14.こぼれ落ちた記憶
演習を終えてから一か月後、最強の第一騎士団、魔道の第二騎士団、討伐の第五騎士団、そして治癒の第六騎士団の編成組が王都を発つことになった。
期間は短くて一か月から長くて三か月ほど。あの演習も現在魔物が増えている地域のためのものであったらしい。
前回参加していなかったフェリクス様は王都を守るために残る。
「ミザリア」
「はい」
ゆったりと力強い美声に呼ばれ、目の前に立つ美丈夫を見上げた。
「しばらく留守をする。困ったことがあったらフェリクスや残っている者を頼るように」
「わかりました。お気をつけて。ご武運をお祈りします」
今回の遠征はこの寮からは、総長を筆頭に第一騎士団の三名、アーノルド団長と副団長であるレイカディオン様と第一騎士団第一隊長であるセルヒオ様。治癒部隊である第六騎士団第一隊長のニコラス・スモールウッド様が参加される。
第二騎士団からはこの寮ではないけれど、よくここを出入りされる第二騎士団所属第一隊長の茶色い髪に瞳にそばかすのモーリス様が今回は遠征に参加する。
フェリクス様と副団長であるブラッドフォード様は、総長不在の王都での業務を含め取り仕切るようだ。
あとは第四騎士団のユージーン様と第五騎士団シミオン・ダルトリー団長、第六騎士団第二隊長フィランダー・ムーアクロフト様は残る。
「行ってくる」
玄関ホールまで見送ると、第一騎士団隊員がすでに控えており総長に白と金のペリースを渡すと、それを羽織り金留め具で留め、私の頭をくしゃりと優しく撫で総長は騎士を引き連れて寮を出て行った。
「どうかご無事で」
私はその姿を目に焼き付け、深々と頭を下げ見送った。
ディートハンス様たちが遠征に出てから数日後。
「今、どの辺りなんだろう……」
安否を気にしながら誰かを待つのは初めてだ。
これが彼らの日常なのだとしても慣れることはきっとない。
この三か月、夜は必ずディートハンス様や第一騎士団、フェリクス様たちの誰かはいたのでやけに静かに感じる。
この時間、遠征組以外も出払っていて寮にいるのは私とユージーン様だけだ。
彼はいつ食べるかわからないのでいつでもつまめるように夜食をテーブルの上に用意し、洗い物を終えるとキッチンを後にした。
「何してんの?」
ぼんやりと窓の外を眺めながら歩いていると話しかけられ、声のしたほうへと視線を向ける。
前のほうからユージーン様がプラムを乗せた深皿を持ってやってきた。
彼は他の騎士とは違った時間帯に動くので、まともに顔を合わせたのは三回だけであまり人となりはわからない。
第四騎士団は特殊部隊と言われ、特殊な事件に関わることが多くその内情は極秘な任務が多い。そのため事件が起こると現場で調査など王都から離れることも多く、留守をすることも多いらしい。
階級も極秘であるため知らされていないが、この寮に在籍している時点で何かしらの役職はついていそうである。
初めて会った時は任務あけだったので、瞼がくっつくかというほど目をしょぼしょぼさせながらの挨拶だった。
それから二度ほど、私の魔力に関して質問をされ状態を診察されたのだけど特にこれといって進展はなかった。
金茶の髪に瞳、顔のパーツの一つひとつは整っているがどこにでもいるような凡庸な顔で印象が薄く、特徴はと聞かれても何も浮かばない。
一つだけ挙げるとしたら、にっこりと笑う笑顔に裏がありそうと思うことだろうか。
なんだかいつもつまらなさそうで目が笑っていない。
平凡顔もあってやあやあと今にも言いそうなくらい気さくな雰囲気を醸し出しながら、驚くほど隙がないのがユージーン様である。
「ユージーン様。これから夕食ですか? よろしければ温めます」
「いや、いい。……やはりお願いできるかな? 君とはゆっくり話したいと思っていたし」
「はい。では食堂のほうへ」
本日のメインディッシュは牛肉の赤ワイン煮込みである。
