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クリスマスリース  作者: 我堂 由果
5/7

 一粒涙が零れた後は、もう止まらなかった。入間の両眼からとめどなく涙が零れた。涙が零れて零れて止まらない。


 俺は入間の恋が実りそうもなくて喜んでいた訳ではない。寧ろ入間にふられたも同然の自分を落ち着かせるので手一杯だった。だから何も考えずに、口からどんどんと言葉が出てしまった。

 俺の言い方は無神経で、拙かっただろうか。唐突にガンと、事実を突き付け過ぎたのだろうか。俺が入間を傷付けたのか。だから入間は怒っているのか? 


 そう考えると俺は、そこまで気が回らなかった自分に腹が立っていた。しかし泣き続ける入間を前にして、俺はどうしたらいいかわからない。ただ、入間の泣き顔からは目が離せなかった。


「あの、大丈夫か?」


 恐る恐る声を掛けた。慰めの言葉も謝罪の言葉も思い付かない頭のパニクった俺は、今できる唯一のことだけ実行に移そうと、ズボンのポケットからハンカチを取り出して、入間の手に握らせた。


「母親が洗った物だし、今日まだ一回も使っていないハンカチだから、汚くない。涙、拭いてくれ」


 入間は俺を見ていた目を見開いた。


「ありがとう」


 入間はそう言って俺のハンカチで目元と頬の涙を拭った。それ以降、入間は涙を零すことはなく、息を深く吐き出してから少しだけ笑顔になった。


「中島は優しいね」

「え、あ、いやその、俺が悪かった。もっと入間の気持ちを考えて、気の利いた言い方が」

「違うよ。中島の所為じゃない。私が泣いたのは悲しかったからじゃない、悔しかったから」


 まずは謝ろうとした俺の話を、入間が遮った。


「気にさせてごめんね。中島は全く関係ないから。でさ、中島は相澤さんってどんな子か知ってる?」

「えっと、超美少女」


 思わずそう口にしてしまってから俺は慌てた。


「つーかさ、クラス違うし、口聞いたことないし、噂も興味ないし、それしか思い浮かばん」


 言い訳を次々と口にした。でも本当に、外見以外は何も知らない。


「だよね」


 入間が気にしている様子はない。ホッとした。


「私はね、よく知っているんだ。同じ中学だったから」

「え? そうなんだ」

「中二の時、クラスも一緒だったの」






 入間は相澤と、中二の時同じクラスだった。入間の中学では中二の教科外学習として、地域調査という課題が出された。内容は何でもいい。地域の歴史、産業、観光、名物。ゴミ問題とか自治会問題とかを扱った班もあった。

 班の振り分けは、あいうえおの名簿順で、五、六人ずつで一班。結果、『相澤』と『入間』は同じ班。そしてじゃんけんで負けた入間が、班長をやらされた。


 どんな内容にするか、誰が何を調べるか、そんな話し合いをしたが、相澤は全くやる気なし。挙句の果てに。


『夏休み使って地域調査なんてめんどくさ。何で私がそんなことしなきゃならないの? そんなの暇人がやってよ』


 と言って、他の班員に仕事を押し付けようとした。入間は『全員で手分けして、協力すべき』と訴えたが、相澤から『ウザイ、黙れ』と言い返されて、顔に消しゴムをぶつけられた。


『入間さ、うるさいこと言うなよ。俺らが相澤の分、代わりにやるからさ』


 班員の一人、石井という男子生徒がそう言い出した。入間の班は人数が五人で、入間と相澤以外は全員男子。他の男子二人も、仕方ないかという感じで、石井に同調した。『でも』、と入間が反論しかかると。


『入間、相澤に嫉妬すんなよ。見苦しいぞ、ブス』


 石井はそう言い残すと相澤と笑いながら、教室を出て行った。他の男子二人も少し気の毒そうな顔をして入間を見てから、石井と相澤に続いた。


「入間はブスなんかじゃない!」


 俺はそう怒鳴った。あまりに声が大きかったのか、通りすがりの人にジロジロ見られた。でもそんな視線は気にしない。これだけは、直ちにはっきりと入間に伝えたかったのだから。入間はブスではない。


「やっぱり中島はいい奴だね」


 入間はそう言った。それに関しては、そんなことはないと言いたいのだが。


「結局ね、石井は夏休みにいい加減な調査して、登校日にいい加減な報告してきたの。レポートは班長の私が書いて提出しなきゃならないから、こんないい加減な調査じゃレポート書けない、調べ直してって言ったら石井が、『ふざけんな。こんなたるい課題、真面目にやる奴のがおかしい。俺の調査が気に入らないんなら、テメー一人でやれ』って言って、それ以上は誰も協力してくれなかった」

