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流氷と月光  作者: 伊藤
16/26

3-2

 新幹線に乗って、良晴と京佳は、第一支部のある東京へやってきていた。

 第一支部の建造は、第五支部とは比べ物にならないほどの規模だった。日本の支部で一番規模が大きいのは、研究施設がある第二支部だと京佳から聞いたが、ここも相当な大きさだ。

「おい、勝手に入っていいのか。誰か呼ばないとまずいだろう」

 美しい装飾が施された門の前で、良晴は右往左往している。

 彼は、性格は明るいのだが、度胸が少しだけ足りなかった。

「何言ってるの。私たちは呼ばれてきているのよ。勝手に入るに決まっているわ」

 対して、京佳の態度は、非常に淡々としている。何度も訪れているので、この様式にも慣れてしまっているのだ。

 京佳はためらわずに鉄門を開けた。

「えええええ。そりゃないでしょ」

「なによ。いつもこんな感じよ」

「そなの?」

「そうよ。だから、黙って私についてきなさい」

 木々に囲まれた小道をずんずんと進んでいき、あっという間に洋館の前にたどりついた。

 やはり大きい。階数はそれほど多くなく、二階建てなのだが、なにしろ幅がある。これはなんの部屋なのかしら、という風に、窓がいくつも並んでいる。

「この建物全てが第一支部なのか?」

「決まってるじゃない。今更何言ってるの」

「だって、第五支部とは随分と違うようで……」

「用途の違いよ。ここは日本を代表する支部なのよ。こぢんまりしていたら、メンツがたたないわ。それと、先程も言ったように、ここは日本の総本山だから、会員の数も多いのよ」

 京佳はインターホンを押した。さすがに、勝手に入りはしないみたいだ。

「はい、どなた様でしょう」

 インターホンから声が聞こえ、辺りの木々に吸い込まれていった。どうやらこのインターホンは、会話ができるタイプのようだ。外側から見えぬよう、スピーカーは巧妙に隠されていた。

「私よ」

「京佳様でしたか。少々お待ちください」

 しばらくすると、内側から鍵の開く音が聞こえた。

 そして扉が開かれる。

「こんにちは、小野さん」

 京佳は、出迎えにあいさつをした。

 小野と呼ばれた少女は、従者特有の謙遜な態度を、全身にまとい、丁寧にお辞儀をした。彼女はメイド服を着ている。

 メイド服を着ている人なんて初めてみたーなどと、ぼんやり思いながら、良晴もお辞儀を返した。

「こちらの方は……」

 小野はちらりと良晴に視線を向けた。この屋敷のものとして、来客は全て確認しておかなければならない。不審な人物であれば、中に入れることはできない。

「この人は例のあれよ」

「例のあれでございますか」

 例のあれで話が通じるほど、良晴は有名なようだ。

「はじめまして。小野理津と申します」

「これはどうも。常井良晴です」

 名刺でも交換しそうなほど、丁寧で型にはまったやり取りだ。良晴は相手の流れにのまれてしまっていた。

 二人とも名刺を持ち合わせていないので、挨拶だけで済ませた。

「それでは、どうぞこちらへ」

 彼女が屋敷の中へ入っていくので、京佳たちはそのあとについていった。

 外装から建物の中もさぞ豪華なのだろうと想像していたが、実際はとてもシンプルな造りとなっていた。とはいっても、外装と同じく西洋的な雰囲気で統一されている。

「更衣室の場所は……」

 建物に入ってすぐ小野が口を開いた。

「前回と同じでしょう。なら案内はいらないわ」

 京佳は、何度も第一支部を訪れているので、建物の構造は、だいたい頭に入っていた。

「左様でございますか」

「え? 着替えるのか?」

 良晴はそんなこと聞いていない。このままの格好でドイツに向かうのかと思っていた。

「本部を訪れるときは、制服に着替えなくてはならない、という規則があるのよ」

「へぇ〜」

「なにのんきにいってるの。あなたも着替えるのよ」

 良晴も、京佳と共に本部を訪れるのだから、もちろん着替える必要がある。というか、着替えていないと、あちらで無理やり着替えさせられてしまう。それよりかは、この屋敷で自主的に着替えたほうが、お利口さんだ。

