3-2
新幹線に乗って、良晴と京佳は、第一支部のある東京へやってきていた。
第一支部の建造は、第五支部とは比べ物にならないほどの規模だった。日本の支部で一番規模が大きいのは、研究施設がある第二支部だと京佳から聞いたが、ここも相当な大きさだ。
「おい、勝手に入っていいのか。誰か呼ばないとまずいだろう」
美しい装飾が施された門の前で、良晴は右往左往している。
彼は、性格は明るいのだが、度胸が少しだけ足りなかった。
「何言ってるの。私たちは呼ばれてきているのよ。勝手に入るに決まっているわ」
対して、京佳の態度は、非常に淡々としている。何度も訪れているので、この様式にも慣れてしまっているのだ。
京佳はためらわずに鉄門を開けた。
「えええええ。そりゃないでしょ」
「なによ。いつもこんな感じよ」
「そなの?」
「そうよ。だから、黙って私についてきなさい」
木々に囲まれた小道をずんずんと進んでいき、あっという間に洋館の前にたどりついた。
やはり大きい。階数はそれほど多くなく、二階建てなのだが、なにしろ幅がある。これはなんの部屋なのかしら、という風に、窓がいくつも並んでいる。
「この建物全てが第一支部なのか?」
「決まってるじゃない。今更何言ってるの」
「だって、第五支部とは随分と違うようで……」
「用途の違いよ。ここは日本を代表する支部なのよ。こぢんまりしていたら、メンツがたたないわ。それと、先程も言ったように、ここは日本の総本山だから、会員の数も多いのよ」
京佳はインターホンを押した。さすがに、勝手に入りはしないみたいだ。
「はい、どなた様でしょう」
インターホンから声が聞こえ、辺りの木々に吸い込まれていった。どうやらこのインターホンは、会話ができるタイプのようだ。外側から見えぬよう、スピーカーは巧妙に隠されていた。
「私よ」
「京佳様でしたか。少々お待ちください」
しばらくすると、内側から鍵の開く音が聞こえた。
そして扉が開かれる。
「こんにちは、小野さん」
京佳は、出迎えにあいさつをした。
小野と呼ばれた少女は、従者特有の謙遜な態度を、全身にまとい、丁寧にお辞儀をした。彼女はメイド服を着ている。
メイド服を着ている人なんて初めてみたーなどと、ぼんやり思いながら、良晴もお辞儀を返した。
「こちらの方は……」
小野はちらりと良晴に視線を向けた。この屋敷のものとして、来客は全て確認しておかなければならない。不審な人物であれば、中に入れることはできない。
「この人は例のあれよ」
「例のあれでございますか」
例のあれで話が通じるほど、良晴は有名なようだ。
「はじめまして。小野理津と申します」
「これはどうも。常井良晴です」
名刺でも交換しそうなほど、丁寧で型にはまったやり取りだ。良晴は相手の流れにのまれてしまっていた。
二人とも名刺を持ち合わせていないので、挨拶だけで済ませた。
「それでは、どうぞこちらへ」
彼女が屋敷の中へ入っていくので、京佳たちはそのあとについていった。
外装から建物の中もさぞ豪華なのだろうと想像していたが、実際はとてもシンプルな造りとなっていた。とはいっても、外装と同じく西洋的な雰囲気で統一されている。
「更衣室の場所は……」
建物に入ってすぐ小野が口を開いた。
「前回と同じでしょう。なら案内はいらないわ」
京佳は、何度も第一支部を訪れているので、建物の構造は、だいたい頭に入っていた。
「左様でございますか」
「え? 着替えるのか?」
良晴はそんなこと聞いていない。このままの格好でドイツに向かうのかと思っていた。
「本部を訪れるときは、制服に着替えなくてはならない、という規則があるのよ」
「へぇ〜」
「なにのんきにいってるの。あなたも着替えるのよ」
良晴も、京佳と共に本部を訪れるのだから、もちろん着替える必要がある。というか、着替えていないと、あちらで無理やり着替えさせられてしまう。それよりかは、この屋敷で自主的に着替えたほうが、お利口さんだ。
「俺、制服なんか持ってないぞ」
ないものに着替えることはできない。
