではないかと、熱くなった顔を隠すこともできず見つめ合った。




