17.総長のお世話係
大きな扉の前に立ち、私は深呼吸を繰り返しノックした。
「はい」
「ディース様、ミザリアです。お食事をお持ちしました」
「……開いている」
昨日はフェリクス様たちもいたけれど、今日からひとりで総長の部屋でお世話係の仕事をする。
緊張しながら失礼しますとドアを開けると、ベッドの上にディートハンス様の姿があった。
病人なのにぴんとした背筋で書類に目を通す姿は、そこが執務室のデスクではないのがおかしく見えるくらい泰然としていた。
――休ませたいと言ったアーノルド様の気持ちがものすごくわかるわ。
ベッドの横には大量の書類。
動くのが駄目ならと書類仕事をこなすディートハンス様に、フェリクス様ではなくても溜め息をつきたくなった。ある意味、ワーカーホリックなのかもしれない。
ここに来て気遣われ、根を詰めることが最善ではないと教えられてきたのに、そこのトップがものすごくガチガチだった。
仕事量や責任は全く違うけれど、総長の仕事がわかっている団長たちが呆れるほどなのだからやはり働きすぎなのだろう。
「具合のほうはどうでしょうか?」
目の前に食事を乗せたカートを持っていき尋ねると、ディートハンス様は肩を小さく竦め持っていた資料を横に置いた。
その際に部屋着の上に掛けた衣がわずかにずれる。いつもかっちりと隙がない人物が、ボタンも緩め髪もセットしておらず寛いだ姿は新鮮だ。
正直、色気がすごすぎて目のやり場に困る。
私はなるべく意識しないようにし、ディートハンス様の手元を見た。
「問題ない。周囲が大袈裟なだけだ」
「皆様とても心配されておられます。私から見ても顔色が悪いように見えますので、完全に治るまではゆっくりしていただけたら周囲も安心されると思います」
「君を寄越すくらいだからな」
感情がわかる不満げな声に顔を上げると、ディートハンス様は私の顔をじっと捉えた。
力になれることがあるならと思ったけれど、やはり来ないほうが良かっただろうかと不安になる。
団長たちに太鼓判を押され、何もできずに状況だけ聞く状態は不安すぎてせめて顔だけでも見たいと思ったことを後悔する。
最終的にディートハンス様も了承したけれど、しぶしぶだったので本音は嫌だったのかもしれない。
「すみません」
寮にいることは認めてもらったとはいえ、いてもいいとも言ってもらったとはいえ、人との距離に敏感にならざるを得ないディートハンス様にとって私は面倒な存在だろう。
実際にディートハンス様がそう感じているいないではなく、同じ騎士でもなく魔力なしで気を遣う存在ではあるはずだ。
ましてや弱っているときほど、余計なことに気を遣いたくないだろう。
仕事を引き受ける前に考えたことがまた思考をかすめ、感情が揺れる。
フェリクス様やアーノルド団長にお願いされてというのは大きかったけれど、最終的に自分の気持ちを優先させてしまったことに落ち込んだ。
「どうして謝る?」
「ご迷惑をおかけしているので」
「迷惑だとは思わない」
言い切られ伏せかけた視線を上げると、思いのほか強い双眸とかち合った。
アンバーの瞳がまっすぐに私を射て、月光のように恐ろしいほど静寂に輝きを放っていた。反論する余地さえ見いだせない強さに、さっきまで抱えていた不安が消えていく。
――言葉通りに信じてもいいのかな……。
ディートハンス様の言葉は、ささくれ落ち込んだ私の心にすとんと胸に落ちてくる。
沈みそうになる思考の中、ぴしゃりと告げられる言葉は疑う余地もないほど淡々として涼やかで、だからこちらもそれ以上の余計な思考が続かない。
ディートハンス様が私に嘘をつく必要もないし、魔力の件もあってこういう線引きははっきりしているはずだ。
何よりこんなにまっすぐ見つめてくる人の言葉を疑ってかかるほうが間違っている気がした。
