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流氷と月光  作者: 伊藤
1/26

1-1

 白塗りの部屋。そこにいる常井良晴は、目を閉じ、精神を集中させていた。余計なものが入りこんではならない。世界に存在しているのは自分自身だけ、他のものなどありもしない。考えるな、考えるな。

 まぶたをうっすら開くと、四角く透明なケースが見えた。幅五〇センチメートルはあるであろうそれは、胸の高さに届くよう台の上に設置されていた。ケースの中には一枚の金属製の皿がある。

 良晴は皿をじっと見つめる。ちょいとイメージすると、皿の上に小さな火が点った。さらにイメージを膨らましていく。良晴のイメージに応じ、炎は段々と勢いを増していく。これからが本番だ。練習通りに焦らず、ゆっくりと——。炎は何度かちらつき不安定になった。かと思うと、先端は丸まり、根本は絶たれ、やがてそれは球体となった。完全なる球となり空中に浮遊する。

 そのままの状態が一〇秒、二〇秒、三〇秒と続き、ビーとブザー音がなった。とたんに良晴は気をぬいて火球を消滅させた。

 スーツ姿の男性が部屋に入ってくる。彼は世界史の新沼先生だ。能力測定に駆り出されたこの不運な先生は、いつも通りにぽけぽけとした様子でこちらに歩いてくる。いや不運と思うのは早計か? もしかしたら自分の授業が潰れて測定員に選ばれたことを、嬉しがっているのかもしれない。様々な生徒の能力を見られるので、授業よりこっちのほうが楽しそうだ。……でも結局、そこのところは分からない。

「お疲れさま、常井くん。いやー、先生驚いたよ。けっこう練習したんだね。まさか常井くんがこんなに頑張り屋さんだったなんて。普段の様子からは想像もできないよ。僕も常井くんが頑張っている姿見てみたかったなあ……」

「先生、お話しは後で聞きますので結果を教えてください」

「あー、ごめん、ごめん。常井くんの結果はね…………ぱかぱん! γ−だよ! すごいよ! 二〇パーセントの壁を超えるなんて。δとγの壁、この壁を超えるには相当の苦労を強いられるはずだよ。だが乗り切ってみせた。これで常井くんも、全体の二〇パーセントしかいないγ以上に仲間入りしたんだね。おめでとう!」

「ありがとうございます、先生」

「それじゃ教室に帰って自習しててね」

 今日は一年生の能力測定日である。自分が測定するとき以外は、教室で自習をするよう言われているのだ。

 屋外に出ると、太陽がカッと良晴を照らした。思わず右手で日除けをつくってしまう。しかし、すぐ行くと屋根の付いた渡り廊下があるので、それまでの辛抱だ。

 ちらりと背後の能力実技棟を仰ぎ見た。能力の特別使用場として建設された建物。γ以上の人々は、日常生活で使用すると危険なくらい大きな能力を使用できるので、そのような大きな能力を使いたい場合は、この能力実技棟で自身の能力を開放するのだ。

 大きな能力を使うことはここ以外でもできるのだが、そのときは周囲に配慮しなければならない。物を壊したり、人を傷つけたりしたら大変だ。物なら所有者に、人なら迷惑をかけてしまったその人に、謝らなくちゃいけないし、場合によっては警察のお世話になることもある。

 渡り廊下を歩いていき、校舎に入る。一年生の教室がある五階まで、階段を上っていく。途中、何人かの生徒とすれ違った。彼らもこれから能力測定を受けるのだろう。

 教室に戻ると良晴は、真っ先にとある女生徒——村江奈緒のもとへ向かった。彼女は眠たそうに頬杖をついていた。良晴は自分の能力が上がっているか、変わらずにいるか、彼女と賭けをしていたのだ。もちろん良晴は上がっている方に賭けた。そして彼女は変わらずにいると予測した。

「なあ、村江」

「ん? 何だ?」

 良晴に呼ばれて、奈緒が応えた。ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべる良晴を見て、奈緒はぎょっとしてしまった。

「どうしたんだ。顔が気持ち悪いぞ」

「ほっとけ。それよりも、俺は今までどこに行ってたと思う?」

「トイレか?」

「こんな長いトイレがあるか! 教室出ていってから、一時間もたってんだろ! 行くまで村江と話してたから、俺がいつ教室を出ていったか、知ってんだろ!」

「じゃあ、どこ行ってたんだ?」

「測定だ!」

「あー、もう常井の番回ってきたのか。そんじゃ、私の番ももう少しかな」

 今の時刻は午後一時だ。

 測定は、一年生全員を能力の種類別に分けて、それぞれの能力の測定部屋で、一人ずつ行っている。なので念動力をもつ彼女とは、直接的な順番の関係はないのだが、操炎の進行具合をみて、念動力の進行状況を推測しているのだろう。

「測定……。そういえば、結果どうだったんだ? 上がるか、上がらないか、で賭けしてたんだよな」

「よくぞ訊いてくれた! 結果は、δ+からγ−に上がったんだ!」

「えーー。なんで上がったんだよ。そのままで良かっただろ。ブーブー」

「負け犬が。ざまあみろ」

「でも常井、けっこう練習してたしな。上がるのも当然だよ」

「まあな。村江は今回の測定で上がりそうか?」

「私は、何もしてないんで、γ+のままだと思うぞ」

 能力のクラスは、上から順にα、β、γ、δ、εとある。さらにそれぞれのクラスに+と−の区分がある。

 全人口に対するそれぞれのクラスの割合は、αが〇・〇〇〇〇一パーセントと極端に少なく、βが一パーセント、γが一九パーセント、δが五〇パーセント、εが三〇パーセント、となっている。αは、一千万人に一人しかいない。

