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流氷と月光  作者: 伊藤
7/26

1-7

 指定されたビルの前に、良晴は途中二回ほど迷いながらも、たどり着けた。そのビルは三階建てだった。メモ用紙には二階と書かれている。一階には、なにやらおしゃれな個人経営のカフェが入っている。

 カフェの横に、コンクリートで造られた階段があったので、良晴はそれを上った。やがて、鉄製のドアが見えてきた。階段はさらに上へと続いている。けれども指定された階数は二階なので、このドアであっているのだろう。

 良晴は、ドアの隣に備え付けられたインターホンを押した。すると、ピンポーンと部屋の中から音が聞こえた。

 ガチャリとドアが開かれた。

 京佳が出てくるのかと思っていたら、知らないおっさんが出てきた。

「のわっ!」

 たまらず、良晴は声を上げてしまった。

「す、すみません」

 おっさんに対してでも、さっきの素っ頓狂な声は失礼だった。

「いや、大丈夫だよ。それよりも、君が常井良晴くんだね?」

 この白髪混じりで皺の多いおっさんは、にこやかに良晴の名前をいいあてた。

「そうですけど、北沢さんは……?」

「ああ、彼女ならあとから来るよ。とりあえず、中に入るかい?」

「でも……」

 このおっさんは何者なのだ? 知らないおっさんの言うことをきいて、問題ないだろうか。

 ……おっさんは京佳の名前を知っていたのだ。ならば、京佳と何かしらのつながりがあるとみて間違いない。だが、それがどういった関係なのかは推測できない。一方的に知っているだけかもしれない。

