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流氷と月光  作者: 伊藤
18/26

3-4

 作戦実行日当日。

 第五支部に一番早く到着したのは京佳だ。その次に良晴と奈緒。

 彼らは、全員が揃ったのを確認すると、早速菊池のところに向かおうとした。

「この前の補助機は持っていかないのか?」

 何も道具を持たぬ京佳を見て、良晴が訊いた。

「ああ、『都市の通気口』のこと? 今回は部屋の中で事を起こすつもりなので、あれはいらないわ。だって部屋の中に踏み込むんだから、自然と菊池との距離も近くなる。精度は必要ないと判断したのよ。それに狭い部屋の中だと、却って邪魔になるだけだろうし。いざという時に、身動きができなくなってしまうわ」

 雑居ビルを抜け出して、大通りを渡る。

 バスを使って住み処の近くまで移動した。

 柳川さんがいればバスなんぞ使わなくても済むのに……、といっても仕事を放棄させ強制的に連れてくることはできない。

 バスを降り、細い路地を歩いていくと、写真に写っていたビルが見えてきた。

 ここからが本番だ。

 窓を見るとブラインドは降りていた。外出はしていないようだ。

 京佳は入り口のドアを見つめていた。一点を集中的に睨みつけていた。

「顔が怖いぞ」

 そんな京佳の様子を気にして、左隣にいた良晴が声をかけた。

「ええ」

「緊張しているのか?」

「緊張どころではないわ。心臓が張り裂けそうよ」

「京佳ちゃんなら大丈夫だよ」

 奈緒が京佳の右手をぎゅっとにぎった。

 良晴も左手をにぎる。

 そのままの状態が一〇秒ほど続いた。手のひらから伝わる暖かさが、心の固まりをほぐしていった。穏やかな海に浮かんでいるような静けさが、京佳の芯を包んでいった。

「ありがとう。もう大丈夫よ」

 つながれていた手は放される。

 京佳は一歩前に進み出た。

 右手人差し指をドアの前に突き出し、水流を射出させた。ドアの隙間に入り込んだ水流は錠を切断する。

 京佳はドアノブを回し、勢い良くドアをあけた。すかさず建物内に踏み込む。

 部屋の中は、写真で見たときと変わらず、書類や本などが散乱していた。ドアから風が入りこみ、何枚かの書類を巻き上げた。

「おっと」

 机の上にある書類も、巻き上げられそうになる。椅子に座り机に向かっていた菊池は、慌てて飛びそうになる書類をおさえた。

「ドアを閉めてくれないか。部屋の中にあるものが飛んでいってしまう」

 最後に入ってきた奈緒が、仕方なくドアを閉めた。

「閉めたぞ。これでいいか?」

「ああ」

「ずいぶんと緊張感がないのね」

 菊池の態度は、追い詰められた側としては不適切なものであった。京佳はそれに若干腹を立てた。

 少しくらい動揺してもいいではないか。

「君たちがここに来るのは順当であって、すでに予想されていたことだ。だから、驚きもしない。俺の周辺が洗い出され、ここの場所もいずれ割れるだろうと、前々から予測していたのだ」

「私たちが来ると分かっていたならば、なぜ逃げださなかったの?」

 菊池が京佳たちと会って、都合のいいことなど何もない。

「逃げたところで、次の隠れ家も、君たちに調べ上げられてしまうだろう。ならば隠れ家の使用不能が、決定的になってから逃げたほうが、効率的だと考えたのだ。逃げるタイミングがはっきりと決まる」

「でも私たちに捕まってしまったら、元も子もないでしょう」

「そうならない自信があるのだ」

「ずいぶんとなめられたものね」

 京佳は菊池の言葉を侮蔑と捉えていた。静かな怒りがこみ上げてくる。だがこれを爆発させてはいけない。敵と対峙したときには、冷静さを保つことが何よりも大切なのだ。

 京佳は、菊池と会話しながら、徐々に怒りをしずめていった。決して相手の言うことに、耳を傾けずに。

 もしかしたら菊池は自分を挑発しているのではないか、とも考えた。

「で、能力を返す気はあるのか?」

 京佳と菊池の会話の最中、良晴は口をはさんだ。自身の能力のゆく先が、気になったのだ。

「ないな」

「ふざけんな! いいかげん返せ! 俺が能力を失って、どれだけ困っていると思ってるんだ!」

 実際のところ、彼は全然困っていない。操炎なんて危険な能力、全くといっていいほど使いどころがない(いや、全くというのは嘘かもしれない)。だが能力がないと、なんとなく落ち着かないのだ。