 やがて、測定から帰ってきた生徒が、奈緒に順番が回ってきたと伝えに来た。

 念動力は、それぞれのクラスに合った鉄球を、規定の位置まで、持ち上げられるかで測定する。

 奈緒が測定室に入ると、そこには透明なケースが二つ用意されていた。左のケースには小さめな鉄球、右のケースには大きめな鉄球が、中に入っている。

 部屋で奈緒が来るのを待っていた現代文の三田先生に、左の鉄球がγ+、右の鉄球がβ−に相当すると伝えられた。一通りの説明を終えると、先生は部屋を出ていった。

 ビーとブザーが鳴る。

 奈緒はγ+の鉄球に注目し、それを軽々と持ち上げた。鉄球が、縦に長いケースの中を、宇宙船に収容されるように昇っていく。ケースに記された線まで鉄球を持ち上げると、またもやブザーが鳴った。γ+合格の合図だ。

 奈緒は持ち上げた鉄球を下までゆっくりと下げていった。線まで持ち上げたら念動力を解いても良いのだが、奈緒は、落下し台に強く打ちつけられる暴力的な衝撃に、嫌悪を感じていたので、丁寧に鉄球を台の上に戻した。

「それでは、次はβ−を持ち上げてください」

 部屋の天井に設置されたスピーカーから、三田先生の事務的な声が響く。

 前回の測定で持ち上げられなかったこの鉄球を、今回だけは持ち上げられる、とは思っていない。だがやってみたら、意外と持ち上げられるかもしれない。自分では実感できぬ成長など、あるだろうか。

 鉄球に力を込める。すぐには持ち上がらない。辛抱強く意識を送り続ける。五秒経ち、意識の繊細な形成がなされたとき、鉄球が微細に震え、ジリジリと持ち上がった。

 そうだ、いけ! 上へ! 上へ!

「あっ」

 鉄球が道のりの三分の一も行かないうちに、彼女は限界を感じた。鉄球にあった支えはなくなる。

 力を抜いた瞬間、鉄球は静止していた。だがそれも束の間。台に引きつけられ、鉄球はゴンと鈍い音を発した。

 ビーとブザーが鳴る。

 部屋に三田先生が入ってくる。

「それじゃ、村江さんの結果はγ+だね。前回はβ−を持ち上げられなかったらしいじゃないか。それなのに今回は僅かでも持ち上げられた。進展だと思うよ」

「はい、ありがとうございます」

 奈緒は教室に戻り、結果を報告すべく、良晴を捜した。彼は奈緒が測定に行く前と同じ場所に座っていた。

 近づいていく奈緒に気づき、良晴が声をかけた。

「どうだった?」

 奈緒は全然というように首を振った。

「ふはははは、俺の勝ちか!」

 高笑いする良晴を、奈緒はぶん殴ってやろうかと思ったが、もちろんそんなことはしなかった。どんな敗者も、勝ちをひけらかす勝者を見れば、いらだつものだ。

「はい、はい。常井の勝ちだ、常井の勝ちだ」

 こんなことでいちいち怒っていられない。

「やっぱり、俺が勝ったんだな。こんな毎日ぐーたらしてそうな女に、負けるわけないよな。ふはははは」

 こんなことでいちいち怒っていられない。

「毎日ぐーたらしてるから、最近太ってきたんじゃないのか?」

 こんなことで……。

「太ってんだろ? 運動でもして痩せたほうがいいぞ」

 こ……。

「だーーーーー! テメー、いい加減にしろよな! 私は全然太ってないわ!」

「ひっ」

「まあ確かに、最近は体重増え始めて、まずいかな、これはまだセーフだよね、とか思ってるけど、言われるほど太ってないわ!」

「分かりました、どうもすみませんでした」

 彼女の怒涛に耐えきれなかった良晴は、素直に謝った。まさかこの話が、彼女に火をつけてしまうとは。太っているという話題がまずかったか。

「分かればいいんだ、分かれば。それで、賭けに負けた私は、一体何をすればいいんだ? 何を賭けるか、決めていなかっただろう」

「そうだなあ……」

 良晴も考えていなかったので、すぐには答えられなかった。

 しばらく考えてから、良晴は言う。

「たい焼き奢ってくれ」

「たい焼き……?」

「駅前のたい焼きだ」

「ああ。常井、たい焼き好きだったんだよな。……私が言うのも変なんだが、それでいいのか? たい焼きなんて一三〇円くらいだろう。かといって、高いものを頼まれても困るが……」

「その一三〇円のたい焼きを五つ買ってくれ」

「ぬっ、数で攻めるのか。卑怯者め。少しは遠慮したらどうなんだ」

「ええー。六五〇円じゃんか。そのくらい出してくれてもいいじゃんか」

「うっさいブルジョア! 六五〇円は大金だぞ! それを人にあげるだと……? なめてんのか!」

「それじゃ、奢ってくれないのか?」

「そう聞かれると、奢らないなんて言いにくい。……仕方ない、今回だけな」

「よし! それじゃ明日奢ってくれよ!」

「明日? たい焼き好きの常井が明日か。今日じゃなくていいのか?」

「今日はあまりお腹空いてなくて。測定があったんで、緊張してたんだ。その緊張がまだ残ってる……」

「ふふっ、常井が緊張か。緊張なんかしなさそうにみえるのにな」

「俺だって緊張するわ! 特に今日のは酷かったぞ。今までで一番の酷さだった」

「そうか。それはお大事に」

 奈緒は、良晴のことを適当にあしらい、六五〇円が財布に与える影響を計算していた。

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