(1)
ストライクが昨日の夜から口を利いてくれなくなったので、ハロウはやはり箱に取り掛かっていた。実際のところ、ハロウもストライクもコンパートメントに閉じ込められたままだったし、チップに至っては「寝袋に入れられたまま」だった。
「なーんで俺だけこんなんなんだよぉー」
チップがとても不満そうに声をあげた。もっともだ。
昼になると、P.Pがチップの部屋に入って行ってチップをワゴンに乗せ、どこかに連れて行った。ハロウとストライクには、いきなり部屋の真ん中に、天井からぼとっとケーキの箱みたいなものが落ちてきて、開けてみたらちゃんといつものクッキーのようなものと、液体が入ってストローのついたプラスチックのコップが入っていた。
食事を取るだけとってまた箱に触っていたら、チップが寝袋から出されワゴンに乗せられてがらがらと戻ってきた。チップは眠っているらしく、ぴくりとも動かず、P.Pは無表情でチップを部屋に放り込んで出て行った。
「うえっ。体が動かねえ。ヒゲがびりびりする」
暫くしてチップが目を覚ましたようで、壁の向こうでぶつぶつ言っている。
「なんか俺もでかい棺おけみたいなのに入れられたぜ。すっごいうるさいやつ。あーでも寝袋から出られた」
ハロウは少し目を上げて正面のP.Pの部屋を見た。ライトの消えているP.Pの部屋のガラスに、比較的鮮明にストライクの部屋は映り込んでいた。ストライクはベッドの上に横になっているように見える。そしてその姿はハロウの記憶が確かならば、昨日の夜から変わっていない。
何か声を掛けるべきなんだろうか。
聞きたいことはあるような気がした。昨日捕まったあの彼はあの夜ストライクを射た本当に本人なんだろうか。ストライクは彼をとてもあの夜怖がっていたと思う。たぶん本当に殺されると、彼は僕たちに危害を加えるはずだと、ストライクは思っていたんだろう。
それでも昨日のストライクはとても……とても今P.Pに捕まっているはずの彼の兄弟のことを案じていた。とてもじゃないけど彼に殺されると思っている人の様子ではなかった。
どうして? どういうことなんだろうな。
僕には踏み込めないことだけれど。
小さいころから一緒に過ごしてきた兄弟なら、たとえ自分を殺そうとして来たとしても、やはり死んでほしくないのかな。僕にはよくわからない。
ハロウは自分の兄のことについて少し思い出した。いつも頼もしい笑顔で、いつも僕を気に掛け、毎年僕にカードやプレゼントを贈ってくれる、ナニー以外の唯一の人。
でもどこかでやはり兄はハロウとは隔たった人だった。兄とはいつもいつもいつも違う世界に住んでいた。精神的にも、肉体的にも。たぶん兄と一緒にいた時間を全部足しても、一年分にはならないだろう。だからあんな風に、もし僕が兄の目の前で捕まったとして、兄は昨日のストライクのように取り乱したりするだろうか?
するのかも知れない。兄はとても優しい、明るい、「まともな」人だから。あらゆる手を使って僕を助け出してくれるだろう。「正しい」人だから。でもそれは少しストライクと彼の兄弟の気持ちとは違うような気がした。恐らく兄は、目の前で捕まったのが赤の他人であったとしても、同じことをするだろう。それが正しいことならば。
そして僕はするんだろうか? 叫んで手を伸ばし、このガラスの壁を割ろうと?
「がんばったのね。次のヒントです。私の名前を呼んで」
一瞬ハロウにはその意味がわからなかった。
さっきまでの思考の余韻がまだあたりに散らばっていて、まるで目覚まし時計にだしぬけに起こされたみたいだった。反応したのはむしろチップの方だったくらいだ。
「おいハロウ! 今箱がなんか言っただろ!」
「……何か言いましたね。『私の名前を呼んで』……?」
「呼べ! 早く呼ぶんだ!」
チップは壁の向こうで飛び跳ねているらしく、たん、たんと軽い音と振動が伝わってきた。ハロウは深呼吸をしてからそっとスイッチに指を置き、押し込んだ。
「パスワードをどうぞ」
「リリィ」




