(7)
ハロウ・ストームが目を覚ました時、まだ辺りは真っ暗だった。黒猫とフードのついたマントの男がとても険悪に睨み合っていたので、声を掛けられずにいると、黒猫がぱっと振り向いて
「もうすぐ街にはつくはずだ」
と言った。
おもむろにフードの男が立ち上がって毛布を投げて寄こしたので、畳んでかばんに元通りにしまっていたら、その間に黒猫とフードの男は焚き火を消して歩き出してしまった。
なんだか機嫌がよくないみたいだ。
「僕はどれくらい眠ってしまったんでしょう?」
小さな声でそっと聞いてみると
「ちょっとだよ。30分も寝てたかな」
と黒猫が前を向いたまま応えた。
首が痛くなって指先がとても冷えていた。外で寝るとこんなことになるのか、と、ぼんやりと考えた。肩もかちかちに固まってしまっている。
今頃家では騒ぎになっているのかまだばれてないのか。
まあ、ばれているな。
なんだか家を出たあたりのところからずっと夢を見ているような気がする。
猫の言ったとおり、街にはすぐ着いたので、3人はランプを消してかさこそと目的の家を探した。まだ街にはだれもいない。
「お前どこだかわかんね〜〜のかよー」
黒猫がひげを神経質そうにぴくぴくさせながら言った。
「すみません。ちょっと歩いて来た事がなかったので……」
おまけにこんなに暗いうちに来た事がなかったので、まるで初めて来た場所みたいに思えた。でものんびりと探している暇はない。
「なんかねーの? どっかの建物の近くにあるとか、見た目がこんなんとか」
「なんだかたくさんお店が並んでるところの近くにあったんですが……見た目は普通のお店で」
「なんだっけ? 何屋の家っつった?」
「からくり師です。自宅と工房が同じ敷地にあって別棟で建っているんです」
反射的に応えると、フードの男はふんふんと2,3度頷いて一直線に大通りを下っていった。あまりの迷いのない足取に慌てて後を追うと、街灯の中に雑多な家々が現れだした。通りの両側をずらりとあまり背の高くない店が埋めている。
「ここらが職人町。からくり師なんだろう。この辺に住んでるんじゃないか」
あたりを見回すと確かに見覚えがある。時計屋。宝飾店。古い菓子店。そして小さな教会……
いつも車はあの教会を左に折れて、
「そこを左に」
そこに女性用の洋服屋があってもっと奥にくつ屋。
「そのくつ屋の突き当りを左です」
すると正面に『からくり細工』の文字。
鉄の柵がウィンドウに下りている。あたりまえだけど。夜中だから。いつもは開いている扉もがっちり閉まっている。でも扉をノックするわけにはいかない。
「ここか。裏には回れねえのか?」
「この工房を通過すれば」
そりゃあそうだろうよ、とフードの男は呆れたようにつぶやいた。
「中の様子は知ってるのか? つまり……間取りとか人がいるかいないかとか」
「工房には今は誰もいないと思います。工房を抜けると渡り廊下があって、それを抜けると自宅のほうのエントランスに繋がっています。エントランスの左に客間があってその手前に階段があって、あとはよくわかりませんが、ここのご家族が寝室で寝てるんじゃないでしょうか。階段を上ってすぐの部屋が子供部屋です」
「子供部屋がどうしたってんだよ」
「箱がたぶん子供部屋に」
フードの男はちょっと首をかしげて考えるようなしぐさをした後、気を取り直したみたいにきっと顔を上げて、マントの下からはりがねのようなものを取り出すと、街灯の明かりしかない中鍵穴にそれを差し込んで、器用にかちゃりと鍵を開けた。
「お前コソ泥のほうもプロだったのか」
黒猫が本当に感心したみたいに声を掛けた。
「うるせぇ。足音を立てるなよ」
誰もいない真っ暗な店の中に忍び込む。黒猫の後を慎重に追いかける。なにしろ商品や工具がそこらじゅうにあるから、この暗闇の中、何かにぶつからないで歩くなんてできない。店をなんとか無事に通り過ぎて渡り廊下を通るともう一枚ドア。街灯すらないのにフードの男は全くの手探りで今度もちゃんと鍵を開けた。
「しっぽ掴みな」
黒猫が小さな声で言う。ふさふさのしっぽを握ると何かのゲームをしているみたいだ。階段の段差にちょっと足踏みした以外は、おかげで難なく子供部屋にすべり込むことができた。
子供部屋の中はひっそりとしていた。
子供部屋からは通りからは見えなかった庭が見え、その庭に置いてある天使のかたちの外灯(ハロウは、それが夜9時になるとオルゴールを鳴らしてくるくると回るのを知っていた)が、カーテンの隙間から白い光をそっと投げ入れていた。
その光はとてもささやかだったが、それでも人がその部屋に毎日のように入り、掃除をし、空気を入れ替えているだろうというのがわかった。テーブルはほこり一つなく光を返し、ベッドは今すぐにでも眠れるようにふかふかに整えられていた。でもこの部屋にはベッドにもどこにもだれもいない。
