18.厄介な総長
ディートハンス様から直接世話をすることの許しを得て、正式なお世話係となった私は部屋にあるテーブルに食事を並べた。
その後、退去するか待っているか迷っていたらいてもいいと言われ、ならばと横に立っていたら座るように言われ、手持ち無沙汰になった私はディートハンス様が食べるのをじっと見る。
伸びた背筋、長い指がスプーンを持ちスープをすくう。指の角度、口元に運ぶ姿まで優雅でどれだけでも見ていられると思えた。
じっと見ていると、私の視線に気づいたディートハンス様がスプーンを置いた。
「ミザリアはもう食べたのか?」
「いえ。後ほどいただく予定です」
時間によって忙しい時もあるけれど、伯爵家で過ごしていた時よりもたっぷり時間があって食事を抜くということはなくなった。
しかも、自分のために温め直してもいいし、いつも美味しい状態でいただけるのがどれだけ幸福なことか。
ありがたさを噛みしめながらそう告げると、つっと総長の眉間が悩ましげに寄った。
その間もじぃぃぃと観察され、耐えきれず首を傾げると軽く頷くように顎を引いたディートハンス様は何でもないことのようにとんでもないことを言った。
「次からミザリアの分も持ってくるように」
「…………? さすがにそれは」
一瞬、何を言われたのかわからず頭にはてなマークを飛ばし、続いて意味を理解して思わずぴょんとその場を立った。
それからまだ相手は食事中であることを思い出し、しずしず座るが言われた内容にびっくりしすぎて動悸が激しい。
お世話する立場なのに一緒に食事をとるなんて考えられない。食事に関しては料理を出すところから引いて片付けるところまでが仕事だ。
騎士たちの食後に一緒にお茶をすることはあるけれど、一通りのことが終わっていたり場所が食堂であるからだ。
私はディートハンス様を含め騎士たちの寮での生活のサポートをするために雇われたのだ。
そして、今は総長のお世話係という任務もある。
言葉でできませんというのもこれもまた要望を撥ね付けるようで申し訳なく、仕事中だからと察してほしくて首を振った。
ディートハンス様は目元にかかった艶やかな黒髪をさらりと揺らして、考えるように視線を下げると人差し指をこつりとテーブルの上に押し当てる。
二、三度繰り返すと視線を上げ、ゆっくりと瞬きをしてまるで私をなだめるかのように声を柔らかにして言い添える。
「私が一緒に食べてほしい」
「ですが」
じぃっと見つめられる。
人をじっと見つめる癖があると思われるディートハンス様は、一体何を考えているのか底の読めなさは相変わらずなのだけど、今は言葉とともにそうしてほしいと思っていることを強く訴えてくる。
接する時間が増えるほど、近くで見れば見るほど、さらにそのウルフアイに捕われて引き込まれて逆らおうと思えなくなる。
「ミザリアは私の手助けをしてくれるのだろう?」
「はい」
正論に頷くと、わずかに口の端を上げたディートハンス様が響くような低音でささやいた。
「だったら、その私がそう願うのならそうすべきだと思わないか?」
「……はい」
しかも、小さく首を傾げてまっすぐに問われればそこで否ということはできなかった。
観察眼は鋭いのに曇りのない眼差しを向けられて、お願いされれば頷いてしまう。
――くっ。ディートハンス様ってなんかっ、なんかっ、心臓に悪い!
恐縮する思いはもちろんある。だって、この国の最強騎士で英雄様なのだ。本来こんなに簡単に近づける人ではない。
だけど、話しているとそわそわと胸の奥をくすぐられるような温もりも感じて、単純にもっとそばにいたい話したいって気持ちもわき上がる。
私の戸惑いを含む複雑な感情を余所に、ディートハンス様は美声で落としにかかってくる。
「この部屋では特に何も気にせず過ごしたい。私に仕事のことを言うのなら、ミザリアももう少し肩の力を抜いてこの部屋では過ごしてほしい」
「わかりました」
確かに一理あるかも? と考えた時点で私は負けた。
自分の仕事するにあたっての正しい姿勢、ここにいることの意義、何を優先させるかを考え、この寮が誰のためであるかを思い出し、総長の意思を尊重することが一番だと判断した。
幸いここは二人きりでここは総長であるディートハンス様の領域。しきたりだとか立場だとかそれに伴う接し方だとか、そういうのはディートハンス様が決めること。
このことをフェリクス様に話したとしても、ディートハンス様の思うようにと言われるだけなのが想像つくだけに、なんだか考えるだけ無駄なような気もしてきて私も腹をくくった。
この部屋では、たとえ慣れないことだとしても総長の思うように動く。それがここでの正しい働き方だ。……きっと。
こくこくと頷くと、総長が目を細め食事を再開した。
あまり表情を変えない人だけれど、目を細めたりとちょっとした動きがあるとドキッとする。
それから食事を終えると、ディートハンス様がわずかに頬を綻ばせた。
「うまかった」
「それは良かったです。下処理をしてくださる料理人の方がとても上手なのでどれも美味しいです」
