5話
ルチアは朝食の席で、王城からの手紙を受け取った。両親に断りを入れてその場で開封して内容を確認する。
「なんて書いてあったの?」
「殿下が今日の昼頃にお戻りになるそうです」
「それは良かったわね。もちろんお出迎えするために王城に行くのよね?」
「それは……」
正直に言うと行きたくなかった。どんなことが待っているかも分からないし、自分が想像する最悪の事態になった場合、冷静で居られる自信がない。
しかし常識的に考えて、婚約者のルチアが出迎えないという選択肢はないだろう。それこそ余計な憶測を招く事態となる。
両親はルチアの葛藤を感じ取ったのか。宥めるように微笑んだ。
「無理することないわ。体調が悪いと言って断ってもいいのよ?」
母親の優しい言葉にうなずきそうになる。しかしここで逃げても、いつかは対峙しないといけないのだ。それならば覚悟を決めて向き合うべきだろう。
「いえ、行きます。アーサーに会います」
「そう……。何かあったらすぐに帰ってらっしゃい」
「そうだぞ。恥や体面なんて気にする必要はない。そもそも私は嫁にやるつもりは――」
父親の言葉に苦笑しながら頷いた。父である侯爵は王城で要職についているが、出世欲は薄く、むしろ家族との時間が減るので、あまり忙しく働きたくないと思っている。
ルチアとアーサーの結婚に関しても、自分の知らないところでとんとん拍子に進んだために、面白く思っていなかった。相手があのディエリング家だったために泣く泣く諦めたのだ。
「お昼前には到着予定らしいので、着替えてから出かけてきます。……嫌なことが起こったら帰ってきても良いですか?」
「もちろんよ。すぐに帰ってらっしゃい」
「そのまま領地に下がろうか。遠出して旅行するのもいいな」
安心させるように微笑む二人にルチアもほっとする。それから気合を入れて食堂を後にした。アーサーが贈ってくれた一番お気に入りの青いドレスを着て馬車に乗り込む。
気分はさながら、戦場に初陣する新米兵士のようなものだった。
◇ ◇ ◇
王城は異様な空気に支配されていた。ルチアは通された応接間で温かい紅茶を手に取り、ゆっくりと飲み干す。心を落ち着けるようにゆっくりと。
誰もがルチアの一挙手一投足に注目しているように感じられた。腫物を触るような扱い、とはこのことか。
きっと誰の脳裏にも城下に広まる小説の内容が浮かんでいるのだろう。そして少なからず確信しているのだ。ルチアが『悲劇のヒロイン』になることを。
「他の国々の人たちもこんな気持ちで結末を待っていたのかしら……」
だとしたら、なんて勇敢なのだろう。ハッピーエンドなんて待っていないと、きっと分かっていたと思う。それでも最後まで彼女たちは毅然と立っていたのだろう。
果たして自分に、そんな勇気があるのだろうか。自分に問いかけて唇を噛みしめる。
アーサーは全身でルチアを愛してくれた。それに胡坐をかいていたとは思わない。それでもアーサーの渡してくる愛にもう少し応えていれば良かったと思う。
「……ルチア様、」
物思いに沈むルチアの耳に、遠慮がちな声が響く。顔を上げれば、アーサー付きの侍従が扉の近くに立っていた。
「まもなくアーサー様がお着きになります」
「そう、分かりました」
ルチアは深く息を吸い、気持ちを整える。颯爽と立ち上がり、毅然と顔を上げて廊下へと出た。
どんな結末を迎えるかわからない。それでも、せめて下を向くことはやめようと心に誓った。
ルチアが王城の正面玄関についてすぐ、国王夫妻がやってきた。本来であれば、国王夫妻はこの場に来る予定はない。別に謁見の時間を設け、アーサーが帰還の挨拶をするはずだった。
しかし今回はアーサーが怪我を負い、さらに記憶まで失っていると報告を受けている。さすがに心配になった王妃に引っ張られるようにして、国王も出迎えにきたのだった。
「ルチア……」
王妃は詳しい状況を聞いているのだろう。気遣うようにルチアの肩を抱く。自分から少し離れた王妃を咎めるように国王の手が王妃に伸びるが、王妃は素早くその手をつねって牽制した。
静かな攻防を続けながら心配してくれる王妃を安心させるように、ルチアが微笑む。
「大丈夫ですわ。……どんな結末が待っていようと、しっかりと受け止めます」
「誰が何と言おうと、わたくしの義娘になるのはあなただけです」
「王妃様……」
「あの子がバカなことを言い出したら、わたくしがまた崖から突き落としてやりますからね」
鼻息荒く告げる王妃に、ルチアは笑った。ルチアは王妃の言葉を冗談と受け取ったが、王妃は本気だった。
行き倒れた息子を介抱した娘には感謝している。しかしそんなことでアーサーに見初められて、王太子妃になれると思っていたら甘い考えだ。
