(3)
長い白い廊下を抜けると、病院のような部屋がどんと開いた。だけどやたらに広い。ものすごく広い空間がついたてのようなものに区切られ、ちらほらと太い柱が天井に向かって伸びていた。
「ピピッその猫系獣人をそちらのベッドに置いてください」
ぐちゃぐちゃに配線が絡んだ床をなんとか通り、言われたとおりにハロウがチップをベッドにそっと寝かせた。少年はそれはそれで終わりというように、ストライクに向かって「口を開けてください」と言った。
背もたれのないキャスターのついたスツールに座らせられ、仕方なくストライクが口を開くと、少年はいきなり何か銀色の柄の長い小さなスプーンのようなものをストライクの口にいれ、ぐりぐりとかき回し始めた。
「ひはい! ひょ……」
「痛覚神経が刺激されるはずです。動くと余計な刺激が加わります」
「…………くぅ……」
口から出てきたスプーンの先には、ピンク色をした肉の破片のようなものが、ちょこんとかわいらしく乗っていた。
「……いてーよ……口ん中に穴開けただろお前」
「活発な細胞を採取したのです」
少年はそれを手際よくシャーレに移すと、何か薄い黄色の液体をたらし、銀色でぴかぴかのオーブンみたいなものの中にしまいこんだ。
「移植可能予定時刻まで2時間13分。少々お待ちください」
少々お待ちください、と言ったきり少年は身動きをしなくなってしまった。
あと2時間こうしてるつもりか?
ストライクは少年の顔をじろじろと眺めてみた。
なんだこいつは?
よく見てみると、モノクルは左のこめかみに突き刺さった針金(のようなもの)にくっついていた。どう見ても針金は皮膚にめり込んでいる。でも血は出ていない。すごくきもちわるい。
そしてこの広い部屋には他に誰の気配もない。モーターの回るようなぶうんという音がずっとし続けているだけだ。
「……ここはなんなんだよ?」
「ピピッただの検体は知る必要もないわ」
少年は視線を動かすこともなく、ただそう言い放った。
「まあ細胞だけではなくお前は役に立ちそうだ。暫くここにいてもらおうか」
「ピピッではラボの準備を開始します」
「ピピッブースは4個作っておくことだ、P.P」
「ピピッ了解しました」
そして少年はすっくと立ち上がると、3人をその部屋に残したままどこかに行ってしまった。
「逃げるかハロウ」
ストライクが言うとハロウは「その方がいいかもしれませんね」と言った。
すごく悪い予感がする。
ストライクはとっさに側にあった(何で作られているのか)真っ白なメスを取った。
「ハロウ」
ハロウはそれを受け取ると、トランクのどこだかわからないところにスポっと入れた。
「お前それとっさの時に取り出せるのか?」
「無理ですね」
文句はいろいろとあったが、とりあえず逃げることに集中することにした。チップを置き去りにするわけにいかないので、試しにしっぽを思い切り握り締めてみたら、チップは条件反射的に噛み付きながら目を覚ました。「逃げるぞ」と声を掛けると、黙って足音を立てずにベッドから飛び降りて付いてきた。
もとの廊下をひたひたと走る。廊下も長い。やけにしんとしていて、所々にあるライトが目にまぶしい。まるで悪夢の中みたいだった。
でも廊下を半分くらい戻ったところでいきなり空中から少年が現れた。
「ひ」
[ここから出るには認証カードと生体データが必要です。戻って検査を受けてください]
「ストライク、そこに人なんかいない」
チップがとんと飛び出した。少年の胸の辺りをするりと通過する
「なんだこいつ」
[この映像は3次元映像です。ここに私は存在していません。ですがこの研究所内は私の管轄下です。あなたたちの言動はすべて捕捉されています。脱走行為や破壊行為も無意味です]
知るかよ。
ストライクは少年の体を通り抜けて(それはただの空気と同じ感触だった)、自分たちを飲み込んだ幾何学模様の扉に辿り着いた。
[認識してください。あなたたちが外に出るすべは現在ありません]
少年はストライクの方にその場で振り向いて言った。
そしてその通りだった。鍵穴はもちろん、扉がどのようにかみ合っているのかすらわからなかった。