「俺、制服なんか持ってないぞ」

 ないものに着替えることはできない。

「わたくしがご用意いたしました。どうぞ、更衣室はあちらでございます。参りましょう」

 良晴が来ることは、事前に知らせてあったので、事はスムーズに運ばれた。

「それじゃあね。常井くん」

 京佳は二階へと続く階段を登り、奥の方へ消えていった。

 もう歩きはじめている小野に、良晴は小走りで駆けよった。

 廊下にはズラリとドアが並んでいる。このどれが、更衣室となっている部屋なのだろうか。

 小野は、玄関から六番目、それも奥側のドアの前で立ち止まった。

 コンコンとドアをノックしたが、返事は聞こえてこなかった。

「失礼いたします」

 部屋の机には、着替えが一着おいてあった。広げてみるとそれは、黒を基調とした軍服のようなデザインで、赤のラインがところどころに、アクセントとして取り入れられていた。

「なかなかかっこいいな。制服とかいっていたから、もっと地味なデザインかと思っていた」

 だがこれは、有名デザイナーがデザインしていそうな、本当にセンスの良い服だ。

「はい。結社でもこの制服は、好評なのでございます」

 服という言葉で、思い浮かんだことがあった。

「そういえば、なんで小野さんはメイド服着てるんだ? この支部にはそういう係があるのか?」

「趣味です」

「趣味かい! じゃあ、その……雑用とかしているのも?」

「趣味です」

「趣味かい!」

「敬語を使っているのも趣味です」

 もう知らんがな……。

 手に持っていた制服を隅々まで検める。複雑なつくりになっており、着方が分からなかったのだ。

 見回してみても、結局分からないままだった。

「それではお着替えをお手伝いさせていただきます」

 なるほど。着替えを手伝うために小野さんは、部屋から出ていかなかったのか。

 小野は、良晴のシャツに手をかけた。

「まて」

「はい、なんでしょう」

「本当に着替え手伝ってくれるのか?」

「はい、もちろんでございます。良晴さんが着替えられないと、いけませんから」

「俺は服を脱がないといけないのか?」

「じゃないと着れないでしょう」

「小野さんの前に裸をさらすことになるんだぞ」

「そうでございましょうね。……あっ」

 小野は質問の意図に気づき、口元に手をあてた。

「まさか女性であるわたくしを気遣って……?」

「まあ、そうだな」

「お優しいのでございますね。わたくし、感動いたしました」

 お優しいとか、そういう問題じゃないだろう。もっと初歩的な、一番初めに気にしなければならない事柄だ。

「お気遣いありがとうございます。でも、心配無用です。そんなつまらないこと、わたくしは微塵も気にいたしません!」

「俺が気にするんだよ!」

「まあ!」

「だから自分で着替えさせてくれ」

 小野は、良晴の言葉に耳も貸さず、シャツのボタンを一つ一つ丁寧に外していき、そのままの勢いで上を全て脱がした。見事な流れるような仕事ぶりで、滞りは一切感じられなかった。

 良晴はその仕事ぶりに見惚れていた。ただ服を脱がすというだけの行為が、なぜこんなにも魅力的に映るのだろうか。世界は神秘に満ち溢れている。

 小野はズボンをも脱がそうとする。

「あほんだら! ズボンはやめろ!」

「いやです。この小野理津、責任をもって、最後まで仕事をやり遂げます」

 あっけなく防壁は破られてしまった。

 …………………………。

 着替え終わった良晴が、更衣室から出てみると、部屋の前で京佳が待ち構えていた。

 彼女は、良晴が着た制服と同じものに、身を包んでいる。唯一の相違点は、彼女だけはマントを身に着けていることぐらいか。

「やっと着替えおわったのね」

「初めて制服を着たので、手間取ってしまって。それよりも、マントかっこいいな。俺には無かったぞ」

「マントは、階級『管理者』以上が身につけることになっているの。あなたは臨時でその制服を来てるわけ。だからマントはおろか、階級もないわ」

「うげ」

「まあ、いいわ。ところで小野さんは?」

 部屋から出てきたのは良晴だけだ。彼女に着替えを手伝ってもらったのなら、彼女も一緒に出てこないとおかしい。

「小野さんなら、俺の着替えが終わったあとすぐに、部屋をでていったよ。なんでも、自分の役目はここまでなので、失礼させていただく、らしい」

「あら、そうなの。なら彼女は、大ホールにはこないつもりなのね。それとも、もう行っているのかしら。私たちも行きましょう」

 良晴は、京佳のあとに続き、木製の階段を登った。踊り場で一度向きを変える。

 二階にもドアがずらりと並んでいる。階段を上りきると、京佳は迷わず、右の通路を進んでいった。

「大ホールというくらいだから、結構な広さなのか?」

「そこまで広くはないけれど、さっき常井くんがいた部屋よりは大きいわよ。支部長全員、計六名なんか楽々収容できるわ。六人じゃ寂しいくらいよ。そうね、一〇〇人は確実に収容できる広さだわ」