「それでも最後の仕上げはミザリアだ。君の料理は優しい味がして俺は好きだ」
真面目な顔で告げられて、私は視線を合わせていられずそっと逸らした。
――うっ。ストレートすぎて頬が熱くなる。
普段、言葉数が少なく余計なことを言わない人だから、その言葉の重みがド直球に胸に響く。
それに、さっき顔綻ばせなかった? 自室だからなのか、少しずつ見せてくれる初めての姿にドキドキする。
時間が経てば経つほどじわじわ染み渡る言葉の威力に、顔が熱くなるのをやめられない。
誤魔化すように慌てて食器を片付けて、ディートハンス様に言われて二人分の食後のお茶を出し私はディートハンス様の前に座った。
先程まで陰っていたが雲が流れたのかやわらいだ日差しが届き、ディートハンス様の顔を明るく照らす。
二人きりでさて何を話そうかと考えるようにカップに口をつけ、改めてディートハンス様を観察する。
その美しい相貌は体調を崩しているせいでいつもよりさらに白く、私はその翳りに眉をひそめた。
普通に話はしているけれど、ディートハンス様は病人である。
やはり長引く体調不良の原因が何なのか気になるなと、私は話すのを嫌がられたらすぐに話題を変えようと問いかけた。
「今回、体調を崩された原因の心当たりはおありなのでしょうか? 遠征で力を使いすぎたとか」
「数は多かったが、特別に無理をしたつもりはない」
だったら、この状態は何なのだろうか。
私が特定できるとは思ってはいない。だけど、名だたる専門の人でもわからない何かの糸口を見つけることはできるかもしれない。
あと、じっと見つめられると頬が火照りそうで、会話していないと落ち着かないのもあった。
普通の風邪の類いだったなら医師や治癒士の方が気づき治療しているだろうし、動けているからといって治ったわけではないので原因がわからないのは気にかかる。
今もわずかだけど吐く息も荒く、顔が赤いように思える。いつもというほど総長の普段を知っているわけではないけれど、違和感を覚えて私はじっと見つめた。
「ディートハンス様、やはり体調が悪いですよね。熱があるように見えますので寝てください」
「問題ない」
ソーサーにカップを置くと淡々と告げられる。ぶっきらぼうであるけれど、怒っているわけでもなく本当にそう思っているのだろう。
初対面ならまだしも、ディートハンス様の人となりに多少なりとも近くで触れさせてもらえた私にはわかる。
――結構、厄介なのかも。
本気で問題ないと思っているところが問題である。ずっと体調が悪くても毅然としてきたから、無理をしているのが通常というか。
強靱な身体と精神があったから耐えられているのだろうけれど、一般の人だったらもしかしたら倒れるほどのものの可能性だってある。
「どうしても私には大丈夫には見えません。仕事はしなくてもいいと伺っていますので休んでください」
私の任務はディートハンス様を少しでも休ませることだ。
しんどいならば尚更である。
「…………」
「…………」
無言の攻防のすえ、今度はディートハンス様が意見を呑み込むようにゆっくりと瞼を伏せるとぼそぼそっと呟いた。
「……、だったら、……させて……ないか?」
「はい? なんておっしゃいました?」
「頭を撫でさせてくれたら休む」
「…………」
私は無言で見返した。
――聞き間違い?
じっと見つめていると、ディートハンス様の耳が赤くなる。
その様子を眺めながら、遅れて疑問の声が漏れた。
「えっ?」
「ミザリアの頭を撫でさせてほしい。触っていると落ち着くんだ。だから、休む前に撫でられたらよく眠れる気がする」
「……そ、そうですか」
顔が熱い。
一瞬、照れているのかと思った耳元の赤さは引いていて、ものすごく真面目な顔でそんなことを語られて、私は反応に困ってしまった。
よく撫でられると思っていたけれど、そんなふうに思ってくれていたことにも驚きだし、それと同時になんだか嬉しかった。
でも、はわぁとなるというか。
よくもまあ、そんな臆面もなくストレートに告げられるというか。
やっぱり顔が熱い。
「ダメか?」
ちょっと残念そうに眉を下げ小さく首を傾げられ、私は慌てて頭を突き出した。
「こんな頭でもいいならたくさん撫でてください」
「ミザリアの頭がいいんだ」
うぐっ。この人、どうしてこんなに直球なのか。
顔を上げるのが怖い。どんな顔してみているのだろうか? 真顔? きっと真顔だろう。だけど、どんな笑顔よりも真顔で言われているほうが恥ずかしい気がした。
それからしばらく私の頭を撫でたディートハンス様は、ふっと息をつき乱れた髪を整えると手を離した。
「ありがとう。しばらく休む。また頼む」
「はい。ゆっくりしてください」
私はディートハンス様のその言葉にぱぁっと笑みを浮かべた。それから、あれっと首を傾げる。
――ん? また頼む?
何を? とは思ったけれど、ディートハンス様はベッドに横になったので、本当に休むつもりでいてくれることに安堵のほうが勝る。
なにせ、目を離すと仕事すると言っていたので。任務達成に妙な満足感もあった。
横になったのを確認すると、私は食器を引いて部屋を後にした。




