物理的に近付いてみた~シュリーデ~
事務仕事を片付け、まずは商店街の南側の路地裏の店に駆け込んだ。
「ルーラ、久しぶりだ」
こぢんまりした店の奥から背中の曲がった老婆が出て来た。黒い外套を被っている。いつも思うが怪しすぎる…
「おやおや…ケケケ…誰かと思ったらプレミオルテ家の坊ちゃんか…」
「水仕事で手荒れを起こしている女性に…軟膏をあげたい。香りが良くて効能が良いものを…」
そう…この店は怪しいが薬屋なのだ。このオババの作るものは良く効いて大変評判が良いのだ。店とルーラが怪しすぎるけど…
俺がルーラに要望を伝えると、ルーラオババは
「ほぉ?あの王女殿下は水仕事をされるのかのぉ…ケケケ…」
「……」
ここで…そうだ!とも、違う!とも言えないのでだんまりを決め込んで、ルーラオババを睨みつけた。
「おぉおぉ…怖い怖い…ケケケ…これがいいかねぇ~」
オババは店の奥に一度引っ込んで、平たい容器を持って戻ってきた。そして、丸い容器も一緒に袋に入れると俺に渡した。
「唇に塗る保湿紅も入れておいてあげたよぉ、若い娘さんなら喜ぶさぁね…ケケ…」
嫌な笑いを俺に向けた、オババに代金を払うと店を後にした。
そして向かった商店街の中央にある、ラクラの木の店先には長蛇の列が出来ていた。
その店先で店員と思われる女性が路上販売をしているようだ。怪しい物販か?近付きかけて自分の服装を見て、慌てて路地に入って身を潜めた。
今は警邏の隊服を着ているので、店員に警戒されてはいけないと思い…店から少し離れた場所から様子を窺うことにした。
行列に並んでいる男性達は店先で路上販売をしている女性に何かを勧められて買っているようだ。何を買っているのだろうか…店員の声に耳を澄ました。
「“ローズちゃんとふたりきりで三十刻お話し出来る券”ありますよ~」
お…お話し券だとぉ!?そんな券まで販売しているのか?つい隠れているのを忘れて、酒樽の陰から身を乗り出した時に、列に並ぶケムイと目が合った。
「!」
「!!」
俺は魔力と怒気を籠めてケムイを睨みつけた。睨まれたケムイは真っ青になると、体をガクガクと震わせている。
俺は警邏の勤務中に使う手信号をケムイに向けて送った。
『後で・報告・ここで待つ』
ケムイは真っ青になりながら
『了解』
と返して来た。
「ふぅ……」
これで店内の偵察?はケムイに任せておけばいいだろう。
しかしラクラの木の店先の長蛇の列が進む気配が無い。ケムイが店に入るまでの順番はまだ来そうにないと見て、店先から離れた。
少し時間を潰すか…
なんとなくだが…その足でマリリカの夢に向かった。
そう言えば、客としてマリリカの夢の店に入ったことが無い。今日はローズベルガも休みの日だし、店内で鉢合わせることもないだろうと、マリリカの夢の店の扉を開けて固まった。
「…!」
「シュ…ルデ、どうして?」
何故…何故…ローズベルガがいるのだろうか?今日はお忍び用だろうか、質素なワンピースドレスを着用しているが、それもそれで可愛い……そうではない。
俺はマリリカの夢の店内で、カウンターに腰掛けるローズベルガを見て慌てている。恐らく俺の顔は真顔だろうが、実は慌てている。
「ローズベ…いや、今日はどうしたので…」
俺の問いかけに顔を赤くしたローズベルガは微笑んだ。そして入って来た俺を見て、ポカンとしているマリリカの夢の夫人に向かって
「主人の…シュリーデです…」
と、俺を紹介した。
紹介した?紹介したのか!?俺の嫁ならぬ、私の主人ですと言ったのか!?
「しゅ…えぇ?えええっ!?ローズちゃん婚姻してたのぉ!?」
ご夫人の驚きの声に店内にいた客が一斉にローズベルガを見た。ローズベルガはカウンター席から俺の方に小走りで近付くと、俺を見上げた。
「つい…言っちゃった…」
小さな声でそう呟いて、俺にはにかんで見せた。
「…っ!!」
(現実の)俺の嫁!!俺を殺す気か!!