 通路の突き当りにドアがあった。一階の突き当りにはドアはないのだけれど、二階にはある。その分、二階の通路は短い。

 良晴は振り向き、反対側の突き当りを見た。するとそこにも、ドアはあった。

「なにしてるの。早く行くわよ」

「おう。すまん」

 先頭に立っている京佳は、ドアを押し開けた。

 大ホールには、先に来ていた支部長たちが数名集まっており、それぞれで暇つぶしをしていた。みんな、マントを身に着けている。

 小野の姿は見えなかった。出席者の世話は、彼女の仕事ではないのだ。

 支部長数名の中に京佳たちは入っていく。京佳たちを含めて六人が、そこに集まっていた。

 なかには外国人も見える。彼こそは、本部から来たαクラスの瞬間移動者だ。

 京佳は、集団の中にいるある人物に、近づいていった。

「こんにちは、市川さん」

 初老の男性は椅子に深く座り、眠っていた。

 声を聴くと、ゆっくりとした動作で目を開き、京佳を仰ぎ見た。組んでいた腕は、とかれなかった。

「ああ、第五のお嬢さんか。よく来たな」

 酷く侮蔑的な感情が、その声音に込められているよう、良晴には感じられた。

 そう感じたのは、良晴だけであった。実はこれが、彼の話し方なのである。京佳はその声音を、日常的なものとして受け止めていた。

「来ないわけにはいかないでしょう」

「まあな」

「それで、この人は……」

 京佳は、良晴を紹介しようとしたが、続きは市川によって遮られた。

「常井良晴くんか」

「ど、どうも。常井です」

 やや緊張気味に、良晴が応える。

「うちの理津が粗相をしでかさなかったか」

「いえとんでもないです。小野さんは、とても丁寧に対応して下さいました」

「そうか。それは良かった」

 話を終えると、市川は再び目を閉じ眠りへと落ちていった。

 次に京佳は、同じαクラスであるハンス・シラーに、挨拶をしにいった。

「————、——————————」

「————————」

 良晴をおいて、彼らは外国語で会話を始めた。

 この言語は、少なくとも英語ではない。これでは何を言っているか分からず、良晴としては堪ったものではない。

 誰か助けて……。

「ちょっと、北沢さん……」

 良晴は仕方なく助けを求めた。

「————、——」

「——」

 会話を進めるな。お願いだから話を聞いてください。

「なにかしら?」

「俺にも分かるよう話をしてくれ」

「無理ね」

 だろうな! 相手外国人だもんな!

「今私が使っているのは、結社の独自言語なの。習得は簡単なので、常井くんもぜひ覚えるといいわ」

「いや、俺はいいや……」

 勉強なんてしたくない! 学校だけで十分だ!

 でも、話ができないのは辛いな。少しだけ習ってみるか。

「やっぱり、あとで教えてください」

「よろしい」

 というか俺が、組織の外国人と話すのは、これっきりじゃないのか、とも思ったのだが、菊池を捕まえられなければ、いつまでも組織にいることになるのだ。

 早く帰って、能力を取り戻したい。

 活動できない環境におかれると、無性に活動したくなる。ああ、このやる気を平時に出せればいいのだが。

 平時になればなったで、今でているやる気は、跡形もなく消え失せてしまうだろう。

 良晴は、意思疎通を諦め、とりあえず、

「Hello!」

 と言っておいた。

「Hello!」

 素晴らしい返事が返ってくる。

 国際交流バンザイ! 英語バンザイ!

