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「おいハロウ、起きてるか?」


 ストライクが寝付かれなくて小さな声で話しかけると、「それはもう」とハロウの声が返ってきた。


「なにか御用でしょうか?」


 ハロウの声は妙に明るかった。今にも笑い出しそうな不安定な抑揚を含んでいた。


「用はないんだけどさ」


「──用は──ない? んですか。そうですか。そうですか。びっくりしたのに。はは」


 確実にハロウがのどの奥で笑う声が壁越しに聞こえた。


「なんで笑ってるんだ?」

「なんでもないですよ。ただちょっと楽しいだけです」

「なんで楽しいんだ? 帰れるから?」

「帰れる? はははははは。僕は帰りませんよ。帰るところなんてないんです。あなたたちには本当に申し訳なかったですよね。ほんとうに」

「ハロウ?」

「僕の思いつきで……なんだかたくさんの人を僕は道具にしてしまった。ストライク、僕はチップさんにもあなたにも謝らなくちゃいけない」

「どうしたんだ?」


 ハロウはよくしゃべった。やはりそのしゃべり方はとても不安定で、いつものハロウの淡々とした調子とはまるで違っていて、その妙な明るい響きが逆にストライクには恐ろしく思えた。


「なあ、何を言ってるんだ?」

「……ふう。あの箱……リリィのパンドラ・ボックス……」

「ああ。開いたな。あれがどうした」

「僕はあれを……開けることに()()()んです。あれはね……いいやもう。悪いけど、ストライク」

「何が?」

「……あの箱……は……リリィが作ったもの……たぶん……なんですけど、そのリリィっていうのは……」


 ストライクはなんだか話を聞いてやらないといけない気がして、うん、と相槌を打った。


「僕が詩集を出したときに……あのね、僕の詩集……ふふふ。あれ詩集なんかじゃないんですよ。あれはね、父が……もう父じゃないや……ロメオ・オルフェリウスがいつまでたってもぶらぶらして、何の才能もないのに困ったことだけはやる次男に、なんとかちょっと洒落た肩書きをつけてやろうとして彼の部下で僕の乳母のナニー・スミスを使って、僕の部屋から無断で持ち出した僕のノートのらくがきなんですよ。ははは。


 ねえ。僕がそれを勝手に出版されてどんな気持ちになったか! しかもさも最高傑作の詩集だなんて宣伝されてね! 何通も手紙が来たらしいですよ。出版社に僕宛でね。僕が何通読んだと思いますか? 僕が読めたそういった手紙は2通だけです。父の部下が検閲してたんですよね。


 でもね、僕にだってわかるんですよ……どんな内容の手紙かなんて。親の金で宣伝を打って、親の金で著名人に褒めちぎらせて、そんなもの……世界で一番高額なごみですよね。何部売れたと思いますか? 僕は72万部と聞いていますよ。何割を父が買ったと思いますか?


 …………なんの話でしたっけ……リリィだ……僕が読めた2通の手紙のうちの一通はリリィからのものでした。彼女はどこがどう気に入ったのか、ほんとうに僕の詩集を好んでくれているようでした。彼女は自分が11歳の女の子で、小さい頃から病気があってベッドから出られないのだと手紙に書いていました。あなたの詩集を読んでいると、あなたと友達になれたような気がする、と」


「もう一通は彼女の姉からの手紙でした。リリィから手紙が行ったかと思う、あなたはご高名で、ご多忙でしょうし、ファンレターも随分おありでしょうから、覚えておられないだろうけれど、病弱な女の子からのファンレターがあなたに届いたはずなのだと。覚えてなくてもいいから、返事を返してあげてくれないだろうか、普通のファンレターに返事をするような感じで。


 実はリリィはもう長く生きられないので、できるだけその短い人生に喜びを残してあげたいのだ。こんなお願いはずうずうしいことは重々承知しているが、もし叶えていただけるのならば、と」


 うん、とストライクは相槌を打った。


 ハロウの独白は静まり返った暗い部屋の中にじゅうたんか古い歌のように響いた。


「……たった一通のほんもののファンレターを……忘れられるはずがない。僕はリリィとそのお姉さん……ユージーンに別々に手紙を書きました。他にやることもなかったしね。


 何通かやりとりをして……リリィの病気が決定的に悪くなって……ユージーンはリリィに会ってやってくれないかと……僕はこんな僕が会いに行っていいのか……迷いました。


 ねえ。僕はぜんぜん素敵な人間じゃないんです。せっかく僕の詩集を……僕のノートの切れ端をね……好きになってくれた女の子をがっかりさせたくなかったから……僕の詩集なんて(・・・・・・・)君が評価して(・・・・・・)くれている(・・・・・)ほど立派な(・・・・・)ものじゃ(・・・・)ないんだ(・・・・)


 僕は手紙でも何度もそう書きたくなった。でも彼女のお姉さんに会って、真剣な目で頼まれて、僕は断れなくなった。そして実際にリリィはとても僕のことを喜んでくれたみたいだった。


 だけどね、リリィが僕の詩集を手にとって読み上げたり、暗唱するのを聞いて、破り捨てたくなったよ。でもリリィはかわいかった。正直で、妹みたいで、いろんなことに真剣に耳を傾けたり、見たり考えたりしていた。僕は……ああ力が入らなくなってきたな……僕は……」


「大丈夫か?」


「…………ちょっとスコッチを見つけたので……飲んでるんです。壁がなかったらお分けするんですけど……」

「よかったな。つまみは?」

「……レーズン…………アメもあります……けど……それで……リリィが死んでしまうって……ユージーンから連絡が……あの日……でも僕は行かなかったんです。リリィが危篤だって。連絡がきていたけど僕は行かなかった。僕は……ジュリエッタ……の……別荘に……」

「ハロウ? 眠いのか?」

「…………眠い?…………そうかも……せんね……眠い……かも……リリィ……が死ぬかも……れないと……思ったけど……僕には………あのとき信じられ……なかっ……た、のかな……そこが今でも……わからな……んです……どうして…………」


 かん、と耳に響く機械音が鳴った。


「おい、何の音だと思う?」

「……音?」


 音は連続し、次第に音量を増していった。


「踏み切り……」


「ふみきり? おいハロウ、電車なんかここにあるわけないだろ? しっかりしろよ」

「ジュリエッタは……普段のと……りに……笑って……僕は……リリィ……の葬儀に…………行って……」


 かんかんかんかんかんかんかんかん


「聞こえねえよ! ハロウ、おい? お前どうしたんだ?」


 ストライクが耳を澄ますと、ハロウの部屋のその向こうで、チップもやっぱり何か叫んでいるのが聞こえた。


「リリィは……あなたを……待って…………たのに……どう……して…………ひとで……なし……ぼく……は……」

「P.P!なんとかしろっ」


 ストライクが必死にハロウの部屋に耳を傾けて壁を強く叩くと、やっとハロウの言葉が消えそうなくらいかすかに聞こえた。


「……ごめんなさい」




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