(8)
P.Pはベッドに乗せるなんてほど親切ではなかった。
何しろハロウもストライクも、生まれて14年のP.Pよりは一回りも大きかったのだ。ストライクは、自分のコンパートメントの中に、台のようなものからどすんと落とされた衝撃でうっすらと目を開けた。
ドアが閉じられ、がらがらと何かが廊下を横切っていく音が聞こえた。自分が床に投げ出されているのを上から見ているような気分になる。体が重すぎて動かないのだ。こんなのは俺の体じゃない。
やがてもう一度がらがらと音が近づいてきたが、今回の音はさっきのよりもずっと重そうだった。ときどききゅっ、きゅっとキャスターの鳴る音が混ざる。隣のコンパートメントの扉が開けられ、どさっと何か重いものが打ち捨てられ、ドアがぴしりと閉ざされて、また人の気配は遠くなっていった。きっとP.Pがハロウをハロウの部屋に投げていったんだろう。
「……う……」
声も出なかった。どうなってるんだよ。接着剤で床に貼り付けられているみたいだ。チップはどうなっているんだろう。注射器が刺さっていた。殺されてなきゃいいけど。
それにしてもこんなことをして何になるって言うんだろう。
倒れる直前に「次の牌だ」というDr.A.Aの声を聞いたような気がする。昨日の話の続きのつもりなんだろうか。
だとしたら……
本気で指先に力を込めた。右の指が魔法を解かれたみたいにぴくりと動いた。深呼吸を一つ。手のひらとひじをついて、じりじりと起き上がる。体が重すぎて潰れそうだ。重力の違うべつな星に来てしまったのかもしれない。
どうしても上体を持ち上げられなくて、結局這ってドアに近づき、ノブにぶら下がるみたいに手をかけたけど、案の定ドアには鍵がかかっていた。おまけにカギ穴がない。
「……クソッ」
ずるずるとその場に転がってドアに背中をつけた。
「P.P……聞いてるんだろ?開けろよ」
[聞いているよ]
ガラスの壁の向こうにふっとP.Pが現れた。映像だ。その顔は実に嬉しそうににやにやと笑っていた。
「お前Dr.A.Aだろ。何する気なんだよ。チップは平気なのか」
[あの薄汚い獣人なら別なところにいるよ。獣人なんて何をやるかわからないからな。拘束服を着せている。まだ眠っているがね。さて、わしの推測が正しければ、今夜あたり客が来るはずなんだ。君がよく知っている人物だよ。リアルタイムで見せてあげよう]
言うだけ言ってDr.A.Aは姿を消した。
「おい! 開けろよ! P.P! 開けてくれ! P.P!」
でももうDr.A.AもP.Pも来はしなかった。なんにしろチップはとりあえず生きているらしい。よかった。
「……ト…ライク」
ハロウのうめくような声が壁越しに聞こえた。
「ハロウ、大丈夫か」
「……全然体が動きません」
「何かやる気らしいな、Dr.A.Aは」
「こういう暴力的な……身体に訴えるようなことは、しない人たちだろうと思ってたんですけど。わからないものだね」
「……どうしてそう思ってた?」
「『そんなことは野蛮だ』って言いそうじゃないですか」
「なるほどね」
[すぐに人に殴りかかるような野蛮人に、なぜ人間的な対応をしなければならないのかね。自分の立場も理解できない人間に。話しても通じない人物に対話による理解を試みることは、純粋な時間の無駄なのだよ、ハロウ・ストーム。君のような文型の人間には突きつけられたくない事実かも知れないがね]
映像のP.Pがドアを通り抜けてつかつかと歩いて来て、ストライクを見下ろした。
[言葉など何の役にも立たない。知能程度の低いものは感情や本能に従って行動し易い。説得は無意味だ。どんなに噛み砕いて説明してやったとしても、扁桃体の反応そのままに受け入れ、あるいは拒否する。言語によってそれを覆すことは難しい。
つまりストライク、君のような粗暴で教養のない人間を動かすには、どのような方法が最も効果的であるかというと、言語によらない直接的な刺激を与えるということだ]
Dr.A.Aはしゃがみこみ、壁に背中を預け床に手足を転がしているストライクを、不気味に笑ったまま透明すぎる栗色の目で覗き込んだ。
[犬のしつけと同じだよ、ストライク。言ってもわからないから叩くのだ]
ストライクはぺっとDr.A.Aの顔につばを吐きかけたが、つばはDr.A.Aの体をすり抜けて向こうの床に落ちた。