19.黒いもや
総長のお世話係になって数日。
ディートハンス様は活動すると疲れがたまるのか、動いては寝てというのを繰り返していた。とても悪くなるでもなく、かといって良くもならない状態が続く。
食事を一緒にするようになり会話も増え、疲れて眠る前は必ず頭を撫でられる。
前回言われてから次の日の朝に求められた際に思わず固まったら、ディートハンス様もぴたりと固まりちょっと困ったように首を傾げ了承したものだと思ったと言われた。
あの『また頼む』とは継続の意味を示していたらしい。
確かに私は『はい』と言った。
――うーん。
ディートハンス様は慎重かと思えばたまにすとん、というか、すこんと物事を飛ばして進めるというか、普段はあまり感情を表に出さないこともあって予測がつかない。
「ミザリア?」
じ、と見つめられ、気遣いながらもまるで不安そうにきゅっと口を引き結んだ。
そんな顔をさせてはならないと慌てて頭を差し出すと、またぴたりと固まりそろっと差し出された手は私の頭に触れると今までで最短で触れわしゃわしゃと撫でられた。
なんか、嬉しそうなのが伝わってくる。
安眠グッズにでもなった気分であるけれど、それで気分が安らぐなら何度だって差し出そうと私はされるがまま大人しくしていた。
そんなやり取りもあったが概ね穏やかな日が続いていたけれど、夜になり私はディートハンス様の様子に眉を寄せた。
やはり体調が優れないディートハンス様のほんのわずかにひそめられた眉が、無表情というよりも必死に表情を押し殺しているように見えた。
――やっぱりかなり無理してる!?
ディートハンス様の表情は変わらず泰然としているので、私がそう思うだけかもしれない。
だけど、朝よりもゆっくりと口に運ぶ動作に優雅さはあるけれどキレはない。
ふわりとスープの湯気が力なく揺れるのをじっと見つめながら、その向こう側にいるディートハンス様を観察した。
朝、昼、晩と食べる量やペースが違うだけ、一日中部屋にいるから夜はあまりお腹が空いていないということもありえる。
日によって食欲も違うわけだけど、もし本当に体調が悪かったら?
自分で気づかず無理をしてしまう人なので、周囲が気を配りすぎることは決して悪くないだろう。違ったら違ったでいい。
私はそのことをフェリクス様たちに伝えると、彼らはすぐに動いてくれた。
やはり熱があったらしく、えっさほらさとまたホレス医師が両手足をぶらぶらさせながら担がれて、今度は担がれる一端を担ってしまって申し訳なく思いながら、熱冷ましの処方をして帰っていった。
今までにない事態にアーノルド団長やフェリクス様たちの表情も厳しいものになる。
「体調がなかなか良くならないのはおかしくないか?」
「ああ。名だたる医師が診てもわからないのはおかしい。ユージーンは何か気づかないか?」
「魔力が荒ぶっているのはわかるけど、ディートハン総長の魔力は膨大すぎて俺には全体を見通すことはできない」
「ニコラスとフィランダーは?」
「私たちにできることは何も。つまり治癒の範囲ではない可能性も」
ニコラス様が答え、フィランダー様も静かに頷いた。
「ここ最近で変わったことといえば、遠征か」
「だけど、すぐに何かあったわけではない」
「ああ。だが、調べる必要がある。体調もそうだが、このままでは周囲が異変に気づいて邪な者が仕掛けてくる可能性もあるのも心配だ」
ディートハンス様自身のこともあるけれど、魔物のこと、横やりを入れるような存在がいることなどそればかりに集中していられない。
――ゆっくり静養もできないなんて……。
私はぎゅっと拳をつくり、彼らの会話に口を挟んだ。
「あの、今晩、ディートハンス様のそばについていてはダメでしょうか?」
「それはかまわないけど。ミザリアはつらくない?」
「お世話係ですし、私にはやはりディートハンス様の魔力の影響はないようなので。タオルを替えるとかしかできないですが」
「そう……。ならお願いしていいかな? 何かあればこれで連絡して」
フェリクス様は頬に手を添えて私を見つめながら考えていたが、一つ頷くと連絡用の通信魔道具を私の手に置いた。
「ありがとうございます」
「こちらこそありがとう。ミザリアがついてくれていると思うと心強いよ。ただ、無理はしないでね。眠くなったら寝るように」
「はい。わかりました」
許可を得てほっと息をつき、私は力強く頷いた。
私はさっそく準備をしてディートハンス様の部屋へと向かった。
容体の報告をフェリクス様たちしに部屋を出た時よりも、美しい顔の眉間にしわが寄ってしんどそうである。
そのまま額に浮かぶ汗を拭うと同時に、少しでも解れたらいいなとそろそろと手を伸ばし、その眉間をちょんと押してみる。
「んっ」
小さな呻き声を上げ、その美しい相貌が歪められた。それらを見つめ、知らず知らず溜め息がこぼれ落ちる。
ディートハンス様は小さく身じろいだが、起きる気配はない。
「しんどうそう……、え、もや?」
じっとその姿を眺めていると、違和感に気づく。ディートハンス様の周囲が薄く黒くもやみたいなものがゆらりと揺れたように見えた。
ぞくりと肌が粟立つ。
気のせい?
