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第1話 浦戸舜平は、吸血鬼

推理小説は、密室で死んでいれば、成立する


   ギリシアの哲学者 アリトステンレス

「浦戸舜平」は、吸血鬼である。


古くは、トルコとヨーロッパをつなぐ要衝ワラキア公国に君臨したが、討伐者であるオランダ人老学者にワラキアの首都トゥルゴヴィシュテより追われ、東方へと逃亡することになった。


1897年の逃亡から百数十年の時を経て、彼がたどり着いた安住の地。


それ場所こそが、東京であった。


もちろん、現代日本であるからして、昔のように君主として統治を行っているわけではない。


IT系のシステムエンジニアとして働くごく普通の勤め人。


それが、彼の今の地位であった。


しかし、吸血鬼である浦戸が、勤め人として日中の太陽の光を浴びて大丈夫なのであろうか?


そんな心配をされる方もいるかもしれない。


ご安心あれ。


彼の仕事は、ご存知の通りシステムエンジニア。


室内でパソコンを叩くような仕事である。


太陽の紫外線と違い、パソコンが発するブルーライトなどの光が、吸血鬼を灰に変えてしまうようなことは無い。


そうして、特に近年は、テレワーク化が進み、彼が日の光の下に立つことなど、そうそう無いのである。


しかし、それでも通勤が必要となる場合には、アレがある。


UVケア商品だ。


特に重宝するのが、UVをカットする日焼け止めクリーム。


彼が愛用するのは、生資紡のSPF50+、PA++++の紫外線吸収系クリームだ。


もちろん、紫外線散乱系の方がお肌への負担は少ないのだが、それだとどうしても、紫外線を防ぐ力であるSPFやPAが低くなってしまう。


肌荒れは、避けられないが、背に腹は代えられない。


そうして、本日、彼がテカテカとクリームを顔面に塗り付けて歩いているのは、出社の必要があったからである。


政府が進めるマイアナログシステムの不具合を改修し最新式のコンピュータでも使えるようにしたところ、フロッピーディスクが使えなくなったためもう一度改修する必要が出来たというのだ。



勤務が終わった『帰り道』。



山手線、代々木駅。


電車を待ちながら、思い出す。


久しぶりに顔をあわせた会社の先輩たちが、会議中、大声で文句を言っていたことを。


「今の時代、フロッピーディスクなんか使っている場所があるのかよっ。」


そう、フロッピーディスクは、1990年代位まで使われていた旧式の記録媒体。


そんな物を使っている人間など、ぐるりと周りを見渡しても、まず居ないはずだ。


怒りをぶちまける先が他に見当たらず、ただ、怒鳴り散らす会社の先輩に、部長が言った。


「アメリカの核兵器運用バックアップシステムがフロッピーなんだ。今度、横須賀に配備する核も同じシステムだから、フロッピーが使えないと困るらしい。」


これには、先輩たちも浦戸も、言葉が出なかった。


さらに、部長は、浦戸のほうを見ながら釘をさしてきた。


「腹が立つのは分かるが、仕事だ。やけになって、遠野奈郎大臣の情報を流出させるようなことはするなよ。」


「マイアナログ保険証なんてセキュリティー的にありえないだろ。マイアナログ大臣の遠野奈郎、あいつ移植の時、肝臓切ってたよな?名前と生年月日打ち込んで、医療情報を抜いて、病気があるから総裁候補として不安があるって流してやろうか。」


かつて、浦戸が、このように言っていたことを覚えていたらしい。


何百年も生きる吸血鬼にとって、戸籍の改ざんが難しくなるマイアナログシステムは、目ざわりでしかないため、どうしても口から文句が出てきてしまうのだ。



そんなことを思い出していると、代々木駅に電車がやってきた。


なにかイベントでもあったのか、いつもより人が多い。


彼は、体をねじ込むようにして乗り込んだ。


少々の混雑は、我慢しよう。


自宅最寄りの高田馬場駅までは、たかだか4駅だ。


家に帰って、ゆっくりトマトジュースでも飲めばいい。



揺れ動く電車が、次に止まったのは、新宿駅。


大勢乗り込んでくる新しい乗客の中に、小太りの女性がいた。


仕事帰りだろうか?


女性は、窮屈そうに浦戸の隣に位置取る。


後から入ってきた新参者に、場所を譲るのに葛藤はあるが、狭い車内、そこはお互いさまである。


浦戸は、新たな『隣人』のために、少し場所をあけて譲ることにした。


しかし、女性は、思っていた以上に面の皮が厚かった。


彼女は、臆面もなく少し大きなお尻をドンっとこちらに押し込み、多くのスペースを彼から取り上げたのだ。


こいつ・・・血を吸ってやろうか。


浦戸は、心に、イライラとする気持ちが生まれたことに気づいた。


女性をにらみつける。


しかし、彼女は、こちらに目もくれない


女のマスクは真っ白で・・・いや、何か赤橙色のシミが見える。


彼は、そのシミに、風呂上がりのトマトジュースの色を思い浮かべながら、ざわざわと波だった心を落ち着かせようとした。



しかし、あのマスクの赤橙色は、何であろう?


口紅ではない。


とすると『食事』の痕跡か。


そうか・・・彼女は、ただの仕事帰りではない。


外食の帰りだ。


その瞬間、彼の頭はイライラを忘れ、女の食事内容を考察しはじめた。

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