(9)
やがてチップの体を台車に乗せた本物のP.Pが前を通っていった。
「いてっ……」
チップの声と扉の閉まる音、そして足早にP.Pと空になった台車が通り過ぎていった。次の瞬間、正面のP.Pの部屋のガラスが一面真っ白になった。8部屋ぶち抜きのスクリーンだ。
「…………なんだよこれは」
もう体はだいぶ動くようになっていたが、閉じ込められたままだった。廊下側のガラスの壁に張り付くようにして、向かいに現れたスクリーンを見ていると、ふっと大きく引き伸ばされた写真が写った。
違う。写真じゃない。右下に小さく年月日が入り、時を刻み続けている。その日付は今日で、その時刻は今だった。
映像はこの研究所の唯一の出入り口である門を写していた。やがてゆっくりと門が開いた。
「門が」
ハロウのつぶやくような声が聞こえた。
門が開いて暫くしてから、様子を伺うように一人の男が入ってきた。一瞬ストライクはもう一度床に吸い込まれるような奇妙なめまいを感じた。
どうしてなんだ。
ハロウはそのスクリーンに映っている人物を見て首をかしげた。門が開いて暫くしてから、様子を伺うように一人の男が入ってきた。でも入ってきた男はどうみても服の違うストライクだった。他に何一つ違うところはなかった。髪の長さが少し違うかもしれない。でもそれ以上に同じすぎた。ストライクのコンパートメントからどんと大きな音が聞こえた。
チップが隣のコンパートメントから声を上げた。
「おい! おい! おい! ストライク! あれは誰だ? あんたはそこにいるのか?」
そしてハロウはあの箱を盗んだ日、あのリリィの家の路地裏でストライクの足を射た人物のことを思い出していた。
あの時は逆光で顔が見えなかった。でもあの体つき、しぐさ。
あのひとだ。
画面の中の男は長い白い廊下をひたひたと歩き、どうやって撮っているのか、映像もその速さに合わせて追いかけていった。
「……どうするつもりなんだ」
[…………さあ、ストライク、懐かしいかね? 嬉しいだろう?]
ストライクの部屋の中央にひゅっとP.Pの──Dr.A.Aの映像が現れた。
「お前……一体何をするつもりなんだよ? 呼び出したのか?」
[君たちがこの研究所に来て何日になるかね? 君たちはこの研究所でどれくらいのデータを落としたと思う? 君たちの映像はあらゆる方向から撮影され、君たちの声はあらゆる語彙がサンプルとして録音されている。だからこんなこともできる]
Dr.A.Aはふっと姿を消した。目の前に広がるスクリーンにDr.A.Aが──P.Pが映った。映像の男は廊下の途中で驚いたように足を止めた。
「ここにストライクという男がいるはずだ。合わせてくれないか」
「ではついて来てください」
P.Pは研究所の奥にその外から来た男を導く。だがもう少しで検査室に辿り着くというところでP.Pは空気に溶けるように消えた。
「な……」
その次の瞬間、男の真後ろからストライクの声が響いた。
「おい、どこにいるんだ」
男は弾かれたように振り返った。振り返った先には、いつものフードのマントを着てこちらに向かって歩いてくるストライクがいた。
「うそだ」
コンパートメントに閉じ込められているストライクは、本物のストライクは、割れてしまうんじゃないかというくらい力任せにガラスの壁を叩いた。でももちろん壁は割れてはくれなかった。男はその廊下に忽然と現れたストライクの方に一歩一歩近づいていく。
「違うんだ! それは俺じゃないんだよ!」
いくら叩いても、叩いてもガラスは割れなかった。
「お願いだから……」
映像のなかでストライクが立ち止まり、辺りを見回すそぶりをする。男は険しい顔でストライクの腕を取ろうと手を伸ばした。
その時、検査室でさっきチップを撃った、あの体に不釣合いな銃をもったP.Pが、その男の背中に発砲した。
「レイン!!」
両手をガラスに叩きつけてストライクは床に膝をついた。
映像の男は半身をひねってP.Pのほうを見たが、そのまま死んだように倒れた。
[おい、どこにいるんだ]
スクリーンの中で映像のストライクがもう一度同じことを言った。P.Pがそのストライクをひと睨みすると、そのストライクは煙のように消えてしまった。
「完了しました。ストレイン捕獲」
「ピピッよし、彼にはティターン溶液の中で過ごしてもらおう。処置を開始せよ」
「ピピッ了解しました」
そこでスクリーンはもとのただのガラスの壁に戻った。
[どうかね? 楽しかったかね? いい牌だろう。この牌が倒れれば君も動かざるを得まい]
ストライクは片手と額をガラスの壁につけて、向かいの壁に反射しているDr.A.Aの顔を呆然と眺めた。
[それにしてもまさか双子とはね。興味深いものが手に入ったものだ。さあ、どうするかね? ストライク。ストレイン氏は低体温状態でティターン溶液に漬け放置する。そうするとどうなると思うかね? 実はオリジナルの人間をティターン溶液につけ他の処理をせずに保存した場合、何日間生命活動を維持することが出来るのか、まだ実験したことがないのだよ。恐らく2週間はもつだろうと思うのだがね]
「…………どうしろって言うんだ」
[君がどうしたいかだよ、ストライク。君のためにここまでやって来たストレイン氏を、見殺しにしたいのならそのまま我々に実験をさせてくれればいいし、もしストレイン氏を生かして出してほしいというのなら、君はそれなりの対価を我々に支払わなければならない。わかるかね?]
「人質にとるって言うのか」
[その通りだ。少しは賢くなったようだな。ハロウ・ストームと獣人を人質にしようかとも思ったのだがね、どうもそれほど強い結びつきではないらしい。仕方がないからより確実な駒を使うことにしたよ。ハロウと獣人が人質では、君を外に出したとたんに逃げられるだけだからね]
「……そんな……」
[不確定要素は少ないに限る]
Dr.A.Aは、口のはしが耳まで届くんじゃないかと思うくらいの不気味な顔で終始笑っていた。
[君がいけないんだよストライク。最初に盗んでこいと言われた時に先を見越して頷いておくべきだったな。……まあそれでも逃亡を防止するなんらかの手を打っただろうがね]
ストライクは放心したようにじっとガラスに反射する白衣の小さな体を見ていた。
[痛いだろう? 君は自分の考えを改めざるを得ない]
白衣の体は粘着質な笑顔のまま言い捨ててふっと姿を消した。