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流氷と月光  作者: 伊藤
23/26

4-5

 第五支部へ着いたとき、日は暮れかけていたので、翌日から菊池の捜索を開始した。あたりが暗ければ、特定の人物を探し出すのは困難だろう。

 焦る必要はなかった。焦っても仕方ない。一日二日の違いは、菊池の捜索に影響を与えないだろう。

 捜索一日目。

 丸印の付いている全ての箇所を巡ってみたが、菊池を発見することはできなかった。一日目ならこんなものだろうと、京佳は思った。これから何回も同じことを繰り返していくつもりでいたんだ。一日目で見つかってたまるか。

 それから数日間、毎日菊池を捜してみたが、やはり見つけられなかった。何度も捜索を行っていたので、丸印の箇所を効率的に回るためのコースも考え出されていた。

 だがそのコースが、長期間使われることはなかった。

 九日目の捜索の日に菊池を発見したのだ。

 次の丸印の箇所に向かおうと歩いていたとき、ふと目の前に彼は現れた。

 前を歩いていた彼は、まだこちらに気づいていないようだった。コンビニエンスストアのビニール袋なんかをぶら下げている。袋に書いてある店の名前は、丸印のついた店の名前と同じだ。これから見回りにいこうとしていた店に行っていたようだ。

 ここでは人の目があると考えた京佳は、菊池のあとをつけていくことにした。

 黙々と黙々と菊池のあとを追いかけていく。

 菊池は人混みを避けて、路地裏に入っていった。

 これは好都合と京佳は思ったが、あまりにも都合が良すぎる。おびき寄せているのかもしれない。

 京佳と奈緒は顔を見合わせた。

「どうしましょう」

「どうしましょうって何が?」

「菊池をこのまま追いかけるかどうかよ」

「なんで中断するんだ? 追いかけるしかないだろう」

 この人は菊池の行動の意味に気づいていないのだろうか。

 ならばそれでいい。私も追いかけたかったのだ。せっかく菊池を見つけられたのに見逃したくはない。

 京佳たちには路地裏に踏み入れた。

 菊池は相変わらず呑気に前方を歩いている。

 曲がり角が多いので見失わないように距離をつめる。

 気配を悟られそうな距離まで来てしまった。

 だが菊池がこちらを向くことはない。

 ……鈍感なのか?

 いいや、油断してはいけない。気を抜いたときに限って悲劇は起こるのだ。

 気を引き締めて、京佳は前を歩く菊池を注視した。

 そんな時、菊池が不意に立ち止まった。

「なにか用があるのかね?」

 突然の問いかけに京佳は動揺した。しかしその動揺を表に出さずに、冷静を装って返答した。

「あら、気づいていたのね。てっきり全然気づいていないものだと、思っていたわ」

「いつ声をかけようか、こちらもタイミングを見計らっていたのだ」

 と言って菊池は振り返った。

「安心してくれ。別に罠など仕掛けていない。君たちと落ち着いて話がしたかっただけだ」

「あなたから話があるの?」

「違う。君たちがあとをつけてきたので、何か用があるのだと思ったのだ」

「ご親切にどうも」

「で、用件はなんだ?」

「それは……」

 はて、どうやって切り出そうか。改めて用件を訊かれると、どう答えていいのか戸惑ってしまった。いつもは流れで用件を切り出していたのに、こんな丁寧に訊かれるなんて……。

 まさかこれも菊池の作戦の内なのでは? こうやって相手を戸惑わせて、疲弊させようとしているのだ!

 しばらく逡巡していると、心配した奈緒が助け舟を出した。

「私が話そうか?」

「いいえ、大丈夫よ」

 奈緒の声で、思考の渦から解き放たれた京佳は、奈緒の助けを断った。話を切り出すくらい自分でできる。

「そういえば、操炎の彼はどうしたのだ? いつも一緒にいたのに」

 ウジウジ考えていたのが無駄になった。菊池の方から切り出してくれるなんて!

「常井くんはここには来られないわ」

「なぜだ? 喧嘩でもしたのか?」

「喧嘩なら良かったわね……」

 彼のことを思い出すと、京佳は感傷的な気分になった。第二支部の一室に閉じ込められている彼が不憫で仕方なかった。

 あの部屋にいる彼は、今、何をしているのだろうか。眠っている? 起きている? 遊んでいる? 退屈している?