再度凝視してみるけれど今は何も見えない。
先ほどの腹の底から圧迫するような違和感を気のせいにするにはまだお腹あたりがぞくぞくして、確かめるように手を伸ばすとディートハンス様の手が伸びてきてがしりと腕を掴まれる。
「わっ!?」
「……くるし、……」
「大丈夫ですか?」
声をかけるが、眉間に思いっきりしわを寄せて苦しげに呻くだけだ。
はっ、はっ、と荒く吐かれる息が熱っぽく、汗をかいて熱いはずなのに顔色は真っ青で尋常ではない様子にさぁっと血の気が引く。
「どうしよう……。人を」
呼ばなければとテーブルの上に置いていた通信魔道具に掴まれていないほうの手を伸ばそうとしたところで、呻くような声とともにそのまま腕を引っ張られた。
「……っ!」
「行くな」
弱っていても騎士。圧倒的な力の差をもってそのままベッドの上に引きずり込まれる。
「えっ、ちょっ」
一瞬のことであった。
慌てて距離を置き体勢を立て直そうとするけれど、さらにぎゅっと腰に腕を回された。ぐっと回された手は力強く、みしみしと骨が鳴る。
「い、いたっ」
「……うぅっ」
痛みで声が出るも、ディートハンス様は夢の中にいるようで呻きながらも縋るように私をかき抱く。
この状態はとにかく良くないと抵抗すると、さらに力を込められた。
「ディートハンス様! 離してください。人を呼んできますので」
距離を縮められたといっても、手が触れるくらいだったのに急に全身が密着する状態はさすがにダメだろう。
魔力の件もあり、ディートハンス様から引き寄せられたとはいえさすがにこれはまずい。ディートハンス様が気にするという意味で。
とんとんと離してくれと胸を叩くと、うっすらと瞼が開いたかと思えばすっと伏せられ一向に力を緩められない。
「うっ、ちょっと……、すみません。一度起きてこの手を」
するともう一度目を開けた。その瞳に私の焦った顔が映る。
認識してもらえただろうかとわずかな期待を乗せてもう一度声をかけようとすると、ふるりと首を振って荒い息のまま縋るように私にすり寄った。
――えっ、ちょっと! さっき私だってわかったよね?
なのに抱き寄せられたまま、むしろさらに密着するように抱き込まれ私はバタバタと拘束されながら身体を動かした。
だけど、ぴくともせずその上熱っぽく掠れた声が私の行動を咎めるように耳元で響く。
「ダメだ。離せばどこかに行ってしまう」
「どこかって……。ただ、人を呼びに」
起きてほしいと声をかけるが、意識が朦朧としているディートハンス様には届かない。
何度か声をかけその度にどうにかしようともがいたが、もがけばもがくほど力が強まる。私は抵抗するのを諦め、そっと力を抜いた。
それに気づいたのか、少しだけ力が弱まる。
「ディートハンス様?」
「いてくれ。こうしていると、苦しさが和らぐんだ」
その言葉にディートハンス様の顔を見つめる。
眉間にしわが寄ったまま苦悶な表情は変わらないけれど、そう言われればさっきまで息をするのも苦しそうだったのが少し落ち着いて見えた。
何より、本人がそう言うのなら、私はここで抵抗しないほうがいいだろう。
それに総長のお世話係をするにあたって、この部屋ではたとえ慣れないことだとしてもディートハンス様の思うように動くことが正しいのだと思ったばかりだ。
――万が一、この状態を見られたとしても説明すればわかってくれるはず……。
理不尽に怒るような人ではない。
それよりもずっと呻く苦しそうな声、縋るような腕が徐々に抵抗したい気持ちを弱らせる。
「わかりました。ディートハンス様が落ち着くまでそばにいます」
いまだに逃れないように拘束されているので動けばまた逃げると思われそうだったので、なるべく幼子に話しかけるようゆっくりと言い聞かせるように声をかけた。
「そうか……」
すると、安心したのかゆっくりと瞬きをし、またゆっくりと瞼を閉じていった。
しばらくその様子を眺め、完全に寝入っていたのを見計らって徐々に体勢を整える。離れようとしては抱きしめられの繰り返しで、体温が離れることを厭っているようなのでベッドから出られないが、ようやく上半身を起こすことができた。
「はぁ……。人肌が恋しいのかな」
