11.コミュ力
雨が降りそうだと雲に覆われた外を見ながら洗濯物を持って歩いていると、いつの間に背後にいたのかすぐそばで声をかけられる。
「持とう」
朝から美声を響かせるディートハンス総長の手が背後から伸びてきて、綺麗にして届けられた制服が入った袋を私から取り上げた。
「あっ」
「何だ?」
今日も任務失敗だと、複雑な気持ちで高い位置にある頭を見上げる。
本日も麗しく神々しいご尊顔が、がっちりむちむちというわけではないけどしっかりした肩幅や筋肉美の長身の上に相変わらずの無表情でそこにあった。
総長が持つと大きなかごも普通のサイズに見えてしまうのは、身体的な違いもあるけれど片手でひょいっと持つその姿のせいだろう。やはり圧倒的に力が違う。
それでもいつまでも甘えてばかりはと、私は言葉を続けた。
「その、自分でも持てますよ?」
控えめながらに訴えている間に、ディートハンス様は一定の距離をあけて歩き出す。
当初あった五メートルの距離は、今は手一本分くらい。近づいても今みたいにさっと離れてしまうが、確実に距離は縮まった。
「以前、それで転びかけていた」
「あ、あれは足元が見えなかったのと思ったよりも重かったので」
伯爵家にいた時はかなり動いていたので体力はあるほうだと思っていたけれど、掃除以外の力仕事はしていなかったので、腕の力があまりなかった。
伯爵領で行っていた魔石採掘も、周囲には驚かれていたけれどなぜか私は軽くスコップで掘り起こすだけで見つけ出してしまうので力を込めたことはない。
ここの人たちは騎士で力もありひょいっと思いものを持ち上げるから、自分もとなぜか錯覚してしまったのもあるだろう。
「こういうのは得意な者がやればいい」
あの日から、ディートハンス様は必ず寮にいるときは声をかけてくれるようになった。
そして、口数が少ないながらさりげなく手伝ってくれる。
孤高と名高い総長様は周囲の様子をよく見ており、彼本人はさほど周囲にどう思われていようが気にしていないように見受けられた。
今もそれだけ言うと、前を向いて歩いている。私が答えても答えなくてもどっちでもよさそうだ。
まっすぐ伸びた大きな背中を眺めながら、私は小さく苦笑した。
総長にとってはこれもただそこにいたから手伝っただけ。仕事に大小は関係ない。それ以上でも以下でもなく、見返りを求めるための行動ではない。
――不器用というか。
ただただまっすぐで優しい。そして、強いなと思う。
洗濯物を持つくらい総長からすればさほど労力のかからないことかもしれないけど、それが戦場でも先ほどの言葉の通り『得意な者がやる』であっさりと制圧を成し遂げてしまうのだろう。
誰よりも高みにいる孤高の存在でありながら、騎士たちにとても慕われている理由が日常の些細なことでも感じ取れ、もれなく私もディートハンス様を尊敬するひとりとなった。
「ありがとうございます。では、セルヒオ様の部屋までよろしくお願いします」
ここから一番近い赤茶色の髪のセルヒオ様の部屋を指定する。
ディートハンス様自身はできるからするでも、私としては偉大な総長様のお手を煩わせてしまうことに気は引ける。
けれど、言い合うことのほうが煩わせてしまいそうでディートハンス様にはあまり強く言えない。
あと、他の騎士たちはあまり頑なに仕事だからと私が断ると悲しそうな顔をするし、一層何か手伝おうとしてくる。
それとともに、私が来てから快適になった、居心地がよくなったと毎回褒めなければならないのかというほどやたらと褒められる。
頼むもなにもこちらがお世話になっている身なのだと告げるのだけど、そう言うたびに微笑ましげな眼差しで見つめられるのだ。あと、以前にも増して食べ物を渡される。
食べきれないかが心配だと漏らすと、日持ちをするものを渡されるようになったので、もらうのは変わらないままだった。
正直、可愛がられている自覚はあった。妹枠? なのか、三十五歳だというアーノルド団長からすれば下手をすれば娘のように思っているのではと思うほど私を見る目はいつも温かい。
素直に甘えるのもここで働くためには必要なことなのではと少し諦め、少し慣れてきた。
寮での働き方や騎士たちに慣れてはきたけれど、正直、伯爵家とはあまりに違いすぎて、その優しさにそわそわしてしまう。
今もむずむずする口をきゅっと一度引き結び、どんな顔をしていいのかわからず頭を下げる。
「ありがとうございます」
「まだあるだろう?」
「いえ、ここまでで」
セルヒオ様の部屋に置いても渡してもらえないので、私は両手を出してちょうだいアピールをしてみたけれど、軽く首を振られて却下される。
「遠慮するな」
まさかの申し出に両手を広げたままディートハンス様を見ると、アンバーの瞳でじっと見つめ返される。
何も言わずに見つめ合うこと十秒ほど、私は根負けした。
表情はほとんど変わらないしそこまで感情を出しているわけではないのに、理知的な光を含んだ切れ長の瞳は底が読めない深みがあった。
その双眸で見つめられると押し負けてしまう。私が考えたことも見透かされ、それを凌駕されそうなほど力強い。
ここ最近では魔力のことよりも、このじっと見つめられる双眸のほうが気になって仕方ない。そわそわがさらに大きくなった。
「ええっと、でも、……あっ、お仕事のほうが大丈夫でしたら」
断ろうとすると、わずかに眉尻が下がったので慌ててお願いするとディートハンス様は小さく口の端を上げた。
よくよく観察していないとわからない反応だけど、じっと見つめ合っての会話なのでわかる。
「何もなければ昼に一度顔を出すだけだ」
ぽつと先回りするように告げられれば、それ以上は言えない。
「それでしたら……」
騎士団総長様にこのような仕事を手伝わせて大丈夫なのだろうかと不安はあるけれど、本人からの申し出で了承するとちょこっと口の端が上がっているような嬉しそうなのが断る勇気をくじかせる。
幸い、この寮に顔を出すのは限られた人ばかりなので、ディートハンス様のしたいようにしてもらうのが一番なような気がする。
威厳だとか、総長らしさだとか、今この瞬間は関係ない、はず……。
醸し出す空気がやはり特殊だし、あり得ないほどの美形と孤高の気高さと強さを持つ相手を前に、いつも悩みながらも私は最後には流されていた。
相変わらずある一定の距離をあけながら横に並び、無言が続く。
――こういったときって何を話せばいいのだろう……。
屋敷を出てからコミュ力のなさを痛感する日々だ。
優しく接してもらえればもらうほど、その気持ちに応えたくて何か話さなければと思うのだけど何を話したらいいのかわからない。
伯爵家ではベンジャミンや伯爵夫人相手ならどうやって機嫌を損ねないか考え注意深く言葉を発していたし、使用人含め誰が夫人と繋がっているかわからなかったので最低限の会話のみを心がけていた。
何も気にせず話すって、何もないと難しい。
以前、天気がいいですねと話を変えてみたら、「ああ」の一言で終わったのでそれもできない。
総長自身も話すほうではないのでそれからずっと無言で、手伝ってもらってお礼を伝えるだけで終わってしまい申し訳なくなったのだ。
無理に話さなくてもいいのだろうけれど、やはり無言のままというのはまずい気がする。
そんなことを考えながら、結局ろくな会話がないまま最後まで付き合ってもらい礼を言うだけで終わる。
「……今日もまともに話せなかった」
用が終わるとさっさと立ち去るディートハンス様の背中を見送り、せっかく手伝ってもらったのに気の利いた会話もできなかったと私は肩を落として落ち込んだ。




