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クリスマスリース  作者: 我堂 由果
1/7

 ちょっと恥ずかしそうに頬を染め、ソファに身を縮めて座っている母親。アラフォーおばさんの恥じらいは気持ち悪い。

 その横で、文句あるかと言わんばかりに、ソファの背凭れにだらしなく背を預け踏ん反り返る父親。アラフィフのおっさんらしい狸の置物のような腹の脂肪の塊で、シャツのボタンが弾け飛びそうになっている。また更に太ったのだろう。


「妊娠したの」

 と母親。

「ということで、お前はこの夏、お兄ちゃんになる」

 と父親。

「は?」

 と俺。


 俺の頭は言われたことを直ぐには理解できなかった。しかし十秒後やっと頭が回転して、何が起きているのかを認識した。


「お兄ちゃんって……俺、十六歳だよ?」


 俺の名前は中島晴樹(なかじまはるき)、高校一年生だ。現時点で俺には兄弟はいない。一人っ子として育ってきた。それがいきなりこの年でお兄ちゃん? 何を考えているのだ、俺の両親は。


「それが何だ。こういう時はまず、おめでとうと言うんだ。常識だ」


 父親は踏ん反り返ったままで言う。まずお前らが常識と程遠いだろうと思いながら。


「オメデトウゴザイマス」


 俺は無感情な声でお祝いの言葉を口にした。まるで台詞の棒読みだ。母親の顔が少し悲しそうになった。でも仕方ないだろう。高校生の俺が『わーい、兄弟ができる。わーい』なんてノリや、『俺、何でも手伝うよ。頼りにしてくれ』なんてノリで、滅茶苦茶嬉しそうに話したら、それはそれでヤバイだろう。


「それでだ。お母さんは今丁度、悪阻でしんどいから、お前もお母さんに余計な負担を掛けないように生活をしなさい」

「あ、そう。わかった」


 俺はそう答えた。どうやら冗談ではないらしい。母親は妊娠している。俺はこれ以上この変な夫婦を見ていたくなくて、部屋に引き揚げようとしたら。


「それから、今週末。お母さんの代わりにクリスマスリース教室に行って、リースを作ってきてくれないか?」

「は? 何それ。やだよ。恥ずかしい」

「このところ悪阻が酷い日が多くて、お教室に行ける自信がないの。もうキャンセルできないし、お金払っちゃったから。ね、お願い」


 母親の目がウルウルしている。さっきからこの人、変だ。こんなキャラの人じゃなかった気がするのだが。子供ができて、頭の回路に異常が生じたのか?


「場所は山下先生の教室だ。お前も山下先生はよく知っているだろう。お前にはバイト代をちゃんと出すから」

「え~、たるい」

「バイト代、二万円だ。数時間で終わるんだし、親孝行と思って行ってこい」


 そして話は父親により強制終了。俺はたるいバイトに行かねばならなくなった。バックレようかとも思ったが数時間で二万円は魅力だ。冬休みに欲しい物もあった。数時間の我慢、割のいいバイトだ、とやる気の起きない自分に言い聞かせた。






 山下先生は母親が通っているフラワーアレンジメント教室の先生だ。俺が何故山下先生をよく知っているのかというと、フラワーアレンジメント教室の展覧会に母親の作品を見に行かされたり(小学生の頃だ)、『親子で作るクリスマスリース』なんて季節限定の特別教室に参加したりして(小学生の頃だ)、何度も山下先生に会っているからだった。そして当然だが中学生になってからは、母親と行動なんてしないし、そんな場所へは行かない。近寄りもしない。


 でも先日偶然、数年ぶりに道で山下先生を見掛けた。俺は話し掛けたくないし掛けられたくもなかったから、そそくさと脇道に逃げた。四十歳位に見えたが、実際の年齢はアラフィフだと思う。相変わらずの若見え美人だった。






 十一月最後の日曜日の午後。俺は教室に来ていた。山下先生の教室は先生の自宅に接して建てられている。将来、先生が年を取って教室を閉じたら、教室側を改築して二世帯住宅にする予定らしい。

 出掛けに父親から、「山下先生にはちゃんと挨拶するんだぞ」と言われていたので、挨拶だけはした。山下先生は「まぁ、大きくなったのね」と驚いていた。「これじゃあ道で擦れ違っても、晴樹君だってわからないわ」とも言われた。数年では大人は変化しないが、子供は激変する。先日道で先生を見掛けた時に、別に慌てて逃げなくてもよかったのだった。俺は相手も俺に気付く筈という思い込みで、無意味な行動をしていたのだ。