 あの部屋とそこにいる彼は、きっと孤独に違いない。取り残された部屋が浮遊して見える。白くまっさらな土地にゆきついた無知なる部屋……。

 私がここで任を果たさなければ、彼はずっと閉じ込められたまま……。外にも出られず、永遠と……。

 今まで深く考えなかった彼の事情が、頭の中を駆け抜けたので、京佳は恐ろしくなった。その恐ろしさは自身を動かす原動力へと変換される。

 まっすぐと敵を見据える。

「彼は外へ出られないのよ。それもこれもあなたのせい」

 奈緒は、京佳が並ならぬ雰囲気をまとっているのに気がついた。通常の生活ではありえない恐ろしいものだ。

 それは殺気だった。

 京佳は、獰猛な清涼感にとらわれ、菊池を攻撃しようとした。京佳が本気で攻撃すれば、肉体を欠けさせることなど簡単だ。無論殺すことも。

 だが、それはできなかった。

 良晴と菊池が重なって見えたのだ。菊池を攻撃することと、良晴を攻撃することは、同義に思われた。菊池も人間である以上、良晴となんら変わりはない。攻撃され、傷つけられた菊池は、良晴と同じように不遇な生活を送るようになるのかもしれない。病院のベッドに横たわる菊池の姿が容易に想像できた。こんなの平和ボケだ、と自己反省してみるももうどうにもならない。一度思い浮かべた光景はなかなか忘れられない。「流氷と月光」が、もっと実戦的な結社ならば、このような事態は回避できただろうに。

 力が抜けてしまい、指先一本動かすこともできなくなった。

 一転し、強さは弱さへと変わったのだ。

 京佳の瞳は自然と潤んでいた。情けなかった。友達のために人を傷つける覚悟もなく、自身の覚悟のなさに耐えることもできない。どうしようもなく行き詰った状況が京佳を縛り上げ苦しめた。

 京佳の衰弱は、奈緒から見ても分かるほどだった。しかし奈緒は、京佳の事情など知るはずもない。声をかけるべきか迷った。結局、声はかけなかった。かけるべき言葉が見つからなかったのだ。不用意な言葉はマイナスに作用する可能性もある。なので奈緒は沈黙を通した、京佳を心配しつつも。

 奈緒に分かることが菊池に分からないはずはない。菊池は、良晴が来られない理由について、なんらかの災難があり来られないのだと、おおよその察しをつけた。

「何があったか詳しいことは分からないが、泣くのだけはやめてくれ」

「泣いてなんかいないわよ」

「俺には瞳が揺らいでいるように見える」

「そんなわけないじゃない」

 京佳は袖口をつかみ、腕で目元を擦った。染みがついた。見向きもしなかった。

「あなたの前で泣きはしない」

「殊勝な女だ」

「なんとでも言いなさい」

 京佳が十分な敵意を込めて菊池を睨んだ。すると睨まれた菊池も睨み返してきた。

「常井の能力を返してくれないか」

 このままでは埒が明かないと思った奈緒は、なんのために菊池に会いに来たかを、余計な言葉を一切つけ加えずに伝えた。

「素直に返すわけないだろう。といっても、俺にはこの能力はもう必要ないのだが」

「必要ないなら返せばいいじゃないか」

「返しても俺に利はないだろう」

「そうか。ならなんで必要なくなったんだ。そのくらいなら答えてもいいだろう」

「そうだな、そのくらいならいいのかもしれない。いや……」

 菊池は中途半端に言いかけてやめた。けれどもう一度口を開いた。

「俺の研究に限界が訪れたからだ。ソーマを使用してクラスの底上げを図る。基本的な考えは、間違っていないはずだった。しかし失敗した。最後に残った唯一の方法を試してみたが、無残な結果に終わった。俺には理解できない。神は味方しなかったのだ。不可能は不可能のままで一切の展開をみせなかった。そんな結果ってあるか。人間を馬鹿にしてやがる。もう別の方法は思い浮かばないし、気力も資金も底をつきた。残されたのは降壇への道。俺はおとなしく壇上を降りることにした。神がクラスの底上げを認めなかったのならば、諦めるのが正しい道のように思える」

「ははっ、ついに失敗したのね。なら常井くんの能力を返してよ。持っていても無駄なだけじゃない。……それはできないって言うの? あまりにも自分勝手ね。そんなんだから研究も成功しないのよ」

「君の言動は普通じゃないように思われる。どこか切羽詰まっているような、何かに追われているような、とにかく尋常ではない。最初に会ったときとは大違いだ。一体何があったのだ。これほどまでに人を乱す出来事。だがどんな出来事でも研究の失敗には敵うまい。俺は神に失望し、自身にも失望したのだ」

 京佳は混乱の原因——良晴が置かれている状況——を打ち明けようか迷った。敵にこんなことを話すなんて、弱り苦しんでいる良晴への冒涜になるような気がした。悩んだ末、京佳は話すことにした。そこには自身の行動の結果を知ってほしいという思いがあった。綺麗事かもしれない。しかし言わないわけにはいかない。

