ミレニア編:彼女の胸の秘密
小さいころから、お姫様になれると言われていた。
平々凡々な両親からは想像もできないほど可愛い子が生まれた。そう言って親戚もご近所さんもみんな、ミレニアのことを可愛がった。
ミレニアは周りの期待を裏切らず、美しく可憐に育った。両親はいつか、高貴なるお人がミレニアを見初めて結ばれると信じており、ミレニアにもそう言い聞かせていた。
ミレニアは現実主義者だった。両親の言葉はあまりきちんと聞いておらず、完全に夢物語だと思っていた。
状況が変わったのは、とある小説が流行ったから。それはどこにでもあるようなシンデレラストーリー。でもどこかで本当にあった話だと聞いた。
誰かの身に起こった夢物語。誰もが夢見る素敵なハッピーエンド。
――もしかしたら。
そんな思いが胸を過った時、崖下に転がる高貴な人を見つけた。
神の啓示だと思った。
◇ ◇ ◇
王子様が去り、国王もどこかへと消えていく。呆然と佇むミレニアは侍従が誘うまま、一つの部屋に入った。そこは王城にしては質素で、落ち着いた雰囲気の部屋だった。
促されるまま、部屋に入っていくと窓辺に誰かが立っているのが分かった。その人はミレニアの姿を見ると、眉をわずかに寄せる。
不愉快と顔に書いてあるのが分かり、ミレニアは自嘲した。どうやら自分は道化で嫌われ者のようだ。
「ミレニア嬢ですね。この度は殿下を助けていただき、誠に感謝いたします。王から望むままに褒美を与えよ、との言葉を頂いています」
「褒美……」
「余程のものでなければ、与えることが出来ると思います。あなたはこの国の王太子を救った方なので」
さっさと望みの物を言え。男の目はそう言っているようだった。この男にとって、ミレニアは主君一家に色目を使った不届き者。早いとこ用事を片付けて、さっさとお引き取り願おうと考えているのだろう。
結局幸せなハッピーエンドなんて、ミレニアには用意されていないのだ。
両親は小さいころから言っていた。大きくなったらミレニアはお姫様になるのよ、と。根拠のない夢物語。ミレニア自身がそれを一番理解して、馬鹿馬鹿しいと思っていたのに。
「いつの間にか毒されていたみたい……」
「え? 何かおっしゃいましたか?」
「いえ、なんでもありません」
あまりにも偶然が重なって、周囲が――何より両親が盛り上がってしまった。それに乗せられて、いつの間にかミレニアも現実が見えなくなっていたようだ。熱に浮かされ、あり得ない夢を見てしまった。
――そして何より彼が……。
「どうです? 決まりましたか?」
「っ、」
脳裏に浮かんだあの人の顔が、聞こえてきた冷たい声音にかき消される。
ミレニアは唇を強く噛み、過去の幻影を振り払った。夢を見るのはもうお終い。あるべき場所に帰ろう。
「なんでも構わないんですか?」
「えぇ。望みの物を言ってみてください」
「それでは帰りの旅費を。あと、王都を観光したいので、宿を用意してくださると助かります」
ミレニアの言葉を受けて男の目が驚きに見開く。まるで予想していなかったことを言われた、というような表情だ。事実、予想していなかったのだろう。
「それだけで良いのですか?」
「構いません」
「殿下からは王都観光の案内人を用意するように言われていますが……」
「必要ありません」
ミレニアはきっぱりと言い切った。その返答を受けて、男の人が思案するように考え込む。
「それは殿下が案内しないならば、案内人など必要ないということですか?」
「っ!」
悪意ある言葉。ミレニアが思わず食って掛かろうと顔を上げて、男の目を見た。
そこにあるのは侮蔑の目だと思っていた。しかしそこにあったのは深い思慮と少しの憐憫。探るような目で見つめられ、湧き起こった怒りは瞬時に萎んだ。
「怒らせたのなら、申し訳ございません。ただ入り口でのあなたの態度を思うと、何も要求しないのも変だと思いまして」
「そうですよね。分かります」
「え? 分かるんですか?」
「あの時は頭が沸いていたんです。周りに乗せられて……踊らされていたんです」
