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良晴が初めて第五支部を訪れてから、数日がたった。
「なあ、なんか飲み物買ってきてくれないか」
彼は支部のソファに寝転がりながら、空のペットボトルを振って遊んでいた。ここへ来る前に買ったコーラは、とっくの昔に喉を過ぎていた。
「はあ? 自分で買ってこいよ」
向かいのソファに座っていた奈緒は、ノートから顔を上げると、頼み事をつっぱねた。
「というか、勉強してんのかよ。真面目だなぁ」
「これは明日提出の課題だ。常井はやったのか?」
「やってね」
「やれ」
「この前の小テストで俺は悟ったのさ、焦ってする勉強など無意味なものだと!」
「この前が特殊だったんだ! あんなこともう絶対起こらないぞ! ごたごた言ってないで課題を片付けるんだ!」
「ワカリマシタ…………。だが、飲み物がないと、俺は勉強できないんだ」
勢いに押されて良晴は屈服した。しかし、最後の抵抗をしてやろうと、彼は汚い意地をみせた。
「買ってこい」
「めんどくさい。動きたくない」
「飲まずに勉強しろ」
「ごっほ、ごっほ! のどが渇いて……死ぬ……」
「あなたたち、うるさいわよ!」
これまで黙々と書類整理をしていた京佳が、貯めに貯めていたダムをついに放水させた。
「なんなのもう! 私がこの面倒くさい作業を、一生懸命こなしているのに、あなたたちは楽しそうにお喋り! 私もまぜてほしいわ!」
この激流はとどまることを知らない。
「京佳ちゃんは課題終わらせたの?」
「とっくの昔に済ませたわ!」
「おーー」
「はーー」
「それと、常井くん。飲み物が欲しいんだったわよね」
「え? ああ……」
課題を済ませた人がいる! この事実に良晴は心打たれていた。素晴らしい! 素晴らしい! なので飲み物のことなど、どうでもよくなっていた。
「そのペットボトル、動かさずに持っていなさい!」
京佳は、構えられたペットボトルを注視した。するとその中に、透明な液体がブクブクと湧き出てきた。まるで温泉のようだ。湧き出た液体はとても冷たかった。
京佳の能力は操水なのだ、それもαクラスの。なので学校では結構な有名人だ。なんでも、我が校創立以来、二人目のαクラス者なのだそうだ。
「……これ飲めるのか?」
良晴はこれまで、操水者の水を飲んだことがなかった。
「飲めるわよ! 私から出た水なのよ。飲めないわけないじゃない」
「変なものが入ってたりとか……」
「しないわよ!」
「いや、でも……」
「喉乾いて死にそうなんでしょ。さっさと飲みなさい」
「これなら水道水のほうが……」
「ああ、もう! うるさいわね! 奈緒、手伝ってあげなさい」
奈緒は、念動力で良晴の手を動かそうとしたが、それは無理だと思い直した。人には能力子というものが備わっていて、他人に能力を作用させようとすると、その能力子が拒絶を起こし働きは無効化されてしまうのだ。無論、相手が働きを容認していれば、無効化されることはない。
こんな風に働きかけると……、
「うぐぐぐぐ!」
「あら、ちゃんと飲んでくれたじゃない。どう、美味しいでしょ?」
念動力が効いてしまった……。
「ばばばばば」
良晴は、ペットボトルの水で溺れそうになっていた。
殺しちゃいけないと、奈緒は働きかけをやめた。
「ぷはぁ! し、死ぬかと思った」
「なによそれ! クソ不味いっていうの?」
「いやそうじゃなくてだな、腕が勝手に……」
良晴は弁明を試みたが、後の言葉が続かなかった。腕が自己の制御不可に陥った。それは分かるが、そうとしか説明できない。詳しく言えない。
「私だ、私が動かしたんだ」
「奈緒が? でもどうやって」
「念動力で……」
それは不可能のはずだ。不干渉の則は、能力を使用するにあたり、基礎中の基礎だ。この則を破ることは絶対にできない。奈緒が冗談を言っているのではないか? と良晴は真っ先に考えた。
「もしかしたら、癒着した霧は、能力子を奪い取る機械なのかもしれないわね。能力子は能力の源だもの」
ということは、厳密に言えば、俺は能力ではなく能力子を奪われてしまったのか。源がなければ、そこから湧き出るものもない。
「自分の組織で開発されたものなのに、補助機の情報を把握していないのか?」
「うるさいわね。補助機についての事項は、結社内部でも機密事項なの。だからあまり詳しい情報は、上から伝えられなかったのよ」
「そういえば、柳川さんは?」
支部に来てから気になっていたことを、良晴は今だとばかりに質問した。
室内には、京佳、奈緒、そして良晴しかいなかった。
「あの人は仕事よ。私たち学生とは違うの」
「仕事ってこの結社が勤め先じゃないのか?」
「あー、なかなか鋭いこと言うわね。もちろん、結社での業務を、本職としている人もいるわ——例えば、癒着した霧を作った研究者とか——。でも、柳川は本業とはしていないのよ」
話をすればなんとやら、誰かが階段を登る音が聞こえた。音の主はもちろん、柳川さんだ。彼はドアを開けた。
「あれ? 皆さんお揃いで、一体どうしたの?」
「どうしてもいないわ。さて、全員が揃ったところで本題に入るわよ」
京佳は、部屋の脇の方にあったホワイトボードを、ガラガラと引いて歩き、事務机の前に持ってきた。
「はや〜、気合入ってるね」
柳川さんが荷物をロッカーにしまいながら言った。
「いつものことだろう」
と奈緒がそれに応えた。
京佳はホワイトボードにキュッキュッと文字を書いていく。
菊池を捕まえる方法について、みんなで考えよう!
「ここに書いてある通りよ。まずは菊池を見つけ出すところから始めましょう」
何故かふんぞり返る京佳。
「わーー」
「パチパチパチ」
柳川さんと奈緒が、偉大なる京佳様を称えていた。
なんだこりゃ。
「発言していいか?」
この空気に飲まれぬよう、良晴は自己を明瞭にする意味も込めて、毅然と言った。飲まれたら危険な気がする。
「ええ、どうぞ」
京佳が質問の許可を出した。
「菊池についての調査結果とかないのか? 彼がどのような人物なのかを知りたい」
あるならそれを先に聞きたい。その調査結果から、アイディアを絞り出せるかもしれないだろう。
「ないわ!」
「ないのかよ! 何も調べてないのかよ! まっさらさらさかよ!」
「あっ! 本部から送られてきた調査書ならある。でも、菊池の個人情報と、癒着した霧に関する情報しか書かれていないから、あまり参考にならないと思うわ」
「そうか」
参考にならないのなら、見ても仕方あるまい。
「とりあえず、この前常井くんが菊池に会った場所、そこを中心に調査してみたらどうかな。また現れるかもしれないし」
柳川さんが柔らかな声で言った。
「それ、いいわね。採用で」
はやい! 簡単!
あいつとぶつかった場所か。くっ、たい焼きのことが思い出されて、くっ。ぶつかったとき、あいつも持っていた袋を落とせばよかったんだ。
……………。あっ。
「あいつ、田所薬局の紙袋持ってたな」
「そうなの? ならまず、薬局に行ってみましょうか。何か話が聞けるかもしれないし」
その後の取り決めで、明日から調査を始めることになった。