「——————————?(彼は、僕たちの言葉をしゃべれないのか?)」

「——。——————————(ええ、そうなの。結社に来たばかりだから、まだ教わっていないのよ)」

 また独自言語による会話が始まった。こうなるともう良晴の手には負えない。

 良晴は彼らの会話が終わるまで、おとなしく待つことにした。

 指先に意識を集中させると火が点った。もっと大きくなれと念じたけれど、火は変わらない。やっぱりこれ以上の力は戻っていないのか……。

 待っている間は暇だ。なので、周囲をつぶさに観察していた。

 先程、挨拶をした第一支部支部長と、今、京佳と話をしているシラー以外に、男性が二人、この場にいた。その一人と目があった。するとその男性は、良い話し相手がみつかったとばかりに、良晴に近づいていった。

 男性の身長は、良晴とさほど変わらず、歳は二〇代後半であった。実年齢よりも不思議と若く見える。その男性はどことなく不思議な雰囲気をまとっていた。中性的で艶めかしかった。

「こんにちは。君が常井くんだね?」

「はい、そうです」

「僕の名前は、長宮修一。第二支部の支部長をやっているんだ。これからよろしく」

「常井良晴です。こちらこそよろしくお願いします」

 菊池を捕まえられれば、これからよろしくすることはない。良晴としてはもちろん早く捕まえたい。……別によろしくしたくないわけではない。

「長宮、もう来てたのね。あなたのことだから、遅れてくるのかと思っていたわ。研究が終わらないとか、なんとかで」

 シラーとの会話を切り上げた京佳が、良晴と長宮を発見し、割って入ってきた。

「それなら、他の人に投げてきた」

「そんな適当でいいの?」

「僕でなければできない仕事ではなかったから。それに集会があるのなら、仕方ないだろ」

「それもそうね。だけど支部の皆さんを、そんなに荒く扱っていたら、いつか嫌われるわよ」

「ご忠告どうも。でも君の予想に反して、僕は全く嫌われていない。他人の心配より自分の心配をしたほうがいいんじゃないか。君のような気性の激しいやつの元で活動するなんて僕は御免だな」

「なんですって……。誰の気性が激しいのよ! もういっぺん言ってみなさい!」

「何度でも言ってやるよ。この鬼ババア!」

 この流れから分かるように、京佳と長宮との仲は非常に悪い。彼らが一緒になると、激しい連鎖反応が始まってしまう。

「ババアって……。私はあなたよりも若いのよ。分かるかしら、この無能男」

「それがどうした。ババアは何歳でもババアなんだよ。こんなやつと共にいるなんて、苦労するだろ、常井くん」

「へ?」

 まさか自分に話が振られるとは、思っていなかったのだろう。良晴は素っ頓狂な顔をしている。

「どうなのかしら? そんなことないわよね?」

「な、うーん」

 考え込んでしまう。

 どう答えればいいのだろう。あちらを立てればこちらが立たない。特に苦労していないし、ここは正直に答えるか。

「そんなことないですよ。北沢は自分たちを気遣ってくれます」

「常井くん……!」

 京佳は、彼の回答を聞き、非常に感動していた。これこそ数年来の感動だ。素直に味方をしてくれるなんて。

「嘘つかなくていいんだよ。どうせ、そう言えと脅されているのだろう。汚い手を使いやがる」

「どこまで意地汚いのかしら。そんな濡れ衣を着せるなんて。最低ね」

「————(こら、やめないか)」

 シラーが、熱した彼らを止めに入った。日本語は理解できないが、言い争っているのは理解できる。そして、京佳と長宮の仲が悪いのも知っている。

「——————、——————(君たちは毎度のことながら、もっと仲良くできないのか)」

「————、——————!(こいつと仲良くするなんて、死んでも御免よ!)」

「————。————(僕も御免だね。こんなクソババアと)」

「——————!(またババアって!)」

 また、独自言語の会話が始まってしまった。

 シラーの仲裁により、二人はひとまずの落ち着きを取り戻した。だが、ここで決着がついたわけではない。またいつか喧嘩を始めるだろう。

「まったく、なんて無神経なのかしら。あんなやつ、早々にくたばったほうが地球のためだわ」

「なんであんな仲悪いんだ?」

「そんなの覚えていないわよ。気づいたらこうなってたの」

 本当に京佳は覚えていないのだ。自分でも、彼と仲違いをする気はなかったのだが、いつからかこうなってしまった。それゆえに、京佳は仲直りをしたいと、ちょっとだけ思っていたりする。