 身体の一部が欠けてしまった、という感じがする。

「この箱と君の能力は、俺の研究にどうしても必要だったのだ。すまないと思っている」

 菊池はおかしいほど素直に謝罪した。何か裏があるのでは、と良晴たちに思わせるほど素直に。

「すまないと思っているのなら、早く返してくれよ」

「それとこれとは話が別だ」

「別じゃないだろ……」

「言っただろう、君の能力は研究に必要なものなのだ。研究はまだ完成していない。これが完成するまでは、こちらもこの大切な能力を手放すわけにはいかない」

 とつぜん、菊池は調子が合ったようにポンと手を叩いた。

「そうだ、いいものを見せてあげよう」

 そう言った彼は、机に向き直り、引き出しをごそごそとあさった。何かを捜しているようだ。

「なにしてんだ?」

 その行為が不可解なものに映ったのだろう。じっと菊池の背中を見つめながら、奈緒が口をひらいた。

「俺に訊くなよ」

「私も知らないわ。とりあえず、様子をうかがいましょう」

 しばらくすると、菊池は目的のものを探り当てた。

 机の上に、透明なシャーレと、盗んだ補助機と、粉薬の入った小ビンが置かれた。

「何をする気よ?」

 並べられたものを見て、京佳が警戒を強めた。

「まあ、見ていてくれ。危険なことではないさ」

 菊池は箱のつまみを回して、能力の形状や出力を調整する。

 京佳は思わず構えをとった。炎をくり出そうとしているのだろう。その攻撃に対応できるように。

 箱の蓋がひらき、炎が飛び出した!

 だが飛び出た炎は、とても小さなものだった。

 京佳は拍子抜けしてしまった。

 あんな炎に攻撃力などありゃしない。

 炎はシャーレの上に落ち着き、灯火をつくった。

 菊池は取り出された火を確認し、机にあった薬の入ったピンを、手元へ引き寄せた。

「このビンの中身はソーマだ。これを……」

 ピンの蓋をあけ、小さなスプーンを使い、ソーマを量る。取りすぎたようで少量をビンの中に戻していた。

 スプーンにのったソーマをシャーレの上で燃えている火にふりかける。するとどうだろう。火は手持ち花火のように黄金の火花を激しくちらし、その勢いを増していった。バチバチバチと炸裂音が響く。

 ちょこんと指先くらいの大きさだった火は、あっという間に高さ一〇センチメートルほどの火柱となった。

 火柱を眺める菊池の目には、特注品に向ける慈愛がこめられていた。

 やがて炎は大きくなったときと同じような速さで衰退していき、最後には消えてなくなった。

「ご覧の通り、ソーマを与えると、能力子から生まれた炎は勢いを増す。さて、この現象を利用すると、一体何ができるようになると思う?」

 良晴はしばらく考えてみた。

 なんだろうか……。小さかった火がバチバチとなり、大きな炎に変わった……。

 花火大会?

「時間切れだ」

「まだ考えてる途中だぞ!」

「そうよ、そうよ!」

 珍しく京佳が、良晴の言葉にのっかった。

 彼女もこのクイズに挑戦していたのだ。考えている最中に回答権を奪われたら、誰でも怒るに決まっている。

 菊池はこの文句を受け付けなかった。無視して先を言う。

「答えは能力クラスの底上げだ。能力子から現出させられた炎にソーマをまぶすと、炎は活性化する。……ここまでは分かったのだが、これを人に応用する段階にまで、達していない」

 菊池の言っていることを理解するのに少々時間がかかった。

 クラスの底上げなど簡単にできるはずがない!

 それが良晴の率直な感想だった。

 クラスは日々の地道な努力でしか上げられないのだ。現に良晴もそうやってδ+からγ−に上りつめた。

 クラスの引き上げ方法は、太古の昔から研究されてきた。だがその全てが失敗に終わっている。今ではその方法を研究する者は誰もいない。

 なので、クラスを上げるためには日々訓練を積むしかない、というのが一般的な認識となっている。

 この男はその認識を打ち破ろうとしているのだ。

「無駄な研究をしているのね」

 京佳がバッサリと切り捨てた。

「クラスの底上げなんて不可能なことよ。幾人もの先人たちが、それを証明してきたじゃない」

「これまでは、不可能だっただけだ。俺の研究がその不可能を可能に変える」

「あなたにそんな事、できるのかしら」

 この言葉に、菊池はうつむいてみせた。目を閉じ、しばし熟考している。

「……ああそうだ。研究は難航している。どうしてもソーマがもたらす利を、人体に応用できないでいるのだ」

 京佳が適当に言い放った言葉は、ピンポイントに菊池の痛いところを、突いていたみたいだ。

「だが、まだ試していない方法もある。その方法が成功する確率はゼロではない」

「なるほどね。その研究が成功することを祈るわ」

 と京佳は皮肉げ言った。

「さて、それでは、俺の話もこのくらいでお終いにしよう。これ以上君たちに語りたいこともない」

 菊池はまたもや箱のつまみを調節した。

 今度こそ攻撃が来ると思い、京佳は対処すべく構えをとった。

 箱が開き、炎が飛び出る。

 だが違った。攻撃ではなかった。

 飛び出して渦をまいた炎は、部屋中に散らばっていた書類を焼いていった。炎は通常ではありえない速度で周囲に広まった。舐めるように、這うように、炎は移っていった。

 ああ、炎よ。優艶なる炎よ。全てを覆い、燃やし尽くしてしまえ!

