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(6)

 遠くにぼんやりと光る建物が見えはじめても、まだストライクは6年前の記憶の中にいた。


 あの夜そのまま逃げ出したんだった。あの時は楽に逃げられた。いつも見張りをしていた大人たちはみんなどこかへ(たぶん警察へ)連れて行かれて、子供たちだけがテントの中で一塊になっていた。警官が一人テントがある敷地にいたけど、犬系獣人だったから、いくつもあるテントの穴をくぐる分には、あまり警戒しなくてもよかった。ウサギか猫ならうまくいかなかったかも知れない。


 よく覚えているよ。


 俺たちよりも三つ年上だった…なんて言ったっけな……ウォルト…だったかな。が俺たちよりももっと小さい子達をぎゅっと抱いて一緒に泣いていた。


 俺たちは少し離れた所から、ひとつの毛布にくるまってそれを見ていた。俺たちはもうどこかに逃げるとか、そんな話を小さな声でしていたけど、ウォルト兄は世界が終わるみたいに声を殺して泣いていた。


 不思議だった。俺たちは12でウォルト兄は15だったはずだ。面倒見のいい人だった。茶色い髪でそばかすの多い、ひょろっと縦に長い顔を覚えてる。心配させたくなかったから、いよいよ抜け出すってときに、ウォルト兄の肩を叩いて声を掛けていったんだ。とてもやさしくしてもらったから。俺たちのお兄ちゃんみたいだったから。


「ウォルト兄、俺たち抜け出すよ。もう施設とか嫌なんだ」


 ウォルト兄は、声を押し殺してひとしきり泣いた。あんまり泣くから見張りの警官が回ってくるんじゃないかと思ったのを覚えている。そして涙で濡れた手を伸ばして、俺とレインの頬に交互に触れ、涙をもう一度ぬぐって真正面から俺たち二人の顔をじいっと見た。


 それから「さよなら」と言った。


 テントのほころびを潜り抜けるとき、ちょっとだけ振り返ると、ウォルト兄はまだ俺たちを唇をかみ締めて見ていた。


「ストライクさん、着きましたよ」


 ふらふらと外に出ると、いきなり冷たい空気が顔にぶつかって来た。それでもなおストライクの思考は記憶の中に留まったままだった。


 P.Pは訝しげに眉間にシワをよせてストライクを見上げ、Dr.A.Aが二言三言嫌味を言ったが、ストライクの耳には全く入って来なかった。


 P.Pに促されて、ほとんど無意識に教会の正面の扉の鍵穴にちょっとした耳かきみたいな工具を突っ込みながら、まだ頭の中では当時の映像が、P.Pに見せてもらったシネマみたいに際限なく流れていた。


 今になってみるとあの時のウォルト兄のことがわかる。たぶんウォルト兄は俺たちとはまた違ったことを考えて涙していたのだ。だから俺とレインの頬に触れ、穴が開くほどに顔を見つめて俺たちを送りだしたのだ。


 それは恐らくきっともう二度と(・・・)会うことは(・・・・・)無い(・・)ということだ。


 ウォルト兄は、こんな風にいなくなってしまうんだということを思って泣いていたんだ。


 そんな当たり前のことを。


 今俺はやっとわかっている。「()()()()」。


 俺はウォルト兄がしたように、もっと真剣にもっときちんともっと正確にウォルト兄や他の人たちのことを覚えておかなくちゃならなかったんだ。


 あの時自分たちのことしか考えなかったから、今俺はあんなに面倒を見てくれたウォルト兄の顔すらよく思い出せない。


 もしも……


「……くないですか」

「……え?」

「暗くはないですか。見えますか?」

「……あ」


 ピン、と高く澄んだ音がして、硬く閉じていた大きな扉はふっと緩み静かに開いた。


「……注意力が散漫になっていますね。出直しますか?」

「いや。大丈夫」


 足音を殺して一歩中に入る。P.Pがぎこちなくそれに従い、どういうわけか壁にへばりつくようにして、そろそろと奥の、イグナシオやジョーが眠っている部屋へと続く扉へと向かって歩いていってしまった。


「おい」

「あなたは柩を確保してください。私はまた別に確保しなくてはいけないのです」


 P.Pはひそひそとそれだけ言い残すと、奥の部屋へと見るからに挙動不審に入り込んでいった。


 さて。


 ストライクはしばらくその真夜中の暗さに目が慣れるのを待って、真っ直ぐに祭壇の奥へと足を向けた。何層かの大掛かりなカーテンをたぐって潜り抜けると、そこには以前見たときと全く変わらない様子でとても無防備に、静かに、何でできているのかわからない箱が横たわっていた。


 一つ違っているのは、箱が安置されている部屋の突き当たりに、大きく五芒星と、それを囲むようにびっしりと書き込まれた見たことも無いような文字と数字が、部屋が明るく見えるほどに輝いていたことだった。


 昼間に見たときにはわからなかったらしい。


 ストライクはほんの少しの間それを眺め、かじかみそうな指を何度かこすり合わせた後、そっとその緑の光に照らされて白く見える箱を手に取った。



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