(9)
白い廊下がとても長かった。こんなに長かったっけ。足音もえらく響いた。もう夜明け近いはずだ。P.Pはあの柩を胸に抱き、右手で白いテントのちっこいやつみたいなのをぶら下げて、あごを上げてすたすたと歩いていく。
これでレインは助かるのか。
ストライクはP.Pのだいぶん後をのろのろと追いかけていた。レインは果たしてそれを喜ぶんだろうか? そもそも俺はレインを助けるべきだったんだろうか?
また射掛けられたりして。
もう半年もレインと追いかけっこをしていた。
どういうわけかどこに逃げてもちゃんとレインは追いかけてきたし、自分もレインが近くに来たことがわかった。不思議なものだ。あるいはそれはレインが近づいているという予兆ではなくて、ただの焦燥感だったのかもしれない。
でも事実として……
そう。こんなところまでちゃんと追いかけてくる。
廊下は長く、静まり返っていた。レインはどの部屋に入れられているんだろう。
レインは小さい頃から俺に比べて真面目だった。現実的だったと言い換えてもいいのかもしれない。だいじょうぶだいじょうぶって言う俺をいつもいつもたしなめた。サーカスにいた時だってそう。真面目で親方に従順で、おまけに芸もできたから、いつも俺はレインに言われた。
ストライクだって真面目にやればいいのに。泥棒なんかのほうがいいのかよ、親方だって殴るばっかりじゃないよ。
できなかったんだよ、レイン。俺にはね。
必死で訓練してもものにならなかったんだよ。できないやつに優しくするような親方じゃなかったんだよ。簡単にできるよ、がんばればいいのにって言うレインが嫌いだったよ。
どこでだってそうだった。真面目にやれよストライク。やってるよレイン。双子なのにどうしてこんなに違うんだろうってな。
泥棒やってて拾われたところでも、レインはすぐに上の方に気に入られて俺とは別格。
どうしてなんだろうな。
大嫌いだったよ、レイン。しかも俺のことを本気で殺しに来るし。お前はそんなことを平気でできるやつだったんだなあ。どうしてイグナシオを裏切ってまで、そんなお前を助けなきゃなんなかったんだろう。
P.PはあたりまえのようにP.Pたちの貯蔵庫に入っていった。ストライクが後を追うと、久しぶりに入ったその部屋には、脳みそに記憶を送り続けられているかわいそうな小さなP.Pの棺おけの横に、白くてとても簡素な、申し訳程度にマットが敷かれているベッドが置かれていた。
そのベッドには誰かが布団も掛けられないままに裸で横たわっていた。そしてそれはまるでマネキンのように硬直して、白く、そしてそれは
「レイン?」
P.Pはきしきしと音を立てるキャスターつきのいすに腰掛けて、くるりとストライクに背中を向けた。ストライクはゆっくりとそのベッドに悪い予感とともに近づくと、そっとその横たわっている男を覗き込んだ。
レインだった。でも
「レイン?」
肩に手を当てて揺らすとその体は、まるでゴムでできた人形のようにぐらぐらと不安定に揺れた。奇妙な感触だった。その皮膚は、ストライクの手のひらの熱さを吸い取るみたいに奪っていった。血の気のない唇は乾き、皮膚がめくれ上がっていて、そして目は閉じられたままだった。恐る恐るストライクがその体の首筋に指を当てると、指はただその青白い皮膚に沈むばかりだった。何も触れない。
「……P.P、どういうことだ?」
「それは機能を停止しています」
「死んでるっていうこと?」
「ありていにいえばそういうことです。生体としての機能をすべて停止しています」
「どうしてだ?」
「実験のためです」
「生き返るのか?」
「その固体が生体としての機能を回復するのは不可能です。でもまた新しくクローン体を作れば──」
ストライクはP.Pを椅子ごと蹴り飛ばした。
椅子はキャスターが途中で床に引っかかり、乗っていたP.Pはまともに壁に激突した。
「どうしてだ‼︎ 俺はちゃんとやっただろう? お前ら箱を手に入れたじゃないか! そしたら……そしたらレインは返してくれるはずだったじゃないか!」
「い……」
P.Pが鼻血を出しながらひじをついてよろよろと起き上がったところを、ストライクはもう一度突き倒した。
「ちょ……」
「どうしてレインが死んでるんだよ! おい!」
「やめてくださ……」
レインなんか
レインなんか大っ嫌いだったよ。憎くて憎くてしょうがなかったんだ。俺と同じ顔をして。俺と同じ声をして。ぜんぶ俺と同じくせにどうしてこんなにも違うんだ。
レインなんか
「どうして!」
P.Pの鼻血まみれの白い小さな顔をもう一発殴ろうとして、振り上げた腕を不意に誰かが掴んだ。
「もうやめな。ストライク」
レインなんかどこで死んでたって構わないよ。俺を普通に殺そうとするやつなんか
「もう、やめな。」
レインなんかこんな風にこんな風に死んじゃったって俺は
「レイン……が…」
「ストライク」
腕を下ろすと涙がこぼれてきた。何だって言うんだ。
「俺なら生きてるよ」
「は?」
振り返るとちゃんと服を着て弓を背中に差し、矢筒を足につけたレインが、少しだけ笑ってストライクを見ていた。
「レ」
「馬鹿だね相変わらず」
「れいん!」
レインに勢いに任せて抱きつくと、レインは小さな子供をあやすようにぽんぽんとストライクの背中を叩いた。
ストライクは暫く声も出なかった。
「く……う…」
でもなんだか知らないけど涙は出た。
「……まったく…」
P.Pがとても憮然と立ち上がって鼻血を止めにかかった。ストライクに殴られて鼻血を出すのが二度目だったおかげで、今回は泣かなくても処置ができた。