「わたくしがご用意いたしました。どうぞ、更衣室はあちらでございます。参りましょう」
良晴が来ることは、事前に知らせてあったので、事はスムーズに運ばれた。
「それじゃあね。常井くん」
京佳は二階へと続く階段を登り、奥の方へ消えていった。
もう歩きはじめている小野に、良晴は小走りで駆けよった。
廊下にはズラリとドアが並んでいる。このどれが、更衣室となっている部屋なのだろうか。
小野は、玄関から六番目、それも奥側のドアの前で立ち止まった。
コンコンとドアをノックしたが、返事は聞こえてこなかった。
「失礼いたします」
部屋の机には、着替えが一着おいてあった。広げてみるとそれは、黒を基調とした軍服のようなデザインで、赤のラインがところどころに、アクセントとして取り入れられていた。
「なかなかかっこいいな。制服とかいっていたから、もっと地味なデザインかと思っていた」
だがこれは、有名デザイナーがデザインしていそうな、本当にセンスの良い服だ。
「はい。結社でもこの制服は、好評なのでございます」
服という言葉で、思い浮かんだことがあった。
「そういえば、なんで小野さんはメイド服着てるんだ? この支部にはそういう係があるのか?」
「趣味です」
「趣味かい! じゃあ、その……雑用とかしているのも?」
「趣味です」
「趣味かい!」
「敬語を使っているのも趣味です」
もう知らんがな……。
手に持っていた制服を隅々まで検める。複雑なつくりになっており、着方が分からなかったのだ。
見回してみても、結局分からないままだった。
「それではお着替えをお手伝いさせていただきます」
なるほど。着替えを手伝うために小野さんは、部屋から出ていかなかったのか。
小野は、良晴のシャツに手をかけた。
「まて」
「はい、なんでしょう」
「本当に着替え手伝ってくれるのか?」
「はい、もちろんでございます。良晴さんが着替えられないと、いけませんから」
「俺は服を脱がないといけないのか?」
「じゃないと着れないでしょう」
「小野さんの前に裸をさらすことになるんだぞ」
「そうでございましょうね。……あっ」
小野は質問の意図に気づき、口元に手をあてた。
「まさか女性であるわたくしを気遣って……?」
「まあ、そうだな」
「お優しいのでございますね。わたくし、感動いたしました」
お優しいとか、そういう問題じゃないだろう。もっと初歩的な、一番初めに気にしなければならない事柄だ。
「お気遣いありがとうございます。でも、心配無用です。そんなつまらないこと、わたくしは微塵も気にいたしません!」
「俺が気にするんだよ!」
「まあ!」
「だから自分で着替えさせてくれ」
小野は、良晴の言葉に耳も貸さず、シャツのボタンを一つ一つ丁寧に外していき、そのままの勢いで上を全て脱がした。見事な流れるような仕事ぶりで、滞りは一切感じられなかった。
良晴はその仕事ぶりに見惚れていた。ただ服を脱がすというだけの行為が、なぜこんなにも魅力的に映るのだろうか。世界は神秘に満ち溢れている。
小野はズボンをも脱がそうとする。
「あほんだら! ズボンはやめろ!」
「いやです。この小野理津、責任をもって、最後まで仕事をやり遂げます」
あっけなく防壁は破られてしまった。
…………………………。
着替え終わった良晴が、更衣室から出てみると、部屋の前で京佳が待ち構えていた。
彼女は、良晴が着た制服と同じものに、身を包んでいる。唯一の相違点は、彼女だけはマントを身に着けていることぐらいか。
「やっと着替えおわったのね」
「初めて制服を着たので、手間取ってしまって。それよりも、マントかっこいいな。俺には無かったぞ」
「マントは、階級『管理者』以上が身につけることになっているの。あなたは臨時でその制服を来てるわけ。だからマントはおろか、階級もないわ」
「うげ」
「まあ、いいわ。ところで小野さんは?」
部屋から出てきたのは良晴だけだ。彼女に着替えを手伝ってもらったのなら、彼女も一緒に出てこないとおかしい。