「常井くんが倒れたのよ」

「それまたなぜ? この前研究所に乗り込んできたときは、元気だったのに」

「あなたのせいよ」

「先程も同じようなことを言っていたな、俺のせいだと。俺が何をしたというのだ。炎は君たちに当たらないように扱った。初めて会ったときに、直接炎を差し向けたが、あれは君が受け止めてくれると予想していたからだ。危害を加えた覚えはない。αの存在は何よりも有名だ。なにせ日本に一〇人しかいないのだからな。顔を見た瞬間、君がαであるとすぐ分かったよ」

「常井くんは能力を奪われたから倒れてしまったの。能力子を奪われたから他人の能力子を恐れるようになったそうよ」

 またもや涙が溢れてきて、これ以上ものを言えなかった。菊池に伝えたいことはいっぱいあった。今の良晴の状況だとか、このままだと良晴がどうなってしまうかだとか。しかし涙が口をふさぎ、続きは喉元へと押しとどめられた。

 菊池は京佳の言葉から良晴の状態を推測していた。研究者だからか、詳しい説明をしなくても、だいたいの事情を理解したようだ。

「それは本当なのか?」

「ええ、本当よ。嘘を言うわけないでしょう」

「能力子を奪われただけで人間は崩れ去る?」

「崩れ去った人間が常井くんなのよ」

 菊池は頭を抱えていた。頻りに「そんなはずはない」だとか「でもありえないわけではない」だとかを呟いていた。魂が抜けたように呆然としていたが、やがて覚悟を決めたように前を見据えた。そして補助機を操作し、全ての能力子を開放した。

「あっ」

 京佳は嘘だと思った。こんな簡単に物事が解決するわけがない。きっとこれも菊池の策略にすぎないのだ。

 補助機から解放された能力子は、しばらくの間空気中を舞い、細かな霧となって消えていった。

「俺は無害でありたかった。誰にも害をおよぼすことなく、そこにいても気づかれない存在。極めて理想的だ。しかし、それはなされなかった。誰かに害を与えてしまうなんて、自己の理念に大きく反する」

「だから返してくれたの?」

「それだけではない。君に感化されたのだ。これまで俺は様々な組織の人間を見てきた。どの組織の人間も、君ほど仲間を大切にしなかった。もちろん仲間が死ねば、悲しみはしただろう。しかしそれを表へは出さなかった。仲間思いな君を見て、俺は純粋だと思ったのだ」

 菊池は余韻に浸るように目を虚ろにさせていた。その後、ハッと目を見開き、頭を振った。

「ああ、やっぱり失策だったのかもしれない。機巧を奪ったのだから、ただでは済まないだろう。君たちの組織になぶり殺される。なので交渉の材料として彼の能力を使おうと思っていたのに……。ああ、失策だ。こんなところで返してしまうなんて……」

「殺すだなんて、そんなこと……」

 ないと言えるのだろうか。菊池の処置については、京佳の意見が及ぶ範囲ではなかった。そのためないとは保証できなかった。けれどもこれまでの事例から、結社の処置で人を殺すことはありえないと断言付けることができた。

「ないとは言えないだろう」

「いいえ、ないと言えるわ」

「そんなわけはない。他の組織において機密事項の奪取は重罪だ。この組織も例外ではないだろう。機巧は秘密事項の塊であり、内部の人間以外には渡らぬようにしているはずだ。もし罪人に対する処置が軽ければ、俺は君たちの組織の体制を疑わなければならなくなる。今回だけでいい、こんな不幸な俺を見逃してくれないか? 俺にはもう切り札がないのだ」

 京佳は、見逃しはしないと即答しようとした。しかし菊池は自ら良晴の能力子を返してくれたのだ。敵であっても恩があった。恩を無視できるほど京佳は強くなかった。それに今回だけと言っているのだ。こちらにはメモリーがあるので何度でも菊池を見つけることができる、多少手間はあるが。猶予を与えようと思った。

「いいわ。見逃してあげる」

「やけに素直で」

「取り消すわよ」

「それは勘弁してくれ。せっかくもらった機会をなしにしたくはない」

「おい、いいのか」

 奈緒は信じられないといった様子だった。京佳の考えを知らないので当たり前だ。知っても納得できないかもしれない。京佳と違い即物的な考えをし、心情など一切考慮しないのだ。

「いいのよ」

 盲目的に京佳を信用していたので、奈緒はこの言葉だけで納得してしまった。

 奈緒は組織という観点からみると有益な人間だった。相手に全てを任せ、感情に左右されない。

「早く行きなさい」

「それでは。心優しきお嬢さんに感謝して」

 菊池は右手をひらひらさせながら路地裏を去っていった。

 背中を見送る京佳の心には、やっぱり捕まえておけばよかったという後悔が、若干ながら発生していた。

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