「ローズ……が、お世話になっています」
「ひゃあああ!」
俺がマリリカの夢の夫人に挨拶をすると、夫人が悲鳴を上げられた。そんなに俺の顔が怖かったのか?
「ローズ、今日は休みじゃなかったか?」
俺達の身分がバレてはいけないかと思い、言葉使いに気を付けながらローズベルガに話しかけた。
ローズベルガは顔を真っ赤にしたまま、大きく頷いている。
「あの…ラクラの木が私の着ている給仕服を真似てるって聞いて…それのご相談なの」
「え?あの店、給仕服の意匠を盗用しているのか?本当にろくでもないな!」
「なにかあったの?」
ローズベルガが俺に聞いたのと同時に、マリリカの夢の中にいた客や夫人の視線が俺に向いた。
まあ、ここで話しても問題ないだろう…
「警邏の奴らから聞いてきたんだ。“ローズちゃんと一緒にお茶を飲める券の10枚綴り”や“ローズちゃんとふたりきりで三十刻お話し出来る券”などの、怪しい券を販売していた」
「えっ?なんですか、それ…」
「それを茶菓子店で売ってるの?」
「なにそれ…」
マリリカの夢の店長夫人や店にいた若い女性客などが、一斉に声をあげた。
「ローズちゃんとお茶が…え?それ私の事なの?」
ローズベルガが首を捻っている。そりゃそうだ、当事者になっているローズベルガでさえも理解出来ないのだからな…
「今、店に部下を潜入させている。“本当にローズちゃんが在籍している”のなら、発券商法もぎりぎり営業法にはひっかからないだろう。だが、ローズちゃんに該当する店員もいないのに、怪しげな券を売りつけ、それで金銭を巻き上げているのなら営業法に抵触していると摘発してやろうかと思ってな」
ローズベルガが目を丸くしている。
店の奥にいたご年配のご夫婦が俺に近付いて来た。
「どこかで見た男前だと思ったら、警邏の副隊長さんかぁ」
「今、あのお店に部下さんを潜入させてるの?潜入調査?何だかワクワクしますねぇ」
お年寄りは吞気だな…今度は女性の四人組の客がローズベルガに近付いて来ている。
「ちょっとっローズちゃんっ!こんな男前の旦那がいるなんて聞いてないわよ!?」
「ホントホントォ!でも、ローズちゃんぐらいの綺麗で可愛い子なら仕方ないわよね~」
「あのラクラの木って男性客しか入店させなくて、中で何をしているのか分かったもんじゃないわよね!」
「ちょっと警邏の旦那さんっ!あの如何わしい店を取り潰しちゃってよ!」
女性四人の圧に押されそうになったが、なんとか「ただ今鋭意捜査中で早急に対処します」と答えておいた。
マリリカの夢でお茶を頂いて、ケムイとそろそろ合流しなくては…と店を出るとローズベルガが一緒に店先に出て来た。
路地裏から護衛達が顔を覗かせたので、頷き返しておいた。
「今からラクラの木に行くのですか?」
困ったような顔をしてローズベルガが俺を見上げている。
「潜入させていた部下が店内の様子を確認してくるはずです。ラクラの木のローズが本当にいるのか…マリリカの夢のローズを騙っているのか…ラクラの木でローズを呼び出すと毎回不在だと言われるそうなので…それも確かめなくてはと思います」
「まあ…それじゃあ…」
「ローズに会える券を売りつけていて、実際にそれに見合う販売を行っていないのは詐欺罪に当たると思います」
「推しの握手券みたいなものかしらね…」
何かローズベルガが呟いたので、顔を覗き込むと慌てたように笑顔を返された。
あ、そう言えば今…ここで渡してもいいかな?