火にかけ必要な分のパンも切り分けてユージーン様の前に配膳し、食べている間はいつ用事を言われてもいいように明日の仕込みをする。
夜が遅いにもかかわらず、お替わりもぺろりと食べ終えたユージーン様は満足だとぽんとお腹を叩いた。
初対面は眠すぎて不機嫌だっただけなのかとっつきにくさを感じたけれど、ぽっこり膨れたお腹を叩く様子は二十九歳の大人にしては幼い行動に見える。
――びっくりするほどぽっこりだけど……。
第一、第二騎士の方に比べると細身なのに、ものすごい勢いでユージーン様は食事を平らげていった。まさに吸い込むという表現がしっくりくるくらいあっという間に皿の上の料理がなくなり、ある意味爽快な光景だった。
自身の三日分くらいあったのではと思える量があの腹の中にある。どうしてもそのお腹に注目してしまうのをやめられない。
しかも、食べている間は鼻歌を歌っていたかと思えば、ひたすら無言で食べと、リズムが掴めない。
それに前回は気にならなかったけれど、ユージーン様の周囲にふわりと光の玉が先ほどから一つ飛んでいる。
なるべくそれを視線で追わないようにしながら、空になったグラスにワインを注いだ。
「ありがとう。俺は仕事以外で極力人と接したくないし人がいるのはあまり好きじゃない。だから、手伝いの人はいらないと思っていたけど、たまに話し相手がいるのはいいよね。ひとりなら温めずに食べていただろうし」
かなりはっきり告げられ、自身のペースを乱されるのが嫌な人なのだなと理解する。そして、これからも寮の家政婦業をするにあたってこれは大事な情報である。
必要以上に手を出してくるなと先に教えてくれるのはありがたい。しばらく次の大きな任務が入るまで寮におられるだろうし、必要以上に話しかけないほうがいいだろう。
「少しでもお役に立てているなら嬉しいです。ここでは皆様にたくさん助けられているので、どちらがお手伝いなのかわからなくなるときもありますが」
「まあ。基本ここの人たちは善人だからね。相手がよほどの悪人ではない限り同じように返すよ」
そこでユージーン様はぞっとするほど冷たい瞳で目の前のフォークを見据える。
それは一瞬のことで「ミザリア」と優しげな声に名を呼ばれ視線を合わせると、ユージーン様がうっすらと微笑んだ。
金茶の瞳が私を見ながらも、その実態を捉えるように周囲へと視線が這っていく。
「ユージーン様?」
躊躇いがちに声をかけ首を傾げると、ユージーン様はひょいっと右手を上げた。
「んん~。君のそれはわざとかな? それとも気づいていない?」
その先にユージーン様の周囲にある丸い光がふわりと上に浮かび無意識のうちに視線で追いかけていたのか、ユージーン様の瞳が獲物を見つけたかのように細まった。
「ふ~ん。まあ、いいか。君は五歳の時には魔力がなくなっていたんだよね?」
「はい。そのように判定されました」
その時から私の環境は一変したのだから間違いはない。
ブレイクリー伯爵の苛立ちと嫌悪した顔は今でも鮮明に思い出せる。あとベンジャミンや伯爵夫人の顔も……。
そういう記憶だけはやけに鮮明だ。
「あれから何か思い出したこととかないかな? ああ、これは聞き方が悪いか。それ以前はどのように過ごしていた?」
「どのようにとは?」
「例えば、魔法はどのように使えていたのか。魔力があるとわかって迎え入れたのにブレイクリー伯爵が君に訓練を受けさせていないのはおかしなことだ」
そう言われ私ははっとしユージーン様を見た。
確かにそうだ。魔石と魔力にこだわる伯爵が何もせず私をそばに置いておくはずがない。必ず使い物になるように育てようとしたはずだ。
妙な胸騒ぎに、とくんと鼓動が音をたてた。
核心を突いたはずのユージーン様は、深淵から覗くかのごとくただ私を見ている。