 ここは君たちの世界であり、他に邪魔するものはなにもない。君たちが全権を握っているのだ。

 なにを恐れる必要がある。なにを遠慮する必要がある。

 這い回れ! 駆け回れ! 暴れ回れ!

 無作法の限りを尽くし、この世を混沌に陥れるのだ。

 煙が辺り一面に立ちこめた。

 呼吸するのも困難になり、奈緒はたまらず咳き込んだ。良晴も、流れゆく煙に耐えられなくなり、口を手で押さえた。

 京佳は慌てて燃え盛る炎に水のブロックで蓋をした。圧倒的だった。一瞬にして散布された炎はその鳴りを潜め、無機質な灰と、無意味な紙片へと、姿を変えていった。あの猛威の影はどこにもない。

 惜しかった。ここにあった書類を持って帰れば、調査対象としてなんらかの役に立っただろう。だが今は、水でふやけてしまい、何が書いてあったのか、読めなくなってしまっている。

 それでも何かの役に立つかもしれないと思った京佳は、ふやけていても一部の文字が読める紙片を、持って帰ることにした。

 この騒動のすきに、菊池は窓から逃げていったようだ。

 またもや逃げられてしまった。そう歯噛みするも、逃げられてしまったものは仕方がないと、京佳は前向きに考えた。仲間内にけが人がでなかっただけましだ。あの規模の炎に巻かれたのだから、誰かが怪我してもおかしくはなかった。

「みんな、大丈夫かしら?」

 と京佳は一応の確認をとる。直接的な危害は加えられなかったはずだ。

「ああ、問題ないぞ」

 奈緒が咳き込みながら答えた。喉を少しやられてしまったようであるが、この程度ならば心配しなくても大丈夫だろう。

 ……京佳の言葉に、一人反応しない者があった。

「常井くん……?」

 良晴の様子がおかしかった。彼は虚ろな目で天井を見つめ、何かをうわ言のように呟いていた。まるで気が触れているようだった。

 良晴自身も、これはただ事ではないと感づいていた。これに似た感覚を前にも感じたことがあった。菊池に能力を奪われたとき、菊池と浜辺で対峙したとき、ドイツの本部へ転送されたとき。だが今回のは程度が違う。今までのものとは比べ物にならないほど、とてつもなく大きな災厄。

「常井くん!」

 ダメだ、もう耐えられない。

 損害

   爽快

     全壊。

 世界がぐにゃりと歪む。上が下になり下が上になる。足をついているのが下で頭がある方が上だ。だけど床にかがみ込んだら頭と足は同じ高さになる。これでは上下の区別がつかない。困った。上下の区別がつかないと立つこともできない。ああほら今にも床に倒れそうだ。床にべったりと接着されたらそれこそ身の破滅……地球の破滅だ……。だって上も下も左も右も全て同じ位置になってしまう。そうなったら俺はもう生きていけない。上下左右上下左右。地球が回ると世界が回る。世界が回ると俺が回る。くるくるくるくる。回って回って目が回る。目が回ると上と下と左と右の区別がつかなくなる。そうなったら俺はもう大好きなたい焼きを買いにいけなくなる。だってたい焼き屋の方向も分からない。大好きなたい焼きが食べられなくなる。いやだ。それだけは勘弁だ。ならどうすればいい。………………。そうだ。俺が上下左右を定義すればいいのだ。上はこっちで下はこっち左はこっちで右はこっち。これでたい焼きを食べることができる。ところで俺は今どこにいるのだろう。それが分からなければたい焼きを買いに行けない。これは重要事項だ。眼球は掴めないものを掴もうとするばかりで本来の働きをしない。この役立たずめ。働くときにしっかり働け。夜になったら休息が待っているぞ。そういっても眼球はお遊びをするばかり。馬鹿野郎馬鹿野郎。そして視界は狭まっていく。馬鹿野郎馬鹿野郎。黒が見える。暗黒が見える。いや待てよ。これは見えていないのか。黒がみているのか見えていないから黒が見えるのか。さてどっちだろう。世界は暗黒に染まろうとする。いけない。それだけはいけない。俺はそれがいけないことだと知っているのだ。なぜかと訊かれてもこまる。知っているものは知っているのだ。一秒ごとに黒が視界を占領していく。視界が反撃することは絶対にない。奪い返せと願っても無理なものは無理なのだ。なら願うのなんてやめてしまえ。…………俺は今一秒ごとといったのか。一秒なんてどうやって測ったのだ。時計もなにも見ていないくせに。この嘘つきめ。まあ見ようとしてもこんなへっぽこ眼球じゃチクタクと進む秒針を確認することはできないな。ならば一秒なんて捨ててしまえ。時間なんて捨ててしまえ。……ところで俺は何を考えていたんだっけ……。ああそうだ……ああそうだ……。

 押し寄せてくる波。それは思考の波だ。身体に力が入らなくなった良晴は必死に考える。何を考えているかなんて、彼自身にも分からない。ただ考えることしかできないから考えているのだ。

 いよいよ限界が訪れた。やってきたのは身体の限界だ。考える気力さえもなくなり、良晴は気を失った。

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