(4)
震えそうな指で、そっと鉛筆のような部品を現れた穴に入れると、ピンポンと軽快に音が鳴り響き、続けて少女のささやくような声が響いた。
「がんばりました! それではヒントをあげましょう。合言葉はあなたが私にくれたものよ。もっとがんばったらもう一つヒントをあげまーす」
チップが目を丸くしてハロウの手元を見ていた。歩き出しかけたストライクが声を聞いて足を止めた。
「あなたがわたしにくれたもの?」
ハロウが確かめるように言った。
なんだろう。そもそも僕は何か彼女にあげたことがあったんだろうか? 彼女が喜ぶようなものを?
「なんだろう」
チップが耳をくるくる動かしてハロウを見上げていた。
「なんかあげた? 思い出してみなよ。適当に言ってりゃ当たるよきっと」
「……花は行くたびに持って行ったな……ほとんど毎回違う花だったから、何を持って行ったのかと言われても思い出せないです。ナニーが……僕の教育係なんだけど……用意してくれたものだったし」
「前に色々言ってたじゃないか。もっと思い出してみろよ」
気づくとストライクまでがハロウの部屋のドアの近くに立っていた。そうだった。前に思いつく限りパスになりそうなものを試してみたことがあった。
キャンディ、オリオン、スイトピー、ベンジャミンの木、天使のランプ。
彼女の家族の名前。
僕があげたもの。
「ぜんぜん思い出せないです。何かな……」
「誕生日に何かあげたとかさ。何かあるんじゃねーの?」
「誕生日……僕、彼女の誕生日はなんというか、経験していないんですよ。彼女が12歳になってすぐの時に初めて会って、それから一年も経たずに…………」
「ふーん……でもなんかあるはずだろ。花のついでに小物をあげたとかさ、お菓子でももってったとか。覚えてない?」
小物。お菓子。あげたような気もするし、僕があげたんじゃなかったような気もする。彼女は花を受け取っただけでもとても嬉しそうに毎回にこにこして、いつも一度細い腕に抱きしめるように匂いをかいでいた。『ありがとう、ハロウ。いつもこれが楽しみなのよ』。
でも彼女の部屋は僕が持っていくまでもなく、彼女の家族や親戚や家庭教師が持ってきた花で埋まっていた。僕が帰る時は『枯れる前にまた来てね!』と手を振った。何の花だったのかなあ。どうして僕はそんなに漠然と彼女に接していたんだろう。
「どっかに一緒に行ったとかは? その時買ってあげたんじゃない?」
「一緒に出かけたのは何度か………あの……この箱があった家があったでしょう。あそこの商店街でお祭りがあって、……そうですね。確かにその時何か買ってあげた気がします。なんだっただろう」
「思い出せ!」
「思い出すんだ!」
チップとストライクが二人で声をそろえた。
二人の応援は有難かったが、祭りのこと自体は全く覚えていなかった。
「彼女は体が悪くて、本当はお祭りなんか行かない方がいいって言われてたんですよ。しかも夜店を見に行きたがったから、余計心配でね。何があったのか他のことを覚えてないんですよね」
「ふむ」
ストライクが腕を組んで唸った。「あの辺の祭りね。夏のだろう?」
「そうでしたね。そうだった気がします」
「夏の夜店にあるようなもんだろう。お面? ワタアメ? そうだな……安物のアクセサリーも売ってるよな。おもちゃとか。でも女の子って何を欲しがるのかな? 人形? ひよことか金魚とかも売ってるし、風船もあるだろうなあ。ぺらぺらの民族衣装とかな」
「カキ氷も売ってるぜー。手品のタネとか。俺は焼きイカが好きだよ。腹壊すけど」
「おもちゃ。かな。そういえばこまごましたものがたくさん並んでるところで何か話した気がします」
──これとってもきれい。きらきらしてる
──見て! こんなのはじめて見たわ
そう、どこか……夜店というよりは小さな店のようになったブースに二人で暫くいた。
──ほらハロウ、生きてるみたい! でもこれ作り物なのよね?