「でも、常井くんが味方をしてくれて、嬉しかったわ。ありがとう」

 彼女は、にっこりと微笑んで言った。

 このまま抱き締めたくなるような、そんな笑顔だった。ああ、やっぱり女の子には笑顔が一番だなと、良晴は思った。なぜこんなにも笑顔が似合うのだろう。その答えは、一生かかっても見つからない気がする。例えば、自分がそれを望んでおり、それは自身の理想であるからだ、という答えを考えてみても、なんだかしっくりこない。これを確実にするには、証拠が必要だ。

 それから、しばらく待っていると、まず第三支部支部長が、次に第四支部支部長が、遅れてやってきた。

 これで全員が揃った。

「皆、よく来てくれたな。これから、予定通り本部へ向かう」

 市川が、支部長たちに向けて告げた。支部長たちはある程度ひとかたまりになって、市川の話を聞いていた。

「それでは……、シラー」

 市川からの目配せを受けて、シラーは市川の肩に手を置いた。すると市川の身体は音もたてずに消えた。移動したのだ。

 第二支部支部長、第三支部支部長と順々に移していく。

 京佳の番が来た。

「————(今回もお願いね)」

「——————。——(きちんと送り届けますよ。お嬢さん)」

 京佳の身体は消えてなくなった。

 良晴の肩に手が置かれた。こんな長距離の移動を経験したことがないので、良晴は若干緊張気味だった。

「よろしく頼むぜ」

 震えながら言う。

 シラーは肩を持つ手に力を込めた。

「Gute Reise.(よい旅を)」

 背景が入れ替わる。入れ替わりの切れ目は、巧妙に隠されていた。

 着いた先は小部屋だった。小部屋といっても、七人を収容するには十分な広さだ。

 部屋の内装は、先程いた洋館によく似ている。

 ここに転送された直後、良晴は身体の不安定さを感じた。思わず足元から崩れ落ちそうになる。この状態は前にも経験したことがある。菊池に能力を奪われたときや、海岸で菊池と戦ったときに感じたものと同じ感覚だ。

 だが、すんでのところで踏みとどまった。ここで倒れては多くの人に迷惑がかかってしまう。

 足に力を入れて、深呼吸を繰り返す。

「どうしたの?」

 良晴の異変に気づいた京佳が、彼を気遣った。

「ちょっと体調が悪いみたいだ。頭がクラクラして、力が抜けそう」

「大丈夫? もしあれだったら今から日本に帰れるけど……」

「いや、そこまで重症じゃない。どうしたのかな、もしかしたら長距離の移動を経験したからかもしれないな」

「そう? 私はなんともないけど」

 京佳は自分の好調を示すため、腕を二、三回回してみせた。

 室内に良晴の呼吸音が響く。すると、他の支部長四名(第六支部支部長はまだ転送されていない)が心配そうに良晴のほうを見つめた。

「おい、大丈夫か?」

 この場をおさめるため、みんなを代表して市川が訊いた。

「大丈夫です」

 良晴の言葉は本当だった。いくつか深呼吸を繰り返しているうちに、良晴の容態は軽くなっていき、ついには平常に戻っていた。

「そうか、ならいいんだが。身体に不都合があるのなら、無理をせず言ってくれ。じゃないと俺が困る」

「分かりました」

 最後に残った第六支部支部長も、きちんとこの小部屋に転送されてきた。

「あれ、さっきのドイツ人は?」

 シラーが部屋中のどこにもいないのに、良晴は気がついた。

「さあ、日本の観光でもしているんじゃない。帰りも送ってもらう予定なので、そのころになれば来るでしょう」

 と京佳は日本語で答えた。彼女は、良晴と話すときだけ、日本語を使おうと決めていた。それ以外の会話は全て独自語だ。同じ日本人同士でも、ここでは独自語を使うのが、慣習となっている。