彼の横に置かれたプラムの甘い香りがゆっくりと部屋を満たし、放置して腐っていくように濁って沈んでいく。まるで私の途切れた記憶のように、どうしようもないと褪せながら存在を主張する。
「確かに伯爵ならそうしていた可能性はあると思います。でも、やはり思い出せません。それは幼かったこともあるのか、私の記憶力の問題か、思い出すほどのことが何もなかったのか。魔法や魔力に関することはありません」
「なるほどね」
途切れたように思い出せないことがあるということは敢えて話してはいない。
それらは自分の記憶力の問題かもしれないし、熱を出してあやふやになってしまったのかもしれないし、言葉にすると言い訳のように思えて幼かったからで終わらせていた。
だけど、魔法を主軸に考えると幼かったからで済ますにはおかしいように思えた。
私には魔道具を使うことしか魔力を使った記憶がない。指摘されるまで、そのことに気づきもしなかった。
不安になり懸命に記憶を思い出そうとするけれど、やはり何も思い出せない。
そんな私の様子を厳しい顔で見ていたユージーン様は、横に置いていたプラムの一つを指でころころと転がした。
「……やはり思い出せません。これって、おかしなことでしょうか?」
「んん~。まだわからないな。わからないけれど気安くこじ開けていいものでもない気がする。気持ち悪いな」
「気持ち悪い……」
魔力の流れがよくわかるというユージーン様の言葉に、私は眉を寄せた。
器だけが大きくて魔力はうっすらと残っていて、そして気持ち悪い。並べ立てると魔力に関して全くいいところがない。
「まあ、体調に異変がないのなら焦る必要はない。もしかしたら何かあるかもくらいに気に止めておく程度でいいだろう」
「はい」
「あとこれも」
一番上に乗っていたプラムを親指と人差し指で一つ取ると、ずいっと私の目の前に見せつけるように腕を伸ばした。
「えっと」
「一つあげよう」
「ありがとうございます」
緩急をつけて話すというよりは、言いたいことしたいことをするユージーン様の言葉を咀嚼できないまま私は言われるがまま手を差し出した。
それから、これからコンポートを作るのだとユージーン様は鼻歌を歌いながら席を立ち、私は甘酸っぱい匂いだけが残る部屋にひとり残された。
雲の後ろから満月一歩手前の月が見え隠れする。
深夜、ベッドに寝転びながらふわりと浮かぶ二つの光が彷徨うのを眺めていた。
そっと手を伸ばすと、じゃれるように近づきまたふわふわと不規則に漂った。
「もしかして、ユージーン様も見えている?」
もちろん記憶のことも気になるけれど、その前の試すような動作は考えれば考えるほどそう思えた。
あの時、尋ねられて言おうと思えば言えた。だけど、私は迷って知らない振りをした。
母からは光が見えることは簡単に人には言ってはいけないと言われていたこともある。
それはまだ私が分別がつかない年齢であったことや、伯爵家の中でとつくことなのかもしれず警戒するほどのことではないかもしれない。
そういった思いもあったが、正直に話した後のユージーン様の行動に見当がつかないからでもあった。
だけど、それだけではない。
人に話すより前に、まず何かしなければならないという焦燥感みたいなものがあった。
「記憶と関係ある、とか?」
わからない。
焦らないでいいと言われたけれど、何もないとは断言されなかった。むしろ何かあるだろうと思ってかけられた言葉のように思える。
魔力消失について質問されるよりも、記憶について質問されるほうがひどく不安になるのはなぜだろうか。
――五歳まで魔力をどう使っていたか、か。
自分のこと、今遠征に行っているディートハンス総長たちのこと、心配しても何も変わらないのにあちこちと思考が飛び落ち着かない。
ころりと横を向いて体勢を変えた視線の先には、明日食べようと机の上に置いた熟れたプラムがやけに赤く存在を主張していた。




