3-1
事務机に夕日が降り注いでいた。
刑事ドラマの再放送が終わり、ニュース番組に切り変わる。
今日は、京佳から話があるというので、四人は第五支部に集まることになっていた。まだ柳川さんは来ていない。仕事があるので、遅れるのは仕方がないのだろう。
「北沢さん水下さい」
何度か京佳の水を飲んだ良晴は、その水の虜になっていた。彼女の水は、飲めば飲むほど美味しく感じる魔法の水だった。恐るべき中毒性! この水は健康を害さないので、法律で規制しようとしてもできないだろう。
「いやよ。めんどくさい。水なら自分で汲んでくることね」
「そこをなんとか!」
「……いくら払うのかしら?」
「くっ。金とるなんて、村江かよ」
「ぬはははははは! 常井もこの地獄に溺れ死ぬがいい!」
「……はぁ。仕方ないわね」
コップに水が、なみなみと湧き起こった。
「おお! ありがとう」
「どういたしまして」
ごくごくごくごくごく。
良晴はもらったばかりの水を一気に飲み干した。一段と美味しく感じる。一度焦らされたからだろうか。
「ぷはぁ!」
「どう? 美味しかった?」
「超最高!」
「ふふっ、それは良かった」
艶めかしく撫でるような笑みを浮かべて、京佳は、巣にかかった小鳥を見つめていた。自己の水が人々を魅了する。これに京佳は一種の悦楽をみいだしていた。水を飲むと人々は、自身の意に組み伏せられるのだ。
「こうやって中毒者が増えていくんだな。私は今、被害の拡大を、目の当たりにしているぞ」
「なに言っているの、奈緒。常井くんも喜んでいるじゃない。被害だなんて言わないでちょうだい」
「そうだ、そうだー」
「ははは。僕もハマるのが怖いから、京佳ちゃんの水には、手を出せないでいるんだよ。興味はあるんだけどね」
どこからか聞こえる柳川さんの声に対し、良晴は疑問に思った。いつの間に来たのだろうか。全然気が付かなかった。
それにしても姿が見えない。
「どこにいるんですか?」
「ああ、ごめん、ごめん」
するとついたての向こうから、柳川さんがヌッと現れた。
「いつの間にいたんですか。全然気づかなかったですよ」
「瞬間移動してきたからね。気づかないのも当然だよ」
「瞬間移動ですか。なるほど」
そうだ、柳川さんは、瞬間移動の能力を、持っていたのだった。そのことをすっかり忘れていた。
「いきなり声がしたので、びっくりしましたよ」
「突然目の前に現れられるよりはましよ」
「そうだな、初めの頃は私も度肝を抜かれたぞ」
「初めの頃って……なんかあったんですか?」
「うーん……僕の口からは、あまり言いたくないな。なんせ迷惑かけたと思っているからね」
「なら私から言ってあげるわ。事は簡単よ。この第五支部ができたばかりの頃、勝手がわからないものだから、柳川は、私たちがソファに座ってくつろいでいるときに、いきなり現れたのよ」
「もう心臓が止まるかと思ったぞ」
確かにプライベートな空間にいきなり人が現れ出たら、俺もビビるかもしれない。やられたことないので、想像なのだが。
「奈緒なんか、『うひゃあああ! おえおえー!』と、意味の分からない声をあげていたわ」
「うぅぅ……。恥ずかしいな。でも京佳ちゃんはそれほど動揺していなかったな。そこはすごいと思うよ」
「そこはって……、私の全てに感心して欲しいわ」
「あはは、無理だな」
きっぱりと奈緒が申し立てた。
結構ひどいことを言う。恥ずかしいことをバラされた仕返しなのだろう。
「そんなことがあったから、柳川には見えないところに、現れるようにしてもらっているの。じゃないと、魂がいくらあっても足りないわ」
「あははー。そういうことだねー」
瞬間移動にも、瞬間移動なりの問題があるのだな。操炎の問題点といえば、燃えやすいものがあるところでは、能力の使用に気をつけなければならない、くらいだ。他に何かあったかな……。
「おほん! 余計な話をしてしまったわね。全員揃ったので本題に入るわ」
京佳は一旦咳払いをして、場を仕切り直した。
ホワイトボードが、見えない力に引っ張られて、京佳の近くに移動する。