「みんないるな。それじゃあ、行くか」

 市川が先陣を切り、外へとつながるドアを開けて、外に出る。他の支部長たちがそれに続いた。

 良晴も、京佳のあとに続いて外に出た。

 廊下の窓から見えるのは、まさに異国の風景。古めかしい石造りの建物と、現代的なガラス張りの建物が混合している。

 廊下を進んでいくと、日本ではあまりみることのない路面電車が、左から右へ走っていくのが見えた。

 市川たちの集団は、五階まで階段を上っていった。それ以上に続く階段はないので、五階が最上階のようだ。

 また長く続く廊下を進んでいき、一枚のドアを開けた。

 大会議室では、既に各々の支部長、そして本部の幹部たちが着席していた。どうやら市川らが、最後の客人であるらしい。

 部屋の前方には、マイクを携えた講壇があり、それに向かうように複数の机と椅子が、平行に設置されている。まるで、学校の理科室か、テレビでよく見る記者会見場のようだ。

 空いている席は、多からず少なからず、ほどほどにあったので、市川たちは中頃の席に並んで座った。

「いつ始まるんだ、これ」

 定期集会の勝手が分からないのだろう。新入りである良晴は、隣に座った京佳に尋ねていた。

「もうちょっとで始まるわよ。それまでおとなしく待ってなさい」

「もうちょっとか……」

「なによ、落ち着きないわね」

 京佳のいうとおり、この大会議室に入ってから良晴は、頻繁に周囲を見回したり、足を組み替えたりと、せわしない様子だった。

「初めて来たんだから仕方ないだろ。誰でも最初はこんなもんだ」

「自己弁護?」

「まあ、そんなところだ」

「ビシっとしなさよ!」

 京佳は、良晴の肩を思いっきり叩いた。叩いた拍子にバシンと、身体を打つ音が響いた。

「痛い……。加減知らずかよ!」

「あら、ごめんなさいね」

 叩かれたときに、緊張もこぼれ落ちたようだ。先程まで、定期集会へ初参加し生じていた不安が、頭の大部分を占めていたのだが、今は、肩の痛さが意識に入り込み、緊張を追い出していた。

 やがて時刻になると、一人の男性が講壇に上がっていった。開会のあいさつが始まるらしい。

 彼はマイクに向かって話を始める。

「本日は、お集まりいただき、誠にありがとうございます。我らが結社『流氷と月光』の定期集会も今回で五〇回目となりました。ああ、五〇回目! なんと誇らしいのでしょう。ここまで、活動を続けられたのも、ひとえに皆様のおかげです。まずはそれについてお礼申し上げます。誠にありがとうございます。

 さて、ここで我らが結社の歴史や業績などをお話したいのですが、今回は時間がないのでやめにしましょう。長くもなりますしね。皆さまがご存知の内容を話すより、別のことを話したほうが有意義ではありませんか。

 といっても私は大した話をするつもりはございません。この定期集会開催五〇回目という記念すべき日を、ただ、ただ、皆さまと祝福したいだけでございます。

 それでは一つ失礼して。

『氷面を撫でる月光よ、今日も我らを照らし給え』!」

 さざなみのように、各席から拍手がまきおこった。良晴は、独自語で話される話の内容を理解できなかったが、みんなが拍手をしているので、それに合わせて拍手をした。

 やまぬように思われる拍手を引きずりながら、男性は講壇をおりていった。

「今、喋ったのは誰だったんだ?」

 長々しい話を聞き、飽き飽きしていたので、良晴はアクセントを求めて、京佳に質問した。理解できない話を聞いてもなにも面白くない。

「あの方は、アジア方面の統括者ね。私たちの上にたつ方よ。帰りにあいさつでもしておこうかしら。とても気さくな方なのよ」

「へー。じゃあ俺もついていこうかな」

「もちろん構わないわ」

 拍手は当分の間続いたが、ゆっくりと時間をかけて鳴り止み、やがて場内はしんと静かになった。

 開会のあいさつから始まり、定期集会は各支部の現状報告へと進行していった。

 日本支部の報告は市川が担当した。その報告にはもちろん菊池の問題も含まれていた。結社全体の問題の中で、菊池の問題は一位二位を争うほど、解決優先度が高いものであった。当たり前だ。結社の発明が盗まれたのだ。これを黙って見過ごすわけにはいかない。捕まえられるか、捕まえられないかは、結社の名誉にかかわる事柄だ。

