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3話


 それは突如湧いた視察の話だった。

 隣国との国境に沿うように流れる大河がある。今までにも橋は架かっていたのだが、それらは大雨による洪水で幾度も流されてきた。

 橋が流される度にそれぞれ橋を建築してきたが、両国の流通と交通に関わるものであるため、急ごしらえのものになりがちであった。そのため新しく作っても翌年の嵐や洪水に耐え切れずまた流されてしまう。

 事態を重く受け止めた両国はこの度、共同で資金と工人を用意して頑丈で大きな橋を造ることにした。アーサーはラージア国の代表としてその工事の視察に行くことになった。

 本来は国王陛下が行くことになっていたのだが、少し前に風邪をこじらせて休養していたため、念のためにアーサーが視察代行をすることになった。


「…………そんな目で見ても、私は行かないわよ」


 侍従たちが視察の準備をしている中で、アーサーが恨めしそうな懇願するような視線をルチアに送っている。最初は無視していたルチアも、突き刺さるような視線に鬱陶しさを感じ、ため息をこぼした。

 アーサーは明らかに不満だという表情でルチアを見つめる。その顔はさながら幼子が駄々をこねる一歩手前の顔だった。間違っても成人間近の男性がする顔ではない。


「7日間もルチアと離れ離れなんて考えられないよ。そんなに離れていたら間違いなくルチア欠乏症で、俺は倒れる」

「倒れる、って大袈裟ね」

「大袈裟なもんか! ルチアは平気なの? 俺と7日間も離れ離れになって」


 そんなことあるはずないよね? アーサーの目はそう語りかけている。ルチアはアーサーのいない7日間を想像してみた。

 今現在、アーサーと離れている時間は、夜に屋敷に帰って眠り、朝起きて朝食を食べて王城に出発するまでの数時間だけだ。他の時間はほとんどアーサーとべったり過ごしている言っても過言ではない。

 正直に言えば、7日間も離れていたら寂しいと思うだろう。しかしルチアにも残ってやることがあるし、何より寂しいなんて言ったらアーサーは視察を取り止めるか、ルチアを連れて行こうとするだろう。

 故にルチアに与えられた答えは一つだった。


「7日間なんてあっという間よ。寂しいなんて思う暇もないはずだわ」

「今、離れ離れになると想像するだけで、俺は身を引き裂かれそうなほど寂しい」

「でも一緒に行ったら結婚式の準備が遅れるわ。お妃教育だって遅れが出るかも……。そうしたら結婚式は予定よりも遅くなるわね」

「ぐっ……。それは何よりも避けたい事態だ……!」


 実に悩ましい! という表情でアーサーがソファーに沈み込む。恨めし気にルチアの顔を見つめるけど、彼女は心を鬼にしてアーサーを突き放すことにした。

 ルチアの心の機微を悟ったのか、アーサーがルチアを自分の傍に引き寄せる。顔を覗き込むようにして唇を尖らせた。


「父上が行けばいいのに……」

「陛下はまだ本調子ではないのよ。無理をして何かあったら困るでしょう?」

「本当はもう全快しているんだよ。ルチアだって知っているだろう?」

「侍医が許可しなかったんだから、仕方ないのよ」

「あれは父上が圧力をかけたに決まっている。母上に看病されたくてわざとベッドに籠っているんだ!」


 力強く恨みがましく言うアーサーの言葉を、ルチアは残念ながら否定することは出来なかった。なぜなら半分、事実だからだ。

 国王はここ最近、休む暇もなく精力的に働いていた。風邪をこじらせた原因は過労もあったのだ。それを見て王妃は体調が元通りになるまでベッドから出ることを禁止にした。

 するとそれを逆手にとって国王は王妃の手ずからの看病を希望。王妃が受諾すると嬉々としてベッドに籠った。いつも塩対応気味な王妃が構ってくれることが嬉しい国王は侍医を脅し――もとい、説得して療養期間を延びに延ばしている。


「くそぅ。父上だって母上と7日間離れることは嫌だったはずだ。この状況を利用しないはずがない。……まさかこうなることを予測してわざと風邪に?」

「いくら何でもそれは無理でしょう」

「しかし寝る間も惜しんで仕事しなくてはならないほど、切羽詰まっていたわけでないんだ」


 アーサーの目が血走り始めた。良からぬことをたくらみ始めたことを感じ取ったルチアは、話題を変えることにした。


「視察では国境領に宿泊なさるんですよね?」

「うん? その予定だけど?」

「ではお土産に欲しいものがあるんですの」

「もちろんだよ! 何が欲しいんだ?」


 ルチアから滅多にないおねだりにアーサーの頭から父親への復讐計画が吹っ飛んだ。それを感じ取ったルチアがにっこりと笑う。


「あそこはレース編みの有名地なんです。私、結婚式に使うレース編みをアーサーに探してきてほしいんです。ドレスか……ヴェールに使うのも素敵かな、って思ってまして」

「レース編みか……。分かった。どんなものが欲しいんだ?」

「それはアーサーが選んでください。私に似合うものを」

「それは難しい注文だな。ルチアはなんでも似合うから」


 そんなことを言ってアーサーの指がルチアの髪を絡め取り、悩まし気な視線を送ってくる。そしてぶつぶつ言いながらルチアに似合うレース編みの熟考を始めた。

 こうなると長くなることを感じたルチアは紅茶のお代わりをお願いする。とりあえずアーサーは無事に視察に行ってくれるだろう。目的がルチアのレース編みを探してくることへすり替わり、橋の視察がそのついでになっただろうが、まぁ些末なことだ。

 

(これで王妃様も安心ね)


 ルチアはアーサーとのお茶会の前に王妃から伝言を受け取っていた。曰く、アーサーに視察に行くように説得してほしい、と。

 アーサーが視察に行くことを渋るであろうことは、王城に居る誰もが察していた。なぜなら国王が渋っていたからだ。というより歴代のディエリング家男児は、妻や婚約者と長期間離れることを非常に嫌がって忌避しようとする。

 毎度その説得に苦労している王妃は、ルチアに早々に説得することをアドバイスしていた。王妃に言われるまでもなく、アーサーが嫌がることが想像できたルチアは、レース編みという素晴らしい『理由』を見つけた。

 もちろんレース編みは結婚式の準備のために必要なもので、いつかは確認しに行こうと思っていた。しかしアーサーがルチアと離れることを良しとはしないことも理解している。諦めようか、とも思っていたところだったので、まさに渡りに船だった。


「道中は十分に気を付けてくださいね? ご無理をせず、ご無理を言って他の方々を困らせたりしてもダメですよ?」

「分かっている。ルチアを悲しませるようなことはしないよ」

「寝ずに2日間の速駆けをして、護衛の方々を全部置いて帰ってくるのもなしですよ」

「分かっている。それよりもルチアはレース編みの模様の好みはあるか? 細かい模様を編ませるなら行った時に注文しておくのもありだな……」

「……きちんと橋の視察もしてきてくださいね?」


 分かっている、と答えるアーサーの頭の中に橋の視察のことは残っているのだろうか。

 ルチアは一抹の不安を抱えたものの、側近たちが上手くフォローするだろうと考えて放っておくことにした。

 あまりしつこく視察のことを口に出すと、遠くに行ってほしいということか!? という見当違いな勘違いをしてべったり張り付かれることになる。わざわざ藪を突いて蛇を出すことはない。

 アーサーはその後もルチアとの結婚式に意識を飛ばしていた。




 そして次の日には国境に向かって、本当に渋々行きますという表情を隠しもせず、アーサーは旅立っていった。



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