「そんなことあったんだ」

「私、残りの夏休みに必死で調べ直して、二学期に入ってレポート書いて、頑張ったんだよ。でもレポートの評価はAマイナスだったの」

「え、そこから頑張ってAマイナスなら凄いじゃないか」


 俺は素直にそう思って言った。きっと入間は責任感がある努力家なのだ。


「レポートの評価がAプラスの班だけ学校から表彰されて、後日開催される発表会で、皆の前で発表ができるの。私のは駄目だったでしょ。それで相澤さんにこう言われたのよ。『真面にレポートも書けないのかよ。入間、使えねえ。あんたの所為で表彰逃した』」

「そんなこと言ったのか? 相澤、本当はやってくれた入間に感謝すべきだろうに」

「だから私、相澤さんは大嫌い。当時、同じクラスに和田っていう小学校から学校が一緒の、母親同士も仲いい幼馴染の男子がいてね、そいつに相澤さんについて愚痴ったのよ。そしたらそいつが『しょうがねえよ。性格悪いって聞かされても、俺も相澤好きだもん。かわいいから。結局さ、女はかわいけりゃ何やっても許されるんだよ』って」


 俺はそんな性格の女は願い下げだと思う。思うが、俺は相澤に選んでもらえるような外見じゃないので、偉そうには言えない。


「山下君に彼女がいても仕方がないと思う。でも相澤さんだけは嫌だった。同じ綺麗な子でも、別の子だったらこんなに悔しくなかった」

「山下だってさ、暫く付き合えば相澤の性格が嫌になるかも」

「相澤さんは山下君の前では、完璧に大人しい性格を演じているのかもしれない。山下君は和田と同じように、女子はかわいければ何でもOKなのかもしれない。そんな風に考えているだけで泣けてくる」


 俺は山下がどういう経緯で、相澤と付き合うようになったのか知らない。俺は入間に何も言えなくなってしまった。

 入間の左手親指が左手中指と輪を作り、親指の爪が中指に巻かれているいる絆創膏をカリカリと引っ掻く。教室で先生に巻いてもらった絆創膏だ。あんなに爪で引っ掻いては取れてしまうだろうに。しかし俺は特に指摘せずにやらせておいた。ストレス発散行動の一つかもしれないから。


