第2話 彼女の食事
推理小説とは、時刻表を眺める話である
アテナイの作家 アホノドロス
彼女は、いったいどこで何を食べてきたのか?
赤いもの・・・思いつくものとしたら、まずは、トマトだろう。
しかし、トマトを使った料理なんて、いくらでもある。
そうだ。
赤と言えばキムチ・・・そうするとトウガラシもあるか?
中華の麻婆ナスだって、トウガラシを使う。
ロシアのスープ、ボルシチも、真っ赤だ。
うん、赤ビーツのポタージュも赤いな。
食材は、いろいろと思いつくものの、そこから『推理』が進まない。
くそっ、情報が足りない。
風邪ひき状態のように、鼻の奥が臭うようにツーンとして、嫌な予感がよぎる。
このままでは、電車を降りるまでに『食事』内容が分からないかもしれない。
じりじりとした焦りを感じる。
この季節であるにもかかわらず、電車内の温度がむっと上がったような気がした。
混雑した電車に息苦しくなったのだろうか?
小太りの女性が、すぅっとマスクを外した。
再び、鼻の奥がツーンとして、嫌な予感が激しく心臓を刺す。
ガタンと電車が揺れた。
揺れにあわせて体がふらつく。
ふと視線を下げると、浦戸の隣に立つひげ面背広の男の手が、この女性の尻を触っていることに気づいた。
そうか。
マスクを外したのは、痴漢に気づいて、そこから逃れようとするためだ。
考える間もない。
男の魔の手から彼女を助けるため、浦戸は、女性とひげ面の間に割り込んだ。
ひげ面は、驚いたようにその手をひっこめ、なにも関係なかったかのように窓の方へ顔をむける。
浦戸が、ほっと安堵した瞬間、女が・・・この小太りの女性が、大きく息を吐いた。
にんにく!
このバカ女っ、食後にブレスケアもしていないのか!!
吸血鬼の弱点・・・それは、にんにくである。
意識を失いそうになりながら、その場から離れようとするが、体に力が入らない。
電車内は、ほぼ満員。
混雑もあり、身動きが取れず、彼女に後ろから抱きつくような格好で倒れこみそうになる。
その時であった。
角度の変わった浦戸の視界に、にんにく女が外したマスクの中がのぞき見えた。
緑色の小さなかたまり・・・これは、イタリアンパセリの欠片。
イタリアンか・・・
しかし、まだヒントがあまりに少なすぎる。
赤橙色のしみ、にんにく、イタリアンパセリの入ったイタリア料理。
1個でもいい。
あと少し、なにか手がかりがほしい。
ぐるりと眼球を動かして目の隅に入ってきたのが、女性が腕に抱え込んだ高そうな紙袋。
浦戸は、直感した。
コレが、女の食事内容の肝だっ。
朦朧とする意識の中、どこかで見たことがある高級紙袋を注視する。
うっ・・・女の息だけではない。
この袋からも、うっすらとニンニクの香りがする。
いつだ。いったいこの袋をどこで見かけた?
袋は、もちろんスーパーのものではない。
百貨店、高勢丹でも伊島屋のものでもない。
高級ブランド、ヴャネルやシィトンのものではない。
ピロリロリーリーン♪
電車内に鳴り響くスマホの着信音が、彼の思考を妨げる。
うるさいっ・・・いや、このメロディ。
確か朝の番組のオープニングで聞いたことが・・・そうかっ。
その瞬間、彼は、高級紙袋が、どこのものであるかに気づいた。
それは、今朝の情報番組「アサナンデス」で取り上げられたイタリアン。
新宿御苑前「小さなナポリ料理屋さん」のもの。
謎は全て解けた。
赤橙色のシミ・・・その正体は、唐辛子。
カンパニア州ナポリを起源とするシンプルでベーシックなあのパスタ料理に違いない。
イタリア語で、アーリオは、ニンニク。
オーリオは、油。
つまりオリーブ・オイル。
ペペロンチーノは、唐辛子。
すなわち、パスタ・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ。
ニンニクとオリーブオイルと唐辛子のパスタ。
彼女は、今朝の情報番組「アサナンデス」で紹介された新宿御苑前「小さなナポリ料理屋さん」の「ペペロンチーノ」を食べ、お土産に有名な「ガーリックをきかせたチーズとケッカソースのメカジキのフィッシュ&チップス」を購入し、持ち帰っているに違いない。
紆余曲折の末、ようやく彼女の夕食にたどり着き、お土産の袋の中身が「フィッシュ&チップス」という解答まで得られた吸血鬼は、満足したようにふっと頬を緩めた。
薄れゆく意識の中、浦戸舜平の最後の記憶は、彼の腕を強く掴んだにんにく女の「この人、痴漢です!」という声。
誇り高き吸血鬼・浦戸舜平は、笑みを浮かべたまま、すぅっと『ゆめのなか』へと旅立つのであった。




