ジークハルト殿下
宮殿で引き合わされたヴィオラの婚約者は、一言で言うととても胡散臭い顔をしていた。
第二王子はいかにも物語の中の王子様といった風情だったのに対して、目の前にいる第一王子は、少しばかり受ける印象が違う。
絵本に出てくる狐の様だともヴィオラは思った。
細く吊り上がって目は眠そうにも見えるし、常に笑みを浮かべている様にも見える。
三日月を寝かせた、お手本の様な笑みが逆に不自然に見えてしまう。
濃い黄金色をした髪の毛も狐のを思わせる。
「ジークハルト殿下にご挨拶申し上げます」
そう言ってヴィオラが淑女の礼をするとすぐにヴィオラの婚約者は「堅苦しいのはいいよ、ヴィオラ嬢」と言った。
ジークハルト殿下の眼差しには何の感情ものってはいないように見える。
婚約者を失ってやつれているようにも、まして気落ちしているようにも見えない。
けれどヴィオラを婚約者に迎えて嬉しいという感情もまるで見えない。
王宮から個人的な手紙なども届いていない。
それどころではないのだろうと思っていたけれど、顔合わせが必要だと聞かされた。
テーブルに準備されているティーセットと菓子はいかにも若い令嬢が好みそうなものだ。
席に着く様にと言われて着席すると、注がれた紅茶を一口だけ口に含む。
「ヴィオラ嬢とはこれから長い付き合いになるから仲良くしたいと思っている」
ここに呼ぶのに随分時間がかかってしまって申し訳ない。
そう言われて、ヴィオラは少しだけ驚いた。
王族は基本的に謝らないと本で読んだからだ。
「いえ。殿下もお忙しいですから」
笑顔よ。笑顔。自分に言い聞かせながらヴィオラは答えた。
「忙しい?」
社交辞令を言っただけだ。だから言い返されるとは思わなかった。
消去法で選ばれたヴィオラに目の前の王子が興味を示しているとも思えない。
この国は側妃を迎えることができる。
彼にとって必要な女性はもう少し待ってから呼び寄せればいい。
だから、ヴィオラに対して何か王子が個人的な言葉をかけられるとは思っていなかった。
だから、ヴィオラは素の言葉を返してしまった。
知識として、どういう風な言葉を返すべきなのかは知っていても、実際にそういう言葉を言う訓練はしたことが無い。
「婚約解消後、元婚約者のご令嬢に王子妃教育で漏れていた国家機密の後始末でお忙しいのだと思っておりました」
国を支えるために国を知ること。
王族の一員として王族の事を知ること。
どちらも、学校で教わる以上の知識を付けようとするとどこかで外に漏らしてはいけない国家機密を知ることになる。
王子妃教育で通っていた王宮の構造一つとっても、有事の際には重要な情報になる。
婚約者として参加した公式行事の護衛がどうなっていたのか。
その時の王族の動きはどうだったか。
上げ始めればきりがない。
そういうこの国にとって重要な情報を持って元婚約者のお二人はこの国を出た。
であれば、直接お二人に何かはできなくても後始末は必要だ。
警備を見直す。
宮殿を改装する。
そもそも何が漏れているかを確認するだけでも膨大だろう。
第一王子であるジークハルトが忙しくないはずが無い。
ジークハルトは一瞬固まってそれから、面白そうに口角を上げた。
瞳は相変わらず閉じているのか開いているのか分からない。
「へえ」
そうジークハルトが発した。それは王族らしくない返事だとヴィオラは思った。
「王子妃教育ではまだ機密までは教えていなかったんだ。ラッキーなことに」
ニコニコしながらジークハルトが言う。
それはラッキーだ。
意図して隠していることは漏れていない。
ラッキーというより、まだマシという言葉の方が近いかもしれない。
「だから、君にも代わりをお願いできる」
国家機密はさすがにそこら辺の本には書かれていないからね。
意図しないで漏れてしまったであろうあれこれで忙しかったかどうかについての返事は無かった。
つまりはそういう事なのだろう。
「精一杯、代わりを務めさせていただきます」
臣下として言えることはそれしかない。
「君の王子妃教育は来週から始まるから、復習だと思って頑張って」
まるで他人事のように王子は言った。
ラッキーだと言ったときにも今も、マイナスの感情が声にも顔にも浮かぶことは無かった。
まるで元々何も思っていないかのようだった。
これが王族なのだろうか。
ヴィオラは曖昧な笑みを浮かべる事しかできなかった。