私はここに来た時の気持ちを思いだし、半ば強引に切り出した。
「では、ここにいてお世話をすることを許していただけますか?」
「お世話?」
「はい。フェリクス様たちには魔力の問題がなければ、ディートハンス様が万全になるまで食事などのお手伝いをと。急に倒れられたことがショックだったようですし、私も心配なのでできればさせていただけたら」
もっと正確に言うと見張ってくれであったけれど、書類まみれのディートハンス様を見ていたらそう言いたいのもわかる。
今はフェリクス様たちに言われてベッドにいるのだろうけれど、少しでも体調がマシになったら動き回りそうだ。
どう言えば伝わるのか必死になって言葉を連ねている間ディートハンス様は沈黙していたが、私が話し終わると冷ややかにも見える鮮やかな瞳を細めた。
ふぅっと息をつくと、ディートハンス様は口許に手を当てて少し眉尻を下げた。
「心配、か」
「はい。ご迷惑でなければそうさせてください」
私は頭を下げた。
実際、ディートハンス様のそばにいてできることは限られているだろう。ここにいる騎士たちのように、具体的に何ができますとは言えない。
私には正直な気持ちを吐露することしかできず、ぎゅっと手を握りしめた。
「心配かけたことは自覚しているので、今もベッドにいるのだがな。……ミザリアはここにいて異変は?」
「私は大丈夫です。いつもと変わりません」
自分のことよりも人のこと。
立場をわかっておられるので決して自分を蔑ろにしているわけではないが、ひとりでなんでもできてしまう強さ故に過信があるのかもしれない。
フェリクス様たちもそこを気にしていた。
ディートハンス様も自分が倒れたときの全体のことは考えているから、大事だと思ったことは信頼できる周囲には伝えるだろう。
だけど、その自覚が本人になかったら、表情を変えないのもあって周囲も気づきにくい。
「私はディートハンス様や騎士様たちみたいに戦ったり誰かを守ったりできるわけではありません。ですが、頑張っておられる騎士様が少しでもくつろげることができるようにここで雇ってもらっているので、できることがあるのなら少しでも役に立ちたいです」
魔力なしの私でもできることがあるというのが嬉しい。頼りにされて任されるのも嬉しい。
でも、一番は無理をするであろうディートハンス様のそばにいたい。まだ体調は悪く原因がわかっていないのだ。
騎士たちは忙しく、常に総長のそばにいられるわけではない。そして、医師や治癒士も魔力の影響のこと、周囲に知られるわけにもいかないこともあって誰彼かまわず呼ぶわけにもいかず、ずっとそばにいられるわけではない。
もし、誰もいないときに悪化して今度こそ手がつけられない状態になると思うと怖い。
邪魔じゃなければ、いても問題がないのであれば、そばにいさせてもらい何か助けになるように動きたい。
『いたければいればいい』と言ってくれた人の、彼を大事に思う人たちの役に立ちたい。その気持ちが一番大きかった。
「ミザリア」
名を呼ばれて顔を上げ、ディートハンス様の双眸をじっと見つめた。
ぴたりと重なり合う視線。隙もなく全身を捉えられ、ここが敵陣ならばあっという間に狩られてしまうだろう錯覚を起こすぐらい全方向から見られているような気分になった。
冷ややかにも見える鮮やかなアンバーの眼を細め、じぃっと興味深そうに切れ長の目を私の握り込んだ手のほうへ向けた。
私はさらにぎゅっと手を握りしめた。
この気持ちが伝わるようにと視線を外すこともやめない。
しばらく互いに無言で見つめ合っていたが、ディートハンス様はふっと息を吐き出した。
「わかった。私の手助けを、世話をミザリアに任せる」
「はい!」
その言葉に私は嬉しくて笑みを浮かべ、勢いよく返事をした。
そして、この日から私は正式に総長のお世話係となったのだった。