 全支部の報告が済むと、次は総監のあいさつへと変わっていった。

 驚くべきことに、この組織で一番偉いという総監は、女性であった。歳も、良晴たちと幾分も違わぬようにみえた。

 といってもここにいる京佳が、結社で二人しかいないαクラスの一人であり、かつ日本第五支部の支部長でもあるのだ。それほど驚くべきことではないのかもしれない。

 総監は少女なのだが、それをとりまく幹部たちは、老人ばかりであった。先程のアジア方面統括者も、老人であった。コントラストが際立っていた。

 総監はふらふらとした足取りで、講壇へと上がっていった。寝不足だとか、体調不良だとか、そういうわけではない。ただ壇上で話すのが苦手で嫌いなのだ。

「えーと……、なんだっけ」

 これから何をすべきか、ど忘れしてしまったらしい。

「ご挨拶を」

 近くにいた立派な髭を生やした老人が助言をする。

「ああ、そうだった。……皆さま、本日はよくお集まりくださいました。遠い遠い異国の地からよくぞここまで、ご苦労様です。…………」

「何か具体的な話でも」

 老人の助言が続く。

「えー、具体的な話〜? そんなのないよ〜」

「考えてこられなかったのですか?」

「まあ……」

「まあ、ではありません」

 老人との会話は、集会参加者たちに丸聞こえだったのだが、誰も文句を言わなかった。集会のたびに、この応答を見せつけられているので、みんな慣れてしまったのだ。疑問はついえてしまった。

「じゃ、話がないので総監の挨拶はおしまいです」

「いけません」

「ケチー」

「なにをおっしゃいますか。きちんと最後までお話しください。これはあなた様の使命であられるのです」

「じじいのくせに……」

「じじいで結構です。さあ、お話しください」

 老人は、右手人差し指の指先に、小型の竜巻を発生させた。操空の能力だ。竜巻は段々と細く長く引き伸ばされていき、指の延長となる。高速で渦巻く空気は、何物をも引き裂く剣となる。長さ三〇センチメートルの剣は、淡い緑色に発光していた。

 よく見ると老人の右手人差し指には、指輪がはめられていた。あれも補助機の一種なのだろう。

 細長い剣の内部では、空気が、身体を流れる血液のように循環している。空気自体が発光しているので、巡りゆく様子がよく分かる。これほどまで精緻な剣を、生成できるのは補助機のおかげだ。補助機がなければ、剣はもっと太く野蛮な姿になっていただろう。

 抜刀しても、聴衆は止めに入るどころか驚きもしない。これも時々発生する即興劇にすぎない。なかにはこの劇を待ちわびていた者もいる。退屈な挨拶よりは、動きのある戦闘劇のほうが面白いに決まっている。

「ぬおっ! 能力を使うなんて卑怯だぞ! 私が非戦闘能力所持者であると、知っているだろう。しかも、じじいよりクラスの低い」

「卑怯もへったくれもございません。ただこの状況だけが現実なのでございます。それに、β−とβ+、少しの差しかございませんよ」

「その差が大きいんだ!」

 総監と老人はそのまま数秒睨み合っていたが、やがて転機が訪れた、それも総監側に有利な。

「そろそろお時間です。これ以上続けると集会の時間がなくなってしまいます」

 最前列に座っていた優秀そうな聴衆が、言い争っていた総監と老人に通告する。

 通告を聞いた瞬間、総監は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、老人を見下ろした。

「作戦通りだな。時間稼ぎ万々歳だ。集会の時間は有限なのだよ」

「あなた様はいつもそう。少しは真面目にお話しをされてみては……」

「また説教か」

「わたくしは必ずあなた様にお話しをさせてみせます」

「お時間ですので」

 聴衆の声を聞き、総監と老人はおとなしく言い争いをやめた。

 彼女らのやり取りを見ていた第四支部支部長は、思わずくすくすと笑い声をもらしてしまった。すると市川と京佳が、彼女を目で制した。

 彼女は弁解を試みようとしたが、険しくなる市川の目元を見て、それをせず慌てて姿勢を正した。

 もういい大人なのだから、粗相をしでかさないでくれと、市川は思っていた。対して京佳の思いには、総監を笑ったことへの怒りがほんの少しだけ含まれていた。怒りの理由は結社への忠誠だ。もちろんこのくらいでは、第四支部支部長を嫌いになったりしないだろう。一瞬だけ怒りが芽生えただけだ。