「小野さんなら、俺の着替えが終わったあとすぐに、部屋をでていったよ。なんでも、自分の役目はここまでなので、失礼させていただく、らしい」
「あら、そうなの。なら彼女は、大ホールにはこないつもりなのね。それとも、もう行っているのかしら。私たちも行きましょう」
良晴は、京佳のあとに続き、木製の階段を登った。踊り場で一度向きを変える。
二階にもドアがずらりと並んでいる。階段を上りきると、京佳は迷わず、右の通路を進んでいった。
「大ホールというくらいだから、結構な広さなのか?」
「そこまで広くはないけれど、さっき常井くんがいた部屋よりは大きいわよ。支部長全員、計六名なんか楽々収容できるわ。六人じゃ寂しいくらいよ。そうね、一〇〇人は確実に収容できる広さだわ」
通路の突き当りにドアがあった。一階の突き当りにはドアはないのだけれど、二階にはある。その分、二階の通路は短い。
良晴は振り向き、反対側の突き当りを見た。するとそこにも、ドアはあった。
「なにしてるの。早く行くわよ」
「おう。すまん」
先頭に立っている京佳は、ドアを押し開けた。
大ホールには、先に来ていた支部長たちが数名集まっており、それぞれで暇つぶしをしていた。みんな、マントを身に着けている。
小野の姿は見えなかった。出席者の世話は、彼女の仕事ではないのだ。
支部長数名の中に京佳たちは入っていく。京佳たちを含めて六人が、そこに集まっていた。
なかには外国人も見える。彼こそは、本部から来たαクラスの瞬間移動者だ。
京佳は、集団の中にいるある人物に、近づいていった。
「こんにちは、市川さん」
初老の男性は椅子に深く座り、眠っていた。
声を聴くと、ゆっくりとした動作で目を開き、京佳を仰ぎ見た。組んでいた腕は、とかれなかった。
「ああ、第五のお嬢さんか。よく来たな」
酷く侮蔑的な感情が、その声音に込められているよう、良晴には感じられた。
そう感じたのは、良晴だけであった。実はこれが、彼の話し方なのである。京佳はその声音を、日常的なものとして受け止めていた。
「来ないわけにはいかないでしょう」
「まあな」
「それで、この人は……」
京佳は、良晴を紹介しようとしたが、続きは市川によって遮られた。
「常井良晴くんか」
「ど、どうも。常井です」
やや緊張気味に、良晴が応える。
「うちの理津が粗相をしでかさなかったか」
「いえとんでもないです。小野さんは、とても丁寧に対応して下さいました」
「そうか。それは良かった」
話を終えると、市川は再び目を閉じ眠りへと落ちていった。
次に京佳は、同じαクラスであるハンス・シラーに、挨拶をしにいった。
「————、——————————」
「————————」
良晴をおいて、彼らは外国語で会話を始めた。
この言語は、少なくとも英語ではない。これでは何を言っているか分からず、良晴としては堪ったものではない。
誰か助けて……。
「ちょっと、北沢さん……」
良晴は仕方なく助けを求めた。
「————、——」
「——」
会話を進めるな。お願いだから話を聞いてください。
「なにかしら?」
「俺にも分かるよう話をしてくれ」
「無理ね」
だろうな! 相手外国人だもんな!
「今私が使っているのは、結社の独自言語なの。習得は簡単なので、常井くんもぜひ覚えるといいわ」
「いや、俺はいいや……」
勉強なんてしたくない! 学校だけで十分だ!
でも、話ができないのは辛いな。少しだけ習ってみるか。
「やっぱり、あとで教えてください」
「よろしい」
というか俺が、組織の外国人と話すのは、これっきりじゃないのか、とも思ったのだが、菊池を捕まえられなければ、いつまでも組織にいることになるのだ。
早く帰って、能力を取り戻したい。
活動できない環境におかれると、無性に活動したくなる。ああ、このやる気を平時に出せればいいのだが。
平時になればなったで、今でているやる気は、跡形もなく消え失せてしまうだろう。
良晴は、意思疎通を諦め、とりあえず、
「Hello!」
と言っておいた。
「Hello!」
素晴らしい返事が返ってくる。
国際交流バンザイ! 英語バンザイ!
