夕立 唯
1話目だけど鬱っぽい話です。
「暑いねぇ…」
「そうだなぁ…」
ベランダから感じるこの鬱蒼とした暑さは、夏と呼ぶには少し暑さが足りないが、秋というにも暑すぎる。
いわゆる残暑というやつだ。
彼女は外へ足を出して、アイスを食べている。
ん?そのアイス俺がさっき買ってきたやつな気がする。いや確かに俺がさっき買ったアイスだ。マジかこいつ。
「よく平気で人のアイス食えるよなぁ。」
「暑いねぇ…」
会話が成立しなかった。
彼女の方を見ると明らかに俺と目を合わせようとしない。
これはわかってて人のアイスを食べているのだろう。
普段なら彼女に嫌味でも言うところだが、この夏が終わったとは到底思えない暑さにその気すら失せてしまった。
「ねぇ、はるき」
「ん?」
彼女の方を振り返るとやはり俺と目を合わせようとしない。
というよりも俺じゃない何かを一点見つめている。
背中から自分の体とは思えないほど、汗が滲み出していた。
やめろ。それ以上は言うな。まだ君といたいんだ。
一杯は望まないから。一生のお願いはこれに使うから。
だから
「そろそろ夢から醒めなよ」
彼女の黒檀のような短いとも、長いとも言えない中途半端な黒い髪が風に靡いてなんだかいい匂いがした。
彼女は笑っているのか泣いているのかわからなかった。
いつもそうだ。夢の中の彼女はいつだってこっちを向いてくれない。
後ろで光る太陽は俺のことを馬鹿にするかの如く光を強く増し、彼女を覆った。
醒めてしまう。
夢から醒めてしまう。
あっちには何もないのに。
全て失ってしまったのに。
やめろやめろやめ
「あああああぁ!!!!!!!」
勢いよく起き上がり、過呼吸気味の息を落ち着かせる。
枕は汗でびっしょり濡れていて、毛布は本当に体にかけて寝たのか疑いたくなるほど見当違いなところにあった。
それほど、うなされていたということだろう。
別にうなされようが叫ぼうが誰の迷惑になるわけでも、誰かから心配される訳でもないのだが。
「またか…」
俺は時々彼女の夢を見る。
今日見た夢は、八年前の夏休みだろう。
確か中3の時彼女が何故か家までついてきて、俺のアイスを食べたんだ。
その時は彼女が嫌がりそうな嫌味を言ってやろうと思ったが、エアコンが壊れてたから暑くてその気さえ出なかったんだっけ。
俺は気づけば2bの鉛筆を手に持ち、スケッチブックに向かっていた。
彼女を書き留めなければ。
死とは二種類あり、一つは生命としての死。二つ目は誰からも忘れられる死。
最初に言ったやつはよく言ったものだと思う。概ね俺もそう思うから。
だから、俺は彼女を描いている。彼女が死なないように。
もう誰も彼女を覚えてないかもしれない。
でも俺だけは覚えていられるように。
彼女書き終えた頃スマホの時計は17時を示していた。
起きた時間が分からないからなんとも言えないが、喉のへばりつくような渇きと腹の虫の悪さで相当な時間書いていることがわかった。
しかし俺はまだやることがある。
絶対に欠かしてはいけない。丁寧に。
スケッチブックに書いた絵の右下。そこに一つの名前を書いた。
「夕立 唯」
俺は痺れた足に苦痛を覚えながらも四つん這いで冷蔵庫まで行き、水を取り出した。
「うめぇぇ…」
250mlのペットボトルに入っていた水はあっという間に姿を消して、俺の体の中に入っていった。
飲み干して少し萎んだペットボトルを部屋のそこらに投げる。
『もう!!私もいるんだからちゃんとゴミ箱に捨ててよ!!』
唯の声が俺の頭に反響する。
『何回言えばわかるの…?私がいないとほんとに絵しかできないよね』
その通りだ。言い返す言葉もない。
『私がいなくなってもちゃんとゴミは捨ててね!!』
いなくなるなんて悲しいこと言わないでくれ。
『もうやめなよ。私なんかに縛られるのさ』
彼女が死んだ4年前から、俺はずっと彼女に縛られている。
次は明るい話を少し描きたい。