白い光
「久方の」
と、古典教師がゆったりと教室の空気を揺らす。その瞬間、不意に三保松原に鋭く白い光が差し込む景色がふわりと浮かぶ。富士山にニット帽のように被さる雪。少しだけ黄ばみがかった砂浜。大矢の黒く焦げた左手。モノトーンなそれらとは正反対に、自己主張の強い防風林たちのべったりとした苔色の葉。
それぞれの色の既視感に見舞われながら、大矢は記憶の断片をまるで明日提出の宿題を必死に探すような心持ちで取り出そうとする。
しかし、それはいくら机の下や引き出しを弄ろうとも見つからない。大矢は一旦落ち着こうと、意識的に姿勢を整え、息を2倍くらい遅く、酸素を3倍くらい多く吸おうとする。
脳にヘモグロビンが酸素をせかせかと運んでくるCG映像を再生し、彼らの仕事が終わるのを見守る。まるで親が子の砂場遊びを公園の隅からアルカイックスマイルで見つめるように、大矢には不思議と自分が頭の端っこ、右脳の片隅にいる感覚に陥る。そして、そのことに気づき、勝手に誇らしくなると同時に教師のしゃがれた声が耳に届く。一種の瞑想状態から抜けてしまったのか、と妙に残念な気持ちになり、そんな自分を見つけ、苦笑する。今の笑みは周りからは、変な妄想をしていたのだろうと思われるのだろうか。女子が男子に抱いている「男は皆、獣」という偏見染みたキャッチコピーを強力にしてしまったろうか。もしそうならば、他の男子たちに心から謝りたいと半分冗談で、それでも半分は割と本気で思う。白髪が80%くらいの、つまりぱっと見でお爺ちゃんのような古典教師が、授業終了時刻まで残り5分のところで自習が勧告された。やった、と口元を緩める。
そして、これから近くのクラスメートと雑談をしようというまさにその瞬間、頭のど真ん中を違和感が通り過ぎる。その違和感はとても綺麗で、歪な彗星のようだった。朝日と夕日の魅力を半分ずつ持った光の帯を手繰り寄せ、それが記憶の断片だということにかろうじて気づく。しかし、それは形をすぐに変え、手のひらに溶けていく。なんとなく右手の毛細血管からまた脳に戻る淡い期待を消せずに、30秒、神妙に心を鎮める。
何がしたかったのだろう、もう忘れそうになっているあの美しい違和感が何度も何度も蘇りそうで蘇らないのだ。
大矢は、無駄な時間を過ごしたと思えず、自分が今だけこの世界の主人公になれた気がして、嬉しくなるのだった。