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「お休みになりますか?」


 イグナシオの声はいつもと同じだった。それどころか、普段より優しいようにさえ感じられた。なんでそんなに俺に気を使うんだよ。


「何が悪いんだ」


 イグナシオが首をかしげたのが視線を動かさなくてもわかった。


「あるところから取って何が悪いんだよ」


 どうして俺はこんなことを言っているんだろう。


「なくなったってあんたは困らないだろう。なんだってそうだ。余ってるところから盗って生きて、それの何が悪いんだ」


 どうせ次の町でもその次の町でも誰かから盗んで生きていくんだよ。


 これまでだってずっとそうしてきたんだよ。ずっとずっとだ。


「…………」


 まるで盗み見るみたいに横目でイグナシオを見ると、イグナシオは綺麗な顔を曇らせて、ほとんど泣き出しそうなとても悲しい顔をしていた。なんでそんな顔をするんだろう。俺まで悲しくなってしまう。


 天使の彫像が、聖者の彫像が自分の背中を見ていた。人間につばさなんか生えない。あれはただのつくりものだ。


「一つくらい盗んだことが無かったことになっても変わらない。これからも俺は何か盗むし、これまでだって数え切れないくらい盗んできた。それは無かったことにはならない。

 でもそれは悪いことなのかよ? 裕福なヤツは財布に金を余らせてぬくぬくと暮らしてやがるんだ。俺たちには家も親も金もないのにさ。お前らの持っているもの、一個でもあれば俺たちは生きていけるんだよ。どうして盗っちゃいけないんだ。欲しいって言ったらくれるのか? 相手にもしないくせに」


 なんでこんなことを言ってるんだろう。


「もう行くよ」


 もうこれ以上天使や聖人たちやイグナシオに見られたくなかった。教会なんてところにこんなに長く留まるべきじゃなかったんだ。


「待ってください」


 立ち上がろうとして机についた手を、イグナシオがその華奢で綺麗な見掛けによらないすごい力で掴んだ。ストライクは驚いて、思わず思い切りイグナシオの顔を見てしまった。


 目の前で自分の顔を見つめているのもまた彫刻のような顔だった。でもそれは悲痛で今にも泣き出しそうだ。


「これまでもたくさん罪を犯した人が私の元を訪れました。私はどうすればいいのかわかりませんでした。でも今わかりました」


 落ち着いた声だった。


「私の持ち物で、あなたが欲しいものは全部差し上げます」

「…………え?」


 イグナシオは手の力を緩め、もう一方の手もそっとストライクの手に重ねた。その手はすっかり冷えて、とても冷たかった。


「あなたは何が欲しいですか?」

「…………」


 イグナシオは、ストライクが持ち出そうとしたもののなかから、聖印の首飾りを取り、ストライクの首に掛けた。


「私に差し上げられるもので、あなたが欲しいもの、何もかも差し上げます。それであなたの心が満たされるのなら。あなたにそれが必要なら」


 もう夜明けが近いだろう。きっとイグナシオは、あと2時間もしたら朝の支度をはじめる。俺とハロウとチップのために。


「…………イグナシオ。どうして何もかも持っているヤツと、そうでないヤツがいるんだ」

「何もかも持っているように見える人にも、必ず持っていないものがあります。何も持っていない人も、何かしら持っています。そうではないですか? あなたは何も持っていませんか? どんなに何もかも持っている人でも、この世界のすべてのものを自分のものにすることができると思いますか?」

「不公平じゃないか。俺は俺の持っているものだけでは生きていけない」

「誰でもそうですよ。どんな人も一様に、自分の持っているものだけでは生きてはいけないのです。みな、誰かに自分の持っているものを差し上げ、誰かの持っているものを受け取っているのです。それがこの世界の成り立ちであり、神の定めた原則なのです。なぜ盗みが罪と言われるのかというと、何一つ自分がその身を削らずに、誰かから奪うだけ奪っているからです」

「俺には何も誰かに『差し上げ』られるものなんてない。何も持ってないやつはそれじゃあ死ぬしかないじゃないか」

「──そうでしょうか、ストライクさん。私は今、あなたに一つの答えを頂いたのですよ。だから私は、あなたにすべてを差し上げようと思ったのです。私が持っているもの、どれ一つとして、あなたから頂いた答えに勝るものはなかったのです。あなたの苦しみに勝る持ち物などなかったのです」


 イグナシオの手がランプの明かりに照らされてよく見えた。


 その手は白く、細い指はひび割れてあかぎれができていた。イグナシオはその手でストライクが盗もうとした品々をきれいに並べなおした。


 何が欲しいですか?


 ストライクには手を伸ばすことができなかった。どれ一つとしてほんとうに必要な、それがあるだけで満たされるようなものなんかなかった。例えばこの教会をまるごともらったってだめだ。それだけはわかった。


 何が欲しかったんだろう。自分がからっぽになったような気がした。なんだか泣き出しそうだった。苦しかった。俺には何もない。答え? 苦しみ?


 持ち物とはそんなものも含まれるのか。


「…………どうしたらいい?」

「あなたが知っている、一番多くのものを持っている人を思い浮かべてみなさい。あなたはその人と同じだけ持っているのです。神は公平なのですから。

 誰かは喜びと愛を持っているかもしれない。誰かは貧しさと悲しみを持っているかもしれない。しかし神の目から見れば、きっとそれらは同じだけ価値のあるものなのでしょう。あなたはこれからあなたの苦しみを差し出し、安らぎを受け取ればいいと思います。あなたの悲しみや寂しさを差し出し、喜びと楽しみを受け取ればいいと思います。今私にあなたが差し出してくださったように」

「最初から何もかも欲しいものだけ持っていられないのは不公平じゃないのか」

「生まれながらに喜びと安心を得た人は、成長するにしたがってそれらを誰かに差し出さなければいけないのではないでしょうか。あなたはこれからそれを得ることができるでしょう」

「…………」


「今日はもうおやすみなさい」


 イグナシオは天井の天使たちと同じように柔らかく微笑んだ。 


 ふらふらと奥の部屋に続くドアを開けると、ハロウがそこに立っていた。


「うわ」

「…………おはよう、ストライク」


 なんでみんなよってたかって俺を驚かせるんだろう。


「いつからここにいたんだよ」


 ハロウは首をかしげて、いつものしれっとした顔で 


「一週間くらい前からでしょうか」


 と言った。


 やっぱりこいつ一回死ねよ と思ったが、ストライクはなんとなく笑ってしまった。





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