「——————————?(彼は、僕たちの言葉をしゃべれないのか?)」
「——。——————————(ええ、そうなの。結社に来たばかりだから、まだ教わっていないのよ)」
また独自言語による会話が始まった。こうなるともう良晴の手には負えない。
良晴は彼らの会話が終わるまで、おとなしく待つことにした。
指先に意識を集中させると火が点った。もっと大きくなれと念じたけれど、火は変わらない。やっぱりこれ以上の力は戻っていないのか……。
待っている間は暇だ。なので、周囲をつぶさに観察していた。
先程、挨拶をした第一支部支部長と、今、京佳と話をしているシラー以外に、男性が二人、この場にいた。その一人と目があった。するとその男性は、良い話し相手がみつかったとばかりに、良晴に近づいていった。
男性の身長は、良晴とさほど変わらず、歳は二〇代後半であった。実年齢よりも不思議と若く見える。その男性はどことなく不思議な雰囲気をまとっていた。中性的で艶めかしかった。
「こんにちは。君が常井くんだね?」
「はい、そうです」
「僕の名前は、長宮修一。第二支部の支部長をやっているんだ。これからよろしく」
「常井良晴です。こちらこそよろしくお願いします」
菊池を捕まえられれば、これからよろしくすることはない。良晴としてはもちろん早く捕まえたい。……別によろしくしたくないわけではない。
「長宮、もう来てたのね。あなたのことだから、遅れてくるのかと思っていたわ。研究が終わらないとか、なんとかで」
シラーとの会話を切り上げた京佳が、良晴と長宮を発見し、割って入ってきた。
「それなら、他の人に投げてきた」
「そんな適当でいいの?」
「僕でなければできない仕事ではなかったから。それに集会があるのなら、仕方ないだろ」
「それもそうね。だけど支部の皆さんを、そんなに荒く扱っていたら、いつか嫌われるわよ」
「ご忠告どうも。でも君の予想に反して、僕は全く嫌われていない。他人の心配より自分の心配をしたほうがいいんじゃないか。君のような気性の激しいやつの元で活動するなんて僕は御免だな」
「なんですって……。誰の気性が激しいのよ! もういっぺん言ってみなさい!」
「何度でも言ってやるよ。この鬼ババア!」
この流れから分かるように、京佳と長宮との仲は非常に悪い。彼らが一緒になると、激しい連鎖反応が始まってしまう。
「ババアって……。私はあなたよりも若いのよ。分かるかしら、この無能男」
「それがどうした。ババアは何歳でもババアなんだよ。こんなやつと共にいるなんて、苦労するだろ、常井くん」
「へ?」
まさか自分に話が振られるとは、思っていなかったのだろう。良晴は素っ頓狂な顔をしている。
「どうなのかしら? そんなことないわよね?」
「な、うーん」
考え込んでしまう。
どう答えればいいのだろう。あちらを立てればこちらが立たない。特に苦労していないし、ここは正直に答えるか。
「そんなことないですよ。北沢は自分たちを気遣ってくれます」
「常井くん……!」
京佳は、彼の回答を聞き、非常に感動していた。これこそ数年来の感動だ。素直に味方をしてくれるなんて。
「嘘つかなくていいんだよ。どうせ、そう言えと脅されているのだろう。汚い手を使いやがる」
「どこまで意地汚いのかしら。そんな濡れ衣を着せるなんて。最低ね」
「————(こら、やめないか)」
シラーが、熱した彼らを止めに入った。日本語は理解できないが、言い争っているのは理解できる。そして、京佳と長宮の仲が悪いのも知っている。
「——————、——————(君たちは毎度のことながら、もっと仲良くできないのか)」
「————、——————!(こいつと仲良くするなんて、死んでも御免よ!)」
「————。————(僕も御免だね。こんなクソババアと)」
「——————!(またババアって!)」
また、独自言語の会話が始まってしまった。
シラーの仲裁により、二人はひとまずの落ち着きを取り戻した。だが、ここで決着がついたわけではない。またいつか喧嘩を始めるだろう。
「まったく、なんて無神経なのかしら。あんなやつ、早々にくたばったほうが地球のためだわ」
「なんであんな仲悪いんだ?」