「適当な席に座ってね」


 先生はそう言うと、リース作りの準備の続きに戻った。


 教室の真ん中に作業テーブルを六つくっ付けて、その周りに椅子を並べてある。座っているのは俺のお祖母ちゃんの年代の高齢女性グループの四人だけで、他の人達はあちこちでグループになり立ち話をしていた。座っている人も立っている人も、全員賑やかに話し込んでいる。そして一人残らず女性だ。そんな中、十代男子の俺はかなり目立った。俺を不審そうにジロジロ見てから、ヒソヒソ話をする女性もいる。居心地が悪い。お金は惜しいがバイトは中止だ。やっぱり帰ろうかなと思ったその時。


 教室の入口から中を覗き込む、高校生位の女の子が見えた。長い髪をポニーテールにして、それが左右に揺れている。俺はその女の子の顔をよく見た後、驚いて声を上げそうになった、のを堪えた。それは俺のよく知る人物だった。同級生の入間朱音(いるまあかね)だ。何故彼女がこんな所に居るのか。


 入間は緊張した表情で、オドオドと部屋の中に一歩入ると、キョロキョロと中を見回した。俺に気付いた様子はない。緊張の所為もあるだろうが、俺がこんな所に居るなんて思いもしないだろうから、目に入ってもこうして立っている俺と、学校の教室での俺が繋がらないのだろう。

 入間は部屋の奥の山下先生を見ると、少し笑顔を浮かべた表情に変わった。そして真っ直ぐに山下先生に向かって、教室を突っ切った。


「こんにちは。ホームページから申し込んだ入間です!」


 入間は山下先生の真ん前に立つと、大きな声でそう言った。


「こんにちは。いらっしゃい、入間さんね。お待ちしておりました。初心者よね。ちゃんとリースができ上がって帰れるから安心して参加してね」


 先生がにこやかに話し掛ける。


「はい!」


 また入間の大きな声がした。


「あ、そうね。今日はもう一人高校生が居るから、隣同士で座ってもらおうかしら。ね、いいでしょ? 晴樹君」


 先生は俺を見る。入間も先生の視線に釣られるように俺を見た。


「オス、入間。今日はよろしくな」


 俺はそれだけ言った。暫し俺の顔を凝視した後、入間の目が真ん丸に開かれる。それから直ぐに眉間に皺を寄せた。


「げ、もしかして中島?」


 入間は嫌そうな顔のまま言った。そして次に「ぷっ」と吹き出してから、蔑むような笑顔になる。


「十代男子のあんたが、この女性だらけの中でリース作り? 何その趣味、痛過ぎ」


 馬鹿にしたように言う。そんなことわかっている。俺だってこんな所には来たくない。これはバイトなのだ。お金が貰えるのだ。


「母親の代理だよ。仕方ないんだ」


「ふ~ん、どーだか」


 入間は俺に疑いの視線を向ける。


「あら、二人は知り合いなの?」


 山下先生に聞かれた。


「はい、高校の同級生です。クラスも同じ二組で」


 俺はそう答えた。


「そう、なら二人共、大地の同級生でもあるのね」


 山下大地(やましただいち)。山下先生の息子さんで、俺と同学年で、しかも同じ高校だ。山下大地と俺は、中学までは学区の違いで別の学校であった。しかし高校受験で俺達は二人共同じ高校を受験して合格し、同じ高校に通うことになった。

 俺は山下大地の顔は知っているが、山下は三組で俺と違うクラスだし、俺は帰宅部で山下はサッカー部。全く接点がないから友達になる筈もない。ただ母親同士が知り合いというだけだ。


「じゃあ、二人はそこの席に並んで」


 山下先生は作業テーブルの横に移動すると、二つの椅子を引いた。その二つの席に俺と入間で座れと言いたいのだろう。入間は言われた通りに座る。俺もその隣に座った。座ると直ぐに入間は、隣の席の俺の顔をニヤニヤして覗き込む。


