13.変わったこと
あの夜から、ディートハンス総長との関係が少し変わった。気のせいではなく、物理的に距離は縮まった。
腕一本分あいていた距離がなくなり、周囲と同じように頭を撫でられるからだ。
しかも、なぜそこでと思うようなタイミングも多く、一度触ったらなんかずっと触っている。
最初こそは驚いたけれど、結構な頻度で撫でられていると慣れてくる。
今も食べ終えた食器を引こうとしたら、すっと伸びてきた腕に捕まり無言で頭を撫でられた。
そっと触れる優しい感触から、徐々に興が乗ってくるのかわしゃわしゃと指を差し入れられる力加減が気持ちいい。
正直、私はディートハンス様に撫でられるのが結構好きだった。
慣れた感触に目を細めると、ディートハンス様の横で同じように食事をしていた初見だったアーノルド団長がぶほっと噴く。
「な、何をしているんだ?」
アーノルド団長は口の中のものを出してはならないと慌てて手を当て飲み込んだのかごほごほと涙目でむせ、総長と私を交互に見る。
その慌てっぷりを眺めながら、いったいディートハンス様はどう言うのかなと聞き耳を立てた。
「撫でている」
「ああ、そうか撫でているな。じゃなくてなぜ?」
「そこにミザリアの頭があったから」
へえ、頭があるから今まで撫でられていたんだ、とはならない。
「…………」
「…………」
私は撫でられながらアーノルド団長と顔を見合わせ互いに首を傾げた。
その間もまだ撫でられている。
アーノルド団長はがしがしとブルネットの髪をかき乱し、「ああ~」とか「うう~」と唸っている。
長年付き合いのある団長でも、ディートハンス総長のこの行動の意図はわからないようだ。
わしゃわしゃと撫でられる小さな音がやけに響く。
そこで、第一騎士団副長であるレイカディオン様と第一騎士団第一隊隊長であるセルヒオ様が食堂に騎士服を着用し顔を出した。
「総長。団長。そろそろお……」
「珍しい光景だ」
赤茶色の髪のこの寮のムードメーカー的存在でもあるセルヒオ様が食堂に顔を出し、そこで口を噤んだ。それを引き取るように黒髪短髪でがたいのいいレイカディオン様が口を開いた。
二人は先に食事を終えておられたので、迎えに来られたのだろう。
基本、ディートハンス総長は第一騎士団と動く。
今日は第一騎士団と第二騎士団、討伐部隊である第五騎士団と治癒部隊である第六騎士団は朝から合同演習があるとかでもうすぐ出勤の時間だ。
食べたお皿は持ってきてくれるけれど、出勤前だとか気づける時は先に引くようにして、食後のコーヒーなど必要ないかも聞くようにしていた。
その際にこうして撫でられることになったのだけれど、見られる人数が増えると恥ずかしくなってくる。
「ディートハンス様、そろそろお時間のようですよ」
「ああ、そうだな」
いつもなら先導するはずの団長が頭を抱えて機能していなそうなので、時間を指摘してみる。それに私が言わなければいつまでも撫でていそうだ。
周囲の驚きなど気にもせず、ディートハンス様は私の頭から手を離すと立ち上がった。
「行くぞ」
いまだに混乱している団長たちを引き連れて、総長は颯爽と出て行った。
第二騎士団長であるフェリクス様は今回の合同演習には不参加らしく、のんびりと席に座って手を振り見送りながらぽつりと漏らした。
「うーん。何て言うか、超マイペース?」
それには同意するがさすがに頷くのはおこがましくて苦笑すると、フェリクス様は思考するようにぷらぷらと持っていたフォークを揺らした。
総長の斜め前の席に座っていたフェリクス様は、総長が私の頭を撫でる場面を見るのは二度目だったので、アーノルド団長ほどの驚きはなくやり過ごしたようだ。
「今まではマイペースという言葉で片付けられない超然としたところのほうが目立っていたけど、ミザリアと絡むと普通の人に近づくというか、だからマイペースって言葉出るのかな?」
疑問形で、ね、と同意を求めるようににこにこと私を見て話しかけてくる。
フェリクス様も最初は顎が外れるかというくらい口を開け、その後ディートハンス様に問い詰めて結局意味がわからんと思考を放棄していた。
どう返していいのかやはりわからず誤魔化すように笑みを浮かると、甘党なフェリクス様は食後のデザートのチョコレートケーキに揺らしていたフォークを刺して頬張ると頬を緩ませ、コーヒーに口をつけるとふぅっと息をついた。
