(10)
ひさしぶりのような気がした。
真っ暗な中を歩く。そっと。
俺は存在なんかしていない。ただの暗闇の一部。
夜の冷たい空気と、俺は同じ温度。
目はすっかり闇に慣れていた。
窓から月と蓄光体の薄緑色の光とが、教会の中のものをぼんやりと形作っている。
不用意に右の足に体重を掛けると、やはりまだぎくりと痛んだ。でも走れないほどではない。たぶん。
ハロウはあの後やっとネジを巻かれたブリキの兵隊みたいにぎくしゃくと立ちあがり、「長くお世話になりました。僕はもう行きます」と突然言った。イグナシオはそれでも「今夜くらいは」と言ってハロウをなだめ、二人で何か暫く話していた。
ストライクはそれを見て、ああ、俺もそろそろ行かなくちゃ、と思った。
矢がここまで飛んでくることはないかもしれない。だってここは、はるか昔に投げ捨てられて誰も住んでないと思われている廃墟なのだ。ジョーを拾わなかったら、こんなところに教会があってしかも人が住めるだなんてだれだって思わなかったろう。だれも俺がここにいることなんか知らない。
でもだからっていつまでここにいればいいんだ。こんな不似合いな場所はない。それに俺はもっと違うところへ逃げなくちゃいけない。
もっと遠くへ。もっと、俺のあしあとが見えるようなところへ。
礼拝堂にたどり着くと何かが息を殺している気配があった。気配を消し、足音を立てずに歩くストライクを、何かが同じように息をつめて見ている。
あまりの威圧感にストライクが思い切って天井を仰ぐと、天井からはおびただしい視線が降り注いでいた。
「…………!」
月の光が、外に続く大きな扉の上の、丸い大きな窓からくっきりと礼拝堂の床を照らしていた。その光は灰色で、高い天井にさらに弱く不機嫌に照り返し、闇によく慣れたストライクの目には、そんな死んだ光の中でも、天使や聖者の群れが奇妙な微笑をたたえて自分を見つめているのがわかった。
どん、と心臓が鳴った。
ちがう。そんなんじゃない。こいつらはただの彫像だ。昼間見たじゃないか。でも。
ぞっとしてドアに走り夢中で飛び出すと、
今度は頭の上から何かがどんと背中に乗った。
「ぎゃ」
「…………ストライクじゃん……何やってんの?」
「………………」
ストライクが、思わず顔を庇った腕を下げると、目の前に緑色の大きな目が見えた。お前こそこんなとこで何やってんだよチップ……。
驚きすぎたので暫く声を出すことができなかった。ほんの一時間前まで、チップは確かに暖炉の部屋のロッキングチェアの上に丸まって気持ちよさそうに眠っていたくせに、本当に猫なんて信用できたものではない。
一瞬今すぐにこの猫の手を振り切って逃げるかと思ったが、右足のことと、猫系獣人の敏捷さを考えてみたらばかばかしくなった。逃げられるわけがないんだ。開けっぱなしになった扉が、風のない夜の空気の中で、白く浮き上がって見える。
「どうしました」
そして人影もまた、冬の月の光に白く浮き上がってこちらに近づいてきた。
リンネルのローブを着たイグナシオだった。