(5)
耳につくかんかんとうるさい機械音が鳴り始めて暫くして、フロアにはすべての光が点った。あまりにまぶしくてしばらく何も見えないくらいだった。
そして露骨に寝起きの顔をしたP.Pがストレッチャーを連れて歩いてきた。
ストライクやチップが何か言う前にぱんと一斉に三つのコンパートメントのガラスのドアは開き、鉄くさい匂いが忍び込んできた。ストライクとチップがP.Pの入っていったハロウの部屋を覗き込むと、床は意外と白いままだった。ハロウの黒いコートや服から血のにおいがした。
ハロウの顔はひどく青くて、それでもそのいでたちから、なんとなく吸血鬼が横たわって眠っているような不思議な気持ちがした。P.Pがめんどくさそうにかがんでハロウのあごをぐいっと持ち上げ、ハロウが顔をしかめるのを見てぷいと手を離し、横に転がっていた白いメスで袖口からハロウの服を切り裂き、景気よく赤く染まっているハロウの左の腕の肩とひじの間くらいのところに細めのゴムのホースみたいなものを力任せに結びつけた。
あらわになったハロウの左の手首からはまだ血がぷくりぷくりと吹き出していて、その隙間から何か白いものがきらっと光った。骨なのかもっと違うものなのかわからなかったけど、ストライクはそれを見てちょっと体に力が入らなくなった。
「ストライクさん、チップさん、ストレッチャーに乗せてください」
P.Pは二人にそういいつけると自分だけすたすたと検査室の方へ歩いていってしまった。仕方がないのでストライクとチップはなるべくハロウを動かさないように、血を踏まないように、手につけないように(やっぱり気味が悪かった)気をつけてストレッチャーの硬い薄っぺらいマットの上に、ぐったりして生気のない体を乗せてやった。
ストレッチャーはぜんぶわかってるという風にハロウの体を乗せて一人で廊下を滑っていってしまった。ストライクとチップには何もわからなかったので、そのストレッチャーの後を追ってみたけど、検査室の前でP.Pから追い返された。
「……ちょっと細かい作業になりますので……」
P.Pは一貫して顔をしかめていたし、白くてひ弱そうないつもの状態に加えて、青いくまが14歳のわりに病気みたいにくっきりしていたけど、ほんとうに嫌がっているのかというとそんな風にも見えなかった。ストライクが検査室のドアについた小さな窓から眺めていると、P.Pはまるで水を得た魚のようにすいすいと器具の間を飛び回り、でかい機械から小さなガラスのケースを取り出し、真剣な顔でハロウの手首を見つめていた。P.Pはお医者のようなことをやるのが好きなんだなあ。
頭が妙に軽かった。でも思考が少しぶっ飛んでいるのがわかった。俺も混乱しているのかもしれない。チップは腕を組んで廊下の壁に寄りかかって大きなあくびを一つした。何も考えていられなかった。ぼんやりとP.Pが飛び回っているのを見て、ドアに寄りかかったままうとうととした。
「ストライクさん、どいてください」
P.Pの声にはっと体をどかすと、P.Pはずっしりと重そうなハロウの服を持って一人で出てきた。
「命に別状はありません。あの部屋で自殺しようとしても、健康状態に急変があると警戒音が鳴るシステムなので無駄なんですけど、ご説明していませんでしたね」
「自殺……」
P.Pは向こうから子犬みたいに走ってきた丸いポットのような白いもののなかに、ハロウの服をまとめて放り込んだ。
「左の手首に深い切創がみられました。骨まで達していて挫滅はなく、神経なども切断されています。事故でなければ失血死を試みたと考えるのが妥当でしょう」
「どうしていきなりこんなことになったんだろう」
P.Pはそんなこと知るかと言わんばかりに大きく一度頭を振った。
「輸血していますのであと2,3時間もしたらハロウさんも目が覚めると思います。直接聞いてください」
「何も言ってなかったのに。言ってたか。さっき。ハロウにしては珍しく、長い話だったよな」
ストライクが床に丸まってしまったチップに話しかけると、チップは耳をぴんぴんと動かして「わかんねえ」と言った。
ハロウのことは。確かにちょっと投げやりなところがあるやつだなとは思ってたけど、それはぼんぼんだから物にこだわらないだけなんだろうと考えていた。
お出しできるのはその財布全部です。もちろん黒猫さんにお渡しする分を引いてですが。あいにくそれ以上は持ち合わせがないので。
ストライクさん、どうもありがとうございました。
あなたに出会えて僕は本当に幸運だったと思います。
僕は以前やり損なったことを今やってみただけなんです。
ぜんぜんあなたのためにやったのではないのです、ごめんなさい。
出会ったときの青白くて切羽詰ったハロウの顔を思い出した。そういえばハロウのほかの顔を見たことがないような気がする。いつもハロウは世界の終わりみたいな顔をして黙っていた気がする。いちばん最初の最初っから、こいつはもう死んでしまう気だったのかもしれないな、とストライクは小部屋に戻って浅く眠りながら思いついた。
では想像してください。
夢の中でハロウは青白い吸血鬼みたいな顔で言った。
どうぞ想像してみてください。あなたたちが思うほど複雑なことでも面白いことでもありません。
ハロウの右手にはあの銀色の箱があって、左手は血で真っ赤に染まっている上に黒い受話器を持っていた。
手首からぷくりぷくりと血が盛り上がるのが見え、ストライクはそれがハロウの命を削っていると思うともどかしくて仕方がなかった。