荒れる魔力のせいでこういうときはさらにひとりぼっちだったのかもしれない。
そう思うと、離れようという気分にはならなかった。
落ち着くまでそばにいると言ったのは自分で、それを聞いて安心して眠りについたことを思うとさらに……。
そっと額に張り付いたディートハンス様の髪に触れ、ゆっくりとながす。
指が触れたと同時にぴくっと眉が反応したような気がしたが、それを何度か繰り返すと気持ちよさそうに眉間のしわまで取れていく。
――なんか、かわいい。
こんなことをこんな時に思うのは不適切かもしれないが、自分がいること、したことで安心したような姿を見るとこそばゆくて、守ってあげたいと自分よりも強い相手なのに保護欲のようなものまでわきあがる。
だけど、根本的な解決にはなっていない。結局こうして見守るだけなのが悔しい。
「はぁ。言ってはみたものの、やっぱり何もできないな……」
水の入った器に半月が映り込み、ここからだとゆらゆらと移ろいで見える。
見えているのに、せっかくそばにいることができるのに、何もできないことがもどかしくて悔しい。役立たずのままである。
「力があったら……。私も、力がほしい」
ここの人たちはそれぞれ心配しながらも自分たちの役割をこなし、総長の、騎士団のために動いている。私に力があったら、そう思わずにはいられない。
何より、ディートハンス様が苦しそうなのが見ていて苦しい。
それらをずっとひとりで耐えていたのかと、そしてこれからもこうして耐えていくのかと思うと心が締め付けられた。
私も役に立てたら、そう、強く、強く思った。
その時、脳内でぶわっと光が弾けるようなパンといった音が響いた。それに続き内側から溢れるものを感じる。
「あっ」
頭がぐわんと揺れ腹の中心が渦巻き、ぐっと堪えるように蹲った。
倒れ込みそうになるほどの衝撃が徐々に収まりゆっくりと頭を上げると、目の前にふわふわと飛んでいた光が徐々に小さな羽をつけた人の形をなしていく。
精霊の姿に私は目を見開き、続いて揺らぐことのない双眸でまっすぐに見据えた。
――なんで、忘れていたんだろう。
精霊のこと。私はそれらが見えていたこと。
そして、いつしか淡い光でしか見えなくなってしまったこと。
なぜ、彼らの存在を忘れていたのか。
ふわふわと光を見ていながらもなぜ結びつけられなかったのか不思議だけれど、今、私は彼らの存在を思い出した。
「そっか。私のからっぽの器、魔力ではなくてもともとは聖魔法が使えるからなのね。忘れていてごめんね」
ディートハンス様を起こさないように小さな声で話しかけると、いいよ、と教えるように顔の周辺を精霊が飛ぶ。
淡い光で見えていたこともあって、すっとその事実が入ってきた。
なら、どうして今思い出したのだろうか?
聖魔法のこともなぜ忘れていたのだろうか?
あれだけたくさん資料があったのに気づかなかったのか?
そしてどうして力が戻ったのだろうか。
疑問は尽きないけれど、全部の力が戻ったという気はしない。まだ、完全じゃないとなぜかわかった。
私が混乱しながら懐かしさも含め精霊たちを見つめていると、彼らはディートハンス様の腕から胸へと飛び回り、さらに放つ光が増していった。
「もしかして、ディートハンス様の病の原因を取り除いてくれようとしている?」
なぜこのタイミングだったのかはよくわからないけれど力が戻った。
精霊のことも思い出せた。
この世界の魔法には魔力と聖力の二通りがある。魔力は己の中にある力で魔法を発動させるけれど、聖力は精霊の力を借りて魔法が使える。
私は自分の中にある魔力と力を貸してくれる精霊たちの魔力を融合させて、ディートハンス様の不調の原因を取り除くように祈った。
「ありがとう。お願い。ディートハンス様を助けて」
少し和らいだとはいえ、いまだに苦しそうなディートハンス様をつぶさに観察する。
「さっきの黒いもや……」
気のせいだと思っていた黒いもやが精霊の光を嫌がるように消えていく。
その分、ディートハンス様が抱く腕の力も徐々に弱まり最後に腕から胸に残っていたもやが、しゅるりと胸から抜けた。
そこまでは一瞬のことだったのか長い時間だったのかわからないまま、それらを目にし完全に消えるのを確認し私は意識を手放した。




