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(2)

 間もなく冷たい女性の声が響いた。


「パスワードエラー」

「なんで?」


 チップがいかにも不満そうに壁の向こうで言った。もう一度。


「パスワードをどうぞ」

「リリィ・エウリディク」


 だけどやはり同じ声が聞こえた。「パスワードエラー」


「……実は真ん中にもう一個名前が入ってるんじゃないのか」


 ストライクは半日ぶりにハロウに声を掛けた。なんのかんので半月もストライクだってあの箱に付き合っているのだ。中身のことは多少気になった。もう宝箱だとは思っていないけど。でもハロウはリリィのミドルネームがあるかどうかさえ知らないようだった。


「わからないですね……」

「誰かに聞けねえの?」


 ハロウには非常に気が進まなそうに、それでも他に方法がないので、P.Pをとりあえずコンパートメントの中から呼んだ。P.Pは検査室の方からすたすたと歩いてやって来た。ガラスの壁はほんの少し廊下に張り出していたので、ストライクの部屋からは、うまく体を寄せれば、P.Pとガラス越しのハロウの青白い顔を二つとも見ることが出来た。


「どうしました」

「あの……電話を掛けていただいてもよろしいでしょうか」

「どなたに」

「ユージーン・エウリディクに」


 P.Pは暫く自分の左目のモノクルとにらめっこして、3回まばたきを音がしそうなくらい正確にやってから口を開いた。


「その名前は番号の登録がありません」

「ああ、そうか……では……ウォラ・デイモンを」


 今度はすぐにP.Pは顔を上げてガラスの壁ごしにハロウを見た。女の声が研究所中に響き渡った。


「はい。こちらウィークリー・グリップス」

「接続が完了しました。どうぞ」


 心の準備というものはP.Pには存在しないようだ。ハロウは、いきなり電話が繋がってしまったらしいことに軽く動揺した様子だったが、すぐに(見た感じだけは)落ち着いて話し出した。


「こんにちは、ウォラ。久しぶりだね」

「…………ハロウ?」

「そうです。えー……と」

「久しぶり久しぶりってあなた毎回言うけど全然久しぶりじゃないわよ。あなたまだあそこにいるわけ? 一体なんの用なのよ」

「聞きたいことがありまして」

「何よ? また妙なこと聞くんじゃないでしょうね。ねえ、あなたからの電話に応えるのも結構苦痛なのよ、わかる?」


 ウォラの声は、横から聞いていてもイライラしてくるくらい棘があった。でもハロウは例によってへこたれずに話を続けた。


「あの、ね、リリィのことなんだけど──」

「何? 今さら電話口で土下座でもしてくれるの? ねえ?」

「いや。リリィのフルネームを教えてほしいんだ」


「あなたね」


 女の声は氷のように冷たかった。


 電話口から(つまり研究所のそこかしこから)何かよく冷えた、空気の塊が流れ込んで来そうだった。でもハロウはまゆ一つ動かさなかった。


「そんなことも知らなかったの? 失礼にもほどがあるんじゃないの? よくもそんなことを今さら聞けたわね? ねえ? あなた最低よ。二度と掛けてこないで」


 がごんと音がしてP.Pが顔をしかめ、「回線が切断されました」と言った。


「質問の解決が望めなかったようですが、もう一度接続し直しますか?」

「絶対に掛けなおさないで下さい」


 ハロウが言うと、P.Pは不思議そうな顔をして戻っていった。


「すごい」


 ストライクは思わず呻いた。


「ひどい」


 チップが言った。


「なんでハロウはあんな扱いなんだ?」


 チップが屈託なく尋ねたので、ハロウはちょっと黙ってから答えた。


「ウォラは……もともと僕の取材に来る記者の一人だったんですけどね、僕にリリィを紹介した張本人です。でも僕は彼女の期待に応えられませんでしたから……仕方ないですよ」


 よくわかんねえ、とチップの声がした。


「…………たぶんミドルネームとかはないと思うんだけどな……。どうして開かないんだろう」


 さっきの箱の言い方だと、これで最後のヒントみたいだ。でも開かない。


「リリィって言うのは誰がつけた名前なんだろう?」


 ストライクが思いついたように言った。


「それは、ご両親か何らかの血縁者の方じゃないでしょうか」

「一番目のヒントがさ、『あなたがわたしにくれたもの』だろう。次のヒントが『わたしの名前を呼んで』。つまりさ」

「つまり」

「ハロウ、お前彼女をなんて呼んでた? あだ名か何かつけてやったんじゃない? 普通に考えると」

「あだ名」


 ハロウはガラスの向こうに目をやって、ずいぶん長い間空中を眺めていた。P.Pでも浮かんでるのかと思うくらいだったけど、もちろん誰もいなかった。


「心当たりがないですね」

「じゃあお前が箱のあて先じゃないんじゃね」


 チップがころっと言った。そうかも知れない。ハロウは思いのほかがっかりしたようで、ずるずるとガラスの壁に背をつけた。あまりに明らかに落胆しているので、ストライクは少しハロウが気の毒になった。


「まあ、思い出してみろや。名前だろ。リリィちゃんの名前。俺はストライク、チップはチップ、P.Pはフィリップ・プロトタイプ……何号だっけ」

「はは。Dr.A.Aはなんだっけ? ここの二人は本名がわかんねえな」

「あ」


 ストライクとチップがハロウに耳を澄ました。


「なんか思い出したのか?」


「本名……の話をして……あの時僕は……」


「思い出せ!」

「思い出すんだ!」


 ストライクはついこの間もこんな会話をしたのを思い出した。





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