私からすれば、細やかな気遣いもできる人だけどフェリクス様も結構マイペースだと思う。
どちらかといえば動きの大きいアーノルド団長のほうが、衝撃を引きずっていたので真面目なのかもしれない。
「二度目だけどやっぱり衝撃だよね。ミザリアは総長に何をしたの?」
「特に何もしておりません」
変わったのはあの夜からということはわかるけれど、どちらかと言えばディートハンス様の言葉に励ましてもらったほうだ。
あと、触ってと言ったのは私のほう。
ああ、これは半月経った今でも結構恥ずかしい。
「そうかなぁ。ミザリアが来るまでは総長のそばに身内以外の女性がいることはなかった。それなのに、総長自ら距離を詰めて触れるとか」
「それはユージーン様の見立てがあるからも大きいと思います」
自身の影響力を理解しているディートハンス様は、こと魔力の影響に関しては慎重に動いておられる。
私が魔力に影響しないという見立てと、実際に影響を受けていないこともあって、徐々に総長も変わった気がする。
「そうだね。それでもディース様が騎士クラス以外の、ましてや女性に触れるなんて何度見てもいまだに信じられない」
「と言われましても」
私が接して知ったディートハンス様の姿と噂以外のことはよく知らない。
フェリクス団長たちから聞く総長の姿とも違うことは疑っているわけではないけれど、あまりぴんときていないのが本当のところだ。
「フェリクス様、今日はお休みなのですよね。いくつか質問をよろしいでしょうか?」
「いいよ」
フェリクス様は柔らかに笑うと、私に席を座るように促し私の分のコーヒーも淹れてくれる。
ここの騎士はひとりで何でもされるので、最初の頃は恐縮していたのだけどこういう時はお任せするようになった。
「ミルクは?」
「お願いします」
「それで何が聞きたいの?」
やたらとにこにこと笑顔で問いかけられ、私は少し不安になりながらも総長が出て行った扉のほうを見ながら口を開いた。
「答えていただける範囲でいいのですが、私がここに来て二か月以上経ちますが、ディートハンス様はこの騎士寮の敷地にいることが多いです。それには理由があるのでしょうか?」
総長となると忙しいし実際遠征で王都から離れることもあるようだけれど、この二か月はほぼ寮を拠点に動いていると言っていい。
三階建ての三階部分はディートハンス総長の寝室私室、執務室まである。そして会議室まで設けられており、まだ使われているところは見ていないがそこで騎士団トップばかりの会合が開かれることもあるらしい。
寮に寝泊まりするのは十人だけれどここを行き来する人物は皆身分が上の方たちばかりで、今ではお茶出しも仕事に含まれるようになっていた。
ディートハンス様の魔力の影響でそういった仕事ができる者がおらず、今まで騎士たち自ら用意していたらしく、お茶を出すたびに屈強な人たちに喜ばれるものだから特殊な仕事だ。
知れば知るほど、ディートハンス様と周囲の人たちの豪華さに目がちかちかしそうだ。
絶対的な総長がいるから、俺らは結構好きなように動けていると団長クラスの方たちが話していた。
何かあれば必ず対処してくれる信頼できるトップの存在は、英雄クラスの人物の中でもまた別格なのだそうだ。
能力がある者のそばは自然と同じように優秀な人たちが集まる。そして、皆優しい人たちばかりである。
私はそんな騎士様たちをしっかりサポートしたい、できるようになりたい。
私ができることは微々たるものでも、魔力なしだからこそディートハンス総長のそばに、彼らのそばにいられるので私にしかできないこともきっとあるはずである。
だから、できることは自らも見つけていきたい。
決意を込めてフェリクス様を見ると、彼は双眸に笑みをたたえた。
ぽんぽんと私の頭を褒めるように撫でると、低く抑えた声で話し出した。
「前も話していたと思うけど、総長の魔力は周囲に影響を与えることがあるため公の場に立つことを控えておられる。ある程度コントロールはできるが万全ではないし、特に異性は違和感を覚えやすく五メートル以上、できれば十メートルの距離は必要なのだそうだ」
最初、五メートルの距離で止まったのはそのためだったようだ。そこで違和感を覚えたらそれ以上は無理だったのだろう。
「十メートルも必要とするのは不特定多数いる場所は配慮してもしきれませんね」
遠征などで宿など取りにくそうである。