明かりがランプだけで薄暗くて、カーテンで囲まれた店だった。スノウボールや小動物の置物、子供だましのバッグや妙にキラキラと光を乱反射するガラスの宝箱……そんなもので棚が全部埋まっていた。彼女はそれでもとても喜んで、棚の一つ一つを踊るように見て回った。
「そう、それで、『ハロウ、どれか一つ買って』と言われました。じゃあ好きなものを選んで、と。そしたら」
彼女は真顔でもう一度品物のすべてを検分し始めた。あまりに彼女が熱中するのでハロウは彼女が熱を出してしまわないか本当に気が気ではなかった。
──指輪……だめね。私、つけるとかゆくなっちゃうのよね。
──髪飾り……ちょっといいかも知れないわ。
──レースのショール。きれいだけどママにテーブルクロスにされそうね
オルゴールはパパが作ってくれたののほうがいい音だわ。
お人形……これもパパが作ってくれる方がすてきね。
彫刻が入ったペン……これでハロウに手紙を書くのはどう?
水晶の丸いボール、宝石の小さな原石がざらざらと入った小瓶。
──何に使うの? これ。
ポストカード。手帳。筆入れ。宝石箱。小さな金魚鉢に入った作り物の魚。
でも彼女が最後に手に取ったのは小さな小箱だった。
「ハロウ、私これにするわ」
それはガラスでできた5センチ四方のガラスの箱で、ふたの表面にゆりの花が彫ってあった。
「そんな小さなものでいいの?」
彼女は目を輝かせて「いいの!」と言った。
「ふたをあけてみて!」
ハロウが言われたとおりに開けてみると、箱の中からはふわっとゆりの香りがした。箱の中には透明のビー玉のようなものが入っていて、それを転がすたびに香りは強くなった。匂い玉なのだ。
「ね、ハロウ、いいでしょう? これを買ってちょうだい」
買ってそのまますぐ彼女に手渡すと、彼女はハロウの腕にもたれかかった。すっかり疲れてしまったようだった。軽く熱い体だった。
「辛くなってきたかな。おうちに帰ろうか?」
「そうね。そろそろ帰らないとパパやママやお姉ちゃんに怒られるわ。でも楽しかった。お土産も買ってもらっちゃった!」
「お土産なんて大層なものじゃないよ。本当にそんなのでよかったの?」
おもちゃ一つ買ったくらいで、と思うくらい彼女は頬を真っ赤にして喜んでいた。あるいはその時もう熱が出ていたのかもしれない。
「ふふ、私ゆりの匂い大好きなの。それにこれ、ゆりの花でしょう。私の名前よ。リリィってゆりでしょう。そうでしょう?」
そして彼女はやっぱりその次の日から当分安静にしなければならなかった。やっとお見舞いの許可が出て会いに行くと、
「私は平気だったのよ! お祭りに行ったせいなんかじゃないんだから」
とものすごく憤慨していた。後で彼女の父親であるリシュリュー・エウリディクから手紙が届き、無理を申し上げて娘の相手をしていただいているあなたには誠に恐縮であるが、あまり娘を興奮させたり、外に連れ出したりしないで下さらんかと言われた。
でも僕は──
「それってなんて言うものなんだろう? 匂い箱?」
「なんだろうなあ」
「確かに彼女はそれをすごく気に入っていました。香り玉からゆりの匂いがしなくなっても、ずっとベッドサイドに置いてありましたから」
「他には?」
「ちょっと思い出せないですね……でも二人でどこかに行って特に買ってあげたのはそれだけだと思います。お菓子くらいは普段でも持っていったでしょうが……」
3人で悩んだ末、結局その小箱をなんと呼んだらいいのかさっぱりわからなかったので、もっとがんばった先にあるはずのヒントを聞いてから考えようということになった。
もしかしたら僕あての箱じゃないのかもしれない。こんなに全くわからないなんて。
ハロウがあまりに落ち込んで見えたのか、チップはハロウの足をしっぽでぱんぱんと軽く叩き、ストライクは手近にあったハロウのシルク・ハットを俯いたハロウにすぽっと被せた。
「開くって」