「そんなの覚えていないわよ。気づいたらこうなってたの」
本当に京佳は覚えていないのだ。自分でも、彼と仲違いをする気はなかったのだが、いつからかこうなってしまった。それゆえに、京佳は仲直りをしたいと、ちょっとだけ思っていたりする。
「でも、常井くんが味方をしてくれて、嬉しかったわ。ありがとう」
彼女は、にっこりと微笑んで言った。
このまま抱き締めたくなるような、そんな笑顔だった。ああ、やっぱり女の子には笑顔が一番だなと、良晴は思った。なぜこんなにも笑顔が似合うのだろう。その答えは、一生かかっても見つからない気がする。例えば、自分がそれを望んでおり、それは自身の理想であるからだ、という答えを考えてみても、なんだかしっくりこない。これを確実にするには、証拠が必要だ。
それから、しばらく待っていると、まず第三支部支部長が、次に第四支部支部長が、遅れてやってきた。
これで全員が揃った。
「皆、よく来てくれたな。これから、予定通り本部へ向かう」
市川が、支部長たちに向けて告げた。支部長たちはある程度ひとかたまりになって、市川の話を聞いていた。
「それでは……、シラー」
市川からの目配せを受けて、シラーは市川の肩に手を置いた。すると市川の身体は音もたてずに消えた。移動したのだ。
第二支部支部長、第三支部支部長と順々に移していく。
京佳の番が来た。
「————(今回もお願いね)」
「——————。——(きちんと送り届けますよ。お嬢さん)」
京佳の身体は消えてなくなった。
良晴の肩に手が置かれた。こんな長距離の移動を経験したことがないので、良晴は若干緊張気味だった。
「よろしく頼むぜ」
震えながら言う。
シラーは肩を持つ手に力を込めた。
「Gute Reise.(よい旅を)」
背景が入れ替わる。入れ替わりの切れ目は、巧妙に隠されていた。
着いた先は小部屋だった。小部屋といっても、七人を収容するには十分な広さだ。
部屋の内装は、先程いた洋館によく似ている。
ここに転送された直後、良晴は身体の不安定さを感じた。思わず足元から崩れ落ちそうになる。この状態は前にも経験したことがある。菊池に能力を奪われたときや、海岸で菊池と戦ったときに感じたものと同じ感覚だ。
だが、すんでのところで踏みとどまった。ここで倒れては多くの人に迷惑がかかってしまう。
足に力を入れて、深呼吸を繰り返す。
「どうしたの?」
良晴の異変に気づいた京佳が、彼を気遣った。
「ちょっと体調が悪いみたいだ。頭がクラクラして、力が抜けそう」
「大丈夫? もしあれだったら今から日本に帰れるけど……」
「いや、そこまで重症じゃない。どうしたのかな、もしかしたら長距離の移動を経験したからかもしれないな」
「そう? 私はなんともないけど」
京佳は自分の好調を示すため、腕を二、三回回してみせた。
室内に良晴の呼吸音が響く。すると、他の支部長四名(第六支部支部長はまだ転送されていない)が心配そうに良晴のほうを見つめた。
「おい、大丈夫か?」
この場をおさめるため、みんなを代表して市川が訊いた。
「大丈夫です」
良晴の言葉は本当だった。いくつか深呼吸を繰り返しているうちに、良晴の容態は軽くなっていき、ついには平常に戻っていた。
「そうか、ならいいんだが。身体に不都合があるのなら、無理をせず言ってくれ。じゃないと俺が困る」
「分かりました」
最後に残った第六支部支部長も、きちんとこの小部屋に転送されてきた。
「あれ、さっきのドイツ人は?」
シラーが部屋中のどこにもいないのに、良晴は気がついた。
「さあ、日本の観光でもしているんじゃない。帰りも送ってもらう予定なので、そのころになれば来るでしょう」
と京佳は日本語で答えた。彼女は、良晴と話すときだけ、日本語を使おうと決めていた。それ以外の会話は全て独自語だ。同じ日本人同士でも、ここでは独自語を使うのが、慣習となっている。
「みんないるな。それじゃあ、行くか」
市川が先陣を切り、外へとつながるドアを開けて、外に出る。他の支部長たちがそれに続いた。
良晴も、京佳のあとに続いて外に出た。
廊下の窓から見えるのは、まさに異国の風景。古めかしい石造りの建物と、現代的なガラス張りの建物が混合している。
