(7)
箱は見た目よりもずっと軽かったが、ストライクにはそれを実感している余裕がなかった。箱をほんの少し持ち上げたその瞬間、いきなり耳をつんざくようなブザーのびいびいという不快な音が教会中に、あるいはこの近辺の崩壊した都市の中に鳴り響いて、それどころではなかったのだ。
ストライクが反射的に柩を抱えたまま祭壇から飛び降りると、またそこには思いもかけない状況が広がっていた。
さっきまで真っ暗で、しかも明かりだってランプや蝋燭で灯していたはずの礼拝堂に、いきなり天井から、数々の天使や聖者の彫刻の隙間から、ライトの光が真昼のように明るく一斉に降り注いでいたのだ。
「な」
大きな正面の扉に、天使たちの視線とまばゆいばかりの光線をいっぱいに浴びながらたどり着くと、扉もまたびっちりと堅く閉じられ、鍵穴すら何かが中に詰まって何者も受け付けなくなっていた。
なんだこれは?
「ピピッシステム22976解除」
「ピピッ扉が開きました」
その時背中からP.P(だかDr.A.Aだかどっちかの)声が聞こえ、教会の居住区に続くドアがばたんと開いた。
「ストライクさん、その扉も解除します。柩を手放さないように」
P.Pは息を切らせて何かのランプのような、ここに来たときには持っていなかったものをぶら下げていた。
「牧師に発見されました。この扉を解除するまで……予想される秒数を、Dr.A.A」
「あなたがたは一体……」
扉の奥からイグナシオの声が聞こえて、P.Pは背中で今自分が通り抜けた扉を閉めた。
「ピピッ想定では304秒」
「ピピッ了解しました。ストライクさん、この扉を抑えていてください。その正面の扉はあなたには開けられません。Dr.A.Aが処理に当たります。処理が完了するまで、あなたは何らかの妨害が入らないように状況を保全してください」
「開けてください! ストライクさん? そこにいらっしゃるのですか? お願いです、開けてください!」
「P.P、お前……」
「ストライクさん、ご協力下さい」
ストライクは四角い箱を無意識に力いっぱい抱きかかえながら、言われるままに扉を背中で押さえた。
P.Pは当然のようにすっとストライクを置き去りにして、背筋を伸ばして大きな扉に近づいていった。
その時ストライクはやっとP.Pに、いつもの左目のモノクルがなく、その代わりに銀色の二本の一メートルほどの長さのコードがこめかみに開いている穴からぶら下がっているのに気がついた。P.Pは扉に着くなり跪いて、その銀色のコードを鍵穴に詰め込んで指で押さえた。ストライクは、背中で自分が支えている扉がどんどんと叩かれているのを感じながら、ぼんやりとそれを眺めていた。
「ピピッ接続成功。シリアル確認。4500661NY。コードを解読にかかる」
「ストライクさん? そこにいらっしゃるんですか」
どうしてこんなことになってるんだろう?
まばゆいほどに照らし出された真夜中の礼拝堂の中で、俺は何も悪くない人の邪魔をしている。
「……イグナシオ」
「ストライクさん⁉︎ お願いです、開けてください……どうしてですか……これは……どうしてしまったのですか……聖なる柩を動かしたのですか? 『聖なる柩を揺り動かす時、聖なる鐘が知らせ、鋼の天使が罪びとを掴み神の目が罪びとを見据え、神の手が罪びとを焼くだろう』と言われています……。お願いです、元に戻してください……」
「……」
「神の手と来たか。ふん、ただのレーザー銃じゃないか。随分と安っぽい神の手もあったものだな」
「その人は…誰なんですか…ストライクさん、どうして…? あなたは……わかってくださったのではなかったのですか!」
彫刻の天使たちの顔は、ライトの光がまぶしすぎて見えなかった。でもストライクの体中を何かがちくちくと刺していた。
「ごめん」
「……ストライク……さん…」
もうイグナシオは扉を叩いたりはしなかった。ただストライクにはその扉のあちら側に、イグナシオが手のひらを当てて語りかけているのがよくわかった。
「……ストライクさん、あなたのような人はたくさんいるのですよ。一度、あるいは何度も罪を犯してしまって、そして二度とはしないと誓って……それでもまた罪を重ねてしまう。あなただけではありません」
「……」
「今勇気を出して、繰り返さないで下さい。今まで多くのそういう人たちを私は見てきたのです。何人も何人もです……。また罪を重ね、二度と私のところに尋ねては来ません。あなたはそうしないでください……私を……裏切ったりしないで下さい……あなたは……あなたはなぜあの時、自分が犯した罪のことを語ったのですか。それはあなたが本当はそんな罪を犯したくなかったからではないのですか」
「……ごめん、本当にごめん…」
「どうか……ストライクさん!」
「システム停止。60秒後に復帰する」
「ピピッストライクさん、60秒以内に脱出します。早くこちらへ」
ストライクは弾かれたようにドアから背中を剥がして礼拝堂の扉に一直線に走り、冷たい雪の世界へ滑り込みながら後ろをわずかに振り返った。
ほんの一瞬、閉じつつある大きな扉の隙間から、リンネルのローブを着て直立しているイグナシオが見えた。
彫刻のような非現実的な美しい無表情で、ストライクを凍りついたように見ていた。
「……ごめん!」
「早く」
扉がぴたりと閉じるのとほとんど同時に、二人とも船に乗り込んだ。P.Pはアルフなみに急発進して教会を後にした。