ディートハンス様が配慮していても、向こうから飛び込んでこられたらどうしようもない。あっ、だから周囲を騎士で固めているのかもしれない。
そばにいられる者を厳選し、おいそれと近寄らせないようにしているのは、総長というよりも彼を慕う人たち。
「そうだ。コントロールできるけれど常時はさすがに疲れる。完全ではないこともあって、総長は基本騎士団寮の敷地にいる事が多い。もちろん王城内に正式な場所があるがここのほうが何かと都合がいいと寮に会議室があるのもそのせいだね」
「王城はたくさんの方が出入りされているので余波を考えると、ここで行うほうが無駄がないということですね」
説明されればされるほど、納得のいく理由であった。
それと同時に改めて総長の魔力の影響力というものを考えさせられる。
「あと、ディートハンス様の魔力反発について今まで倒れられた方もおられたら結構バレているんじゃないのでしょうか?」
これは少し前にふと思い、気になっていたことだ。
聞けばたくさんの女性がここで働きたいとやってきて、倒れたりといろいろあったらしい。
「魔力が関係していると気づいている者もいるだろうね」
「良いのですか?」
「気づくくらいは問題ないよ。それ自体は知られても困るようなことではないからね。魔力が多いことは誰もが知ることだし、戦場においてディース様の弱点にはならない」
確かにそうだ。
「なら、なぜ伏せているのでしょうか?」
「大々的に反発するほど魔力があるとすると我こそはと度胸試しのようなバカを生むこともあるし、さらにそばにいることが希少だと知った女性が特別になりたいとアピールしてくるだろう。あとはやはり公的に動きにくいのは事実だし、そこを政治的についてくる者も出てくると予測される」
何が攻撃材料になるかわからないということのようだ。
政治的にというのは私では想像つかない世界だけれど、伯爵みたいな利益のために動く自分勝手な人もいる。
最悪、理由が明確になればそれでは仕事にならないとか言って、国の安全よりも目先の自分のために総長の地位を落としにかかろうとするかもしれない。
「言われてみるとそうですね。ディートハンス様の不快やわずらわしさが増えるのが目に見えていて何もいいことはなさそうです」
思った方向での重要度、もしバレたら最悪生死が関係するとかではなかったけれど、総長や周囲の騎士のメンタルのためにも吹聴するものではない。
――それでも、苦労と簡単に片付けるにはひどい。
常に危険と向き合ってこの国を救ってくれている騎士なのに、その魔力があるから私たちが今平和に過ごせているのに、足を引っ張ろうとする者がいることを懸念しなければいけない実情に愕然とした。
「魔力反発を逆手に敵が策を立ててきても俺たち騎士団がそんな策を立てられる前に潰すし、万が一でも必ず総長はその上を行く。なぜなら、騎士団のトップを任せられるのはディートハンス総長以外にはあり得ないから。ただ、煩わしさは増えるし特に政治的なものは全てを力業というわけにはいかず、一時的に衰退する可能性もなくはない。そうなったら国の危機だ」
「随分総長の肩にはたくさんのものが乗っているのですね」
言い知れない胸の奥をつかれた気分でしみじみと呟くと、フェリクス様はにこにこと笑みを浮かべた。
「そう。そうやって理解してくれるだろうミザリアだから俺たちは話したんだ。ディース様も楽しそうだし俺は良い仕事をしたよ」
自分を褒めながらも、総長への気遣いが伝わるセリフだった。
思ったよりも的確に答えてもらえたので、性質がわかるとより寮の在り方がわかった気がした。
ここの現在の体制はディートハンス総長のために、そして騎士たち、国のためでもあるのだ。
この国のために要でもあるディートハンス様を第一に優先して動くことが、ここでの寮の生活の総意となる。
総長自身がそうすることを求めていなくても周囲はそれを求めている。
「俺たちにとってディートハンス総長の存在は絶対だ。常にお一人で背負い孤高であろうとする総長が自ら距離を詰めようとされている事実は喜ばしいし、少しでも気を張らない時間が増えればいいと思っている。だから、ミザリアがここに来てくれて嬉しいし、もし体調など異変を感じた場合は抱え込まず必ず俺たちに話して」
「……はい」
そんな話だったっけ? と思いながらも、有無を言わせぬ鋭さを孕んだ真剣な視線に私は頷いた。