俺は胸元から買ってきた軟膏と保湿紅の入った袋を取り出した。
「ローズベルガ、軟膏と唇に付ける紅です…使って下さい」
思わずグイッとローズベルガに押し付けるようにして渡してしまった。
「軟膏?あっ…ありがとうございます」
軟膏が入った袋を見て、フワッと花が綻ぶような笑顔を見せてくれたローズベルガに少し近付いた。
「気を付けて帰って下さい」
体を寄せて、軽く抱き込むようにしてローズベルガの耳元に囁いた。
少し近づき過ぎたかも…と思ったが、拒絶されないので暫く抱き込んだままでいた。
柔らかい…それにいい匂いがする。
「あの…シュリーデ?店の中から見られてます…よ?」
「!?」
慌ててローズベルガから体を離すと、後ろを振り返った。
窓際に…夫人と女性客、ご夫婦…店内いた全員が集まっていた。俺と目が合うとニヤニヤといやらしい笑顔を見せてきた。
ローズベルガは顔を真っ赤に染めると潤んだ瞳で俺を見上げてきた。
「人前は……恥ずかしいです」
俺の嫁は俺を……試しているのかっ!!
「す…すみません、仕事に戻ります…」
俺は逃げる様にマリリカの夢から大通りへと走り出た。その勢いでラクラの木の店先まで走り込んだ。
「ちょ…ちょっ!!ふくたいちょーー!?こっち!こっち!!」
路地裏からケムイとナガラが俺を手招きしているのが見えたので、路地裏に移動した。
「なにしてるんすかぁ!目立っちゃ駄目ですよ~」
「何でまたそんな怖い顔してるんですか?また見知らぬ女性に言い寄られて不機嫌なんすか?」
こいつらには遠慮という文字はないのか?
「いいから話せ、店内の様子は?」
ケムイが胸ポケットから紙の束を取り出した。劇の券より小さめの細長い紙だ。
「取り敢えず…ですが“ローズちゃんと一緒にお茶を飲める券の10枚綴り”と“ローズちゃんとふたりきりで三十刻お話し出来る券”と“ローズちゃんに膝枕してもらえる券”を買ってみました」
「ひざまっ!?…俺はしてもらったことな…いや…すまん…」
「ふくたいちょーも女の子に膝枕してもらったことないんですねぇ~」
上手い具合にナガラが勘違いをしてくれた。そのまま話を続けてもらう為に調子を合わせてみた。
「しかし、けしからん券だな。それでそのローズという店員は店内にいたのか?」
ケムイがラクラの木の方を睨んでいる。
「いえ…今日は出勤日じゃありませんと言われました。もう少し踏み込んで聞いてみました。マリリカの夢で働いているローズちゃんが本当にこちらで働いているんですね?って…すると、近いうちにローズのお披露目会をするからと…言ってました」
「お披露目!?なんだそれは…」
益々よく分からないことになっているな…
「それで、給仕服を一新しましたって触れ込みがあったんで…給仕の時に見たんですけど…何だか身丈をうんと短くしているから、全部見えてるんですよね~」
ナガラがうんうんと頷きながら説明を始めた。
「全部、見えてる?」
それは足全体が全て見えているということか…!なんて破廉恥なっ!一瞬、ローズベルガの生足を想像してしまった。
「馬鹿っそんな言い方じゃふくたいちょーが誤解するじゃねーか!違うんすよ、ローズちゃんの服って裾がヒラヒラってしてて見えるか見えないか…みたいな色気があるじゃないですか?」
「ああ…」
脹脛が裾飾りの隙間から偶に覗く…あの耽美な色気のことだな?
「でも、ここの店員の服ってもうばっさりと身丈が短いんですよ。娼婦のねーさん方みたいに…あれじゃあ、ないんだよな~分かります?」
「俺は分かるぜ、ナガラ!あのローズちゃんの隠れててほっそりした足首がたまに見えるのが良いって…いたっ!!なんですかぁ!?もう…」
俺はケムイの頭に思いっきり叩いた後…ラクラの木の店先を睨みつけた。
やはり破廉恥な営業をしているな…
「潰すか……フフフ」
ケムイとナガラが忍び笑いを聞いて震えているのを横目に見ながら、俺は笑い続けていた。




