(5)
でかいブラシの頭のようなもの(あるいは程度のいいムカデのようなもの)がかさかさと廊下を通り過ぎていった。きっと掃除の時間なんだ。
P.Pはそれをクリーナーズと呼んでいた。形と動きは不気味だけど、毎日そこらじゅうを走り回って磨いて周り、いつも研究所にはしみ一つ、ちり一つない。
築130年でも綺麗なわけだよなあ。
ストライクはP.Pを探しながらつくづく思った。でもP.Pは検査室にもいなかったし、P.Pの私室らしきところ(ストライクたちのコンパートメントの向かいだが、広いし廊下側の窓は全面ガラスだし、とても居心地がいいとは思えなかった)にももちろんいない。
「P.P、どこにいるんだ」
さっきから呼んでいるのだが、例のゆうれいみたいな虚像のP.Pさえ出てこない。どこに行ってしまったんだろう。
そろそろDr.A.Aのメンテナンスの時間だった。あれが口を挟めない時のほうがいい。
入りたくなかったけど他になかったので、P.Pのストックの倉庫を覗いてみた。
白衣の子どもが埃の積もった机につっぷしていた。
「P.P?」
全く身動きをしないのでストライクが回り込んで顔を見ると、P.Pは呆けたように口を半分開き、目を見開いていた。
「なあ、P.P、目が乾くし……怖いよ。起きろよ」
「邪魔しないで下さいよ。思い出そうとしていたのに。出してくれと言う気ならだめですよ。あなたたちにはもう暫く滞在してもらいます」
「なんでだよ。俺の脚も顔の傷も治っちゃったじゃん。もういいだろうよ」
P.Pがむっくりと起き上がってしきりにまばたきをした。
「あなたたちは、私が生まれて初めて長時間接触しているオリジナルの人間なんです。もちろんDr.A.Aを除いての事ですが。もう暫く研究させてほしい」
「Dr.A.Aのことでも研究してろよ。口が達者で面白いだろうよ」
ポン、と棺おけが例の音を立てた。P.Pは大きなため息を一つついた。
「Dr.A.Aの肉体はもう老化が進み、細胞の増殖力も、研究対象から除外せざるを得ないほど落ちています。今私が知りたいのは、あなたたちオリジナルの人間、オリジナルの獣人のことです」
「じゃーさー、俺とハロウのクローンでも作ってそれで遊んでろよ。それでいいだろ?」
ストライクは、P.Pがさっきから食い入るように自分の「ストック」の列を見ていることに気が付いた。なんだって言うんだろう。
ストライクが視線を追って300人のP.Pを眺めると、3062号のP.Pがけだるそうに口を開いた。
「駄目なんですよ。クローンじゃ駄目なんです。クローンとオリジナルの人間は別物なんです。クローンは確かにオリジナルと全く同じ遺伝子情報を持って生まれます。それなのに、そのクローン体がオリジナルと同様の健康な人体に成長する確率は40%程度しかない。そして無事カプセルから出てなお、クローン体には、オリジナルにはなかった欠陥が現れやすいのです。
全ての人間男性のクローン体には生殖能力がなく、自己治癒力が比較的低い。臓器不全にも陥りやすい。なぜなんでしょうね。それはまだDr.A.Aにもわかっていません。だからもう暫くいてください。あなたたちと私の一体何が違うのか」
「俺にはわかんねえよ」
「でも何かが違うんですよ」
ストライクは、ちょっと机を触っただけの自分の指が、埃で真っ白になっていることに気が付いた。
「どうしてクリーナーズが来ないんだ? この部屋だけ?」
「この部屋は昔からP.Pたちが掃除していたのです。私もいわゆる12歳まではここを片付けました。でも他のP.Pたちが処分されて、ここを一人で片付ける気がなくなったのです」
P.Pはぴくりとも視線を動かさなかった。ずっと「ストック」をガラスごしに見ていた。
白い横顔は無表情で、言葉には抑揚がなかった。彼もまた、クローンのP.Pの一人だった。
でもストライクには余計にクローンと人間の何が違うのかわからなくなった。