「中島、私やっぱり、正月飾り教室、キャンセルする。折角中島が一緒に行ってくれるって承諾してくれたのに、ごめんね」

「気にすんな。俺は構わないよ。俺んちはキャンセルか祖母ちゃんが行くだけだから」

「私、山下君の家に行きたくないし、ばったり会いたくもない。キャンセルして先生に謝りの電話掛ける」


 それでいいと思う。入間の気持ちは俺も理解していた。行きたくなければ行かなくていい。


「ハンカチありがと。洗ってから学校で返すね」

「あ、ああ」


 入間はにっこりと笑った。さっきまでウサギみたいに真っ赤だった目が、もう赤くなかった。入間はショルダーバッグのポケットの中に、俺のハンカチを入れた。


「中島もさ、相澤さんの外見、好きでしょ?」

「え? 俺? いやいや。かわいいけどさ、目の前にいたらあの完璧な姿に緊張するだけだから、俺は駄目だ。まあ最初から、相澤なんて俺には縁がない話だけど」


 入間は俺をジロリと横目で見た。信じていません、と言われている気がする。


「私さ、綺麗になる」

「は?」


 俺の話は入間の頭の中には一旦入ったと思うが、直ぐに出て行ったようだ。入間は唐突に別の話を始める。


「綺麗になって、イケメンと恋愛する」


 そう決意して失恋から立ち直れるなら、それもいいだろうと思っていたのだが。


「大学に合格したら、まず整形する」

「へ?」


 予想もしなかった言葉が俺を襲った。整形? 今、整形するって言ったよな。俺の聞き間違いじゃないよな。


「まず顔ね。相澤さんみたいな完璧で整った顔にするの。余裕があったら胸も大きくする。フフフ、モテてモテて笑いの止まらない、バラ色のキャンパスライフを送るのよ」


 整形という言葉は俺の聞き間違いではなかった。そして入間は不敵に笑っている。


「ちょっと待て! 整形なんて、その必要ないだろう? 入間は今のままで十分かわいいよ」

「気を使ってくれてありがとう。でも私もう決めたの」


 それは困る。俺としてはとっても困る。だって俺は入間の顔が好きだから。


「止めろよ、整形なんて」

「私の顔だもの。どうしたっていいでしょう?」

「俺は入間に整形して欲しくないんだ」

「は? 何言ってんの? 中島どうしたの?」

「整形なんてダメだ! 止めてくれ!」

「中島どうしちゃったの? 大きな声出して。ああ、中島は整形否定派?」

「そうじゃなくて、ああ、もう」


 俺の頭の中の思いを口には出せない。それは今日一日、頭の奥にしまうと決めたのだから。その思いを入間がもし知ってしまったら、入間は困るだけだから。


「親から貰った物を弄るなんてとか、ピアス穴さえ嫌だとか、あんた高校生のくせに、そういう古風な人間?」


 違う。違う。入間に関してだけは違うんだ。


「違う! 俺が反対するのは、それは」


 頭の奥にしまわれていたそれが表に出てきた。それは俺の意思に反して口の方へと向かう。もう駄目だ。止められない。


「入間の顔が好きだから、大好きだから、絶対に変えないでくれ!」


 言ってしまった。入間は目を見開いて、声には出さないが『はあ?』という口の動きをした。


「私の顔が大好き?」

「そうだよ。俺は以前から入間の顔が気になって」

「私、美人顔じゃないよ。まず鼻、低くてちょっと団子っ鼻だし」

「そういうことじゃなくて」

「気になるって、どうして」

「それは」


 俺は話すのを躊躇った。俺の話は入間を怒らせるかもしれないからだ。


「それは、何なの?」


 入間は追及する。そりゃ追求したいだろう。女の子が、自分の顔の話をされているのだから。


「言ったら失礼かもしれない」

「ここまできて言わないはないでしょ。ちゃんと話して」


 入間の顔はムッとしている。既に怒らせている状態だ。


「わかった。言うよ。ちゃんと話すから、俺の話を最後まで聞いてくれ」


 俺は覚悟を決めた。


「俺の母親、来年子供産むだろう? まだ三十九歳で結構若いんだ」

「確かに。私のお母さん四十九歳だもん」

「逆に俺の父親は入間のお母さんと近い世代、五十一歳。で、ずっと前、俺どんなシチュエーションで言ったのか忘れちゃったんだけど、『お父さんがお母さんを選んだのは、若いからだろ』って言ったんだ」


 実際、三十代半ばのいいおっさんが、短大出たての二十代前半の女の子を口説いたのだから。


「そしたら父親が、『そればかりじゃないぞ』って言ったんだ。『俺はお母さんの顔が好きだったからだ』って」


 俺は自分の顔を指差した。


「俺さ、イケメンじゃないだろ。普通の顔。この顔、全体的には母親に似ているんだ。特に目元が母親に似てて、奥二重で少し目が離れ気味で、しかもそれをネタにして笑いが取れる系。これと同じ特徴の母親の顔は、ブスじゃないけど美人とも言えない。俺さ『お母さんの顔が好き? 変なの。お母さん美人じゃないよ』って言ったんだ。そしたら父親が、『完璧な顔はどことなく近寄り難さを感じさせる。でもちょっとした欠点は逆に愛嬌を感じさせる。愛嬌のある女性は話し掛けやすいし、一緒に時間を過ごしていると心が和む。どんな顔に愛嬌を感じるかは人によって違うと思うけど、俺は沢山いる女性の中でお母さんの顔が最も気に入ったんだ』って言った。でも当時の俺は全く父親の話が理解できなかった。子供の俺を揶揄ってるんだろうと思った」


 そんな筈ない美人がいい筈と、当時の俺は父親を馬鹿にしていた。でも俺は高校に入って、入間に出会ってしまった。


「高校入って直ぐから、俺はこっそり入間を目で追うようになった」

「え? そうなの?」

「気持ち悪いだろ。ごめん」

「ううん。大丈夫。私も山下君にしてたのは、似たようなことだと思うから」

「アイドルの話をする時の嬉しそうな表情、友達と言い合いする時の真剣な表情。俺、学校でそれを見掛けると目を離したくなくて、それで初めて、俺は父親の話を理解できたんだ。ああ、こういうことかと。俺は入間の側で時間を過ごしたいんだなって」

「全く気付かなかった」


 戸惑いの表情を浮かべた入間は、俺から目を逸らして下を向いた。


読んでくださって、ありがとうございました。

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