 ………………。

 こんなに考えても仕方がない。まあ、常識的に考えて、入っても大丈夫だろう。

「おじゃまします……」

 入る決心をつけた良晴は、おずおずとおっさんが開けたドアをくぐり、部屋の中に入っていった。

 まるで事務所のようだった。

 少なくとも住居ではなさそうだ。

 部屋の中心には、ソファが対になって置かれており、そのソファとソファとの間に小さなテーブルがあった。さらに部屋の奥、窓側には、事務机と椅子のセットが一つ。

「どうぞ座って」

 とおっさんは右のソファーを指す。

 言われたとおりに腰を下ろすと、革張りのソファへ身体がグッと沈み込んだ。いい座り心地だ。

 おっさんは部屋の奥、ついたての向こう側に、引っ込んでいた。

 しばらくすると、お茶がのったお盆を持って、良晴の方に戻ってきた。

「あっ、お気遣いなく……」

 と言われてお茶を戻したら、かなり変だ。

「どうぞ」

 もちろんおっさんは、良晴の言葉を聞かずにお茶を出した。

 おっさんはついたての奥にまた引っ込んでいった。しかし、今度はすぐに戻ってきた。お盆をしまいに戻っただけのようだ。

 戻ってきたおっさんは、良晴の向かい側に腰を下ろした。

「…………」

「…………」

 ずずずと両者お茶を飲む。

 良晴は思った、どうすんだこれ。

 初対面のおっさんと何を話せばよいのだろう、良晴がそう考えていると、目の前にいるおっさんが口を切った。

「自己紹介がまだだったね。僕の名前は柳川というんだ」

「これはどうも。俺の名前は……」

「常井くんだよね?」

 そうだ。さっき名前を確認されたのだった。

「…………」

「…………」

 ずずず。

 二人とも、ほっと一息ついた。何者かが調和を取っているかのように、二人はシンクロして息をついた。

 しばしの間ができる。

 すると、良晴の意識外に追いやられていたドアが、古びた音をたてて開かれた。

「あら、あなた、先に来てたのね」

 京佳が部屋の中に入ってきた。

「やあ、来るの遅いじゃないか」

「私にだって色々あるのよ。それにあなたが早すぎる、というのもあるわ。あなた、暇なの?」

「暇かだって? ほっとけ」

 京佳は、鞄をロッカーにしまうと、座っている良晴に近づいていった。

「さて、それでは話を始めましょうか」

「さっさと始めてくれ」

「……あなた、いちいちうるさいわ。少しの間静かにしてもらえるかしら」

「スイマセン」

 仕切り直しのため、京佳は一度咳払いをした。

 そして、良晴から見える位置に立って話を始めた。

「いきなりだけど、あなた今、能力が使えないわね?」

「うぶぶっ!」

 そのことを、ピタリと言い当てられて動揺した良晴は、飲んでいたお茶を吹き出してしまった。

「だ、大丈夫かい? 常井くん」

 柳川さんは、良晴の噴水を瞬発的に避け、吐き出されたお茶を処理すべく、ついたての向こうから布巾とタオルを持ってきてくれた。

 それに対して京佳は……、

「汚いわ」

 と一蹴するばかりであった。

 やがて、噴出されたものの片付けが終わる。

「で、なんで能力がなくなったこと、知ってるんだよ」

「それも含めて、今から話を進めるわ。もうお茶、吹き出さないでね」

「わかっとるわ。吹き出したくて、吹き出したんじゃない」

 こほんと、京佳はまた咳払いをする。

「実は、私たちはある結社の一員なの」

「はぁ……。結社……?」

「そう、結社。結社の名前は『流氷と月光』。ドイツに本部があって、世界各地で活動しているの。結社の目的は、能力の研磨と研究。決して怪しい組織ではないわ」

 自分で「怪しい組織ではない」とか言っちゃうのかよ……。

「それで?」

「それで、一ヶ月前、本部の研究室から奪取の補助機——補助機名は『癒着した霧』——、が何者かによって盗まれてしまったのよ」

「ちょっと待て、結社の話までは理解できた。だが、補助機……? の話から急に理解が追いつかなくなった。そもそも補助機ってなんだ?」

 良晴は補助機という言葉を今初めて聞いたのだ。

「そうね、そこの話もしなければならないわよね」

「そうだー。してくれー」

「……うるさいわよ?」

 キリッと京佳は睨みをきかせた。

「はい……」

 鋭き眼光に射抜かれて、これには良晴もおとなしくならざるを得ない。

「補助機というのは、能力に作用したり、能力を利用して作動したり、他にも色々な種類の……なにかしら………………おほん! とにかく能力に関する機械なのよ。これらは我が結社で開発されているの」

 結社の業績を他者に紹介できると、京佳は誇らしげに胸を張りながら、補助機の説明をした。

「へー」

 だが、補助機の説明を聞いても、良晴は特に大きな反応を示さなかっため、京佳は少し落胆してしまった。

「ごほん! では話を戻すわね。補助機を盗まれた結社は、血眼になって捜査を行ったわ。そしてある一人の人物をあぶり出したのよ! ああ、なんという捜査能力! さすが我が結社だわ! 他の組織ではこうはいかないでしょうね」

 いつの間にか、京佳の口には熱が入っていた。彼女は自己の結社を、誇りに思っているのだ。それゆえ、結社の業績は彼女の業績であり、結社の過失は彼女の過失でもあった。彼女は自己を考えるとき、結社を考えずにはいられないのだった。それほどまでに、自己と結社を結びつけていた。

「それで盗んだのは誰だったんだ?」

「それは……! こいつよ」

 京佳は制服の胸ポケットから一枚の写真を取り出した。

 この顔に良晴は見覚えがあった。先日、たい焼きを買った帰り道に、衝突を起こした人物だ。

「こいつ……」

「あなたは知っているでしょうね」

 問いかけに、良晴はコクリと頷いた。

「そして、この人物の盗んだ癒着した霧は、能力を対象から切り離し、機巧内部に閉じ込めるの」

 ……ああ、そういうことか、合点がいったぞ、俺がここに呼ばれたわけが。

「つまり、俺が能力を失った原因は」

「この男に奪われたからよ」

 能力を奪われた。人に能力を奪われた。そんなことが可能か? 可能……? 俺は能力を失っているのだ。それなのに可能もクソもあるか! それを考えるのなら、能力が消えることなどありえるのかを考えるのだな! ははははは! ここ最近、驚きの連続だ……! 信じられないことばかりだ。疑うことが多い。信じられないなら疑うしかない。だが、疑うばかりが能ではない。現実的に考えれば、疑いは無意味であり、捨てるべきなのだ。それを現実が証明しているのだ。

「あなた、大丈夫?」

 良晴の瞳は貪欲に見開かれていた。まるで瞳が、世界を吸収しているようだ。大気すら……、物質すら……。

「ああ、大丈夫だ。気にしないで話を進めてくれ」

「そう、大丈夫なのね? ……それじゃ、話を進めるわ。この人物の名前は、菊池省吾というの。菊池が日本、それもこのあたりの地域に逃亡してきたというので、私たち、流氷と月光日本第五支部は、彼を捕縛するよう本部から命じられたのよ。そして、ここからが重要なの、あなたにとっても」