阿呆なことを言い出したらアーサー共々地獄に叩き落してやる、と意気込む王妃。最早、お腹を痛めて生んだ我が子に抱く気持ちではないが、胸の内に秘めたる思いだったために、誰にも気づかれなかった。
「まもなくアーサー様がご到着です」
響き渡った声に、緊張が走る。王城前の庭園に次々と騎士を乗せた馬車が入ってきた。やがてアーサーを乗せた辺境伯紋章入りの馬車も姿を見せる。
アーサーが王城から乗っていた馬車は彼を乗せたまま崖下へと落ち、大破したと聞いている。出発時とは違う馬車で帰ってきたことが、嫌でも事故に遭ったことを意識させた。
しばらくしてアーサーが乗った馬車がルチア達の前で止まる。
侍従が扉を開け、中から一人の男の人が出てきた。
「っ!」
それは間違いなくアーサーだった。怪我のせいか少しやつれているようにも見えるが、顔色は悪くない。彼は馬車から降りると、すぐに振り返り、馬車の方へと手を差し出した。まるで誰かをエスコートするように。
アーサーがこちらを向いたのは一瞬だった。きっと誰のことも目に入らなかったのだろう。それなのに、目が合わなかったことがショックだった。
王妃の気遣うような気配が感じ取れて、ルチアは安心させるように唇の端を持ち上げる。笑えていたかは、残念ながら分からなかった。
やがて馬車の中からほっそりとした手が現れた。それはしっかりとアーサーの手を取り、馬車から降りてくる。
その姿が見えた時、その場に居る全員が息を呑んだ。
「…………キレイ」
誰かが無意識にこぼした言葉が、ルチアの鼓膜を震わせる。そして残念ながらルチアはその言葉を否定することができなかった。
その少女は髪色と瞳の色こそありふれた茶色だが、容姿が恐ろしく整っていた。町娘にしては白い肌に大きな瞳。そしてぷっくりとした赤い唇。それらが完璧な配置で置いてある。
アーサーが道中にプレゼントしたのだろうか。水色の清楚なワンピースは彼女の清廉とした美しさを引き立たせていた。貴族の娘と言われても遜色のない少女だった。
二人が並んでこちらへと歩いて来る。アーサーは少女をエスコートし、少女もアーサーを頼るように身を寄せている。
(……完璧な一対だわ)
そう思わざるを得ないほど、お似合いの二人だった。まるで絵画でも見ているかのような様子に、ルチアが思わず目をそらす。
アーサーはまず国王夫妻に挨拶をした。
「ただいま帰還いたしました。長らく不在にしてもうしわけございません」
「無事に戻ったのなら良い。ご苦労だった」
「アーサー、怪我の具合はどうなの?」
国王がアーサーの帰還を労う横で王妃が身を乗り出す。アーサーを気遣いながらも、目は隣の少女にくぎ付けだった。その眼にはメラメラと闘志が燃えていたが、幸いなことにアーサーは気が付かなかった。
「頭を強く打ったようで、記憶が少し曖昧になっているようです。ですがミレニアが付きっ切りで看病してくれたので、身体の方はすっかり良くなりました」
「ミレニア?」
「彼女です。崖下で意識を失っていた私を、家まで運んで看病してくれたんです」
アーサーが少女――ミレニアに向かってほほ笑む。ミレニアは恥ずかしがるように顔をふせたが、その手はアーサーの服をぎゅっと握っていた。
「……そうなの。それはありがとう。あなたのお陰で息子の無事な姿を見ることができました」
「とんでもないことでございます。私は私の出来ることをしただけです」
王妃の言葉は穏やかなものだったが、瞳の奥の闘志はより一層、燃え上がっていた。なぜ寄り添っているのか! と問い質したいが、下手なことを言ってルチアを悲しませる結果にしたくないため耐える。
「ミレニアにぜひ、お礼をしたくて王城に連れてきました。私の命の恩人ですから」
「そうね、その通りだわ。……そうなんだけどね、」
お礼とやらは何をするつもりなの? と聞きたいが藪蛇になりそうで聞けない。ミレニアにもお礼目的で助けたの! と聞きたいが、さすがに失礼なのでこれも聞けない。
王妃が内心、地団太を踏んでいたところで、隣の国王が爆弾を落とした。
「アーサー、ハルモニー侯爵令嬢に挨拶をしたらどうだ?」
「ハルモニー侯爵令嬢……?」
突然聞こえてきた言葉にルチアの肩が跳ねる。アーサーは不思議そうな顔をしながら、視線を巡らせた。
初めて聞いた、という反応にルチアの心臓が軋む。やはり忘れた記憶というのはルチアのことだったのだ。
アーサーに会いたい。アーサーに会うのが怖い。葛藤が頭の中を駆け巡るが、それに反して身体は石のように固まりその場から動けなかった。
ちなみに王妃は空気がまったく読めない国王の足を思いっきり踏んでいた。
「…………ぁ」
「っ!」
やがてアーサーの目がルチアを捉える。小さな声が聞こえた瞬間、ルチアもアーサーを見る。
多くの人が見守る中で、二人の目が合った。