男の人は首を傾げてどういうことですか? と聞いてくる。ミレニアは自嘲の意味も込めて全てを吐き出した。
昔から両親からお姫様になれると言われて育てられたこと。もちろん、最初は信じていなかったこと。巷で噂の恋愛小説が広まったことを機に、心境の変化があったこと。本当に王子様を拾ったこと。
「色々な偶然が重なった結果だって分かっています。でも偶然の先に王子様を本当に拾うなんて……必然なのかも、って思ったんです」
「物語のように王子様を拾ったから、自分も物語のように幸せになれる、と?」
「幸せがなんなのかも、よく分からなかったのに……でも、あの笑顔を見たときに……」
王子様を拾って、部屋に運んで看病して。目を覚ましてミレニアを見たときに、王子様は心の底から幸せそうな笑顔を浮かべてこちらを見た。
まるで愛されていると錯覚するような幸福そうな笑顔。その笑顔に見惚れて、その笑顔を見ていたくて。
褒美に何が欲しいと聞かれて、一緒に王都を歩きたいと言ってしまった。あの笑顔で、少しでも長く見ていて欲しくて。
「あの笑顔は、私に向けられたものではなかったと、ここに来て気づきましたけどね……」
騙されたなんて思わないけど、少しだけショックだった。自分に向けられるよりも遥かに幸せそうな顔を婚約者に向けていたから。
「子どものころから親に言われていたから、中途半端に洗脳されてしまったのか……。あなたが住む領地の隣の領主は美人という理由だけで町娘を妻にしたという経歴がありましたね。それでご両親が変な夢を見てしまったってことですかね」
男の人は困ったように嘆息し、それから宥めるように微笑んでミレニアを椅子に座らせた。そんな対応を受けるとは思っていなかったミレニアは、警戒心いっぱいの目で相手を睨む。
「そんな目で見ないでください。先ほどの無礼は謝罪いたします」
「別に……」
「あなたの願いも叶えましょう。謝礼も渡します」
「謝礼なんていらないけど……」
「受け取ってください。お金はあっても困らないでしょう?」
有無を言わさない微笑みで畳みかけられ、ミレニアは渋々頷いた。何と言うか、怖かった。これ以上駄々をこねると、何かをされそうだなと思ったりした。
しかし男の人はさらに爆弾発言をした。
「あと、城下の案内は私がしますね」
「……は? いや、良いです。大丈夫です」
「遠慮なさらずに。隅々までご案内しますよ」
遠慮なんてしてないんだけど。その気持ちを込めて睨むけど、彼はまったく意に介した様子はなかった。
「でも……あなたが誰かも知らないし……」
「これは申し遅れました。私は宰相補佐をしております、ダグラス・ウェンデバーと申します」
優雅に手を差し伸べられ、断ることもできずにそれを受け取るミレニア。ダグラスは軽やかに握手を交わすと「では予定を空けますので、しばらくは王都に滞在してくださいね」と言った。
「は?」
「一応、仕事がありますので。すぐに調整しますから2・3日後にはご案内できます」
「望んでないって言っているのに……」
まったく話を聞いてくれない。と言うよりも、聞く気がないのだろう。
ニッコリ笑顔で押し切られてしまい、ミレニアは抵抗することを諦めた。どこまで本気かも分からないし、ここだけの話かもしれない。
「貴族の気まぐれだと思っていますね?」
「えっ!!!」
「まぁ、良いでしょう。私の本気度は、これから見せればよいので」
なんか笑顔で怖いことを言っている気がする。ミレニアは恐怖心を覚えたが、深く考えることは止めた。というよりも疲れてきて、頭が考えることを放棄した。
やはり変なことをするものではなかった。両親の熱気に当てられて、叶いもしない夢を見てしまった。
故郷に帰って慎ましく暮らそう。ミレニアは改めて決意した。
ミレニアがバカなことは2度としないと誓った瞬間、部屋の扉がノックされる。入室を促すと、侍従が宿の手配が完了したと伝えてきた。
「では騎士があなたを宿までご案内します。後ほど、日程を調整して出かける日を連絡しますね」