廊下を進んでいくと、日本ではあまりみることのない路面電車が、左から右へ走っていくのが見えた。
市川たちの集団は、五階まで階段を上っていった。それ以上に続く階段はないので、五階が最上階のようだ。
また長く続く廊下を進んでいき、一枚のドアを開けた。
大会議室では、既に各々の支部長、そして本部の幹部たちが着席していた。どうやら市川らが、最後の客人であるらしい。
部屋の前方には、マイクを携えた講壇があり、それに向かうように複数の机と椅子が、平行に設置されている。まるで、学校の理科室か、テレビでよく見る記者会見場のようだ。
空いている席は、多からず少なからず、ほどほどにあったので、市川たちは中頃の席に並んで座った。
「いつ始まるんだ、これ」
定期集会の勝手が分からないのだろう。新入りである良晴は、隣に座った京佳に尋ねていた。
「もうちょっとで始まるわよ。それまでおとなしく待ってなさい」
「もうちょっとか……」
「なによ、落ち着きないわね」
京佳のいうとおり、この大会議室に入ってから良晴は、頻繁に周囲を見回したり、足を組み替えたりと、せわしない様子だった。
「初めて来たんだから仕方ないだろ。誰でも最初はこんなもんだ」
「自己弁護?」
「まあ、そんなところだ」
「ビシっとしなさよ!」
京佳は、良晴の肩を思いっきり叩いた。叩いた拍子にバシンと、身体を打つ音が響いた。
「痛い……。加減知らずかよ!」
「あら、ごめんなさいね」
叩かれたときに、緊張もこぼれ落ちたようだ。先程まで、定期集会へ初参加し生じていた不安が、頭の大部分を占めていたのだが、今は、肩の痛さが意識に入り込み、緊張を追い出していた。
やがて時刻になると、一人の男性が講壇に上がっていった。開会のあいさつが始まるらしい。
彼はマイクに向かって話を始める。
「本日は、お集まりいただき、誠にありがとうございます。我らが結社『流氷と月光』の定期集会も今回で五〇回目となりました。ああ、五〇回目! なんと誇らしいのでしょう。ここまで、活動を続けられたのも、ひとえに皆様のおかげです。まずはそれについてお礼申し上げます。誠にありがとうございます。
さて、ここで我らが結社の歴史や業績などをお話したいのですが、今回は時間がないのでやめにしましょう。長くもなりますしね。皆さまがご存知の内容を話すより、別のことを話したほうが有意義ではありませんか。
といっても私は大した話をするつもりはございません。この定期集会開催五〇回目という記念すべき日を、ただ、ただ、皆さまと祝福したいだけでございます。
それでは一つ失礼して。
『氷面を撫でる月光よ、今日も我らを照らし給え』!」
さざなみのように、各席から拍手がまきおこった。良晴は、独自語で話される話の内容を理解できなかったが、みんなが拍手をしているので、それに合わせて拍手をした。
やまぬように思われる拍手を引きずりながら、男性は講壇をおりていった。
「今、喋ったのは誰だったんだ?」
長々しい話を聞き、飽き飽きしていたので、良晴はアクセントを求めて、京佳に質問した。理解できない話を聞いてもなにも面白くない。
「あの方は、アジア方面の統括者ね。私たちの上にたつ方よ。帰りにあいさつでもしておこうかしら。とても気さくな方なのよ」
「へー。じゃあ俺もついていこうかな」
「もちろん構わないわ」
拍手は当分の間続いたが、ゆっくりと時間をかけて鳴り止み、やがて場内はしんと静かになった。
開会のあいさつから始まり、定期集会は各支部の現状報告へと進行していった。
日本支部の報告は市川が担当した。その報告にはもちろん菊池の問題も含まれていた。結社全体の問題の中で、菊池の問題は一位二位を争うほど、解決優先度が高いものであった。当たり前だ。結社の発明が盗まれたのだ。これを黙って見過ごすわけにはいかない。捕まえられるか、捕まえられないかは、結社の名誉にかかわる事柄だ。
全支部の報告が済むと、次は総監のあいさつへと変わっていった。
驚くべきことに、この組織で一番偉いという総監は、女性であった。歳も、良晴たちと幾分も違わぬようにみえた。
といってもここにいる京佳が、結社で二人しかいないαクラスの一人であり、かつ日本第五支部の支部長でもあるのだ。それほど驚くべきことではないのかもしれない。
