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星に届かない星

 (麻野先輩、怒ってるな……でも)

 城戸は演奏の再開に備えて、弓を弦に当てていたが、大川の発破に反してそぞろな心持であった。麻野とJは実は深い仲だというのが、L吹のメンバーの中でまことしやかに囁かれだしたのはそう昔の話ではない。L高名物の植物園の小さな東屋で2人が密会しているのを見たとか、麻野が着けているネクタイはJが贈ったものだとか、Jの日本史の成績だけが異様に悪いのは麻野に勉強を教えてもらう口実作りのためである……などといった半ば創作の混じった憶測のようなものまで、種々のエピソードが城戸の耳にも入ってくるのである。L吹で(というより、一般的な吹奏楽団で)唯一の弦楽器担当であるという立場も少なからず関係してか、城戸は他者との境界線を必要以上に引き、自己の中で巡るものをぐっと留めてしまう傾向があった。万年B編成のL吹という小さな箱庭に広がる噂話は、楽器は違えどJと同じパートの『善き友人』として、彼と共に吹奏楽部というある種特殊な音楽集団で孤独な星として輝いているというささやかな自負があった城戸の矜持にざらりとした傷を残していった。

 (ただミスしたことに怒ってるわけじゃない。Jの演奏を誰よりも信頼しているからこそ、彼のミスが許せないのか……。あの話、やっぱり……)

 噂話を内心で否定することは簡単だが、たった一瞬のこの事件と、その関係者の感情という証拠が、結果として城戸の中で確信をもたらしてしまった。この日の合奏は、L吹としての精彩を欠いた状態で迷走を続け、17時半の鐘によって半ば強制的に終了した。

 「J、俺がソロ代わってやるよ」

 片付けも放り出してJの肩を後ろからばんと叩いたのは、テナーサックスの西である。薄い金色の髪は、流行のヘアスタイルでまとめられていて、校則を大きく無視した制服の着こなしはL吹のお洒落番長を自称するに遜色ないといった風貌である。西は吹奏楽部にいながら集団行動などは全く好まず(むしろ憎んでいるといってもいい)、ユーフォニアムとテナーサックスの演奏パートが多くの場合で共通しているのをいいことに、自分が目立つためにJからいかに彼の出番を奪おうか考えるのに執心していた。見かねた大川が一度ため息交じりに「テナーがむしろユーフォのサブなんだ」という話を指揮台で始めた日は、そこに西が食って掛かったせいで合奏開始が大幅に遅れたという迷惑以外の何物でもない逸話もある。

 「あんな大事なとこで間違えるなんて天才のお前らしくねえじゃん? センパイに任せとけって、いつも言ってるだろ?」

 西がJの肩を引き寄せながら、ごてごてとしたピアスが揺れてJの耳元を叩きそうな距離で囁く。普段からボディーランゲージの激しい西だが、今日に関しては執拗にJに絡んでいる。今度こそJに自分の要求を飲ませ、コントロールするのだという、西の闘争本能を感じ取ってか、Jはよくよく返す言葉を選ぶようにゆっくりと瞬きを繰り返していた。

 「やめろ、西。いつも言っているが、自分のパートの面倒も見れないやつが、Jのソロを横取りする道理なんかない」

 「セクションリーダー様は怖いねえ、さすが」

 公然と西を非難したのは、あの麻野である。トラブルメーカーの西に関わりたがらない者は多いが、他人と衝突するのを恐れない麻野は西の横暴にもひるまなかった。毅然とした麻野の言葉に、西は(面白いもん見つけた)というような、にやりとした笑いを唇の端に滲ませて、Jを麻野のほうにぐいと押した。

 「大体、Jがお前にソロを代わってほしいと言ったことなんかあるか? Jをこれ以上困らせるな」

 「お前……何マジにキレてんの? こいつがお前のお姫様だから?」

 「……よく聞こえなかったが」

 ただの口喧嘩ではない空気を感じ取って、片付けをしていた他の部員たちがひそひそとこの場をどう収めるかの会議を始めだした。渦中のJはというと、夕方になってもまだ日差しの照り付ける校庭のほうへと視線を落として、完全に違う思考世界へと旅立っていた。城戸も最善策などは瞬時に考え付かなかったので、所在無くきょろきょろとしていた。城戸がJの滑らかな曲線をした後頭部を無意識に見やったとき、さっと振り向いたJとふと視線が絡み合った。

 (助けて、城戸)

 Jが蜜を蓄えきった果物を思わせる唇をわずかに動かして、城戸に救いを求めていた。


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