「あっ、今回は書くほどの用事でもないので大丈夫よ。ありがとう」
「そうか」
奈緒が答えると、ホワイトボードは元の位置に戻っていった。
やはり念動力は便利だと思う。能力別人気ランキングで、毎回上位に食い込むだけのことはある。まあ、操炎は操炎で、念動力にはない利便性を持ち合わせているのだが。
——良晴にも、自分なりの誇りがあるので、決して操炎を卑下しなかった。自身を一々否定していたら、彼のような陽気で無鉄砲にもみえる性格にはなれまい。
「実は本部から定期集会の招待が来ているの。支部長である私は、これに出席しなければならないわ」
「あー、いつものやつか」
「毎回ドイツまで行くの、大変そうだよね。でも本部から、αクラスの瞬間移動者が、迎えに来るんだっけ?」
柳川さんが、そういえばと、問いかける。
ドイツまでとなると、βクラスである柳川さんの瞬間移動では届かない。軽いものなら運べるだろうが。
「ええ、そうね。彼がいるから、こうも簡単に集会が開けるんでしょうね」
「αって……。この組織には、αがどんだけいるんだよ」
良晴が至極もっともな質問をする。αクラスは、一〇〇〇万人に一人しかいないのだ。目の前にいる御方と、その瞬間移動者だけで二人もいる。……組織はαの収集家なのだろうか。
「私と彼の二人しかいないわ。そうたくさんいるものでもないでしょう。α、α言われていても、能力を最大限に発揮できる場なんて、そうそうないのよ。あら、でも瞬間移動は、今回のような場合、発揮できるわね」
「操炎のαクラスも、発揮できないだろうな」
大火力で何もかも燃やされたら困る。
「それで、今回の集会には常井くんも参加して欲しいの」
「は? 俺は組織の会員ではないんだぞ」
京佳たちと行動をともにして、この第五支部にも自由に出入りしているが、それは一時的なものであり、能力が戻ったら、彼が持つ「流氷と月光」との関係はなくなるのだ。
「ドイツのお偉方に、これが今回被害に遭った人ですと、紹介しなくてはならなのよ。連れてくるように言われたの」
京佳は、結社を信頼しているので、この命令にも素直に応じた。もっとも、彼女の性格なら、信頼でない組織には所属しないだろう。
「はあ。別に不満はないが」
ドイツにタダで行けるならラッキーだ。海外旅行なんてめったにできないぞ。
良晴は、持ち前の快活さで、すぐに前向きな発想をした。マイナスな考えに、陥る暇もない。この発想こそ、彼の原動力であった。
「じゃあ、決まりね。常井くんの能力が奪われて、大変な時期なのだけれど、定期集会のため少し時間を貰いたいわ。集会が終わったら、菊池を捕まえるのに全力をだしましょう」
「俺は別に遅れてもかまわないぞ。それほど重宝していた能力でもないし。うぅぅ……」
自分で言っていて悲しくなってきた。
「そ、そんな泣くほどなの?」
そんな良晴の様子をみて、京佳は彼を心配した。いつも明るい彼が泣くなんて珍しい。
「常井のそれはいつもの発作だから。気にしなくていいぞ」
そっけない声で奈緒が言う。京佳より付き合いが長いので、良晴のこんな悪癖も知り尽くしているのだ。
そうだこれは、良晴の悪癖が始まってしまったのだ。ここでは彼の誇りもなんら役に立たない。悪癖の上ではこれまであった誇りや性格は、全て無意味になってしまうのだ。
これは発病ともとれるだろう。
「気にしなくていいって。ひどいな……。俺もうだめだよ、村江や北沢に見放されちゃ……、やってく自信ないよ……。うぅぅ……」
自虐癖は、ますます加速するばかりだ。もう収まりがつかなくなっている。酔っ払いも同然だ。
「僕もいるよー」
柳川さん、やや蚊帳の外気味。
「本当にほっといて大丈夫なの。結構つらそうだけど」
京佳は、初めて良晴の発作を目にしたので戸惑っているのだ。だが慣れている奈緒は、
「一時間もすれば、すっかり忘れているぞ」
と一切気にする様子がない。
「まあ、奈緒がそう言うなら大丈夫なのでしょう」
「ああ、ほっとけ、ほっとけ。構ってられるか」
「それじゃ、今日の話はこれでおしまいよ。お疲れ様」