 総監の形とならない挨拶が終わり、最後に閉会のあいさつがされ、第五〇回定期集会は終わりとなった。

「いやー、ごめんごめん。つい笑っちゃったわ」

 会の参加者たちが席を立ち、ざわめき始めたころ、第四支部支部長は京佳と良晴のもとにやってきて弁明をしていた。

「別に気にしてはいないのだけれど、気をつけなさいよね」

 京佳は、年上の彼女に臆することなく、注意をほどこした。といっても、この結社にいる限り重要視されるのは、年齢ではなく階級だ。京佳の階級は管理者である。そして第四支部支部長の階級も管理者だ。なにも気兼ねすることはない。

「でもいつも思うけど、あれは仕方ないって。笑っても仕方ない! 君もそう思うでしょ?」

 と第四支部支部長は良晴に話をふった。

 だが、その言葉が独自語であったので、良晴は素っ頓狂な顔を返してしまった。

「ああ、そっか」

 第四支部支部長は、良晴が独自語を理解できないということを思い出した。

 次は日本語で問いかけた。

「あのやり取りは笑っても仕方ないよね?」

「俺、なんて言ってるか理解できなくて……」

「ああ、……まあそのことはいいや! このあと帰るまでに時間あるけど、どうすんの?」

 第四支部支部長は、日本語で京佳に尋ねた。

「ちょっと他の方々にあいさつしておこうと思って。このような機会じゃないと会えないから」

 日本語で尋ねられたので、京佳は日本語で返した。

「昇進狙い?」

「バカなこと言ってないで、あなたも一緒に来たらどう?」

「やだよ、めんどくさい。あなたたちがあいさつにいくのなら、私は他のところで時間つぶしているわ。じゃあね」

 第四支部支部長は、京佳たちのもとを離れ、この大会議室を出ていった。

 彼女を見送ると、京佳は会議室内に目を見張らせ、お偉いさんを捜した。

 いた。今、部屋を出ていこうと、出口に向かっているところだった。

 京佳は慌てて、総括者に駆け寄っていった。

「こんにちは。お久しぶりです」

「ああ君か、こんにちは。ちょうどいいところに来たね。実は私からも、君に話があったのだよ」

「はあ……」

 京佳は予期しなかった返答に、若干戸惑ってみせた。

「一体何でしょう?」

「それがだね……」

 ここで総括者は、ちらりと良晴のほうを流し見た。

 その視線に、良晴はぎくりとし、思わず居住まいをただした。会話の内容が分からないので余計不安になってしまう。もしかしたら、自分の行動に何か問題があったのではないか、と。

「ここにいる彼のことなのだが……」

「なにか分かったのですか? 例えば強制的に彼に能力を戻す方法とか」

 努めて冷静に、京佳は尋ねた。実際のところ、彼女の声は荒立っていたのだが、本人はそれに気づかなかったようだ。

 荒立ちの理由は二つある。

 一つ目は、結社の名誉に関する事柄。良晴に能力を戻せれば、外部者に害をなしたという不名誉は払拭される。損害の回復も自結社がなしたのだ。迷惑をかけたという事実は無くせないが、多少の名誉は回復できる。

 それと二つ目の理由は、シンプルに良晴のことを思って。彼と行動を共にするうちに能力をなくした者への情、憐憫の情が蓄積されていったのだ。どうにか早めに能力を戻してやりたいと、強く思うようになっていた。これも月日のおかげだ。

「それについての方法は、今のところ不明だ。すまない」

「いいえ……、謝らないで下さい。あなたが我々のために、色々と手をつくしていることは知っています」

「そうか。それで話なのだが、補助機を強奪した犯人の住み処が分かったのだ」

 京佳はまたもや、冷静であることを強要された。話している最中くらい失礼のないようにしたい。

「ほらやっぱり、色々と手をつくしてくださっているではありませんか。わざわざお調べいただいたんですね。ありがとうございます。本当はその調査も、我々の担当であるはずなのに」

「いいや、これも仕事のうちだよ」

 総括者は京佳に紙の資料を渡した。枚数は一〇枚ほど。京佳が流し見た限りでは、そこには菊池の住み処の場所はもちろん、他にも様々な菊池に関しての情報が記されていた。

 良晴は京佳に渡された資料を、ちらりと盗み見たが、その資料に記述されていた言語は独自語であった。惨敗である。

「ありがとうございます!」

 京佳は喜びを隠しきれずに、満面の笑顔で言った。

「それじゃ、あとはよろしく頼むよ」

 と言い、総括者は京佳たちに背を向けた。ひらひらと手を振り、出口へ消えていくさまは、京佳の印象に強く残った。

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