「面白い。明日、月曜日の学校が楽しみ」


 入間はそう言った。月曜に学校で、今日俺に会ったと同級生達にふれ回るのだろうか。面倒臭いことをされる前に、ちゃんと俺の状況を説明しようと思ったのだが。


「じゃあ時間だから、皆さん席に着いて」


 先生の声に、立ち話に花を咲かせていた女性達が、グループのまま固まって空いている席に陣取って行く。譲ったり詰めたりして、何とか問題なく全員が席に着けた。


「今日唯一の男性、晴樹君は、中島さんの息子さんです」


 この女性だらけ中で唯一の不審人物である俺について、山下先生は説明を始めた。


「日頃お教室に通っていらっしゃる生徒さんは、中島さんを御存知ですよね」


 頷く女性。周囲の人と顔を見合わせる女性。隣の人に説明をする女性。この中の七割くらいの人が、俺の母親と顔見知りのようだった。


「中島さんはおめでたで、体調がすぐれないので、年内はお教室をお休みする予定です」


 先生の話に女性達はざわついた。


「おめでとう」

「おめでとう」

 次々と女性達から、俺がお祝いの言葉を浴びせられる。


「ありがとうございます」


 何で俺に言うのだと思いながら、女性達に礼を言った。それから俺は隣に座る入間を見た。入間はポカンとした顔をしている。そりゃそんな顔するだろうなと思う。同級生の俺に兄弟ができるなんて話を聞かされたら。


「それでお母さんの代わりに、今日は晴樹君がクリスマスリースを作りに来てくれました」


 何故か拍手が起こった。「偉いわ~」、「お母さん幸せね」、「孝行息子ね」などと、おばさん年齢の女性達が口々に俺を褒める。バイト代を貰う、賛辞を頂けるようないい息子ではない俺は、何も言えずただおばさん達に向かいヒョコヒョコと小さく頭を数回下げた。隣の入間を見ると、相変わらずポカンとした顔。


「じゃあ、クリスマスリース作りを始めましょう」


 山下先生が開始を告げた。俺は目の前に置かれている、植物の蔓を束ねて輪っかにした、リースの土台を見詰めた。チラリと隣の入間を見ると、入間も土台を見詰めている。


 山下先生が全員に、長さ七十センチくらいありそうな、大きなモミの枝を配った。入間は大きな団扇のように小枝が広がる大枝の根元を右手で持ち、珍しそうに眺めている。

 これはそのままでは使えない、それをハサミで短い枝に切り分けていくところからリース作りは始まるのだ、と先生は初心者達に説明を始めた。






 日頃の入間はよく教室で、友人達と男性アイドルグループの話をしていた。そのグループの中でも『かっくん』と呼ばれている、彼女の最も好きなアイドルの話をする時は、一際声がでかくなって夢中になって話していた。ファンクラブの話。コンサートの話。グッズの話。入間の趣味はその男性アイドルの追っかけだと思っていた。しかしどういう訳か今日、クリスマスリース作りに現れた入間。しかも一人でだ。


 リース作りに興味があるにしても、友達とか誘わなかったのだろうか。友達に断られたとしても、母親とか、お祖母ちゃんとか、姉妹とか、従姉妹とか、誰か誘わなかったのだろうか。全員に断られて一人で来るしかないのなら、今年は諦めそうな気がするのだが。現に今俺の周りに居るおばさん達も、顔見知りグループで来てワイワイ雑談しながら枝を切っている。女性にとってはそれも楽しみの一つなのだろうと思うのだが。


 入間は恐る恐るといった手付きで枝を切る。パチンと切っては切り落とした枝を摘まみ、睨む。その挙動不審に近い自信なさげな動作に、大丈夫かこいつ、と俺は心配になった。


 俺にとって入間という女子は、他の同級生の女子達とは少し違う。それは俺の中の入間への思いの所為。これから数時間だが入間が隣に居る。それは嬉しいことであり困ったことであり。

 これから夕方まで、態度に現れないように、同級生として自然と振舞えるように。俺は俺の中の思いを、絶対に入間に気付かれないようにしなくてはならないと思っていた。

 だって入間が夢中な『かっくん』の顔と俺の顔は全く似ていないから、俺が入間の好みである筈ないから。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 第一話を拝読しました! ひょんなこと(本当にそうそうお目にかかれない理由で)からフラワーアレンジメント教室に母の代わりに行く事になった晴樹くん、16歳! バイト代が、素晴らしい!とはいえ。…
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