 良晴の喉がゴクリとなった。脅すような口調で、一語一語焦らすように、京佳が区切りをつけて言ったのだ。

「変に緊張させるなよ……」

 手に汗がにじんでいた。それに気づいた良晴は、左手を軽く開閉させた。

「ふふっ、ごめんなさいね。そんなつもりはなかったのよ。さて、あなたはこの男に能力を奪われてしまった。なのでしばらくは、私たちと行動を共にしてもらいたいの」

「共にって……、四六時中?」

「さすがにそこまでは要求しないわよ。あなたには、私たちの不祥事で迷惑をかけてしまった。そして今後、菊池があなたにちょっかいをださないとも限らないでしょう。なので、あなたを守るために、本当は私たちの手の届く範囲にいて欲しいの。

 でも、四六時中私たちと一緒にいたら、疲れてしまうでしょう? なので、たまにでいいの。気が向いたときにぜひ、この第五支部に顔を出して欲しい。そうすれば、あなたが無事だって確認できるから」

 京佳の声は哀願するような調子になっていた。良晴に何かあったら、純白な結社の名に傷がつく。そんなことあってはならない。

 良晴は良晴で、この申し出を受け入れるか考えていた。

 こんな奇っ怪な事件に巻き込まれているのなら、誰か頼りになる人に助けてもらったほうがいい。これはその絶好の機会だ。

「ああ、分かった。たまに寄るよ」

「本当? 嬉しいわ!」

 良晴の手がガシッと力強く握られた。そのままブンブンと上下に激しく振られる。

「わかった、わかったから。手放してくれ! 腕もげる!」

「ごめんなさい……」

 パッと放たれ、右手が自由になる。

「これで私たちの話はお終いよ」

 やっと話が終わったみたいだ。特に疲れはしなかった。

 彼らが話をしている間、柳川さんはお茶を飲みながら、のほほんとしていたようだ。

「そういえば、俺が能力を奪われたとどうやって知ったんだ?」

 結社が持つすごい情報網とか?

「それは……」

 突然、階段へつづくドアが勢い良く開かれた。

 良晴はビクッと身をすくませたが、他の二人は平然としており、関心を寄せなかった。

 何事かと思い、良晴はドアの方を振り返った。するとそこには奈緒が立っていた。きょとんとしてしまった。いきなり現れた彼女、彼女の存在を認められないでいた。認められないでいた、というのは少し大げさかもしれない。だが、なぜ彼女がここにいるのだろうと、一瞬でも彼女の存在を否定しようとしたのは確かだ。

 良晴の動揺に反して奈緒は、

「やあ」

 と何気なさそうに言った。

「やあ……?」

「………………」

「………………」

「やあ、じゃなかったら、こんにちは?」

「こんにちは?」

「こんにちは」

 端から見るとなにがなんだか分からないやり取りを、彼らは大真面目にしていた。良晴は「こんにちは」と返されて全てを納得した。彼女の「こんちには」は、落ち着きを帯びていて、日常の効力を持ち、良晴に日常を伝染させた。驚きが拭い去られ、彼女との関係は思い出された。

 だが、彼らにとっては真面目でも、他人にとっては意味不明だ。意味不明なやり取りを断滅すべく京佳が一歩乗り出した。

「あのね……」

「なに? 京佳ちゃん」

「あなたたちはそれで通じ合っているの?」

「うん。通じ合って、   」

「         いるよ」

 連携して喋る奈緒に、京佳はため息をついた。

「あっ、そうか。村江が北沢に伝えたのか」

 これまでの脈絡を断ち切るように良晴が言った。先ほど中途半端になってしまった話の続きだろう。つまり、能力がなくなったのを、京佳がどうやって知ったかについて。

 良晴は能力が使えなくなったと奈緒に相談したのだった。

「そうよ。彼女は我が結社の一員なの。彼女がいなかったら、補助機の被害に遭った人——つまりあなたを発見できなかったでしょうね」

「いや〜、そんなに褒められても〜」

「誇っていいわよ、奈緒」

「えっへん」

 飼い馴らされている!

「これからも頑張ってね」

「うん、頑張るよ! ありがとう、京佳ちゃん」

 しかもエサ代は安い! 褒めるだけだ!

 奈緒をあやし終わった京佳は、改めてと良晴に向き直った。

「まあ、なにはともあれ、これからよろしくね。常井くん」

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