「…………」
「連絡、しますからね?」
「……はい」
渋々ながらも返事をしたミレニアを見て、ダグラスはホッとしたようだ。
とにかくここから去ろう。居心地は悪いし、ダグラスはなんか怖い。
ミレニアはいそいそと立ち上がり「あ、ちょっと待ってください」背後からダグラスに呼び止められた。
まだ、何か? と疑心暗鬼な表情を隠しもせずに振り返るミレニアを見て、ダグラスは内心で吹き出す。何と言うか、腹芸の出来ないお嬢さんなんだな、と思った。
「お土産を持って行ってください」
「お土産?」
「殿下の護衛から、あなたは甘いものがお好きだと聞きました。道中でもお菓子屋さんを見ては目を輝かせていた、と」
「うっ。バレてたんだ……」
「お城のパティシエが作ったクッキーです。ぜひお持ちください」
そう言って差し出される小さな包み。ミレニアはそれを受け取り、困ったように視線を彷徨わせ、最後には嬉しそうに微笑んだ。
「っ!」
「ありがとうございます。いただきます。それじゃあ……」
「えぇ……お気をつけて」
見送りの言葉に頭を下げてミレニアは部屋を出て行った。後には口元を押さえるダグラスだけが残される。
「なるほど、だからか……」
ミレニアが最後に見せたはにかむ様な微笑み。それはどこかルチアに似ていた。顔の造形や色彩は全く違う二人なのに、ルチアに似た雰囲気があった。
おそらくアーサーは、目が覚めたことに喜んで微笑むミレニアの笑顔を見て、記憶の奥にあったルチアを無意識に思い出したのだろう。
そして対ルチア用の幸福スマイルを、容赦なく彼女に叩き込んだに違いない。それは誰でも勘違いをする。しかもその笑顔は自分にしか向けられないのだから。
「ある意味で彼女も被害者、だな……」
ミレニアも噂と運命に翻弄された一人だ。救いなのは、彼女が真の意味で馬鹿ではなかったことだろう。
話を聞くとご両親の頭は沸いているようだが、彼女自身はギリギリのところで踏ん張っているよう思える。今回のことを教訓にして、同じ失敗を繰り返さないことを祈るばかりだ。
「それにしても、なんで王都を案内する、なんて言ってしまったかな……」
最初から金銭面での謝礼はする予定だった。一国の王太子を助けたのだから、そこはケチケチせずに支払うと最初に決めていた。その上で彼女が望むのなら、王都案内には適当に騎士を一人付けて案内をさせるつもりだった。
それなのに落ち込んでいる彼女を見ていたら、なぜか口が勝手に案内すると言ってしまったのだ。さらに彼女が嫌そうに拒否をするので、絶対に連れて行ってやろうという謎の使命感も持ってしまった。
嫌ならば、適当な理由をつけて、代わりの者を行かせれば良い。頭ではそう思うのに、それは面白くない、と感じる自分が居る。
なによりも部屋の扉を開けて、盛大に嫌そうな顔をするミレニアを目の前で見てみたいという欲求があった。
「……まぁ、いいか。とりあえず休暇申請を出さなくては」
頭の中でやるべきことを整理しつつ、ダグラスは執務机に座り仕事を始める。その傍らで、ミレニアをどこに案内しようかな、なんて考えながら。
ミレニアは宿を訪ねてきたダグラスを見て、彼の想像通り、顔を引きつらせ「面倒なことになった」という表情を隠しもせずにダグラスに晒した。
それを見てダグラスがさらに面白がり、彼女にちょっかいを掛けるようになる。
ダグラスに引きずりまわされるように王都観光を楽しんだ後、ミレニアは目的は果たした! とばかり自分の町へと帰った。
これでもう何事もなく暮らしていける、と安堵して、ちょっと退屈だけど平穏な暮らしへと戻った。
彼女はまだ知らない。ミレニアを気に入ったダグラスが、何年振りかの長期休暇を取得して、ミレニアのいる町に襲来することを。
そして彼に大きく振り回される人生を送ることも……。
―END―
書籍化するにあたって、この二人が一番変わりました。
その変化も楽しんでもらえたら嬉しいです。
書籍では出番が多めです。
藤咲慈雨