「これじゃないか?」
黒猫がそのベッドにつかつかと(とはいうものの足音は聞こえない)歩み寄り、深い小物入れの付いたヘッドボードの奥、人間の目には見えない暗がりから、一つの立方体を取り出した。
「これ」
ハロウはそれを手渡されてすぐにスイッチを押そうとしたので、フードの男が手をやってそれを制止した。
「逃げるのが先だ。窓から行くぞ」
黒猫がそっと窓を開けてそのままひらりと飛び降りる。
無理だ。ハロウが言葉を無くすと、フードの男が軽くハロウの肩を叩いた。
「安心しな。お前にやれとは言わねえよ」
男は心を読んだみたいに低く言い、またマントの中から長いロープを引き出してベッドの足にくくりつけ、ハロウにもう一方のはしを手渡した。
「降りろ」
これもまた無理です。
とは言いにくかったので、とりあえずトランクと箱を先に下の猫に受け取ってもらうと、ハロウは恐る恐る足を踏み出した。
「下を見るな。ロープにしがみつくな。足を使うんだよ。手の力だけで降りようとすると怪我するぜ」
足を使うという意味が全くわからなかったので、結局ずるずると手の皮が剥けそうな降り方をした上に、着地と同時にへたりこんでしまった。
「へたくそ」とそれを見ていた黒猫が言った。
なんとか立ち上がりながら上を見る。フードの男がロープを回収してマントの中に元通りしまい、黒猫がやったみたいにふわっと飛び降りてきた。
「同じ人間じゃないみたいだ」
黒猫が追い討ちをかける。でもまったくそのとおりだなあと、ハロウは箱をトランクに入れながら心から関心した。
庭はちょうどフードの男の背丈くらいの塀で囲まれていて、黒猫がひょいと上って道がある部分を確かめ、フードの男がかがんで踏み台になってハロウを塀の上に持ち上げてくれた。
「どうもすみません、ありがとう」
「うるせえよ。終ってからにしな」
職人町の通りの裏の細い道に出るともう夜が明けかかっていた。水銀灯の光がそろそろ空の明るさに埋もれようとしている。
「一仕事だったな。どっちに行く? とりあえず街から出なきゃだめだ」
「次の街に俺の知り合いがいる。そこに行こう」
黒猫が言いながら次の街に進路を取って歩き始めた。
「お前スリ師の上にコソ泥もできるなんて、妙な方向に便利なヤツだな」
まだ声を潜めたままで猫が言うと、フードの男は「いろいろあんだよ」と独り言みたいにつぶやいた。
ハロウは自分の手にできたまめをちらりと見てみた。ロープにはさんだのか血豆になっている。とても見た目はよくない。今はじんじんしているけど、時間がたったらすごく痛くなるんだろうか。
前を見ていなかったのでそのまま思い切り黒猫にぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
でも黒猫はぶつかられたことを全く気にせずに、耳をぴくぴくくるくると動かしている。しっぽがそれに合わせるみたいにぴっぴっと左右に振れる。
「おいスリ師、何かいるぞ」
フードの男は弾かれたみたいに体を反転させ、次の瞬間風を切るような鋭い音が顔の側を通った。
「うっ」
と思ったらフードの男は足を押さえてその場に崩れ落ちた。
右の足の太もものあたりに細くて長い棒のようなものが突き立っている
「……やばい。見つかった……逃げねえと殺される」
「なん……何言ってんだ? おいスリ師」
「逃げよう。殺されるんだってば」
フードの男は壁に手を付いてよろよろと立ち上がる。
「おい兄ちゃん、そのスリ師に肩貸してやんな。俺じゃ体が小さすぎる」
黒猫がハロウの手からトランクをもぎとって歩き出したので、ハロウは黒猫に言われるままにフードの男の腕を首に回して体を支え、それを追いかけた。
「……いやいや、ほんとにマズい……な、んでこんなところに」
正面に人影が見えた。こちらに歩いてくる。
黒猫のしっぽが「ぼっ」と太くなった。
その人影はなんだか見覚えがあった。マントが風にはためいている。
「その男を置いていけ」
声にはますます聞き覚えがあった。
「でないとお前らにも怪我をさせなければいけなくなる」
人影はおもむろにマントの中から小型の弓を取り出して、足にくくりつけられている筒から矢をつがえた。
そのしぐさが
そしてその顔が
「あいつはマジでやるんだって! 逃げろよ!」
ハロウははっと我に返るとなるべくでかい声で叫んだ。
「警官の方! 泥棒です! だれか来てくださーい!」
男は一瞬ひるみ、新聞配達か何かの自転車が通りに踊りこんできたのを見て、身を翻してどこかに消えた。
「よかった」
ハロウが言うと
「よかあねーよ。泥棒は俺たちだ」
黒猫は真剣に困った顔をしてあたりを見回した。