総監は少女なのだが、それをとりまく幹部たちは、老人ばかりであった。先程のアジア方面統括者も、老人であった。コントラストが際立っていた。
総監はふらふらとした足取りで、講壇へと上がっていった。寝不足だとか、体調不良だとか、そういうわけではない。ただ壇上で話すのが苦手で嫌いなのだ。
「えーと……、なんだっけ」
これから何をすべきか、ど忘れしてしまったらしい。
「ご挨拶を」
近くにいた立派な髭を生やした老人が助言をする。
「ああ、そうだった。……皆さま、本日はよくお集まりくださいました。遠い遠い異国の地からよくぞここまで、ご苦労様です。…………」
「何か具体的な話でも」
老人の助言が続く。
「えー、具体的な話〜? そんなのないよ〜」
「考えてこられなかったのですか?」
「まあ……」
「まあ、ではありません」
老人との会話は、集会参加者たちに丸聞こえだったのだが、誰も文句を言わなかった。集会のたびに、この応答を見せつけられているので、みんな慣れてしまったのだ。疑問はついえてしまった。
「じゃ、話がないので総監の挨拶はおしまいです」
「いけません」
「ケチー」
「なにをおっしゃいますか。きちんと最後までお話しください。これはあなた様の使命であられるのです」
「じじいのくせに……」
「じじいで結構です。さあ、お話しください」
老人は、右手人差し指の指先に、小型の竜巻を発生させた。操空の能力だ。竜巻は段々と細く長く引き伸ばされていき、指の延長となる。高速で渦巻く空気は、何物をも引き裂く剣となる。長さ三〇センチメートルの剣は、淡い緑色に発光していた。
よく見ると老人の右手人差し指には、指輪がはめられていた。あれも補助機の一種なのだろう。
細長い剣の内部では、空気が、身体を流れる血液のように循環している。空気自体が発光しているので、巡りゆく様子がよく分かる。これほどまで精緻な剣を、生成できるのは補助機のおかげだ。補助機がなければ、剣はもっと太く野蛮な姿になっていただろう。
抜刀しても、聴衆は止めに入るどころか驚きもしない。これも時々発生する即興劇にすぎない。なかにはこの劇を待ちわびていた者もいる。退屈な挨拶よりは、動きのある戦闘劇のほうが面白いに決まっている。
「ぬおっ! 能力を使うなんて卑怯だぞ! 私が非戦闘能力所持者であると、知っているだろう。しかも、じじいよりクラスの低い」
「卑怯もへったくれもございません。ただこの状況だけが現実なのでございます。それに、β−とβ+、少しの差しかございませんよ」
「その差が大きいんだ!」
総監と老人はそのまま数秒睨み合っていたが、やがて転機が訪れた、それも総監側に有利な。
「そろそろお時間です。これ以上続けると集会の時間がなくなってしまいます」
最前列に座っていた優秀そうな聴衆が、言い争っていた総監と老人に通告する。
通告を聞いた瞬間、総監は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、老人を見下ろした。
「作戦通りだな。時間稼ぎ万々歳だ。集会の時間は有限なのだよ」
「あなた様はいつもそう。少しは真面目にお話しをされてみては……」
「また説教か」
「わたくしは必ずあなた様にお話しをさせてみせます」
「お時間ですので」
聴衆の声を聞き、総監と老人はおとなしく言い争いをやめた。
彼女らのやり取りを見ていた第四支部支部長は、思わずくすくすと笑い声をもらしてしまった。すると市川と京佳が、彼女を目で制した。
彼女は弁解を試みようとしたが、険しくなる市川の目元を見て、それをせず慌てて姿勢を正した。
もういい大人なのだから、粗相をしでかさないでくれと、市川は思っていた。対して京佳の思いには、総監を笑ったことへの怒りがほんの少しだけ含まれていた。怒りの理由は結社への忠誠だ。もちろんこのくらいでは、第四支部支部長を嫌いになったりしないだろう。一瞬だけ怒りが芽生えただけだ。
総監の形とならない挨拶が終わり、最後に閉会のあいさつがされ、第五〇回定期集会は終わりとなった。
「いやー、ごめんごめん。つい笑っちゃったわ」
会の参加者たちが席を立ち、ざわめき始めたころ、第四支部支部長は京佳と良晴のもとにやってきて弁明をしていた。
「別に気にしてはいないのだけれど、気をつけなさいよね」
京佳は、年上の彼女に臆することなく、注意をほどこした。といっても、この結社にいる限り重要視されるのは、年齢ではなく階級だ。京佳の階級は管理者である。そして第四支部支部長の階級も管理者だ。なにも気兼ねすることはない。
「でもいつも思うけど、あれは仕方ないって。笑っても仕方ない! 君もそう思うでしょ?」
と第四支部支部長は良晴に話をふった。
だが、その言葉が独自語であったので、良晴は素っ頓狂な顔を返してしまった。
「ああ、そっか」
第四支部支部長は、良晴が独自語を理解できないということを思い出した。
次は日本語で問いかけた。
「あのやり取りは笑っても仕方ないよね?」
「俺、なんて言ってるか理解できなくて……」
「ああ、……まあそのことはいいや! このあと帰るまでに時間あるけど、どうすんの?」
第四支部支部長は、日本語で京佳に尋ねた。
「ちょっと他の方々にあいさつしておこうと思って。このような機会じゃないと会えないから」
日本語で尋ねられたので、京佳は日本語で返した。
「昇進狙い?」
「バカなこと言ってないで、あなたも一緒に来たらどう?」
「やだよ、めんどくさい。あなたたちがあいさつにいくのなら、私は他のところで時間つぶしているわ。じゃあね」
第四支部支部長は、京佳たちのもとを離れ、この大会議室を出ていった。
彼女を見送ると、京佳は会議室内に目を見張らせ、お偉いさんを捜した。
いた。今、部屋を出ていこうと、出口に向かっているところだった。
京佳は慌てて、総括者に駆け寄っていった。
「こんにちは。お久しぶりです」
「ああ君か、こんにちは。ちょうどいいところに来たね。実は私からも、君に話があったのだよ」
「はあ……」
京佳は予期しなかった返答に、若干戸惑ってみせた。
「一体何でしょう?」
「それがだね……」
ここで総括者は、ちらりと良晴のほうを流し見た。
その視線に、良晴はぎくりとし、思わず居住まいをただした。会話の内容が分からないので余計不安になってしまう。もしかしたら、自分の行動に何か問題があったのではないか、と。
「ここにいる彼のことなのだが……」
「なにか分かったのですか? 例えば強制的に彼に能力を戻す方法とか」
努めて冷静に、京佳は尋ねた。実際のところ、彼女の声は荒立っていたのだが、本人はそれに気づかなかったようだ。
荒立ちの理由は二つある。
一つ目は、結社の名誉に関する事柄。良晴に能力を戻せれば、外部者に害をなしたという不名誉は払拭される。損害の回復も自結社がなしたのだ。迷惑をかけたという事実は無くせないが、多少の名誉は回復できる。
それと二つ目の理由は、シンプルに良晴のことを思って。彼と行動を共にするうちに能力をなくした者への情、憐憫の情が蓄積されていったのだ。どうにか早めに能力を戻してやりたいと、強く思うようになっていた。これも月日のおかげだ。
「それについての方法は、今のところ不明だ。すまない」
「いいえ……、謝らないで下さい。あなたが我々のために、色々と手をつくしていることは知っています」
「そうか。それで話なのだが、補助機を強奪した犯人の住み処が分かったのだ」
京佳はまたもや、冷静であることを強要された。話している最中くらい失礼のないようにしたい。
「ほらやっぱり、色々と手をつくしてくださっているではありませんか。わざわざお調べいただいたんですね。ありがとうございます。本当はその調査も、我々の担当であるはずなのに」
「いいや、これも仕事のうちだよ」
総括者は京佳に紙の資料を渡した。枚数は一〇枚ほど。京佳が流し見た限りでは、そこには菊池の住み処の場所はもちろん、他にも様々な菊池に関しての情報が記されていた。
良晴は京佳に渡された資料を、ちらりと盗み見たが、その資料に記述されていた言語は独自語であった。惨敗である。
「ありがとうございます!」
京佳は喜びを隠しきれずに、満面の笑顔で言った。
「それじゃ、あとはよろしく頼むよ」
と言い、総括者は京佳たちに背を向けた。ひらひらと手を振り、出口へ消えていくさまは、京佳の印象に強く残った。